≪白文≫
景德王立。
諱憲英、孝成王同母弟。
孝成無子、立憲英爲太子、故得嗣位。
妃伊飡順貞之女也。
元年、冬十月。
日本國使至、不納。
二年、春三月。
主力公宅、牛一産五犢。
唐玄宗、遣贊善大夫魏曜來吊祭。
仍冊立王爲新羅王、襲先王官爵、制曰、
故開府儀同三司使充持節大都督、鷄林州諸軍事兼持節寧海軍使新羅王金承慶弟憲英、奕葉懷仁、率心常禮、大賢風敎、條理尤明、中夏軌儀、衣冠素襲。
馳海琛而遣使、準雲呂而通朝、代爲純臣、累効忠節。
頃者、兄承土宇、沒而絶嗣、弟膺繼及、抑惟常經、是用賓懷、優以冊命、宜用舊業、俾承藩長之名。
仍加殊禮、載錫漢官之號、可襲兄、新羅王開府儀同三司使持節大都督、鷄林州諸軍事兼充持節寧海軍使。
并賜御註孝經一部。
夏四月。
納舒弗邯金義忠女爲王妃。
秋八月。
地震。
冬十二月。
遣王弟入唐賀正。
授左淸道率府員外長史、賜綠袍、銀帶、放還。
三年、春正月。
以伊飡惟正爲中侍。
閏二月。
遣使入唐賀正、并獻方物。
夏四月。
親祀神宮。
遣使入唐獻馬。
冬。
妖星出中天、大如五斗器。
浹旬乃滅。
四年、春正月。
拜伊飡金思仁爲上大等。
夏四月。
京都雹、大如鷄子。
五月。
旱。
中侍惟正退、伊飡大正爲中侍。
秋七月。
葺東宮。
又置司正府、少年監典、穢宮典。
五年、春二月。
遣使入唐賀正、并獻方物。
夏四月。
大赦、賜大酺、度僧一百五十人。
六年、春正月。
改中侍爲侍中。
置國學諸業博士、助敎。
遣使入唐賀正、并獻方物。
三月。
震眞平王陵。
秋。
旱。
冬。
無雪。
民饑且疫、出使十道安撫。
七年、春正月。
天狗落地。
秋八月。
太后移居永明新宮。
始置員察一員、糾正百官。
遣阿飡貞節等、檢察北邊。
始置大谷城等十四郡縣。
八年、春二月。
暴風拔木。
三月。
置天文博士一員、漏刻博士六員。
九年、春正月。
侍中大正免、伊飡朝良爲侍中。
二月。
置御龍省奉御二員。
十一年、春三月。
以級飡原神、龍方爲大阿飡。
秋八月。
置東宮衙官。
冬十月。
加置倉部史三人。
十二年、秋八月。
日本國使至、慢而無禮、王不見之、乃廻。
武珍州獻白雉。
十三年、夏四月。
京都雹、大如鷄卵。
五月。
立聖德王碑。
牛頭州獻瑞芝。
秋七月。
王命官修葺永興、元永二寺。
八月。
旱、蝗。
侍中朝良退。
十四年、春。
穀貴民饑。
熊川州向德、貧無以爲養、割股肉、飼其父。
王聞、賜賚頗厚、仍使旌表門閭。
望德寺塔動。
〈唐令狐澄新羅國記曰、
其國、爲唐立此寺、故以爲名。
兩塔相對、高十三層、忽震動開合、如欲傾倒者數日。
其年祿山亂、疑其應也。
〉夏四月。
遣使入唐賀正。
秋七月。
赦罪人、存問老疾鰥寡孤獨、賜穀有差。
以伊飡金耆爲侍中。
十五年、春二月。
上大等金思仁、以比年災異屢見、上疏極論時政得失、王嘉納之。
王聞玄宗在蜀、遣使入唐、泝江至成都、朝貢。
玄宗御製御書五言十韻詩、賜王曰、
嘉新羅王歳修朝貢、克踐禮樂名義、賜詩一首、
四維分景緯、萬象含中樞。
玉帛遍天下、梯航歸上都。
緬懷阻靑陸、歳月勤黄圖。
漫漫窮地際、蒼蒼連海隅。
興言名義國、豈謂山河殊。
使去傳風敎、人來習典謨。
衣冠知奉禮、忠信識尊儒。
