景德王

景德王

 景德王が王位の立った。
 諱は憲英、孝成王の同母弟である。
 孝成には子がおらず、憲英を立て太子とし、そのために位を継ぐことができた。
 妃は伊飡順貞の娘である。

 元年、冬十月。
 日本國からの使者が来たが、受け入れなかった。

 二年、春三月。
 主力公の邸宅で、牛が一度に五匹の子牛を出産した。
 唐玄宗が贊善大夫の魏曜を派遣して吊祭に来させた。
 これによって、王を新羅王に冊命し、先王の官爵を引き継いで制した。 「故開府儀同三司使充持節大都督、鷄林州諸軍事兼持節寧海軍使新羅王金承慶弟憲英、代々仁に懷き、心を常禮に則らせ、大賢として人を教え導き、条理はすぐれて明らかとなり、中夏の規範、衣冠をそのまま引き継いでいる。海の宝物を馳せて遣使し、雲の流れとともに朝廷に通じ、代々純忠の臣下として、代を重ねて忠節を尽くしてきた。
 近頃の兄の土宇を継承したそうであるが、死没して後継が絶たれておれば、弟が受け継いで事に及ぶのは、そもそもの常道に違いなく、これに賓懐を用い、冊命をよって優遇するので、どうか旧業を治め、藩長の名を受け継いでほしい。よって特別の礼遇に加え、ここに漢官の號を賜い、兄の新羅王開府儀同三司使持節大都督、鷄林州諸軍事兼充持節寧海軍使を継承すべし。併せて御註の孝経を一部賜うことにする。」

 夏四月。
 舒弗邯の金義忠の娘を納め王妃とした。

 秋八月。
 地震が起こった。

 冬十二月。
 王弟を派遣して唐に入らせ賀正させた。
 左淸道率府員外長史を授かり、綠袍と銀帯を賜わり、送り出されて帰国した。

 三年、春正月。
 伊飡の惟正を中侍に任命した。

 閏二月。
 遣使して唐に入らせ賀正させ、併せて方物を献上した。

 夏四月。
 神宮を親祀した。
 遣使して唐に入らせ馬を献上した。

 冬。
 妖星が中天に出現した。その大きさは五斗器のようであったが、浹旬すると消滅した。

 四年、春正月。
 拜して伊飡の金思仁を上大等に任命した。

 夏四月。
 京都で雹が降った。その大きさは鷄子のようであった。

 五月。
 旱魃が起こった。
 中侍の惟正が引退し、伊飡の大正を中侍に任命した。

 秋七月。
 東宮を修繕した。
 また司正府、少年監典、穢宮典を設置した。

 五年、春二月。
 遣使して唐に入らせ賀正させ、併せて方物を献上した。

 夏四月。
 大赦を下し、大酺を賜い、僧一百五十人を渡した。

 六年、春正月。
 中侍を侍中に改めた。
 國學の諸業博士を設置し、助教させた。
 遣使して唐に入らせ賀正させ、併せて方物を献上した。

 三月。
 眞平王陵に震が起こった。

 秋。
 旱魃が起こった。

 冬。
 雪が降らなかった。
 人民が餓えてかつ疫病が起こり、使者を十方面に出して安撫させた。

 七年、春正月。
 天狗が地に落ちた。

 秋八月。
 太后が永明新宮に移住した。
 員察を一員、糾正を百官設置し始めた。
 阿飡貞節等を派遣し、北の辺境部を検察させた。
 大谷城等の十四郡縣を設置し始めた。

