憲安王

憲安王

 憲安王が擁立された。
 諱は誼靖(〈一説には祐靖という)、神武王の異母弟である。
 母の照明夫人は、宣康王の娘である。
 文聖の顧命をもって即位した。
 大赦し、拜して伊飡の金安を上大等に任命した。

 二年、春正月。
 神宮を親祀した。

 夏四月。
 霜が降った。

 自五月至秋七月。
 雨が降らなかった。
 唐城郡南の河岸に大魚が出てきた。
 長さ四十步、高さ六尺。

 三年春。
 穀物が高騰し、人民が餓えた。
 王は遣使して賑救させた。

 夏四月。
 隄防を修完して農業に努めるよう、教を下した。

 四年、秋九月。
 王が群臣と臨海殿で会合した。
 王族の膺廉は年十五歲だったので、これに参与することになった。
 王はその志を観たいと思い、いきなり質問した。
「お前は遊学して日が経っているが、善人の者と会うことはなかっただろうか。」
 答えて言った。
「わたくしはかつて三人とお会いし、ひそかに善行があると思っておりました。
 王は言った。
「どのようなものか。」
 答えた。
「一人は高門の子弟で、その人に就きながら、自らを先にすることなく下にいる者。一人は家が財に富み、贅沢な衣服を着ることができるのに、いつも麻紵を来てそれを喜んでいる者。一人は勢力が繁栄していながら、その勢力があることをもって人に加わろうとしない者。わたくしがお会いしたのは、このような人たちです。」
 それを聞いた王は、黙って同意し、王后の耳元で語った。
「朕も人と閱することは多いが、膺廉のような者はいなかった。」
 娘を娶らせるつもりで顧みて、膺廉に言った。
「お前が自愛することを願う。朕に息女がいるので、これらを枕元に差し出すことにしよう。」
 更に酒をついでごちそうを共に食べ、くつろぎながら言った。
「私には二人の娘がいる。年長の者は今年で二十歲、年少の者は十九歲であるが、これをお前さんに娶らせよう。」
 膺廉は辞退して獲ず、起拜して感謝を示し、そのまま家に帰って父母に報告した。
 父母は言った、
「王の二人の娘は容貌は美しいと聞いておるが、姉のほうは妹ほどではないそうであるし、もしやむを得ないならば、その妹を娶った方がよいだろう。」
 しかし、それでも疑問があり決められなかったので、興輪寺の僧に質問した。
 僧は言った。
「姉のほうを娶るならば三つのご利益がある。妹であればこれに反し、三つの損がある。」
 こうして膺廉は奏じた。
「わたくしは自分では決めようと思いません。ただ王命に従うことにします。」
 こうして王の長女を出降した。

 五年、春正月。
 王は疾病に伏して死にそうであったので、左右に言った。
「寡人の不幸は、男子がおらず女がいたことだ。
 我が邦の故事に、善德、眞德の二人の女王がいたとはいえ、そうすれば『牝雞の晨』に近いもので、法としてはならぬものだ。
 甥の膺廉は、年は幼少であるが、老成の徳がある。
 お前たち、その者を立てて仕えれば、必ず祖宗の令緖を墜すことはなく、寡人は死んだとしても、朽ちることはないであろう。」
 この月の二十九日、死去した。
 諡を憲安とし、孔雀趾に葬られた。

 

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≪白文≫
 憲安王立。
 諱誼靖、〈一云祐靖、神武王之異母弟也。
 母照明夫人、宣康王之女。
 以文聖顧命卽位。
 大赦、拜伊飡金安爲上大等。

