實聖尼師今

 實聖尼師今が擁立された。閼智の裔孫であり、大西知伊飡の子である。
 母は伊利夫人(伊は一節には企とする)、昔登保阿干の娘である。
 妃は味鄒王の娘である。
 實聖は身長七尺五寸、明達にして遠識があった。
 奈勿が死去し、その子は幼少であったため、国民は實聖を擁立して位を継がせた。

 元年、三月。
 倭国と通好し、そのため奈勿王子の未斯欣を人質となった。

 二年、春正月。
 未斯品を舒弗邯に任命し、それにより軍事と国政を委任した。

 秋七月。
 百濟が国境を侵犯した。

 三年、春二月。
 自ら始祖廟に謁見した。

 四年、夏四月。
 倭兵が明活城を攻めに来たが、勝つことなく帰った。
 王は騎兵を率いて要之獨山の南で再戦して破り、三百級余りを殺害あるいは捕虜とした。

 五年、秋七月。
 国西部に蝗が起こり、穀物を害した。

 冬十月。
 京都で地震。

 十一月。
 氷無し。

 六年、春三月。
 倭人が東の国境を侵犯した。

 夏六月。
 また南の国境を侵犯し、一百人を略奪していった。

 七年、春二月。
 倭人が對馬島に兵営を置き、兵革資粮を貯め、それによって我が国を襲うことを謀っていると王は聞き、それらがまだ出発する前に先んじて、我が国から精兵を選抜し、敵軍の備蓄を擊ち破ろうとした。
 舒弗邯の未斯品は言った。
「私は聞いております。”兵は凶器、戰は危事”と。
 言うまでもなく大海を渡って人を伐つとなれば、万が一利を失すれば、後悔しても取り返すことができません。
 地形の険しさに依り、関門を接することで、相手が来ればそれを防御し、侵略を受けかき乱されるようなことがないようにさせ、機会があれば出撃してそれを生け捕りにした方がよいでしょう。
 これこそ孫子の謂うところの”人を致して人に致さざる”というもので、策の上であります。」
 王はそれに従った。

 十一年。
 奈勿王の子である卜好が高句麗の人質となった。

 十二年、秋八月。
 雲が狼山に立ち起こり、望めば樓閣の如きであった。
 香氣は郁然とし、いつまでも消えなかった。
 王は言った。
「これは間違いなく仙霊が降臨して遊ばれておられるのだ。
 この地を祝福するために現れたのだろう。」
 この後に従って、人々が樹木を伐採することを禁じた。
 平壤州に大橋を新しく架けた。

 十四年、秋七月。
 穴城原で大規模なデモンストレーションをおこなった。
 また、御金城の南門にて弓射を観覧した。

 八月。
 倭人と風島にて戦い、これに勝利した。

 十五年、春三月。
 東海の邊で大魚が獲れたが、それには角があった。
 大きさは盈車のようであった。

 夏五月。
 吐含山が崩れ、泉水が湧いた。その高さ三丈。

 十六年、夏五月。
 王が死去した。

 

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≪白文≫
 實聖尼師今立、閼智裔孫、大西知伊飡之子。
 母伊利夫人、伊、一作企、昔登保阿干之女。
 妃味鄒王女也。
 實聖身長七尺五寸、明達有遠識。
 奈勿薨、其子幼少、國人立實聖繼位。

 元年、三月。
 與倭國通好、以奈勿王子未斯欣爲質。

 二年、春正月。
 以未斯品爲舒弗邯、委以軍國之事。

 秋七月、百濟侵邊。

 三年、春二月。
 親謁始祖廟。

 四年、夏四月。
 倭兵來攻明活城、不克而歸。
 王率騎兵、要之獨山之南、再戰破之。
 殺獲三百餘級。

 五年、秋七月。
 國西蝗、害穀。

 冬十月。
 京都地震。

 十一月。
 無氷。

 六年、春三月。
 倭人侵東邊。

 夏六月。
 又侵南邊、奪掠一百人。

 七年、春二月。
 王聞倭人於對馬島置營、貯以兵革資粮、以謀襲我、我欲先其未發、揀精兵擊破兵儲、舒弗邯未斯品曰、
 臣聞、兵凶器、戰危事。
 況涉巨浸以伐人、萬一失利、則悔不可追、不若依嶮設關、來則禦之、使不得侵猾、便則出而禽之、此所謂致人而不致於人、策之上也。
 王從之。