 八年、春二月。
 暴風が木を抜いた。

 三月。  天文博士一員、漏刻博士六員を設置した。

 九年、春正月。
 侍中の大正を罷免し、伊飡の朝良を侍中に任命した。

 二月。
 御龍省奉御二員を設置した。

 十一年、春三月。
 級飡の原神を龍方を大阿飡に任命した。

 秋八月。
 東宮衙官を設置した。

 冬十月。
 加えて倉部史三人を設置した。

 十二年、秋八月。
 日本國使が到来したが、傲慢無礼であり、王がそれに謁見しなかったので、そのまま帰国した。
 武珍州が白雉を献上した。

 十三年、夏四月。
 京都に雹が降り、その大きさは鷄卵のようであった。

 五月。
 聖德王の碑を立てた。
 牛頭州が瑞芝を献上した。

 秋七月。
 王は官に命じて永興、元永の二寺を修復させた。

 八月。
 旱魃が起こり、蝗が発生した。
 侍中の朝良が引退した。

 十四年、春。
 穀物が高騰し、人民が餓えた。
 熊川州の向德が養育ができぬほどの貧困であったとして、股肉を割いて、自らの父に食べさせた。
 それを聞いた王は、非常に厚く下賜品を渡し、村落の門前にて表彰した。
 望德寺の塔が動いた。
 唐の令狐澄による新羅國記には次のようにある。
「その国は唐のためにこの寺を建立し、ゆえにそれを名とした。両側には互いに対となった塔が建っており、高さは十三層であったが、突然震えながら動いて近づいたり遠ざかったりすること数日間、まるで傾倒しようとしているかのようであった。その年には安禄山の乱が起こったことから、それに感応したのではないかとの疑いがある。」

 〉夏四月。
 遣使して唐に入らせ賀正させた。

 秋七月。
 罪人を赦し、老疾鰥寡孤獨を存問し、それぞれに合わせて穀物を賜った。
 伊飡の金耆を侍中に任命した。

 十五年、春二月。
 上大等の金思仁が連年に災異が頻繁に起こっていることから、当時の政治の得失についての論を極めた文書を上疏したので、王嘉んでそれを納めた。
 玄宗が蜀に在留していると聞いた王は唐に遣使し、江を遡らせて成都まで辿り着かせ、朝貢させた。玄宗は五言十韻詩を御製御書し、王に賜った。
「新羅王の毎年の朝貢を修め、よく礼楽名義に則っていることをめでたく思い、詩を一首賜ることにする。
『四維が日と星を分け、萬象は中枢を含む。
 玉帛は天下に遍く広まり、地を越え海を越え上都に帰する。
 はるか遠くを心に想うこと靑陸を阻み、歳月を渡って黄図に勤めてきた。
 果てしなき地の果てまで突き詰め、蒼々とした海の隅まで連ねた。
 言葉を名義の国に興すに、山河のことを殊更考えることがあろうか。
 使者が去って徳教を伝え、人が来て典謨を習う。
 衣冠は奉禮を理解し、忠信にして儒を尊ぶことを識る。
 誠なるかな、天はそれ鑑み、賢なるかな、徳は孤ならず。
 作牧と同じく旄を擁するならば、生蒭のように厚く賜ろう。
 青々とした志をより重くすれば、風霜とていつまでも続きはしまい。』
 帝が蜀に行幸していた時、新羅は千里を遠しとすることなく、朝聘して在所に行ったので、その至誠をめでたく思い、それに対して詩をもって賜とした。
 ここでの『青々とした志をより重くすれば、風霜とていつまでも続きはしまい』というは、古詩における『疾風は勁き草を知り、乱世は貞臣を識る』の意に違いない。
 宣和中、入朝使臣であった金富儀が本を刻そうとして汴京に入り、舘伴學士の李邴に提示した。李邴は皇帝に上奉し、両府及び諸学士までに広く提示されることになり、次のように公的な声明が伝えられた。
『進奉侍郞が上奏された詩は、間違いなく皇帝のお書きになれたものです。』
 感嘆のやまぬほど喜ばしきことではないか!

 夏四月。
 大雹が降った。
 大永郞が白狐を献上し、南邊第一を授位した。

 十六年、春正月。
 上大等の思仁を病で罷免し、伊飡の信忠を上大等に任命した。

 三月。
 内外の群官の月俸を除き、再び祿邑の賜うことにした。

 秋七月。
 永昌宮を重修した。

 八月。
 調府史二人を加えた。

 冬十二月。
 沙伐州を尚州と改め、領は州一につき郡十、縣三十。
 歃良州を良州と改め、領は州一につき小京一、郡十二、縣三十四。
 菁州を康州と改め、領は州一につき郡十一、縣二十七。
 漢山州を漢州と改め、領は州一につき小京一、郡二十七、縣四十六。
 首若州を朔州と改め、領は州一につき小京一、郡十一、縣二十七。
 熊川州を熊州と改め、領は州一につき小京一、郡十三、縣二十九。
 河西州を溟州と改め、領は州一につき郡九、縣二十五。
 完山州を全州と改め、領は州一につき小京一、郡十、縣三十一。
 武珍州を武州と改め、領は州一につき郡十四、縣四十四。
 良州は一説に梁州と書く。