誠矣天其鑑、賢哉德不孤。
擁旄同作牧、厚貺比生蒭。
益重靑靑志、風霜恒不渝。
帝幸蜀時、新羅能不遠千里、朝聘行在所、故嘉其至誠、賜之以詩。
其云、益重靑靑志、風霜恒不渝者、豈古詩、疾風知勁草、板[6]蕩識貞臣之意乎。
宣和中、入朝使臣金富儀將刻本、入汴京、示舘伴學士李邴。
李邴上皇帝、因宣示兩府及諸學士訖、傳宣曰、進奉侍郞所上詩、眞明皇書。
嘉嘆不已。
夏四月。
大雹。
大永郞獻白狐、授位南邊第一。
十六年、春正月。
上大等思仁病免、伊飡信忠爲上大等。
三月。
除内外群官月俸、復賜祿邑。
秋七月。
重修永昌宮。
八月。
加調府史二人。
冬十二月。
改沙伐州爲尚州、領州一、郡十、縣三十。
歃良州爲良州、領州一、小京一、郡十二、縣三十四。
菁州爲康州、領州一、郡十一、縣二十七。
漢山州爲漢州、領州一、小京一、郡二十七、縣四十六。
首若州爲朔州、領州一、小京一、郡十一、縣二十七。
熊川州爲熊州、領州一、小京一、郡十三、縣二十九。
河西州爲溟州、領州一、郡九、縣二十五。
完山州爲全州、領州一、小京一、郡十、縣三十一。
武珍州爲武州、領州一、郡十四、縣四十四。
良州一作梁州。
〉
十七年、春正月。
侍中金耆卒、伊飡廉相爲侍中。
二月。
下敎、
内外官請暇滿六十日者、聽解官。
夏四月。
選醫官精究者、充内供奉。
置律令博士二員。
秋七月二十三日。
王子生。
大雷電、震佛寺十六所。
八月。
遣使入唐朝貢。
十八年、春正月。
改兵部、倉部卿、監爲侍郞、大舍爲郞中、改執事舍知爲執事員外郞、執事史爲執事郞。
改調府、禮部、乘府、船府、領客府、左右議方府、司正府、位和府、例作典、大學監、大道署、永昌宮等大舍爲主簿。
賞賜署、典祀署、音聲署、工匠府、彩典等大舍爲主書。
二月。
改禮部舍知爲司禮、調府舍知爲司庫、領客府舍知爲司儀、乘府舍知爲司牧、船府舍知爲司舟、例作府舍知爲司例、兵部弩舍知爲司兵、倉部租舍知爲司倉。
三月。
彗星見、至秋乃滅。
十九年、春正月。
都城寅方、有聲如伐鼓、衆人謂之鬼鼓。
二月。
宮中穿大池。
又於宮南蚊川之上、起月淨、春陽二橋。
夏四月。
侍中廉相退、伊飡金邕爲侍中。
秋七月。
封王子乾運爲王太子。
二十年、春正月朔。
虹貫日、日有珥。
夏四月。
彗星出。
二十一年、夏五月。
築五谷、鵂巖、漢城、獐塞、池城、德谷六城、各置太守。
秋九月。
遣使入唐朝貢。
二十二年、夏四月。
遣使入唐朝貢。
秋七月。
京都大風、飛瓦拔樹。
八月。
桃李再花。
上大等信忠、侍中金邕免。
大奈麻李純爲王寵臣、忽一旦避世入山、累徴不就。
剃髮爲僧、爲王創立斷俗寺、居之。
後、聞王好樂、即詣宮門。
諫奏曰、
臣聞、昔者桀、紂、荒于酒色、淫樂不止。
由是、政事凌夷、國家敗滅、覆轍在前、後車宜戒。
伏望、大王改過自新、以永國壽。
王聞之感歎、爲之停樂。
便引之正室、聞説道妙、以及理世之方、數日乃止。
二十三年、春正月。
伊飡萬宗爲上大等、阿飡良相爲侍中。
三月。
星孛于東南。
龍見楊山下、俄而飛去。
冬十二月十一日。
流星或大或小、觀者不能數。
二十四年、夏四月。
地震。
遣使入唐朝貢、帝授使者檢校禮部尚書。
六月。
流星犯心。
是月、王薨。
