宣德王

宣德王

 宣德王が王位に立った。
 姓は金氏、諱は良相、奈勿王の十世孫である。
 父は海飡の孝芳であり、母の金氏四炤夫人は聖德王の娘である。
 妃の具足夫人は角干良品の娘である。(一説には義恭阿飡の娘とも伝わる。)
 大赦した。
 父を開聖大王、尊母の金氏を貞懿太后と追封し、妻を王妃とした。
 拜して伊飡の敬信を上大等に、阿飡の義恭を侍中に任命した。
 御龍省の奉御を卿と改め、また卿を監と改めた。

 二年、春二月。
 神宮に親祀した。

 秋七月。
 使者を出して浿江南の州郡を安撫させた。

 三年、春閏正月。
 遣使して唐に入らせ朝貢させた。

 二月。
 王が漢山州を巡幸し、民戸を浿江鎭に移した。

 秋七月。
 始林の原で大閲した。

 四年、春正月。
 阿飡の體信を大谷鎭軍主に任命した。

 二月。
 京都で雪が降り、三尺積もった。

 五年、夏四月。
 王は王位を譲ろうとしたが、群臣は三度上表して諫めたので止まった。

 六年、春正月。
 唐德宗が戸部郞中蓋塤持節を派遣し、王を檢校太尉鷄林州刺史寧海軍使新羅王に冊命した。
 この月、王は疾病に伏し、癒えることはなく、そのため詔を下した。
「寡人はもともと才能はまったくなく、仏の教えに縋っていただけで、推戴を逃れることができず、即位することになってしまった。王位に就いて以来、年は道理に順わず、人民を窮困させてしまった。これはすべて徳が人民の希望に一致せず、政治が天の心に合致しなかったからである。
 いつも禅譲して外に退居したいと欲していたが、群官は幾度となく認可せず、そのたびに忠誠をもって引き留めたので、如意を果たすことができないまま、現在に至ることになってしまった。突然の疾疹により、寝ることも起きることもできない。
 死生には運命があり、顧れば恨みを再び持つこともない。死後は仏制に依拠し、火葬して東海に散骨せよ。」
 十三日に死去し、諡を宣德とした。

 三國史記 第九卷

 

 戻る








≪白文≫
 宣德王立。
 姓金氏、諱良相、奈勿王十世孫也。
 父、海飡孝芳。
 母、金氏四炤夫人、聖德王之女也。
 妃、具足夫人、角干良品之女也。〈一云義恭阿飡之女。
 大赦。
 追封父爲開聖大王、尊母金氏爲貞懿太后、妻爲王妃。
 拜伊飡敬信爲上大等、阿飡義恭爲侍中。
 改御龍省奉御爲卿、又改卿爲監。

 二年、春二月。
 親祀神宮。

 秋七月。
 發使安撫浿江南州郡。

 三年、春閏正月。
 遣使入唐朝貢。

 二月。
 王巡幸漢山州、移民戸於浿江鎭。

 秋七月。
 大閲於始林之原。

 四年、春正月。
 以阿飡體信爲大谷鎭軍主。

 二月。
 京都雪三尺。

 五年、夏四月。
 王欲遜位。
 群臣三上表諫、乃止。

 六年、春正月。
 唐德宗遣戸部郞中蓋塤、持節冊命、王爲檢校太尉鷄林州刺史寧海軍使新羅王。
 是月、王寢疾彌留。
 乃下詔曰、
 寡人本惟菲薄、無心大寶、難逃推戴、作其即位。
 居位以來、年不順成、民用窮困、此皆德不符民望、政未合天心。
 常欲禪讓、退居于外、群官百辟、每以誠止、未果如意、因循至今。
 忽遘疾疹、不寤不興。
 死生有命、顧復何恨。
 死後、依佛制燒火、散骨東海。
 至十三日薨、諡曰宣德。

 三國史記 第九卷


≪書き下し文≫

 宣德王立つ。
 姓は金氏、諱は良相、奈勿王の十世孫なり。
 父は海飡の孝芳。
 母は金氏の四炤夫人、聖德王の女なり。
 妃は具足夫人、角干良品の女なり。  一に義恭阿飡の女と云ふ。
 大赦す。
 追封して父を開聖大王と爲し、尊母の金氏を貞懿太后と爲し、妻を王妃と爲す。
 拜して伊飡の敬信を上大等と爲し、阿飡の義恭を侍中と爲す。
 御龍省の奉御を改め卿と爲し、又た卿を改め監と爲す。

 二年、春二月。
 神宮を親祀す。

 秋七月。
 使を發して浿江南の州郡を安撫せしむ。

 三年、春閏正月。
 遣使して唐に入らせ朝貢せしむ。

 二月。
 王は漢山州を巡幸し、民戸を浿江鎭に移す。

 秋七月。
 始林の原にて大閲す。

 四年、春正月。
 以て阿飡體信を大谷鎭軍主と爲す。

 二月。
 京都雪(ゆきふ)ること三尺。

 五年、夏四月。
 王は遜位を欲す。
 群臣は三(みたび)上表して諫め、乃ち止む。

 六年、春正月。
 唐德宗は戸部郞中蓋塤を遣り、持節冊命し、王を檢校太尉鷄林州刺史寧海軍使新羅王と爲す。
 是の月、王は疾(やまひ)に寢(ふ)して彌留す。
 乃ち詔を下して曰く、
 寡人は本(もともと)惟れ菲薄なるも、大寶に無心し、逃れ難くして推戴し、其の即位と作(な)る。
 居位以來、年は順成せず、民は窮困に用し、此れ皆德の民の望みに符せず、政の未だ天心に合はず。
 常に禪讓し、外に退居することを欲すれども、群官は百辟し、每に誠を以て止む、未だ如意を果たせず、因りて循り今に至る。
 忽として疾疹に遘ひ、寤ず興ず。
 死生に命有り、顧れば何の恨を復せむ。
 死後、佛制に依り燒火し、東海に散骨せよ。
 十三日に至り薨じ、諡を宣德と曰ふ。

 三國史記 第九卷