 十七年、春正月。
 侍中の金耆が死去し、伊飡の廉相を侍中に任命した。

 二月。
「内外の官のうち、満六十日の休暇を申請した者は官職を解任するよう伝令する」と下教した。

 夏四月。
 医官のうち研究熱心な者を選び、内供奉に充てた。
 律令博士二員を置いた。

 秋七月二十三日。
 王子が生まれた。
 大きな雷電が起こり、佛寺十六所で震があった。

 八月。
 遣使して唐に入らせ朝貢させた。

 十八年、春正月。
 兵部、倉部の卿、監を侍郞、大舍を郞中、執事舍知を執事員外郞、執事史を執事郞と改めた。
 調府、禮部、乘府、船府、領客府、左右議方府、司正府、位和府、例作典、大學監、大道署、永昌宮等の大舍を主簿、賞賜署、典祀署、音聲署、工匠府、彩典等の大舍を主書と改めた。

 二月。
 禮部舍知を司禮、調府舍知を司庫、領客府舍知を司儀、乘府舍知を司牧、船府舍知を司舟、例作府舍知を司例、兵部弩舍知を司兵、倉部租舍知を司倉と改めた。

 三月。
 彗星が現れ、秋になって消滅した。

 十九年、春正月。
 都城の寅方から伐鼓のような音がしたので、衆人はそれを鬼鼓と呼んだ。

 二月。
 宮中に大池を掘った。
 また宮南の蚊川のほとりに月淨と春陽の二つの橋を起こした。

 夏四月。  侍中の廉相が引退し、伊飡の金邕を侍中に任命した。

 秋七月。
 王子の乾運を王太子に封じた。

 二十年、春正月朔。
 虹が日を貫き、日に珥があった。

 夏四月。
 彗星が出た。

 二十一年、夏五月。
 五谷、鵂巖、漢城、獐塞、池城、德谷の六城を築き、それぞれに太守を置いた。

 秋九月。
 遣使して唐に入らせ朝貢させた。

 二十二年、夏四月。
 遣使して唐に入らせ朝貢させた。

 秋七月。
 京都の大風が瓦を飛ばし樹を抜いた。

 八月。
 桃李が再び花開いた。
 上大等の信忠、侍中の金邕を罷免した。  大奈麻の李純は王の寵臣となったが、突如として一旦世を避け山に入り、何度も召し出したが官職に就かず、剃髮して僧となり、王のために断俗寺を創立し、そこに居した。
 後に王の好楽であることを聞いて、すぐに宮門に参上し、諫めて奏じた。
「わたくしは聞いております。昔の桀紂は酒色に荒み、淫楽を止めず、これによって政事は衰退していき、国家は敗滅しました。轍が以前にひっくり返ったのですから、後の車はそれを戒めとすべきです。
 大王は過ちを改め自らを新たにすることで、国寿を永らしめんことを伏して望みます。」
 それを聞いた王は感歎し、このために享楽をやめ、そのまま李純を正室に引き連れ、道妙を聞説させることで理世の方に及ぼし、それは数日続いた。

 二十三年、春正月。
 伊飡の萬宗を上大等に任命し、阿飡の良相を侍中に任命した。

 三月。
 星孛が東南に現れた。
 龍が楊山の下(ふもと)に現れ、俄かにして飛び去った。

 冬十二月十一日。
 大小様々な流星が現れ、これを観た者が数えきれないほどであった。

 二十四年、夏四月。
 地震が起こった。
 遣使して唐に入らせ朝貢させると、帝が使者に檢校禮部尚書を授けた。

 六月。
 流星、心を犯した。
 この月、王が死去した。
 諡を景德とし、毛祇寺の西岑に葬られた。
 古記には「永泰元年乙巳に死去した」とあるが、旧唐書と資理通鑑にては皆が「大曆二年、新羅王憲英が死去した。」とある。これを誤りとできるだろうか。

 

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≪白文≫
 景德王立。
 諱憲英、孝成王同母弟。
 孝成無子、立憲英爲太子、故得嗣位。
 妃伊飡順貞之女也。

