≪白文≫
憲德王立。
諱彦昇、昭聖王同母弟也。
元聖王六年、奉使大唐、受位大阿飡。
七年、誅逆臣、爲迎飡。
十年爲侍中、十一年、以伊飡爲宰相。
十二年爲兵部令。
哀莊王元年爲角干、二年爲御龍省私臣、未幾爲上大等、至是、即位。
妃、貴勝夫人、禮英角干女也。
以伊飡金崇斌爲上大等。
秋八月。
大赦。
遣伊飡金昌南等、入唐告哀。
憲宗遣職方員外郞攝御史中丞崔廷、以其質子金士信副之、持節吊祭、冊立王爲開府儀同三司、檢校太尉、持節大都督鷄林州諸軍事兼持節充寧海軍使上柱國新羅王。
冊妻貞氏爲妃。
賜大宰相金崇斌等三人門戟。
按、王妃、禮英角干女也、今云貞氏、未詳。
二年、春正月。
以波珍飡亮宗爲侍中。
河西州進赤烏。
二月。
王親祀神宮。
發使修葺國内隄防。
秋七月。
流星入紫微。
西原京進白雉。
冬十月。
遣王子金憲章入唐、獻金銀佛像及佛經等、上言、爲順宗祈福。
流星入王良。
三年、春正月。
侍中亮宗以病免、伊飡元興爲侍中。
二月。
以伊飡雄元、爲完山州都督。
夏四月。
始御平議殿聽政。
四年春。
以均貞爲侍中、以伊飡忠永年七十、賜几杖。
秋九月。
遣級飡崇正使北國。
五年、春正月。
以伊飡憲昌爲武珍州都督。
二月。
謁始祖廟、玄德門火。
六年、春三月。
宴羣臣於崇禮殿、樂極、王鼓琴、伊飡忠榮起舞。
夏五月。
國西大水、發使撫問經水州郡人民、復一年租調。
秋八月。
京都風霧如夜。
武珍州都督憲昌、入爲侍中。
冬十月。
黔牟大舍妻、一産三男。
七年、春正月。
遣使朝唐、憲宗引見、宴賜有差。
夏五月。
下雪。
秋八月己亥朔。
日有食之。
西邊州郡大飢、盜賊蜂起、出軍討平之。
大星出翼、軫間、指庚、芒長六許尺、廣二許寸。
八年、春正月。
侍中憲昌出爲菁州都督、璋如爲侍中。
年荒民飢、抵浙東求食者一百七十人。
漢山州唐恩郡、石長十尺、廣八尺、高三尺五寸、自移一百餘歩。
夏六月。
望德寺二塔戰。
九年、春正月。
以伊飡金忠恭爲侍中。
夏五月。
不雨、遍祈山川、至秋七月、乃雨。
冬十月。
人多飢死、敎州郡發倉穀存恤。
遣王子金張廉、入唐朝貢。
十年、夏六月癸丑朔。
日有食之。
十一年、春正月。
以伊飡眞元年七十、賜几杖。
以伊飡憲貞、病不能行、年未七十、賜金飾紫檀杖。
二月。
上大等金崇斌卒、伊飡金秀宗爲上大等。
三月。
草賊遍起、命諸州郡都督太守、捕捉之。
秋七月。
唐鄆州節度使李師道叛。
憲宗將欲討平、詔遣楊州節度使趙恭、徴發我兵馬、王奉勅旨、命順天軍將軍金雄元、率甲兵三萬以助之。
十二年、春夏旱。
冬飢。
十一月。
遣使入唐朝貢、穆宗召見麟德殿、宴賜有差。
十三年、春。
民饑、賣子孫自活。
夏四月。
侍中金忠恭卒、伊飡永恭爲侍中、菁州都督憲昌、改爲熊川州都督。
秋七月。
浿江南川二石戰。
冬十二月二十九日。
大雷。
十四年、春正月。
以母弟秀宗爲副君、入月池宮、秀宗或云秀升。
二月。
雪五尺、樹木枯。
三月。
熊川州都督憲昌、以父周元不得爲王、反叛、國號長安、建元慶雲元年、脅武珍、完山、菁、沙伐四州都督、國原、西原、金官仕臣及諸郡縣守令、以爲己屬。
菁州都督向榮、脱身走推火郡、漢山、牛頭、歃良、浿江、北原等、先知憲昌逆謀、擧兵自守。
十八日、完山長史崔雄、助阿飡正連之子令忠等、遁走王京告之、王即授崔雄位級飡、速含郡太守、令忠位級飡、遂差員將八人、守王都八方、然後出師。
一吉飡張雄先發、迎飡衛恭、波珍飡悌凌繼之、伊飡均貞、迎飡雄元、大阿飡祐徴等、掌三軍徂征。
