惠恭王

惠恭王

 惠恭王が王位に就いた。
 諱は乾運、景德王の嫡子である。
 母は金氏滿月夫人、舒弗邯義忠の娘である。
 王は即位の時、年は八歳であり、太后が摂政をした。

 元年。
 大赦した。
 大學に行幸し、博士に尚書の義を講じるように命じた。

 二年、春正月。
 二日間ともに外出した。
 大赦した。

 二月。
 王が新宮に親祀した。
 良里公家牝牛が生んだ子牛は脚が五本あり、そのうち一本は上を向いていた。
 康州の地面が陥没し、池となった。縱広は五十尺余り、水の色は青黒かった。

 冬十月。
 天から鼓のような音が鳴った。

 三年、夏六月。
 地震が起こった。

 秋七月。
 伊飡の金隱居を派遣し、唐に入らせ方物を貢がせることで、冊命を加えるよう要請した。
 帝は御紫宸殿で宴見した。
 三つの星が王庭に隕り、互いにぶつかり合い、その光は火がほとばしるようであった

 九月。  金浦縣の禾がすべて米を実らせた。

 四年、春。
 彗星が東北に出現した。
 唐代宗は倉部郞中歸崇敬を派遣し、御史中丞を兼務させ、持節として冊書を齎し、王を開府儀同三司新羅王に冊命した。
 同時に王母の金氏を大妃に冊命した。

 夏五月。
 殊死以下の罪を赦した。

 六月。
 京都の雷雹が草木を傷つけた。
 大星が皇龍寺の南に隕った。
 地震で雷のような音が鳴り、泉や井戸がすべて枯渇した。
 虎が宮中に入った。

 秋七月。
 一吉飡の大恭と弟の阿飡の大廉が叛乱を起こし、衆勢を集め、王宮を三十三日間包囲した。
 王軍がそれを討伐して平定し、九族を誅した。

 九月。
 遣使して唐に入らせ朝貢させた。

 冬十月。
 伊飡神猷を上大等に任命し、伊飡の金隱居を侍中に任命した。

 五年、春三月。
 群臣を臨海殿にて宴席を設けた。

 夏五月。
 蝗が発生した。
 旱魃が起こった。
 百官に命じてそれぞれの知る者を推挙させた。

 冬十一月。
 雉岳縣の鼠約八千(一説には數十と伝わる)匹が平壤に向かった。
 雪が降らなかった。

 六年、春正月。
 王が西原京に行幸し、その際に経た州縣の繋囚を曲赦した。

 三月。
 雨土。

 夏四月。
 王が西原から帰ってきた。

 五月十一日。
 彗星が五車の北に出て、六月十二日になると消滅した。

 二十九日。
 虎が執事省に入ったが、捕らえられて殺された。

 秋八月。
 大阿飡の金融が叛乱を起こし、誅に伏した。

 冬十一月。
 京都で地震が起こった。

 十二月。
 侍中の隱居が引退し、伊飡の正門を侍中に任命した。

 八年、春正月。
 伊飡の金標石を派遣して唐に訪朝させ賀正させた。
 代宗は衛尉員外少卿を授け、送り出して帰国させた。

 九年、夏四月。
 遣使して唐に行かせ賀正させ、金銀、牛黄、魚牙紬、朝霞紬等の方物を献上した。

 六月。
 遣使して唐に行かせ謝恩させると、代宗が迎英殿に引き入れて謁見した。

 十年、夏四月。
 遣使して唐に行かせ朝貢させた。

 秋九月。
 拜して伊飡の良相を上大等に任命した。

 冬十月。
 遣使して唐に行かせ賀正させると、延英殿で謁見し、員外衛尉卿を授けて帰国させた。

 十一年、春正月。
 遣使して唐に行かせ朝貢した。

 三月。
 伊飡の金順を侍中に任命した。

 夏六月。
 遣使して唐に訪朝した。
 伊飡の金隱居が叛乱を起こし、誅に伏した。

 秋八月。
 伊飡の廉相と侍中の正門が謀叛して誅に伏した。

 十二年、春正月。
 百官の號をすべて旧来のものに戻すと下教した。
 感恩寺に行幸して海を望んだ。

 二月。
 國學に行幸し、聴講した。

 三月。
 倉部史に八人を加えた。

 秋七月。
 遣使して唐に訪朝させ方物を献上した。

 冬十月。
 遣使して唐に入らせ朝貢した。

 十三年、春三月。
 京都で地震が起こった。

 夏四月。
 再度震が起こった。
 上大等の良相が当時の政治について論を極め、文書にして上奏した。

 冬十月。
 伊飡の周元を侍中に任命した。

 十五年、春三月。
 京都で地震が起こり、民屋は壊れ、死者は百人余りであった。
 太白が月に入り、百座の法會を設けた。

 十六年、春正月。
 黄霧が起こった。

 二月。
 雨土。
 王は幼少に即位したが、壮年になると声色に淫り、節度を持たずに遊び歩き、綱紀を混乱させ、災異が頻繁に起こり、人心は離れてしまい、社稷を不安定に陥れてしまった。伊飡の金志貞が叛乱を起こし、衆勢を集めて宮殿を包囲し、侵入した。