 元年、冬十月。
 日本國使至、不納。

 二年、春三月。
 主力公宅、牛一産五犢。
 唐玄宗、遣贊善大夫魏曜來吊祭。
 仍冊立王爲新羅王、襲先王官爵、制曰、  故開府儀同三司使充持節大都督、鷄林州諸軍事兼持節寧海軍使新羅王金承慶弟憲英、奕葉懷仁、率心常禮、大賢風敎、條理尤明、中夏軌儀、衣冠素襲。
 馳海琛而遣使、準雲呂而通朝、代爲純臣、累効忠節。
 頃者、兄承土宇、沒而絶嗣、弟膺繼及、抑惟常經、是用賓懷、優以冊命、宜用舊業、俾承藩長之名。
 仍加殊禮、載錫漢官之號、可襲兄、新羅王開府儀同三司使持節大都督、鷄林州諸軍事兼充持節寧海軍使。
 并賜御註孝經一部。

 夏四月。
 納舒弗邯金義忠女爲王妃。

 秋八月。
 地震。

 冬十二月。
 遣王弟入唐賀正。
 授左淸道率府員外長史、賜綠袍、銀帶、放還。

 三年、春正月。
 以伊飡惟正爲中侍。

 閏二月。
 遣使入唐賀正、并獻方物。

 夏四月。
 親祀神宮。
 遣使入唐獻馬。

 冬。
 妖星出中天、大如五斗器。
 浹旬乃滅。

 四年、春正月。
 拜伊飡金思仁爲上大等。

 夏四月。
 京都雹、大如鷄子。

 五月。
 旱。
 中侍惟正退、伊飡大正爲中侍。

 秋七月。
 葺東宮。
 又置司正府、少年監典、穢宮典。

 五年、春二月。
 遣使入唐賀正、并獻方物。

 夏四月。
 大赦、賜大酺、度僧一百五十人。

 六年、春正月。
 改中侍爲侍中。
 置國學諸業博士、助敎。
 遣使入唐賀正、并獻方物。

 三月。
 震眞平王陵。

 秋。
 旱。

 冬。
 無雪。
 民饑且疫、出使十道安撫。

 七年、春正月。
 天狗落地。

 秋八月。
 太后移居永明新宮。
 始置員察一員、糾正百官。
 遣阿飡貞節等、檢察北邊。
始置大谷城等十四郡縣。

 八年、春二月。
 暴風拔木。

 三月。  置天文博士一員、漏刻博士六員。

 九年、春正月。
 侍中大正免、伊飡朝良爲侍中。

 二月。
 置御龍省奉御二員。

 十一年、春三月。
 以級飡原神、龍方爲大阿飡。

 秋八月。
 置東宮衙官。

 冬十月。
 加置倉部史三人。

 十二年、秋八月。
 日本國使至、慢而無禮、王不見之、乃廻。
 武珍州獻白雉。

 十三年、夏四月。
 京都雹、大如鷄卵。

 五月。
 立聖德王碑。
 牛頭州獻瑞芝。

 秋七月。
 王命官修葺永興、元永二寺。

 八月。
 旱、蝗。
 侍中朝良退。

 十四年、春。
 穀貴民饑。
 熊川州向德、貧無以爲養、割股肉、飼其父。
 王聞、賜賚頗厚、仍使旌表門閭。
 望德寺塔動。
 〈唐令狐澄新羅國記曰、
 其國、爲唐立此寺、故以爲名。
 兩塔相對、高十三層、忽震動開合、如欲傾倒者數日。
 其年祿山亂、疑其應也。

 〉夏四月。
 遣使入唐賀正。
 秋七月。
 赦罪人、存問老疾鰥寡孤獨、賜穀有差。
 以伊飡金耆爲侍中。

 十五年、春二月。
 上大等金思仁、以比年災異屢見、上疏極論時政得失、王嘉納之。
 王聞玄宗在蜀、遣使入唐、泝江至成都、朝貢。
 玄宗御製御書五言十韻詩、賜王曰、
 嘉新羅王歳修朝貢、克踐禮樂名義、賜詩一首、
 四維分景緯、萬象含中樞。
 玉帛遍天下、梯航歸上都。
 緬懷阻靑陸、歳月勤黄圖。
 漫漫窮地際、蒼蒼連海隅。
 興言名義國、豈謂山河殊。
 使去傳風敎、人來習典謨。
 衣冠知奉禮、忠信識尊儒。
 誠矣天其鑑、賢哉德不孤。
 擁旄同作牧、厚貺比生蒭。
 益重靑靑志、風霜恒不渝。
 帝幸蜀時、新羅能不遠千里、朝聘行在所、故嘉其至誠、賜之以詩。
 其云、益重靑靑志、風霜恒不渝者、豈古詩、疾風知勁草、板[6]蕩識貞臣之意乎。
 宣和中、入朝使臣金富儀將刻本、入汴京、示舘伴學士李邴。
 李邴上皇帝、因宣示兩府及諸學士訖、傳宣曰、進奉侍郞所上詩、眞明皇書。
 嘉嘆不已。