角干忠恭、迎飡允膺、守蚊火關門。
明基、安樂二郞、各請從軍、明基與徒衆赴黄山、安樂赴施彌知鎭。
於是、憲昌遣其將、據要路以待。
張雄遇賊兵於道冬峴、撃敗之。
衛恭、悌凌、合張雄軍、攻三年山城、克之、進兵俗離山、撃賊兵滅之。
均貞等與賊戰黄山、滅之。
諸軍共到熊津、與賊大戰、斬獲不可勝計。
憲昌僅以身免、入城固守。
諸軍圍攻浹旬、城將陷、憲昌知不免、自死。
從者斷首與身、各藏。
及城陷、得其身於古塚、誅之、戮宗族黨與、凡二百三十九人、縱其民。
後、論功爵賞有差。
阿飡祿眞授位大阿飡、辭不受。
以歃良州屈自郡近賊、不汙於亂、復七年。
先是、菁州太守廳事南、池中有異鳥、身長五尺、色黑、頭如五歳許兒、喙長一尺五寸、目如人嗉、如受五升許器、三日而死、憲昌敗亡兆也。
聘角干忠恭之女貞嬌、爲太子妃。
浿江山谷間、顚木生蘖、一夜高十三尺、圍四尺七寸。
夏四月十三日。
月色如血。
秋七月十二日。
日有黑暈、指南北。
冬十二月。
遣柱弼入唐朝貢。
十五年、春正月五日。
西原京、有蟲從天而墮。
九日。
有白、黑、赤三種蟲、冒雪能行、見陽而止。
元順、平原二角干、七十告老、賜几杖。
二月。
合水城郡、唐恩郡。
夏四月十二日。
流星起天市、犯帝座、過天市東北垣、織女、王良、至閣道分爲三、聲如撃鼓而滅。
秋七月。
雪。
十七年、春正月。
憲昌子梵文、與高達山賊、壽神等百餘人、同謀叛、欲立都於平壤、攻北漢山城。
都督聰明、率兵捕殺之。
平壤、今楊州也、太祖製莊義寺齋文有高麗舊壤平壤名山之句。
三月。
武珍州馬彌知縣女人産兒、二頭二身四臂、産時天大雷。
夏五月。
遣王子金昕入唐朝貢、遂奏言、
先在大學生、崔利貞、金叔貞、朴季業等、請放還蕃、其新赴朝金允夫、金立之、朴亮之等一十二人、請留宿衛、仍請配國子監習業、鴻臚寺給資粮。
從之。
秋。
歃良州獻白馬。
牛頭州大楊管郡黄知奈麻妻、一産二男二女、賜租一百石。
十八年、秋七月。
命牛岑太守白永、徴漢山北諸州郡人一萬、築浿江長城三百里。
冬十月。
王薨、諡曰憲德、葬于泉林寺北。
古記云、在位十八年、寶曆二年丙午四月卒。
新唐書云、長慶寶曆間、羅王彦昇卒。
而資理通鑑及舊唐書皆云、大和五年卒。
豈其誤耶。
≪書き下し文≫
憲德王立つ。
諱は彦昇、昭聖王の同母弟なり。
元聖王六年、大唐に奉使し、大阿飡を受位す。
七年、逆臣を誅し、迎飡と爲る。
十年に侍中と爲り、十一年、以て伊飡を宰相と爲す。
十二年に兵部令と爲る。
哀莊王元年に角干と爲り、二年に御龍省私臣と爲り、未だ幾あらず上大等と爲り、是に至り、即位す。
妃は貴勝夫人、禮英角干の女なり。
以て伊飡の金崇斌を上大等と爲す。
秋八月。
大赦。
伊飡の金昌南等を遣り、唐に入らせ哀を告ぐ。
憲宗は職方員外郞攝御史中丞崔廷を遣り、以て其の質子の金士信に之れを副せしめ、持節吊祭せしめ、王に冊立して開府儀同三司、檢校太尉、持節大都督鷄林州諸軍事兼持節充寧海軍使上柱國新羅王と爲す。
冊妻貞氏を妃と爲す。
大宰相の金崇斌等三人に門戟を賜ふ。
按ずるに、王妃は禮英角干女なり、今は貞氏と云ふも、未詳たり。
二年、春正月。
以て波珍飡亮宗を侍中と爲す。
河西州、赤烏を進む。
二月。
王、神宮を親祀す。
使を發して國内の隄防を修葺せしむ。
秋七月。
流星、紫微に入る。
西原京、白雉を進む。
冬十月。
王子の金憲章を遣り唐に入らせしめ、金銀佛像及び佛經等を獻ぜしめ、上言し、順宗の祈福を爲す。
