≪白文≫
興德王立。
諱秀宗、後改爲景徽、憲德王同母弟也。
冬十二月、妃章和夫人卒、追封爲定穆王后。
王思不能忘、悵然不樂。
羣臣表請再納妃。
王曰、
隻鳥有喪匹之悲、况失良匹、何忍無情遽再娶乎。
遂不從、亦不親近女侍。
左右使令、唯宦竪而己。
章和、姓金氏、昭聖王之女也。
二年、春正月。
親祀神宮。
唐文宗聞王薨、廢朝、命太子左諭德兼御史中丞源寂、持節吊祭。
仍冊立嗣王爲開府儀同三司檢校太尉使持節大都督鷄林州諸軍事兼持節充寧海軍使新羅王。
母朴氏爲大妃、妻朴氏爲妃。
三月。
高句麗僧丘德入唐、齎經至。
王集諸寺僧徒、出迎之。
夏五月。
降霜。
秋八月。
太白晝見。
京都大旱。
侍中永恭退。
三年、春正月。
大阿飡金祐徴爲侍中。
二月。
遣使入唐朝貢。
三月。
雪深三尺。
夏四月。
淸海大使弓福、姓張氏、一名保皐、入唐徐州爲軍中小將。
後歸國謁王、以卒萬人鎭淸海。
淸海、今之莞島。
漢山州瓢川縣妖人、自言有速富之術、衆人頗惑之。
王聞之、曰、
執左道以惑衆者、刑之、先王之法也、投棄其人遠島。
冬十二月。
遣使入唐朝貢。
文宗召對于麟德殿、宴賜有差。
入唐廻使大廉、持茶種子來、王使植地理山。
茶自善德王時有之、至於此盛焉。
四年、春二月。
以唐恩郡爲唐城鎭、以沙飡極正往守之。
五年、夏四月。
王不豫祈禱、仍許度僧一百五十人。
冬十二月。
遣使入唐朝貢。
六年、春正月。
地震。
侍中祐徴免、伊飡允芬爲侍中。
二月。
遣王子金能儒并僧九人朝唐。
秋七月。
入唐進奉使能儒等一行人、廻次溺海死。
冬十一月。
遣使入唐朝貢。
七年、春夏旱。
赤地。
王避正殿、減常膳、赦内外獄囚。
秋七月。
乃雨。
八月。
飢荒、盜賊遍起。
冬十月。
王命使安撫之。
八年、春。
國内大飢。
夏四月。
王謁始祖廟。
冬十月。
桃李再華、民多疫死。
十一月。
侍中允芬退。
九年、春正月。
祐徴復爲侍中。
秋九月。
王幸西兄山下大閲、御武平門觀射。
冬十月。
巡幸國南州郡、存問耆老及鰥寡孤獨、賜穀布有差。
十年、春二月。
拜阿飡金均貞爲上大等。
侍中祐徴以父均貞入相、表乞解職。
大阿飡金明爲侍中。
十一年、春正月辛丑朔。
日有食之。
遣王子金義琮如唐、謝恩兼宿衛。
夏六月。
星孛于東。
秋七月。
太白犯月。
冬十二月。
王薨。
諡曰興德、朝廷以遺言、合葬章和王妃之陵。
≪書き下し文≫
興德王立つ。
諱は秀宗、後に改めて景徽と爲す、憲德王の同母弟なり。
冬十二月、妃章和夫人卒し、追封して定穆王后と爲す。
王は忘るること能はざることを思ひ、悵然として樂まず。
羣臣表して再び妃を納ることを請へり。
王曰く、
隻鳥も喪匹の悲有り、况や良匹を失へば、何ぞ忍びて無情にも遽(あは)てて再び娶らむや。
遂に從はず、亦た近女侍に親まず。
左右の使令、唯だ宦竪のみ。
章和、姓は金氏、昭聖王の女なり。
二年、春正月。
神宮に親祀す。
唐文宗は王の薨ずるを聞き、朝を廢し、太子の左諭德兼御史中丞源寂に命じ、持節吊祭せしむ。
仍りて嗣王を冊立し開府儀同三司檢校太尉使持節大都督鷄林州諸軍事兼持節充寧海軍使新羅王と爲す。
母の朴氏を大妃と爲し、妻の朴氏を妃と爲す。
三月。
高句麗僧の丘德、唐に入り經を齎して至る。
王は諸寺の僧徒を集め、出でて之れを迎ふ。
夏五月。
降霜す。
秋八月。
太白、晝に見(あらは)る。
京都大旱。
侍中の永恭退く。
三年、春正月。
大阿飡の金祐徴、侍中と爲る。
二月。
遣使して唐に入らせ朝貢せしむ。
三月。
雪の深さ三尺。
夏四月。
淸海大使の弓福、姓は張氏、一に名を保皐、唐の徐州に入り軍中小將と爲る。
後に國に歸して王に謁し、卒萬人を以て淸海を鎭む。
淸海、今の莞島なり。
漢山州瓢川縣の妖人、自ら速富の術有るを言ひ、衆人頗る之れに惑ふ。
王之れを聞きて曰く、
左道にして以て衆を惑する者を執り、之れを刑するは、先王の法なり、其の人を遠島に投棄すべし、と。
冬十二月。
遣使して唐に入らせ朝貢せしむ。
文宗は召して麟德殿に對し、宴して有差に賜ふ。
入唐廻使の大廉、茶の種子を持して來たり、王は地理山に植えしむ。
茶は善德王の時より之れ有るも、此に至り焉れ盛なり。
四年、春二月。
以て唐恩郡を唐城鎭と爲し、以て沙飡の極正に往かせしめ、之れを守らせしむ。
五年、夏四月。
王は祈禱を豫(ゆる)さず、仍りて僧一百五十人に度ることを許す。
冬十二月。
遣使して唐に入らせ朝貢せしむ。
六年、春正月。
地震。
侍中の祐徴免じ、伊飡の允芬は侍中と爲る。
二月。
王子の金能儒と并せて僧九人を遣り唐に朝せしむ。
秋七月。
入唐進奉使の能儒等一行人、廻るも次いで海に溺れ死す。
冬十一月。
遣使して唐に入らせ朝貢せしむ。
七年、春夏旱。
赤地。
王は正殿を避け、常膳を減らし、内外の獄囚を赦す。
秋七月。
乃ち雨(あめふ)る。
八月。
飢荒し、盜賊遍く起く。
冬十月。
王は使に命じ、之れを安撫す。
八年、春。
國内大飢す。
夏四月。
王、始祖廟に謁す。
冬十月。
桃李再び華(はなひら)き、民多く疫死す。
十一月。
侍中の允芬退く。
九年、春正月。
祐徴、復た侍中に爲る。
秋九月。
王、西兄山の下に幸(ゆ)き、御武平門に大閲し、射を觀ゆ。
冬十月。
國南の州郡に巡幸し、耆老及び鰥寡孤獨を存問し、穀布を有差に賜ふ。
十年、春二月。
拜して阿飡の金均貞を上大等と爲す。
侍中の祐徴、以て父の均貞を入相せしめ、表して解職を乞へり。
大阿飡の金明、侍中と爲る。
十一年、春正月辛丑朔。
日之れを食する有り。
王子の金義琮を遣り唐に如かせしめ、謝恩と宿衛を兼ぬ。
夏六月。
星孛、東にあり。
秋七月。
太白、月を犯す。
冬十二月。
王薨ず。
諡を興德と曰ひ、朝廷は遺言を以て、章和王妃の陵に合葬す。