諡曰景德、葬毛祇寺西岑。
古記云、永泰元年乙巳卒。
而舊唐書及資理通鑑皆云、大曆二年、新羅王憲英卒。
豈其誤耶。
〉
≪書き下し文≫
景德王立つ。
諱は憲英、孝成王の同母弟なり。
孝成に子無し、憲英を立て太子と爲し、故に位を嗣ぐを得。
妃は伊飡順貞の女(むすめ)なり。
元年、冬十月。
日本國使至るも、納(い)れず。
二年、春三月。
主力公宅、牛一産にして五犢。
唐玄宗、贊善大夫の魏曜を遣り吊祭に來たらしむ。
仍りて冊し、王を立て新羅王と爲し、先王官爵を襲ひ、制して曰く、
故開府儀同三司使充持節大都督、鷄林州諸軍事兼持節寧海軍使新羅王金承慶弟憲英、奕葉仁に懷き、心を常禮に率い、大賢にして風敎し、條理は尤る明らかたり、中夏の軌儀、衣冠素(そのまま)襲ふ。
海琛に馳せて遣使し、雲呂に準へて朝に通じ、代に純臣を爲し、累(かさ)ねて忠節を効す。
頃者(ちかごろ)、兄は土宇を承け、沒して嗣を絶ち、弟膺(う)けて繼ぎて及ぶは、抑も惟れ常經、是れに賓懷を用てし、優に冊命を以てす、宜しく舊業を用ひ、藩長の名を承がせしむるべし。
仍りて殊禮に加へ、漢官の號を載錫し、兄の新羅王開府儀同三司使持節大都督、鷄林州諸軍事兼充持節寧海軍使を襲ふ可し。
并せて御註の孝經を一部賜ふ。
夏四月。
舒弗邯の金義忠の女を納め王妃と爲す。
秋八月。
地震。
冬十二月。
王弟を遣り唐に入らせ賀正せしむ。
左淸道率府員外長史を授かり、綠袍、銀帶を賜はり、放ち還る。
三年、春正月。
以て伊飡の惟正を中侍と爲す。
閏二月。
遣使して唐に入らせ賀正せしめ、并せて方物を獻ず。
夏四月。
神宮を親祀す。
遣使して唐に入らせ馬を獻ず。
冬。
妖星、中天に出で、大なること五斗器の如し。
浹旬して乃ち滅す。
四年、春正月。
拜して伊飡の金思仁を上大等と爲す。
夏四月。
京都雹、大なること鷄子の如し。
五月。
旱。
中侍の惟正退き、伊飡の大正を中侍と爲す。
秋七月。
東宮を葺(をさ)む。
又た司正府、少年監典、穢宮典を置く。
五年、春二月。
遣使して唐に入らせ賀正せしめ、并せて方物を獻ず。
夏四月。
大赦し、大酺を賜ひ、僧一百五十人を度す。
六年、春正月。
改めて中侍を侍中と爲す。
國學諸業博士を置き、助敎す。
遣使して唐に入らせ賀正せしめ、并せて方物を獻ず。
三月。
眞平王陵に震あり。
秋。
旱。
冬。
雪無し。
民饑且つ疫、使を十道に出し安撫せしむ。
七年、春正月。
天狗、地に落つ。
秋八月。
太后、永明新宮に移居す。
始めて員察を一員、糾正を百官置く。
阿飡貞節等を遣り、北邊を檢察せしむ。
始めて大谷城等の十四郡縣を置く。
八年、春二月。
暴風、木を拔く。
三月。
天文博士一員、漏刻博士六員を置く。
九年、春正月。
侍中の大正免じ、伊飡の朝良を侍中と爲す。
二月。
御龍省奉御二員を置く。
十一年、春三月。
以て級飡の原神、龍方を大阿飡と爲す。
秋八月。
東宮衙官を置く。
冬十月。
加へて倉部史三人を置く。
十二年、秋八月。
日本國使至るも、慢にして無禮、王之れに見えざれば、乃ち廻る。
武珍州、白雉を獻ず。
十三年、夏四月。
京都の雹、大なること鷄卵の如し。
五月。