流星、王良に入る。
三年、春正月。
侍中亮宗、病を以て免じ、伊飡の元興を侍中と爲す。
二月。
以て伊飡の雄元、完山州の都督と爲す。
夏四月。
御平議殿の聽政を始む。
四年春。
以て均貞を侍中と爲し、伊飡の忠永の年七十なるを以て、几杖を賜へり。
秋九月。
級飡の崇正を遣り北國に使せしむ。
五年、春正月。
以て伊飡の憲昌を武珍州の都督と爲す。
二月。
始祖廟に謁するも、玄德門に火あり。
六年、春三月。
羣臣を崇禮殿に於いて宴せしめ、樂極まり、王は鼓琴し、伊飡の忠榮は舞を起こす。
夏五月。
國西に大水、使を發して經水州郡の人民を撫問せしめ、一年の租調を復す。
秋八月。
京都に風霧すること夜の如し。
武珍州都督の憲昌、入りて侍中と爲る。
冬十月。
黔牟大舍の妻、一(ひとたび)に三男を産む。
七年、春正月。
遣使して唐に朝すれば、憲宗引き見、宴して有差に賜ふ。
夏五月。
下雪。
秋八月己亥朔。
日之れを食する有り。
西邊州郡大飢し、盜賊蜂起し、軍を出して討ちて之れを平ぐ。
大星、翼軫の間に出、庚を指す芒の長さ六許尺、廣さ二許寸。
八年、春正月。
侍中の憲昌、出でて菁州の都督と爲り、璋如(ゆ)きて侍中と爲る。
年荒れ民飢え、抵浙東の食を求むる者、一百七十人。
漢山州の唐恩郡、石の長さ十尺、廣さ八尺、高さ三尺五寸、自ら移ること一百餘歩。
夏六月。
望德寺二塔戰ふ。
九年、春正月。
以て伊飡の金忠恭を侍中と爲す。
夏五月。
雨(あめふ)らず、遍く山川に祈り、秋七月に至り、乃ち雨(あめふ)る。
冬十月。
人多く飢死にし、敎州郡は倉穀を發して存恤す。
王子の金張廉を遣り、唐に入らせ朝貢せしむ。
十年、夏六月癸丑朔。
日之れを食する有り。
十一年、春正月。
伊飡の眞元の年七十なるを以て、几杖を賜ふ。
以て伊飡の憲貞、病みて行くこと能はず、年未だ七十ならざるも、金飾紫檀杖を賜ふ。
二月。
上大等の金崇斌卒し、伊飡の金秀宗を上大等と爲す。
三月。
草賊遍く起き、諸州郡の都督太守に命じ、之れを捕捉せしむ。
秋七月。
唐鄆州節度使の李師道叛く。
憲宗將に討平せむと欲し、詔して楊州節度使趙恭を遣り、我が兵馬を徴發し、王は勅旨を奉じ、順天軍將軍の金雄元に命じ、甲兵三萬を率せしめて以て之れを助けせしむ。
十二年、春夏。
旱。
冬飢ゆ。
十一月。
遣使して唐に入らせ朝貢せしめ、穆宗召して麟德殿にて見え、宴して有差に賜ふ。
十三年、春。
民饑え、子孫を賣り自活す。
夏四月。
侍中の金忠恭卒し、伊飡の永恭を侍中と爲し、菁州都督の憲昌、改めて熊川州都督と爲す。
秋七月。
浿江南川の二石戰ふ。
冬十二月二十九日。
大雷。
十四年、春正月。
以て母弟の秀宗を副君と爲し、月池宮に入らしむ。
秀宗は或(あるいは)秀升と云ふ。
二月。
雪五尺、樹木枯る。
三月。
熊川州都督の憲昌、父の周元を以て王と爲すことを得ず、反叛し、國を長安と號し、建元慶雲元年、武珍、完山、菁、沙伐の四州の都督を脅し、國原、西原、金官の仕臣及び諸郡縣の守令、以て己の屬と爲す。
菁州都督の向榮、身を脱して推火郡に走り、漢山、牛頭、歃良、浿江、北原等、先に憲昌の逆謀を知り、兵を擧げて自ら守る。
十八日、完山長史の崔雄、阿飡正連の子の令忠等を助け、王京に遁走して之れを告げ、王即ち崔雄に位級飡、速含郡の太守、令忠に位級飡を授け、遂に員將八人を差し、王都八方を守り、然る後に出師す。
