倭国、帯方郡の東南の大海の島の中にある。漢末以来、女王を立てている。土俗については既にある過去の史書を見よ。建元元年、新たな官位として使持節、都督倭新羅任那加羅秦韓〔慕韓〕六国諸軍事、安東大将軍を進め、倭王の武 の號 は鎮東大将軍となった。
(※1)帯方郡
後漢末に遼東郡を支配した公孫康が朝鮮半島に存在した楽浪郡の南半分を分割し、帯方郡を設置した。朝鮮半島南部の濊や三韓を支配することが目的だったと思われる。
(※2)都督倭新羅任那加羅秦韓〔慕韓〕六国諸軍事
宋書にも登場する倭の五王の3人目である倭国王済以降に配されている。
(※3)安東大将軍
品秩は第二品。(安東将軍は第三品)
(※4)倭王武
日本書紀の大泊瀬幼武天皇こと21代雄略天皇に比定される。武は幼武天皇 の「たけ(武)」の漢訳と推測される。
(※5)鎮東大将軍
品秩は第二品。(鎮東将軍は第三品)
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