聖德王の碑を立つる。
牛頭州、瑞芝を獻ず。
秋七月。
王は官に命じて永興、元永の二寺を修葺せしむ。
八月。
旱、蝗。
侍中の朝良退く。
十四年、春。
穀貴し民饑ゆ。
熊川州の向德、貧すること以て養を爲すこと無し、股肉を割き、其の父を飼ふ。
王聞き、賚を頗る厚く賜ひ、仍りて旌をして門閭に表せしむ。
望德寺の塔動く。
唐令狐澄の新羅國記に曰く、
其の國、唐の爲に此の寺を立て、故に以て名と爲す。
兩塔相ひ對し、高さ十三層、忽として震動開合するは、傾倒を欲するが如きこと數日。
其の年祿山に亂あり、其の應を疑ふなり、と。
〉夏四月。
遣使して唐に入らせ賀正せしむ。
秋七月。
罪人を赦し、老疾鰥寡孤獨を存問し、穀を有差に賜ふ。
以て伊飡の金耆を侍中と爲す。
十五年、春二月。
上大等の金思仁、比年の災異屢見を以て、時政の得失を論ずること極めて上疏すれば、王嘉びて之れを納む。
王は玄宗の蜀に在るを聞き、遣使して唐に入らせしめ、江を泝(さかのぼ)り成都に至り、朝貢す。
玄宗は五言十韻詩を御製御書し、王に賜ひて曰く、
新羅王の歳の朝貢を修め、克く禮樂名義を踐むを嘉び、詩を一首賜はむ、
四維は景緯を分け、萬象は中樞を含む。
玉帛は天下に遍くし、梯航して上都に歸せむ。
緬(はる)か懷(おも)ふこと靑陸を阻み、歳月に黄圖を勤む。
漫漫として地の際に窮し、蒼蒼として海隅に連ぬ。
言を名義の國に興し、豈に山河の殊を謂はむ。
使は去り風敎を傳へ、人來たりて典謨を習ふ。
衣冠は奉禮を知り、忠信にして儒を尊ぶことを識る。
誠なるかな天其れ鑑み、賢なるかな德は孤ならず。
旄を擁して作牧を同じくし、厚く貺ふこと生蒭に比す。
益(ますます)靑靑たる志を重くし、風霜も恒には渝れず。
帝の蜀に幸く時、新羅は能く千里を遠しとせず、朝聘して在所に行き、故に其の至誠を嘉び、之れを賜ふに詩を以てす。
其の、益(ますます)靑靑たる志を重し、風霜は恒には渝れざると云ふは、豈に古詩の疾風は勁草を知り、板蕩は貞臣を識るの意ならむや。
宣和中、入朝使臣の金富儀將に本を刻まむとし、汴京に入り、舘伴學士の李邴に示す。
李邴は皇帝に上(ささ)げ、因りて兩府及び諸學士訖(まで)に宣示し、傳宣して曰く、進奉侍郞の上する所の詩、眞明の皇書たり、と。
嘉嘆して已まず。
夏四月。
大雹。
大永郞、白狐を獻じ、南邊第一を授位す。
十六年、春正月。
上大等の思仁病免し、伊飡の信忠を上大等と爲す。
三月。
内外群官月俸を除き、祿邑を賜ふことを復す。
秋七月。
永昌宮を重修す。
八月。
調府史二人を加ふ。
冬十二月。
改めて沙伐州を尚州と爲し、領は州一、郡十、縣三十。
歃良州を良州と爲し、領は州一、小京一、郡十二、縣三十四。
菁州を康州と爲し、領は州一、郡十一、縣二十七。
漢山州を漢州と爲し、領は州一、小京一、郡二十七、縣四十六。
首若州を朔州と爲し、領は州一、小京一、郡十一、縣二十七。
熊川州を熊州と爲し、領は州一、小京一、郡十三、縣二十九。
河西州を溟州と爲し、領は州一、郡九、縣二十五。
完山州を全州と爲し、領は州一、小京一、郡十、縣三十一。
武珍州を武州と爲し、領は州一、郡十四、縣四十四。