一吉飡の張雄先に發し、迎飡の衛恭、波珍飡の悌凌之れに繼ぎ、伊飡の均貞、迎飡の雄元、大阿飡の祐徴等、三軍を掌(つかさど)り征に徂(ゆ)く。
角干の忠恭、迎飡の允膺、蚊火關門を守る。
明基、安樂の二郞、各(おのおの)從軍を請ひ、明基は徒衆と黄山に赴き、安樂は施彌知鎭に赴く。
是に於いて、憲昌は其の將を遣り、要路に據りて以て待す。
張雄は賊兵に道冬峴に於いて遇ひ、之れを撃ち敗る。
衛恭、悌凌は張雄の軍と合ひ、三年山城を攻め、之れに克ち、兵を俗離山に進め、賊兵を撃ち之れを滅ぼす。
均貞等は賊と黄山にて戰ひ、之れを滅ぼす。
諸軍共に熊津に到り、賊と大いに戰ひ、斬獲すること計に勝(た)える可からず。
憲昌僅かに身を以て免じ、城に入り守りを固む。
諸軍は圍みて攻むること浹旬、城將に陷ちむとし、憲昌免れざるを知り、自ら死す。
從者は首と身を斷ち、各(おのおの)藏る。
城の陷に及び、其の身を古塚にて得て、之れを誅し、宗族黨與を戮すること、凡そ二百三十九人、其の民を縱つ。
後に論功して有差に爵賞す。
阿飡の祿眞に大阿飡を授位するも、辭して受けず。
歃良州屈自郡の賊に近かれども、亂に汙(けが)れざるを以て、復七年。
是れに先じて、菁州太守廳事南、池中に異鳥有り。
身長五尺、色黑、頭は五歳許兒の如し、喙は長さ一尺五寸、目は人嗉の如し、五升許の器を受くるが如し、三日にして死するは、憲昌の敗亡する兆なり。
角干忠恭の女の貞嬌を聘(たず)ね、太子妃と爲す。
浿江山の谷間、顚木は蘖(ひこばえ)に生じ、一夜にして高さ十三尺、圍は四尺七寸。
夏四月十三日。
月の色は血の如し。
秋七月十二日。
日に黑暈有り、南北を指す。
冬十二月。
柱弼を遣り唐に入らせ朝貢せしむ。
十五年、春正月五日。
西原京に蟲有り天に從ひて墮つ。
九日。
白、黑、赤の三種の蟲有り、雪を冒し能く行き、陽を見(う)けて止まる。
元順、平原の二角干、七十に老を告げ、几杖を賜ふ。
二月。
水城郡を唐恩郡に合す。
夏四月十二日。
流星、天市に起こり、帝座を犯し、天市東北、織女、王良を過ぎ、閣道に至り分かれて三を爲し、聲すること撃鼓の如くして滅す。
秋七月。
雪。
十七年、春正月。
憲昌の子の梵文、高達の山賊、壽神等百餘人と與に、謀叛を同じくし、都を平壤に立てむと欲して、北漢山城を攻む。
都督の聰明、兵を率いて之れを捕へて殺す。
平壤は今の楊州なり、太祖は莊義寺齋文の有する高麗舊壤平壤名山の句を製る。
三月。
武珍州の馬彌知縣の女人、兒を産むこと、二頭二身四臂、産む時に天は大雷す。
夏五月。
王子の金昕を遣り唐に入らせ朝貢せしめ、遂に奏言す、
先に大學生、崔利貞、金叔貞、朴季業等在り、蕃に放ち還さむことを請ひ、其の新たに朝に金允夫、金立之、朴亮之等一十二人を赴かせしめ、宿衛に留まらむことを請ひ、仍りて國子監に配し業を習はせしめ、鴻臚寺の粮を給資することを請はむ、と。
之れに從ふ。
秋。
歃良州、白馬を獻ず。
牛頭州の大楊管郡の黄知奈麻の妻、一(ひとたび)に二男二女を産み、租一百石を賜はる。
十八年、秋七月。
牛岑太守の白永に命じ、漢山北諸州郡人一萬を徴し、浿江長城三百里を築かせしむ。
冬十月。
王薨じ、諡を憲德と曰ひ、泉林寺の北に葬る。
古記に云く、在位十八年、寶曆二年丙午四月に卒す、と。
新唐書に云く、長慶寶曆の間、羅王の彦昇卒す、と。
而れども資理通鑑及び舊唐書皆云く、大和五年に卒す、と。
豈に其れ誤りとせむか。