 十一年。
 以奈勿王子卜好、質於高句麗。

 十二年、秋八月。
 雲起狼山、望之如樓閣、香氣郁然、久而不歇。
 王謂、
 是必仙靈降遊、應是福地。
 從此後、禁人斬伐樹木。
 新成平壤州大橋。

 十四年、秋七月。
 大閱於穴城原。
 又御金城南門觀射。

 八月、與倭人戰於風島、克之。

 十五年、春三月。
 東海邊獲大魚、有角、其大盈車。

 夏五月。
 吐含山崩、泉水湧、高三丈。

 十六年、夏五月。
 王薨。

≪書き下し文≫
 實聖尼師今立つ、閼智の裔孫、大西知伊飡の子なり。
 母は伊利夫人、伊、一に企と作す、昔登保阿干の女なり。
 妃は味鄒王の女なり。
 實聖は身長七尺五寸、明達にして遠識有り。
 奈勿薨じ、其の子幼少にして、國人實聖を立てて位を繼ぐ。

 元年、三月。
 倭國と通好し、以て奈勿王子未斯欣を質と爲す。

 二年、春正月。
 以て未斯品を舒弗邯と爲し、軍國の事を以て委ぬ。

 秋七月。
 百濟邊を侵す。

 三年、春二月。
 親始祖廟に謁す。

 四年、夏四月。
 倭兵明活城に攻むるに來たるも、克たずして歸す。
 王騎兵を率い、要之獨山の南、再戰して之れを破り、殺獲すること三百餘級。

 五年、秋七月。
 國西に蝗あり、穀を害す。

 冬十月。
 京都地震。

 十一月。
 氷無し。

 六年、春三月。
 倭人、東の邊(くにざかい)を侵す。

 夏六月。
 又た南の邊(くにざかい)を侵し、奪ひ掠めること一百人。

 七年、春二月。
 王、倭人の對馬島に營を置き、兵革資粮を以て貯め、以て我を襲ふを謀るを聞き、我其の未だ發せざるに先んじて、精兵を揀(えら)び兵の儲(そなえ)を擊ち破やぶらんと欲す。
 舒弗邯未斯品曰く、
 臣聞く、兵は凶器、戰は危事と。
 況んや巨浸を涉り以て人を伐し、萬一利を失すれば、則ち悔ひて追ふ可からず。
 嶮に依り關を設し、來ては則ち之れを禦し、侵猾を得ざらせしめ、便ずれば則ち出でて之れを禽ずるに若かず。
 此れ人を致して人に致されずと謂ふ所、策の上なり。
 王之れに從ふ。

 十一年。
 以て奈勿王子の卜好、高句麗の質となる。

 十二年、秋八月。
 雲狼山に起き、之れを望むに樓閣の如し、
 香氣郁然とし、久しくして歇(つ)きず。
 王謂(いは)く、
 是れ必ずや仙靈の降遊せり、是れ地を福するに應ず。
 此の後に從ひ、人樹木を斬伐するを禁ず。
 平壤州大橋を新成す。

 十四年、秋七月。
 穴城原に於いて大閱す。
 又た御金城南門觀射す。

 八月。
 倭人と風島にて戰ひ、之れに克つ。

 十五年、春三月。
 東海の邊に大魚を獲るも、角有り、其の大なること盈車のごとし。

 夏五月。
 吐含山崩れ、泉水湧くこと、高さ三丈。

 十六年、夏五月。
 王薨ず。