良州は一に梁州と作す。
〉
十七年、春正月。
侍中の金耆卒し、伊飡の廉相を侍中と爲す。
二月。
下敎す、
内外の官の暇を請ふこと滿六十日の者、解官すると聽こしめす。
夏四月。
醫官の精究する者を選び、内供奉に充つ。
律令博士二員を置く。
秋七月二十三日。
王子生ず。
大雷電、佛寺十六所に震あり。
八月。
遣使して唐に入らせ朝貢せしむ。
十八年、春正月。
改めて兵部、倉部の卿、監を侍郞と爲し、大舍を郞中と爲し、改めて執事舍知を執事員外郞と爲し、執事史を執事郞と爲す。
改めて調府、禮部、乘府、船府、領客府、左右議方府、司正府、位和府、例作典、大學監、大道署、永昌宮等の大舍を主簿と爲す。
賞賜署、典祀署、音聲署、工匠府、彩典等の大舍を主書と爲す。
二月。
改めて禮部舍知を司禮と爲し、調府舍知を司庫と爲し、領客府舍知を司儀と爲し、乘府舍知を司牧と爲し、船府舍知を司舟と爲し、例作府舍知を司例と爲し、兵部弩舍知を司兵と爲し、倉部租舍知を司倉と爲す。
三月。
彗星見(あらは)れ、秋に至りて乃ち滅す。
十九年、春正月。
都城寅方、聲有ること伐鼓の如し、衆人之れを鬼鼓と謂ふ。
二月。
宮中に大池を穿(ほ)る。
又た宮南の蚊川の上(ほとり)に於いて、月淨、春陽の二橋を起こす。
夏四月。
侍中の廉相退き、伊飡の金邕を侍中と爲す。
秋七月。
封じて王子の乾運を王太子と爲す。
二十年、春正月朔。
虹は日を貫き、日に珥有り。
夏四月。
彗星出ず。
二十一年、夏五月。
五谷、鵂巖、漢城、獐塞、池城、德谷の六城を築き、各(おのおの)太守を置く。
秋九月。
遣使して唐に入らせ朝貢せしむ。
二十二年、夏四月。
遣使して唐に入らせ朝貢せしむ。
秋七月。
京都の大風、瓦を飛ばし樹を拔く。
八月。
桃李再び花(はなひら)く。
上大等の信忠、侍中の金邕免ず。
大奈麻の李純は王の寵臣と爲るも、忽として一旦世を避け山に入り、徴すを累(かさ)ねども就かず。
剃髮して僧と爲り、王の爲に斷俗寺を創立し、之れに居(すま)ふ。
後に王の好樂を聞き、即ち宮門を詣(たず)ぬ。
諫めて奏じて曰く、
臣は聞けり、昔者(むかし)の桀紂は酒色に荒み、淫樂止まず。
是に由りて、政事は凌夷し、國家は敗滅するは、轍の覆るは前に在り、後の車は宜しく戒(いましめ)とすべし。
伏して望む、大王は過を改め自ら新め、以て國壽を永らしめむことを。
王は之れを聞きて感歎し、之の爲に樂を停む。
便ち之れを正室に引き、道妙を聞説せしめ、以て理世の方に及ぼし、數日して乃ち止む。
二十三年、春正月。
伊飡の萬宗を上大等と爲し、阿飡の良相を侍中と爲す。
三月。
星孛、東南にあり。
龍、楊山の下(ふもと)に見(あらは)れ、俄かにして飛び去る。
冬十二月十一日。
流星の或大或小、觀る者、數ふること能はず。
二十四年、夏四月。
地震。
遣使して唐に入らせ朝貢せしめ、帝は使者に檢校禮部尚書を授く。
六月。
流星、心を犯す。
是の月、王薨ず。
諡に景德と曰ひ、毛祇寺の西岑に葬らる。
古記に云く、永泰元年乙巳卒す、と。
而れども舊唐書及び資理通鑑皆云く、大曆二年、新羅王憲英卒す、と。
豈に其れ誤りとせむや。
〉