孝照王

孝照王

 孝照王が擁立された。
 諱は理洪(一説には恭と書く)、神文王の太子である。
 母の姓は金氏、神穆王后、一吉飡の金欽運(一説には雲と云う)の娘である。
 唐の則天が遣使して吊祭すると、王を新羅王輔國大將軍行左豹韜尉大將軍雞林州都督に冊した。
 左右理方府を左右議方府と改めたのは、「理」の諱を犯すからである。

 元年、八月。
 大阿飡の元宣を中侍に任命した。
 高僧の道證が唐より上天文圖に帰った。

 三年、春正月。
 自ら神宮を祀り、大赦した。
 文穎を上大等に任命した。
 唐にいた金仁問が死去した。年齢は六十六であった。

 冬。
 松岳、牛岑の二城を築いた。

 四年。
 子の月を正に擁立した。
 拜して愷元を上大等に任命した。

 冬十月。
 京都で地震が起こった。
 中侍元宣が老いて引退した。
 西、南二市を置いた。

 五年、春正月。
 伊飡の幢元を中侍に任命した。

 夏四月。
 国西部で旱魃が起こった。

 六年、秋七月。
 完山州が嘉禾を進呈し、畝は異なっていたが、穎は同じであった。

 九月。
 臨海殿で群臣と宴を開いた。

 七年、春正月。
 伊飡體元を牛頭州摠管に任命した。

 二月。
 京都の地面が動き、大風が木を折った。
 中侍の幢元が老いて引退したので、大阿飡の順元を中侍に任命した。

 三月。
 日本の国使が到来したので、王はそれを引き連れて崇禮殿で謁見した。

 秋七月。
 京都で大洪水が起こった。

 八年、春二月。
 白氣が天空へ昇り、星孛が東に現れた。
 遣使して唐に朝見し、方物を貢いだ。

 秋七月。
 東海の水が血の色をし、五日にまた元に戻った。

 九月。
 東海の水が自擊(※1)し、その音が王都にまで聞こえた。
 兵庫中の鼓角がひとりでに鳴った。
 新村人の美肹が重さ百分の黄金一枚を得たので、それを献上した。南辺第一の位を授け、租一百石を賜った。

 九年。
 再び寅月を正に立てた。

 夏五月。
 伊飡の慶永(永は一説には玄と書く)が謀叛して誅に伏した。
 中侍の順元が縁坐して罷免された。

 六月。
 歳星が月に入った。

 十年、春二月。
 彗星が月に入った。

 夏五月。
 靈巖郡太守の一吉飡諸逸が公に背いて私を営み、刑一百杖を受け、島に流された。

 十一年、秋七月。
 王が死去した。
 諡を孝照といい、望德寺東に葬られた。
(旧唐書を見ると、長安二年に理洪が死去したと伝われており、諸古記によれば、壬寅七月二十七日に死去したと伝わっている。しかしながら通鑑には「大足三年に死去した」と伝わっている。つまり通鑑が誤りである。

 

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≪白文≫
 孝照王立。
 諱理洪、一作恭、神文王太子。
 母、姓金氏、神穆王后、一吉飡金欽運、一云雲、女也。
 唐則天遣使吊祭、仍冊王爲新羅王輔國大將軍行左豹韜尉大將軍雞林州都督。
 改左右理方府爲左右議方府、理犯諱故也。

