訥祇麻立干

 訥祇麻立干が擁立された。
 金大問によれば、麻立は方言で、橛(きりかぶ)のことであるとのこと。
 橛(きりかぶ)は周囲の仲を取り持つ存在で節操が固いことの標であり、位に準じて置かれ、王の橛(きりかぶ)を主とし、臣の橛(きりかぶ)を下に列にして並べた。
 これに因んで、王を麻立干と呼んだだ。
 奈勿王の子である。
 母の保反夫人(一節にはに内禮吉怖)は味鄒王の娘である。
 妃は實聖王の娘である。

 奈勿王は在位三十七年、實聖を高句麗に人質として出したので、實聖が帰還して王となった際には、奈勿が自分を外国の人質として出したことを怨み、その子を殺害して怨みに報いようとした。
 人を派遣して高句麗にいた頃の知り合いを招き寄せ、それに因んで密かに告げた。
「訥祇と会ったら殺せ」
 こうして訥祇に道の途中で逆を往かせたので、麗人は訥祇と出くわしたが、その容貌は神々しく爽快かつ風雅、君子の風があったので、
「貴国の王が私にあなた様を殺害するように言われておりましたが、今あなた様とお見えして、殺害することが忍びなくなってしまいました。」
と告げてそのまま帰ってしまった。
 訥祇はそれを怨み、逆に王を弑殺して自らが王位に立った。

 二年、春正月。
 自ら始祖廟に謁見した。
 王弟の卜好が高句麗から堤上奈麻とともに帰還して来た。

 秋。
 王弟の未斯欣が倭國から逃げ帰った。

 三年、夏四月。
 牛谷で水が湧いた。

 四年、春夏。
 大旱魃が起こった。

 秋七月。
 霜が降って穀物を殺した。
 人民が飢え、子孫を売る者まで現れた。
 慮囚の罪を赦免した。

 七年、夏四月。
 老人を南堂にて養い、王自ら食事を執らせ、穀帛を人に応じて賜った。

 八年、春二月。
 高句麗が使者を出して聘問を修めた。

 十三年。
 新たに矢堤を築いた。
 岸の長さは二千一百七十步。

 十五年、夏四月。
 倭兵が東の国境を侵犯しに来て、明活城を包囲したが、何の成果もないまま退却した。

 秋七月。
 霜雹が穀物を殺した。

 十六年春。
 穀物が高騰し、人が松樹の皮を食べた。

 十七年、夏五月。
 未斯欣が死去し、舒弗邯の位を贈った。

 秋七月。
 百濟が使者を出して和を請うたので、それに従った。

 十八年、春二月。
 百濟王が良馬二匹を送った。

 秋九月。
 また白鷹を送った。

 冬十月。
 王が黄金と明珠を以て、百濟を聘問して報いた。

 十九年、春正月。
 大風が吹いて木を抜いた。

 二月。
 歷代園陵を修繕した。

 夏四月。
 始祖廟を祀った。

 二十年、夏四月。
 雹が降った。
 囚人を慮った。

 二十二年、夏四月。
 牛頭郡で山水が溢れかえり、漂流すること五十家余り。
 京都で大風が吹き雹が降った。
 人民に牛車の法を教えた。

 二十四年。
 倭人が南の国境を侵犯し、生口を強奪して去った。

 夏六月。
 また東の国境を侵犯した。

 二十五年、春二月。
 史勿縣長が尾白雉を進呈したので、王がこれを喜び、縣吏に穀物を賜った。

 二十八年、夏四月。
 倭兵が金城を十日に渡って包囲したが、食糧が尽きたので帰った。
 王は兵を出して追撃しようとしたが、左右の者が言った。
「兵家の説には”窮寇追ふこと勿れ。”と言われております。
 王はこの言葉を無視しておられます。」
 王はそれに耳を貸さず、数千騎余りを率いて追撃し、獨山の東に引き返し、合戦して賊を討ち破ったが、将士の死者は過半数を超えた。
 王は蒼黄馬を棄てて山を上り、賊はそれを数重に囲んだ。
 すると、たちまち昏い霧が起こり、僅かな距離さえ見えなくなり、賊はなにかが王を助けているのだと言い出し、軍隊を収めて退散した。

 三十四年、秋七月。
 高句麗の辺将が悉直の原で狩りをしていたら、何瑟羅城主の三直が兵を出して覆い込んで殺した。
 麗王はそれを聞いて怒り、使者を出して告げて曰く、
「かつて私と大王は好(よしみ)を結んだことを歓ばしく思っていたはずである。
 今、軍隊を出して我が辺将を殺させたことには、何の正義があるのだ?」
 そのまま高句麗は軍隊を興し、我が国の西部国境を侵犯したが、王は言葉を卑(ひく)くして謝罪したため、そのまま帰った。