 夏四月。
 大雹。
 大永郞獻白狐、授位南邊第一。

 十六年、春正月。
 上大等思仁病免、伊飡信忠爲上大等。

 三月。
 除内外群官月俸、復賜祿邑。

 秋七月。
 重修永昌宮。

 八月。
 加調府史二人。

 冬十二月。
 改沙伐州爲尚州、領州一、郡十、縣三十。
 歃良州爲良州、領州一、小京一、郡十二、縣三十四。
 菁州爲康州、領州一、郡十一、縣二十七。
 漢山州爲漢州、領州一、小京一、郡二十七、縣四十六。
 首若州爲朔州、領州一、小京一、郡十一、縣二十七。
 熊川州爲熊州、領州一、小京一、郡十三、縣二十九。
 河西州爲溟州、領州一、郡九、縣二十五。
 完山州爲全州、領州一、小京一、郡十、縣三十一。
 武珍州爲武州、領州一、郡十四、縣四十四。
 良州一作梁州。

 十七年、春正月。
 侍中金耆卒、伊飡廉相爲侍中。

 二月。
 下敎、
 内外官請暇滿六十日者、聽解官。

 夏四月。
 選醫官精究者、充内供奉。
 置律令博士二員。

 秋七月二十三日。
 王子生。
 大雷電、震佛寺十六所。

 八月。
 遣使入唐朝貢。

 十八年、春正月。
 改兵部、倉部卿、監爲侍郞、大舍爲郞中、改執事舍知爲執事員外郞、執事史爲執事郞。
 改調府、禮部、乘府、船府、領客府、左右議方府、司正府、位和府、例作典、大學監、大道署、永昌宮等大舍爲主簿。
 賞賜署、典祀署、音聲署、工匠府、彩典等大舍爲主書。

 二月。
 改禮部舍知爲司禮、調府舍知爲司庫、領客府舍知爲司儀、乘府舍知爲司牧、船府舍知爲司舟、例作府舍知爲司例、兵部弩舍知爲司兵、倉部租舍知爲司倉。

 三月。
 彗星見、至秋乃滅。

 十九年、春正月。
 都城寅方、有聲如伐鼓、衆人謂之鬼鼓。

 二月。
 宮中穿大池。
 又於宮南蚊川之上、起月淨、春陽二橋。

 夏四月。  侍中廉相退、伊飡金邕爲侍中。

 秋七月。
 封王子乾運爲王太子。

 二十年、春正月朔。
 虹貫日、日有珥。

 夏四月。
 彗星出。

 二十一年、夏五月。
 築五谷、鵂巖、漢城、獐塞、池城、德谷六城、各置太守。

 秋九月。
 遣使入唐朝貢。

 二十二年、夏四月。
 遣使入唐朝貢。

 秋七月。
 京都大風、飛瓦拔樹。

 八月。
 桃李再花。
 上大等信忠、侍中金邕免。
 大奈麻李純爲王寵臣、忽一旦避世入山、累徴不就。
 剃髮爲僧、爲王創立斷俗寺、居之。
 後、聞王好樂、即詣宮門。
 諫奏曰、
 臣聞、昔者桀、紂、荒于酒色、淫樂不止。
 由是、政事凌夷、國家敗滅、覆轍在前、後車宜戒。
 伏望、大王改過自新、以永國壽。
 王聞之感歎、爲之停樂。
 便引之正室、聞説道妙、以及理世之方、數日乃止。