 二年、春正月。
 親祀神宮。

 夏四月。
 降霜。

 自五月至秋七月。
 不雨。
 唐城郡南河岸有大魚出。
 長四十步、高六尺。

 三年春。
 穀貴人饑。
 王遣使賑救。

 夏四月。
 敎修完隄防勸農。

 四年、秋九月。
 王會羣臣於臨海殿。
 王族膺廉年十五歲、預坐焉。
 王欲觀其志、忽問曰、
 汝游學有日矣、得無見善人者乎。
 答曰、
 臣嘗見三人、竊以爲有善行也。
 王曰、
 何如。
 曰、
 一高門子弟、其與人也、不自先而處於下。
 一家富於財、可以侈衣服、而常以麻紵自喜。
 一有勢榮、而未嘗以其勢加人。
 臣所見如此。
 王聞之默然、與王后耳語曰、
 朕閱人多矣、無如膺廉者。
 意以女妻之、顧謂膺廉曰、
 願郞自愛。
 朕有息女、使之薦枕。
 更置酒同飮、從容言曰、
 吾有二女、兄今年二十歲、弟十九歲、惟郞所娶。
 膺廉辭不獲、起拜謝、便歸家告父母。
 父母言、聞王二女容色、兄不如弟、若不得已、宜娶其弟。
 然尙疑未決、乃問興輪寺僧。
 僧曰、
 娶兄則有三益、弟則反是、有三損。
 膺廉乃奏、
 臣不敢自決、惟王命是從。
 於是、王長女出降焉。

 五年、春正月。
 王寢疾彌留、謂左右曰、
 寡人不幸、無男子有女。
 吾邦故事、雖有善德、眞德二女主、然近於牝雞之晨、不可法也。
 甥膺廉、年雖幼少、有老成之德。
 卿等、立而事之、必不墜祖宗之令緖、則寡人死、且不朽矣。
 是月二十九日、薨。
諡曰憲安、葬于孔雀趾。



≪書き下し文≫
 憲安王立つ。
 諱は誼靖、〈一に祐靖と云ふ、神武王の異母弟なり。
 母は照明夫人、宣康王の女なり。
 文聖の顧命を以て卽位す。
 大赦し、拜して伊飡の金安を上大等と爲らしむ。

 二年、春正月。
 神宮を親祀す。

 夏四月。
 霜降る。

 自五月至秋七月。
 雨(あめふ)らず。
 唐城郡南の河岸に大魚出ずる有り。
 長さ四十步、高さ六尺。

 三年春。
 穀貴く人饑ゆ。
 王遣使して賑救す。

 夏四月。
 敎して隄防を修完せしめ農を勸む。

 四年、秋九月。
 王、羣臣と臨海殿にて會す。
 王族の膺廉は年十五歲、坐に預からむ。
 王は其の志を觀むと欲し、忽として問ひて曰く、
 汝は游學して日有らむや、善人の者と見ゆること無きを得むか、と。
 答へて曰く、
 臣嘗て三人と見え、竊かに以爲らく善行有るなり、と。
 王曰く、
 何如、と。
 曰く、
 一に高門の子弟、其の人に與になるも、自らを先にせずして下に處す。
 一に家の財に富み、侈を以て衣服する可くも、而れども常に麻紵を以て自ら喜ぶ。
 一に勢榮を有し、而れども未だ嘗て其の勢を以て人を加へざる。
 臣の見る所は此の如し、と。
 王之れを聞き默して然りとし、王后と耳語して曰く、
 朕は人と閱すること多きなるも、膺廉の如き者は無し。
 意(こころ)は女を以て之れを妻らせ、顧みて膺廉に謂ひて曰く、
 願はくば郞の自愛せむことを。
 朕に息女有り、之れをして薦枕せしむ。と。
 更に酒を置き飮を同じくし、從容して言ひて曰く、
 吾に二女有り、兄は今年二十歲、弟は十九歲、惟れ郞の娶する所なり。
 膺廉辭して獲ず、起拜して謝し、便ち家に歸り父母に告ぐ。
 父母言へり、
 王の二女の容色なるを聞くも、兄は弟に如かず、若し已むを得ざれば、宜しく其の弟を娶るべし、と。
 然れども尙ほ疑ひ未だ決せず、乃ち興輪寺の僧に問へり。
 僧曰く、
 兄を娶らば則ち三益有り、弟ならば則ち是れに反し、三損有り。
 膺廉乃ち奏ず、
 臣は自決を敢へてせず、惟れ王命に是れ從ふ、と。
 是に於いて、王の長女出降せり。

 五年、春正月。
 王は疾(やまひ)に寢(ふ)して彌留し、左右に謂ひて曰く、
 寡人の不幸、男子無く女有り。
 吾が邦の故事、善德、眞德二女の主有ると雖も、然らば牝雞の晨に近く、法(のっと)る可からざるなり。
 甥の膺廉、年は幼少と雖も、老成の德有り。
 卿等、立てて之れに事へれば、必ず祖宗の令緖を墜さず、則ち寡人死し、且つ朽つることなからむ、と。
 是の月二十九日、薨ず。
 諡して憲安と曰ひ、孔雀趾に葬らる。