 夏四月。
 上大等の金良相と伊飡の敬信が兵を挙げて志貞たちを誅したが、王と后妃は乱兵に殺害された。良相たちは王の諡を惠恭王とした。
 元妃の新寶王后は伊飡維誠の娘であり、次妃は伊飡金璋の娘であったが、史官は入宮の歳月を失ってしまった。

 

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≪白文≫
 惠恭王立。
 諱乾運、景德王之嫡子。
 母、金氏滿月夫人、舒弗邯義忠之女。
 王即位時、年八歳、太后攝政。

 元年。
 大赦。
 幸大學、命博士講尚書義。

 二年、春正月。
 二日並出。
 大赦。

 二月。
 王親祀新宮。
 良里公家牝牛生犢、五脚、一脚向上。
 康州地陷成池、縱廣五十餘尺、水色靑黑。

 冬十月。
 天有聲如鼓。

 三年、夏六月。
 地震。

 秋七月。
 遣伊飡金隱居、入唐貢方物、仍請加冊命。
 帝御紫宸殿宴見。
 三星隕王庭、相撃、其光如火迸散。

 九月。  金浦縣禾實皆米。

 四年、春。
 彗星出東北。
 唐代宗遣倉部郞中歸崇敬兼御史中丞、持節齎冊書、冊王爲開府儀同三司新羅王。
 兼冊王母金氏爲大妃。

 夏五月。
 赦殊死已下罪。

 六月。
 京都雷雹、傷草木。
 大星隕皇龍寺南。
 地震聲如雷、泉井皆渇。
 虎入宮中。

 秋七月。
 一吉飡大恭與弟阿飡大廉叛、集衆、圍王宮三十三日。
 王軍討平之、誅九族。

 九月。
 遣使入唐朝貢。

 冬十月。
 以伊飡神猷爲上大等、伊飡金隱居爲侍中。

 五年、春三月。
 燕群臣於臨海殿。

 夏五月。
 蝗。
 旱。
 命百官各擧所知。

 冬十一月。
 雉岳縣鼠八千、一云數十、許、向平壤。
 無雪。

 六年、春正月。
 王幸西原京、曲赦所經州縣繋囚。

 三月。
 雨土。

 夏四月。
 王至自西原。

 五月十一日。
 彗星出五車北、至六月十二日滅。

 二十九日。
 虎入執事省、捉殺之。

 秋八月。
 大阿飡金融叛、伏誅。

 冬十一月。
 京都地震。

 十二月。
 侍中隱居退、伊飡正門爲侍中。

 八年、春正月。
 遣伊飡金標石朝唐賀正。
 代宗授衛尉員外少卿放還。

 九年、夏四月。
 遣使如唐賀正、獻金銀、牛黄、魚牙紬、朝霞紬等方物。

 六月。
 遣使如唐謝恩、代宗引見於迎英殿。

 十年、夏四月。
 遣使如唐朝貢。

 秋九月。
 拜伊飡良相爲上大等。

 冬十月。
 遣使如唐賀正、見于延英殿、授員外衛尉卿遣之。

 十一年、春正月。
 遣使如唐朝貢。

 三月。
 以伊飡金順爲侍中。

 夏六月。
 遣使朝唐。
 伊飡金隱居叛、伏誅。

 秋八月。
 伊飡廉相與侍中正門謀叛、伏誅。

 十二年、春正月。
 下敎、百官之號、盡合復舊。
 幸感恩寺望海。

 二月。
 幸國學聽講。

 三月。
 加倉部史八人。

 秋七月。
 遣使朝唐獻方物。

 冬十月。
 遣使入唐朝貢。

 十三年、春三月。
 京都地震。

 夏四月。
 又震。
 上大等良相上疏、極論時政。

 冬十月。
 伊飡周元爲侍中。

 十五年、春三月。
 京都地震、壞民屋、死者百餘人。
 太白入月、設百座法會。

 十六年、春正月。
 黄霧。

 二月。
 雨土。
 王幼少即位、及壯淫于聲色、巡遊不度、綱紀紊亂、災異屢見、人心反側、社稷杌陧、伊飡金志貞叛、聚衆、圍犯宮闕。

 夏四月。
 上大等金良相與伊飡敬信、擧兵誅志貞等、王與后妃爲亂兵所害。
 良相等諡王爲惠恭王。
 元妃新寶王后、伊飡維誠之女、次妃、伊飡金璋之女、史失入宮歳月。


≪書き下し文≫
 惠恭王立つ。
 諱は乾運、景德王の嫡子なり。
 母は金氏滿月夫人、舒弗邯義忠の女なり。
 王は即位の時、年八歳、太后攝政す。

 元年。
 大赦す。
 大學に幸(ゆ)き、博士に命じて尚書の義を講ぜしむ。

 二年、春正月。
 二日並びに出ず。
 大赦す。

 二月。
 王は新宮に親祀す。
 良里公家牝牛の犢を生ずるに五脚、一脚は上を向く。
 康州の地は陷ち池と成し、縱廣は五十餘尺、水色は靑黑たり。

 冬十月。
 天に聲有ること鼓の如し。

 三年、夏六月。
 地震。

 秋七月。
 伊飡の金隱居を遣り、唐に入らしめ方物を貢がせしめ、仍りて冊命を加ふることを請へり。
 帝は御紫宸殿に宴見す。
 三星、王庭に隕り、相ひ撃ち、其の光は火の迸散するが如し。