 二十三年、春正月。
 伊飡萬宗爲上大等、阿飡良相爲侍中。

 三月。
 星孛于東南。
 龍見楊山下、俄而飛去。

 冬十二月十一日。
 流星或大或小、觀者不能數。

 二十四年、夏四月。
 地震。
 遣使入唐朝貢、帝授使者檢校禮部尚書。

 六月。
 流星犯心。
 是月、王薨。
 諡曰景德、葬毛祇寺西岑。

古記云、永泰元年乙巳卒。
 而舊唐書及資理通鑑皆云、大曆二年、新羅王憲英卒。
 豈其誤耶。


≪書き下し文≫
 景德王立つ。
 諱は憲英、孝成王の同母弟なり。
 孝成に子無し、憲英を立て太子と爲し、故に位を嗣ぐを得。
 妃は伊飡順貞の女(むすめ)なり。

 元年、冬十月。
 日本國使至るも、納(い)れず。

 二年、春三月。
 主力公宅、牛一産にして五犢。
 唐玄宗、贊善大夫の魏曜を遣り吊祭に來たらしむ。
 仍りて冊し、王を立て新羅王と爲し、先王官爵を襲ひ、制して曰く、  故開府儀同三司使充持節大都督、鷄林州諸軍事兼持節寧海軍使新羅王金承慶弟憲英、奕葉仁に懷き、心を常禮に率い、大賢にして風敎し、條理は尤る明らかたり、中夏の軌儀、衣冠素(そのまま)襲ふ。
 海琛に馳せて遣使し、雲呂に準へて朝に通じ、代に純臣を爲し、累(かさ)ねて忠節を効す。
 頃者(ちかごろ)、兄は土宇を承け、沒して嗣を絶ち、弟膺(う)けて繼ぎて及ぶは、抑も惟れ常經、是れに賓懷を用てし、優に冊命を以てす、宜しく舊業を用ひ、藩長の名を承がせしむるべし。
 仍りて殊禮に加へ、漢官の號を載錫し、兄の新羅王開府儀同三司使持節大都督、鷄林州諸軍事兼充持節寧海軍使を襲ふ可し。
 并せて御註の孝經を一部賜ふ。