 元年、八月。
 以大阿飡元宣爲中侍。
 高僧道證自唐廻、上天文圖。

 三年、春正月。
 親祀神宮、大赦。
 以文穎爲上大等。
 金仁問在唐卒、年六十六。

 冬。
 築松岳、牛岑二城。

 四年。
 以立子月爲正。
 拜愷元爲上大等。

 冬十月。
 京都地震。
 中侍元宣退老。
 置西、南二市。

 五年、春正月。
 伊飡幢元爲中侍。

 夏四月。
 國西旱。

 六年、秋七月。
 完山州進嘉禾、異畝同穎。

 九月。
 宴羣臣於臨海殿。

 七年、春正月。
 以伊飡體元爲牛頭州摠管。

 二月。
 京都地動、大風折木。
 中侍幢元退老、大阿飡順元爲中侍。

 三月。
 日本國使至、王引見於崇禮殿。

 秋七月。
 京都大水。

 八年、春二月。
 白氣竟天、星孛于東。
 遣使朝唐貢方物。

 秋七月。
 東海水血色、五日復舊。

 九月。
 東海水、自擊、聲聞王都。
 兵庫中鼓角自鳴。
 新村人美肹、得黄金一枚、重百分、獻之、授位南邊第一、賜租一百石。

 九年。
 復以立寅月爲正。

 夏五月。
 伊飡慶永、永一作玄、謀叛、伏誅。
 中侍順元縁坐罷免。

 六月。
 歳星入月。

 十年、春二月。
 彗星入月。

 夏五月。
 靈巖郡太守一吉飡諸逸、背公營私、刑一百杖、入島。

 十一年、秋七月。
 王薨。
 諡曰孝照、葬于望德寺東。
 觀舊唐書云、長安二年、理洪卒。
 諸古記云、壬寅七月二十七日卒。
 而通鑑云、大足三年卒。
 則通鑑、誤。



≪書き下し文≫
 孝照王立つ。
 諱は理洪、一に恭と作す、神文王の太子なり。
 母の姓は金氏、神穆王后、一吉飡の金欽運、一に雲と云ふ、の女なり。
 唐の則天は遣使して吊祭し、仍りて王を冊して新羅王輔國大將軍行左豹韜尉大將軍雞林州都督と爲す。
 左右理方府を改めて左右議方府と爲し、理の諱を犯すが故なり。

 元年、八月。
 以て大阿飡の元宣を中侍と爲す。
 高僧の道證、唐より上天文圖に廻(かへ)る。

 三年、春正月。
 親(みずか)ら神宮を祀り、大赦す。
 以て文穎を上大等と爲す。
 金仁問、唐に在り卒す、年は六十六。

 冬。
 松岳、牛岑の二城を築く。

 四年。
 以て子の月を立て正と爲す。
 拜して愷元を上大等と爲す。

 冬十月。
 京都地震。
 中侍元宣退老す。
 西、南二市を置く。

 五年、春正月。
 伊飡の幢元を中侍と爲す。

 夏四月。
 國西旱。

 六年、秋七月。
 完山州、嘉禾を進め、畝を異して穎を同じくす。

 九月。
 臨海殿に於いて羣臣と宴す。

 七年、春正月。
 以て伊飡體元を牛頭州摠管と爲す。

 二月。
 京都の地動き、大風は木を折る。
 中侍の幢元退老し、大阿飡の順元を中侍と爲す。

 三月。
 日本國使至り、王引きて崇禮殿に於いて見ゆ。

 秋七月。
 京都大水す。

 八年、春二月。
 白氣は竟天し、星孛は東に于す。
 遣使して唐に朝じ方物を貢ぐ。

 秋七月。
 東海水血色し、五日に復舊す。

 九月。
 東海水、自ら擊ち、聲は王都に聞こゆ。
 兵庫中の鼓角自ら鳴る。
 新村人の美肹、黄金一枚、重百分を得、之れを獻じ、位南邊第一を授り、租一百石を賜ふ。

 九年。
 復た以て寅月を立て正と爲す。

 夏五月。
 伊飡の慶永、永は一に玄と作す、叛を謀り、誅に伏す。
 中侍の順元、縁坐して罷免す。

 六月。
 歳星、月に入る。

 十年、春二月。
 彗星、月に入る。

 夏五月。
 靈巖郡太守の一吉飡諸逸、公に背き私を營み、刑一百杖、島に入る。

 十一年、秋七月。
 王薨ず。
 諡を孝照と曰ひ、望德寺東に葬むらる。
 舊唐書を觀れば、長安二年に理洪卒すと云ふも、諸古記には、壬寅七月二十七日に卒すと云へり。
 而れども通鑑は、大足三年卒と云ふ。
 則ち通鑑は誤れり。