 三十六年、秋七月。
 大山郡が嘉禾を進呈した。

 三十七年、春夏旱。
 秋七月、羣狼始林に入った。

 三十八年、秋七月。霜雹害穀。
 八月、高句麗北の国境を侵犯した。

 三十九年、冬十月。
 高句麗が百濟を侵略した。
 王は軍隊を派遣して救援した。

 四十一年、春二月。
 大風が木を抜いた。
 夏四月。
 霜が降り麦を傷めた。

 四十二年、春二月。
 地震が起こった。
 金城の南門が自ら壊れた。

 秋八月。
 王が死去した。

 

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≪白文≫
訥祇麻立干立。
金大問云、麻立者、方言、謂橛也。
橛謂諴操標、准位而置、則王橛爲主、臣橛列於下、因以名之。
奈勿王子也。
母、保反夫人、一云内禮吉怖、味鄒王女也。
妃、實聖王之女。

奈勿王三十七年、以實聖質於高句麗、及實聖還爲王、怨奈勿質己於外國、欲害其子以報怨。
遣人招在高句麗時相知人、因密告、見訥祇則殺之。
遂令訥祇往、逆於中路、麗人見訥祇、形神爽雅、有君子之風、遂告曰、
爾國王使我害君、今見君、不忍賊害。
乃歸。
訥祇怨之、反弑王自立。

二年、春正月。
親謁始祖廟。
王弟卜好、自高句麗、與堤上奈麻還來。

秋。
王弟未斯欣、自倭國逃還。

三年、夏四月。
牛谷水湧。

四年、春夏。
大旱。

秋七月。
隕霜殺穀。
民飢、有賣子孫者。
慮囚原罪。

七年、夏四月。
養老於南堂、王親執食、賜穀帛有差。

八年、春二月。
遣使高句麗修聘。

十三年。
新築矢堤。
岸長二千一百七十步。

十五年、夏四月。
倭兵來侵東邊,圍明活城,無功而退。秋七月,霜雹殺穀。

十六年春。
穀貴、人食松樹皮。

十七年、夏五月。
未斯欣卒、贈舒弗邯。

秋七月。
百濟遣使請和、從之。

十八年、春二月。
百濟王送良馬二匹。

秋九月。又送白鷹。

冬十月。
王以黄金、明珠、報聘百濟。

十九年、春正月。
大風拔木。

二月。
修葺歷代園陵。

夏四月。
祀始祖廟。

二十年、夏四月。
雨雹。
慮囚。

二十二年、夏四月。
牛頭郡山水暴至、漂流五十餘家。
京都大風雨雹。
敎民牛車之法。

二十四年。
倭人侵南邊、掠取生口而去。

夏六月。
又侵東邊。

二十五年、春二月。
史勿縣進長尾白雉、王嘉之、賜縣吏穀。

二十八年、夏四月。
倭兵圍金城十日、糧盡乃歸。
王欲出兵追之、左右曰、
兵家之說曰、窮寇勿追。
王其舍之。
不聽、率數千餘騎、追反於獨山之東、合戰爲賊所敗、將士死者過半。
王蒼黄棄馬上山、賊圍之數重。
忽昏霧、不辨咫尺、賊謂有陰助、收兵退歸。

三十四年、秋七月。
高句麗邊將、獵於悉直之原、何瑟羅城主三直、出兵掩殺之。
麗王聞之怒、使來告曰、
孤與大王、修好至歡也、今出兵殺我邊將、是何義耶。
乃興師、侵我西邊、王卑辭謝之、乃歸。

三十六年、秋七月。
大山郡進嘉禾。

三十七年、春夏旱。
秋七月、羣狼入始林。

三十八年、秋七月。霜雹害穀。
八月、高句麗侵北邊。

三十九年、冬十月。
高句麗侵百濟、王遣兵救之。

四十一年、春二月。
大風拔木。

夏四月。
隕霜傷麥。

四十二年、春二月。
地震。
金城南門自毀。

秋八月。
王薨。


≪書き下し文≫
 訥祇麻立干立つ。
 金大問云く、麻立は方言、橛(きりかぶ)を謂ふなり、と。  橛は諴操の標を謂ひ、位に准(なぞら)へて置き、則ち王橛を主と爲し、臣橛を下に列し、因みて以て之れを名ず。
 奈勿王の子なり。
 母、保反夫人、一に云く内禮吉怖、味鄒王の女なり。
 妃、實聖王の女なり。