 夏四月。
 舒弗邯の金義忠の女を納め王妃と爲す。

 秋八月。
 地震。

 冬十二月。
 王弟を遣り唐に入らせ賀正せしむ。
 左淸道率府員外長史を授かり、綠袍、銀帶を賜はり、放ち還る。

 三年、春正月。
 以て伊飡の惟正を中侍と爲す。

 閏二月。
 遣使して唐に入らせ賀正せしめ、并せて方物を獻ず。

 夏四月。
 神宮を親祀す。
 遣使して唐に入らせ馬を獻ず。

 冬。
 妖星、中天に出で、大なること五斗器の如し。
 浹旬して乃ち滅す。

 四年、春正月。
 拜して伊飡の金思仁を上大等と爲す。

 夏四月。
 京都雹、大なること鷄子の如し。

 五月。
 旱。
 中侍の惟正退き、伊飡の大正を中侍と爲す。

 秋七月。
 東宮を葺(をさ)む。
 又た司正府、少年監典、穢宮典を置く。

 五年、春二月。
 遣使して唐に入らせ賀正せしめ、并せて方物を獻ず。

 夏四月。
 大赦し、大酺を賜ひ、僧一百五十人を度す。

 六年、春正月。
 改めて中侍を侍中と爲す。
 國學諸業博士を置き、助敎す。
 遣使して唐に入らせ賀正せしめ、并せて方物を獻ず。

 三月。
 眞平王陵に震あり。

 秋。
 旱。

 冬。
 雪無し。
 民饑且つ疫、使を十道に出し安撫せしむ。

 七年、春正月。
 天狗、地に落つ。

 秋八月。
 太后、永明新宮に移居す。
 始めて員察を一員、糾正を百官置く。
 阿飡貞節等を遣り、北邊を檢察せしむ。
 始めて大谷城等の十四郡縣を置く。

 八年、春二月。
 暴風、木を拔く。

 三月。  天文博士一員、漏刻博士六員を置く。

 九年、春正月。
 侍中の大正免じ、伊飡の朝良を侍中と爲す。

 二月。
 御龍省奉御二員を置く。

 十一年、春三月。
 以て級飡の原神、龍方を大阿飡と爲す。

 秋八月。
 東宮衙官を置く。

 冬十月。
 加へて倉部史三人を置く。

 十二年、秋八月。
 日本國使至るも、慢にして無禮、王之れに見えざれば、乃ち廻る。
 武珍州、白雉を獻ず。

 十三年、夏四月。
 京都の雹、大なること鷄卵の如し。

 五月。
 聖德王の碑を立つる。
 牛頭州、瑞芝を獻ず。

 秋七月。
 王は官に命じて永興、元永の二寺を修葺せしむ。

 八月。
 旱、蝗。
 侍中の朝良退く。

 十四年、春。
 穀貴し民饑ゆ。
 熊川州の向德、貧すること以て養を爲すこと無し、股肉を割き、其の父を飼ふ。
 王聞き、賚を頗る厚く賜ひ、仍りて旌をして門閭に表せしむ。
 望德寺の塔動く。
 唐令狐澄の新羅國記に曰く、
 其の國、唐の爲に此の寺を立て、故に以て名と爲す。
 兩塔相ひ對し、高さ十三層、忽として震動開合するは、傾倒を欲するが如きこと數日。
 其の年祿山に亂あり、其の應を疑ふなり、と。

 〉夏四月。
 遣使して唐に入らせ賀正せしむ。

 秋七月。
 罪人を赦し、老疾鰥寡孤獨を存問し、穀を有差に賜ふ。
 以て伊飡の金耆を侍中と爲す。

 十五年、春二月。
 上大等の金思仁、比年の災異屢見を以て、時政の得失を論ずること極めて上疏すれば、王嘉びて之れを納む。
 王は玄宗の蜀に在るを聞き、遣使して唐に入らせしめ、江を泝(さかのぼ)り成都に至り、朝貢す。
 玄宗は五言十韻詩を御製御書し、王に賜ひて曰く、
 新羅王の歳の朝貢を修め、克く禮樂名義を踐むを嘉び、詩を一首賜はむ、
 四維は景緯を分け、萬象は中樞を含む。
 玉帛は天下に遍くし、梯航して上都に歸せむ。
 緬(はる)か懷(おも)ふこと靑陸を阻み、歳月に黄圖を勤む。
 漫漫として地の際に窮し、蒼蒼として海隅に連ぬ。
 言を名義の國に興し、豈に山河の殊を謂はむ。
 使は去り風敎を傳へ、人來たりて典謨を習ふ。
 衣冠は奉禮を知り、忠信にして儒を尊ぶことを識る。
 誠なるかな天其れ鑑み、賢なるかな德は孤ならず。
 旄を擁して作牧を同じくし、厚く貺ふこと生蒭に比す。
 益(ますます)靑靑たる志を重くし、風霜も恒には渝れず。
 帝の蜀に幸く時、新羅は能く千里を遠しとせず、朝聘して在所に行き、故に其の至誠を嘉び、之れを賜ふに詩を以てす。
 其の、益(ますます)靑靑たる志を重し、風霜は恒には渝れざると云ふは、豈に古詩の疾風は勁草を知り、板蕩は貞臣を識るの意ならむや。
 宣和中、入朝使臣の金富儀將に本を刻まむとし、汴京に入り、舘伴學士の李邴に示す。
 李邴は皇帝に上(ささ)げ、因りて兩府及び諸學士訖(まで)に宣示し、傳宣して曰く、進奉侍郞の上する所の詩、眞明の皇書たり、と。
 嘉嘆して已まず。

 夏四月。
 大雹。
 大永郞、白狐を獻じ、南邊第一を授位す。

 十六年、春正月。
 上大等の思仁病免し、伊飡の信忠を上大等と爲す。

 三月。
 内外群官月俸を除き、祿邑を賜ふことを復す。

 秋七月。
 永昌宮を重修す。

 八月。
 調府史二人を加ふ。

 冬十二月。
 改めて沙伐州を尚州と爲し、領は州一、郡十、縣三十。
 歃良州を良州と爲し、領は州一、小京一、郡十二、縣三十四。
 菁州を康州と爲し、領は州一、郡十一、縣二十七。
 漢山州を漢州と爲し、領は州一、小京一、郡二十七、縣四十六。
 首若州を朔州と爲し、領は州一、小京一、郡十一、縣二十七。
 熊川州を熊州と爲し、領は州一、小京一、郡十三、縣二十九。
 河西州を溟州と爲し、領は州一、郡九、縣二十五。
 完山州を全州と爲し、領は州一、小京一、郡十、縣三十一。
 武珍州を武州と爲し、領は州一、郡十四、縣四十四。
 良州は一に梁州と作す。