 九月。  金浦縣の禾、皆米を實る。

 四年、春。
 彗星、東北に出ず。
 唐代宗は倉部郞中歸崇敬を遣り、御史中丞を兼ねせしめ、持節に冊書を齎らせしめ、王を冊して開府儀同三司新羅王と爲す。
 兼ねて王母の金氏を冊して大妃と爲す。

 夏五月。
 殊死已下の罪を赦す。

 六月。
 京都の雷雹、草木を傷む。
 大星、皇龍寺の南に隕る。
 地震の聲、雷の如し、泉井皆渇く。
 虎、宮中に入る。

 秋七月。
 一吉飡の大恭と弟の阿飡の大廉叛き、衆を集め、王宮を圍むこと三十三日。
 王軍、討ちて之れを平ぎ、九族を誅す。

 九月。
 遣使して唐に入らせ朝貢せしむ。

 冬十月。
 以て伊飡神猷を上大等と爲し、伊飡の金隱居を侍中と爲す。

 五年、春三月。
 群臣を臨海殿にて燕せしむ。

 夏五月。
 蝗。
 旱。
 百官に命じて各(おのおの)知る所を擧げせしむ。

 冬十一月。
 雉岳縣の鼠八千、一に云く數十、許、平壤に向かふ。
 雪無し。

 六年、春正月。
 王、西原京に幸き、經る所の州縣の繋囚を曲赦す。

 三月。
 雨土。

 夏四月。
 王、西原より至る。

 五月十一日。
 彗星、五車の北に出で、六月十二日に至りて滅す。

 二十九日。
 虎、執事省に入るも、捉へて之れを殺す。

 秋八月。
 大阿飡の金融叛き、誅に伏す。

 冬十一月。
 京都地震。

 十二月。
 侍中の隱居退き、伊飡の正門を侍中と爲す。

 八年、春正月。
 伊飡の金標石を遣り唐に朝せしめ賀正せしむ。
 代宗は衛尉員外少卿を授け放ち還す。

 九年、夏四月。
 遣使して唐に如かせ賀正せしめ、金銀、牛黄、魚牙紬、朝霞紬等の方物を獻ず。

 六月。
 遣使して唐に如かせ謝恩せしむれば、代宗は迎英殿に引き見ゆ。

 十年、夏四月。
 遣使して唐に如かせ朝貢せしむ。

 秋九月。
 拜して伊飡の良相を上大等と爲す。

 冬十月。
 遣使して唐に如かせ賀正せしめ、延英殿にて見え、員外衛尉卿を授け之れを遣る。

 十一年、春正月。
 遣使して唐に如かせ朝貢せしむ。

 三月。
 以て伊飡の金順を侍中と爲す。

 夏六月。
 遣使して唐に朝せしむ。
 伊飡の金隱居叛き、誅に伏す。

 秋八月。
 伊飡の廉相と侍中正門、叛を謀り、誅に伏す。

 十二年、春正月。
 百官の號、盡く復舊に合はすと下敎す。
 感恩寺に幸(ゆ)き海を望む。

 二月。
 國學に幸(ゆ)き聽講す。

 三月。
 倉部史に八人を加ふ。

 秋七月。
 遣使して唐に朝せしめ方物を獻ぜしむ。

 冬十月。
 遣使して唐に入らせ朝貢せしむ。

 十三年、春三月。
 京都地震。

 夏四月。
 又た震。
 上大等の良相上疏し、時の政を論ずることを極む。

 冬十月。
 伊飡の周元を侍中と爲す。

 十五年、春三月。
 京都の地震、民屋を壞し、死者は百餘人。
 太白、月に入り、百座の法會を設く。

 十六年、春正月。
 黄霧。

 二月。
 雨土。
 王は幼少に即位し、壯するに及び聲色に淫し、巡遊して度らず、綱紀を紊亂せしめ、災異は屢見え、人心は反側し、社稷を杌陧せしめ、伊飡の金志貞叛き、衆を聚め、宮闕を圍み犯す。

 夏四月。
 上大等の金良相と伊飡の敬信、兵を擧げて志貞等を誅するも、王と后妃は亂兵の害する所と爲る。
 良相等は王を諡して惠恭王と爲す。
 元妃の新寶王后は伊飡維誠の女、次妃は伊飡金璋の女なるも、史は入宮の歳月を失す。