 奈勿王三十七年、實聖を以て高句麗に質とし、實聖還り王と爲すに及び、奈勿の己を外國に質としたことを怨み、其の子を害して以て怨みに報いんと欲す。
 人を遣りて高句麗に在る時に相ひ知る人を招き、因りて密かに告げさせ、訥祇と見(まみ)えれば則ち之れを殺させんとす。
 遂に訥祇をして往かせしめ、中路に逆らひ、麗人訥祇と見(まみ)えれば、形神爽雅、君子の風有り、遂に告げて曰く、
 爾國王我をして君を害せしめんとするも、今君と見(まみ)ゑ、賊害するを忍びず。
 乃ち歸す。
 訥祇之れを怨み、反りて王を弑し自ら立つ。

 二年、春正月。
 親(みずか)ら始祖廟に謁(まみ)ゆ。
 王弟卜好、高句麗より堤上奈麻と還り來たる。

 秋。
 王弟未斯欣、倭國より逃げ還る。

 三年、夏四月。
 牛谷水湧く。

 四年、春夏。
 大いに旱(ひでり)あり。

 秋七月。
 霜隕(ふ)り穀を殺(そ)ぐ。
 民飢ゑ、子孫を賣る者有り。
 慮囚罪を原(ゆる)す。

 七年、夏四月。
 老を南堂に養ひ、王親ら食を執り、穀帛を賜ふこと差有り。

 八年、春二月。
 高句麗に遣使して聘を修む。

 十三年。
 新たに矢堤を築く。
 岸の長さ二千一百七十步。

 十五年、夏四月。
 倭兵來たりて東の邊(くにざかい)を侵し,明活城を圍むも,功無くして退く。

 秋七月。
 霜雹穀を殺ぐ。

 十六年春。
 穀貴く、人松樹の皮を食らふ。

 十七年、夏五月。
 未斯欣卒(おわ)り、舒弗邯を贈る。

 秋七月。
 百濟遣使して請和し、之れに從ふ。

 十八年、春二月。
 百濟王、良馬二匹を送る。

 秋九月。
 又た白鷹を送る。

 冬十月。
 王黄金、明珠を以て、百濟を聘(おとず)れ報ゆ。

 十九年、春正月。
 大風木を拔く。

 二月。
 歷代園陵を修葺(つくろ)ふ。

 夏四月。
 始祖廟を祀る。

 二十年、夏四月。
 雨雹。
 囚を慮(おもんぱか)る。

 二十二年、夏四月。
 牛頭郡山水暴れ至り、漂流すること五十餘家。
 京都大風雨雹。
 民に牛車の法を敎ゆ。

 二十四年。
 倭人南の邊(くにざかい)を侵し、生口を掠め取りて去る。

 夏六月。
 又た東の邊を侵す。

 二十五年、春二月。
 史勿縣長尾白雉を進め、王之れを嘉(よろこ)び、縣吏に穀を賜ふ。

 二十八年、夏四月。
 倭兵金城を圍むこと十日、糧盡きて乃ち歸る。
 王兵を出して之れを追はんと欲するも、左右曰く、
 兵家の說に曰く、
 窮寇追ふこと勿れ。
 王其れ之れを舍つ、と。
 聽かず、數千餘騎を率い、追ひ獨山の東に反り、合戰して賊の敗るる所と爲すも、將士の死者過半なり。
 王蒼黄馬を棄て山を上り、賊之れを數重に圍む。
 昏い霧忽(にわか)に、咫尺を辨ぜず、賊は陰の助け有りと謂ひ、兵を收めて退き歸る。

 三十四年、秋七月。
 高句麗の邊將、悉直の原に獵(か)るも、何瑟羅城主の三直、兵を出して掩(おお)ひ之れを殺す。
 麗王之れを聞きて怒り、使來たりて告げて曰く、
 孤と大王、好(よしみ)を修め歡(よろこび)に至るなり。
 今兵を出して我が邊將を殺せしむるは、是れ何の義か、と。
 乃ち師を興し、我が西の邊を侵すも、王は辭を卑(ひく)くして之れを謝れば、乃ち歸る。

 三十六年、秋七月。
 大山郡嘉禾を進む。

 三十七年、春夏旱。
 秋七月、羣狼始林に入る。

 三十八年、秋七月。霜雹害穀。
 八月、高句麗北の邊を侵す。

 三十九年、冬十月。
 高句麗百濟を侵す。
 王は兵を遣はし之れを救ふ。

 四十一年、春二月。
 大風木を拔く。
 夏四月。
 霜隕り麥を傷む。

 四十二年、春二月。
 地震。
 金城の南門自ら毀(こわ)る。

 秋八月。
 王薨ず。