 十七年、春正月。
 侍中の金耆卒し、伊飡の廉相を侍中と爲す。

 二月。
 下敎す、
 内外の官の暇を請ふこと滿六十日の者、解官すると聽こしめす。

 夏四月。
 醫官の精究する者を選び、内供奉に充つ。
 律令博士二員を置く。

 秋七月二十三日。
 王子生ず。
 大雷電、佛寺十六所に震あり。

 八月。
 遣使して唐に入らせ朝貢せしむ。

 十八年、春正月。
 改めて兵部、倉部の卿、監を侍郞と爲し、大舍を郞中と爲し、改めて執事舍知を執事員外郞と爲し、執事史を執事郞と爲す。
 改めて調府、禮部、乘府、船府、領客府、左右議方府、司正府、位和府、例作典、大學監、大道署、永昌宮等の大舍を主簿と爲す。
 賞賜署、典祀署、音聲署、工匠府、彩典等の大舍を主書と爲す。

 二月。
 改めて禮部舍知を司禮と爲し、調府舍知を司庫と爲し、領客府舍知を司儀と爲し、乘府舍知を司牧と爲し、船府舍知を司舟と爲し、例作府舍知を司例と爲し、兵部弩舍知を司兵と爲し、倉部租舍知を司倉と爲す。

 三月。
 彗星見(あらは)れ、秋に至りて乃ち滅す。

 十九年、春正月。
 都城寅方、聲有ること伐鼓の如し、衆人之れを鬼鼓と謂ふ。

 二月。
 宮中に大池を穿(ほ)る。
 又た宮南の蚊川の上(ほとり)に於いて、月淨、春陽の二橋を起こす。

 夏四月。  侍中の廉相退き、伊飡の金邕を侍中と爲す。

 秋七月。
 封じて王子の乾運を王太子と爲す。

 二十年、春正月朔。
 虹は日を貫き、日に珥有り。

 夏四月。
 彗星出ず。

 二十一年、夏五月。
 五谷、鵂巖、漢城、獐塞、池城、德谷の六城を築き、各(おのおの)太守を置く。

 秋九月。
 遣使して唐に入らせ朝貢せしむ。

 二十二年、夏四月。
 遣使して唐に入らせ朝貢せしむ。

 秋七月。
 京都の大風、瓦を飛ばし樹を拔く。

 八月。
 桃李再び花(はなひら)く。
 上大等の信忠、侍中の金邕免ず。  大奈麻の李純は王の寵臣と爲るも、忽として一旦世を避け山に入り、徴すを累(かさ)ねども就かず。
 剃髮して僧と爲り、王の爲に斷俗寺を創立し、之れに居(すま)ふ。
 後に王の好樂を聞き、即ち宮門を詣(たず)ぬ。
 諫めて奏じて曰く、
 臣は聞けり、昔者(むかし)の桀紂は酒色に荒み、淫樂止まず。
 是に由りて、政事は凌夷し、國家は敗滅するは、轍の覆るは前に在り、後の車は宜しく戒(いましめ)とすべし。
 伏して望む、大王は過を改め自ら新め、以て國壽を永らしめむことを。
 王は之れを聞きて感歎し、之の爲に樂を停む。
 便ち之れを正室に引き、道妙を聞説せしめ、以て理世の方に及ぼし、數日して乃ち止む。

 二十三年、春正月。
 伊飡の萬宗を上大等と爲し、阿飡の良相を侍中と爲す。

 三月。
 星孛、東南にあり。
 龍、楊山の下(ふもと)に見(あらは)れ、俄かにして飛び去る。

 冬十二月十一日。
 流星の或大或小、觀る者、數ふること能はず。

 二十四年、夏四月。
 地震。
 遣使して唐に入らせ朝貢せしめ、帝は使者に檢校禮部尚書を授く。

 六月。
 流星、心を犯す。
 是の月、王薨ず。
 諡に景德と曰ひ、毛祇寺の西岑に葬らる。
 古記に云く、永泰元年乙巳卒す、と。
 而れども舊唐書及び資理通鑑皆云く、大曆二年、新羅王憲英卒す、と。
 豈に其れ誤りとせむや。