景文王

景文王

 景文王が擁立された。
 諱は膺廉(〈膺は一説に凝と書く)、僖康王の孫の啓明阿飡の子である。
 母は光和というが、一説には光義夫人とも伝わる。
 妃は金氏の寧花夫人である。

 元年、三月。
 王、武平門を御した。
 大赦した。

 二年、春正月。
 伊飡の金正を上大等に任命し、阿飡の魏𤦜を侍中に任命した。

 二月。
 王が神宮を親祀した。

 秋七月。
 唐に遣使して方物を貢がせた。

 八月。
 入唐使の阿飡富良等一行の人が溺れ死んだ。

 三年、春二月。
 王が國學に行幸した。
 博士以下に経義を講論させ、物をそれぞれ別に賜った。

 冬十月。
 桃李が花開いた。

 十一月。
 雪が降らなかった。
 寧花夫人の妹を納れ、次妃とした。
 これと別の日、王は興輪寺の僧に質問した。
「師が以前おっしゃられた三益とは何ですか?」
 答えて言った。
「当時、王と王妃は喜んてその言うがままにして、深く寵愛を尽くされました。これが一つ目です。
 これによって、大位を継ぐことができました。これが二つ目です。
 すぐに最初求めていた季女を娶ることができました。これが三つ目です。」
 王は大いに笑った。

 四年、春二月。
 王、感恩寺に行幸して海に望んだ。

 夏四月。
 日本國使が来た。

 五年、夏四月。
 唐の懿宗が太子右諭德御史中丞の胡歸厚を使者に降し、光祿主簿兼監察御史裴光等に副官をさせ、先王を弔祭し、同時に賻贈すること一千匹、王を開府儀同三司檢校太尉持節大都督雞林州諸軍事上柱國新羅王に冊立した。
 これによって、王は官誥一道、旌節一副、錦綵五百匹、衣二副、金銀器七事を賜り、王妃は錦綵五十匹、衣一副、銀器二事を賜り、王太子錦綵四十匹、衣一副、銀器一事を賜り、大宰相は錦綵三十匹、衣一副、銀器一事を賜わり、次宰相は錦綵二十匹、衣一副、銀器一事を賜った。

 六年、春正月。
 王考を懿恭大王、母朴氏光和夫人を光懿王太后、夫人の金氏を文懿王妃に封じた。
 王子の晸を王太子に立てた。

 十五日。
 皇龍寺に行幸して燈を看、そのため讌百寮を賜った。

 冬十月。
 伊飡の允興と弟の叔興、季興が反逆を謀った。
 事は発覚し、岱山郡に逃走した。
 王が追跡を命令し、これを捕獲して斬らせ、三族を皆殺しにした。

 七年、春正月。
 臨海殿を重修した。

 夏五月。
 京都に疫病が起こった。

 秋八月。
 洪水、穀物が実らなかった。

 冬十月。
 使者を出して道を分け撫問させた。

 十二月。
 客星が太白を犯した。

 八年、春正月。
 伊飡の金銳、金鉉たちが、叛を謀って誅に伏した。

 夏六月。
 皇龍寺塔を震わせた。

 秋八月。
 朝元殿を重修した。

 九年、秋七月。
 王子蘇判の金胤等を派遣して唐に入らせ、謝恩を兼ねて馬二匹、麩金一百兩、銀二百兩、牛黃十五兩、人蔘一百斤、大花魚牙錦一十匹、小花魚牙錦一十匹、朝霞錦二十匹、四十升白氎布四十匹、三十升紵衫段四十匹、四尺五寸頭髮百五十兩、三尺五寸頭髮三百兩、金釵頭五色綦帶、並びに班胷各一十條、鷹金鏁鏇子並びに紛鎝紅幍二十副、新樣鷹金鏁鏇子紛鎝五色幍三十副、鷹銀鏁鏇子紛鎝紅幍二十副、新樣鷹銀鏁鏇子紛鎝五色幍三十副、鷂子銀鏁鏇子紛鎝紅幍二十副、新樣鷂子銀鏁鏇子紛鎝五色幍三十副、金花鷹鈴子二百顆、金花鷂鈴子二百顆、金鏤鷹尾筒五十雙、金鏤鷂子尾筒五十雙、銀鏤鷹尾筒五十雙、銀鏤鷂子尾筒五十雙、繫鷹緋纈皮一百雙、繫鷂子緋纈皮一百雙、瑟瑟鈿金針筒三十具、金花銀針筒三十具、針一千五百を進奉させた。
 また学生の李同ら三人を派遣し、進奉使の金胤に随伴させて、唐に入らせて業を習わせた。
 これによって買書の銀三百兩を賜った。

 十年、春二月。
 沙飡の金因を派遣し、唐の宿衛に入らせた。

 夏四月。
 京都で地震が起こった。

 五月。
 王妃が死去した。

 秋七月。
 洪水が起こった。

 冬。
 雪無し。
 国民に疫病にかかる者が多かった。

 十一年、春正月。
 王が有司に命じ、皇龍寺の塔を改造させた。

 二月。
 月上樓を重修した。

 十二年、春二月。
 神宮に親祀した。

 夏四月。
 京師で地震が起こった。

 秋八月。
 国内の州郡で、蝗が穀物を害した。

 十三年、春。
 人民が餓えて、しかも疫病が起こった。王は使者を出して賑救させた。

 秋九月。
 皇龍寺の塔が九層、高さ二十二丈となった。

 十四年、春正月。
 上大等金正が死去した。
 侍中の魏珍を上大等に任命し、藺興を侍中に任命した。

 夏四月。
 唐の僖宗が使者を降して宣諭させた。

 五月。
 伊飡の近宗が宮門で反逆を謀ったが、禁軍を出撃させ、これを破った。
 近宗とその郎党は夜に城を出たが、追いかけて捕獲し、車裂きにした。

 秋九月。
 月正堂を重修した。
 唐にいる崔致遠が科挙に合格した。

 十五年、春二月。
 京都及び国東部で地震が起こった。
 東に星孛が現れ、二十日して消滅した。

 夏五月。
 龍が王宮の井戸に現れ、瞬く間に雲霧四合して飛び去った。

 秋七月八日。
 王が死去した。諡を景文という。

 

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≪白文≫
 景文王立。
 諱膺廉、〈膺、一作凝、僖康王之孫啓明阿飡之子也。
 母曰光和一云光義夫人。
 妃、金氏寧花夫人。

 元年、三月。
 王御武平門。
 大赦。

 二年、春正月。
 以伊飡金正爲上大等、阿飡魏𤦜爲侍中。

 二月。
 王親祀神宮。

 秋七月。
 遣使如唐貢方物。

 八月。
 入唐使阿飡富良等一行人、溺沒。

 三年、春二月。
 王幸國學。
 令博士已下、講論經義、賜物有差。

 冬十月。
 桃李華。

 十一月。
 無雪。
 納寧花夫人弟爲次妃。
 異日、王問興輪寺僧、曰、
 師前所謂三益者何也。
 對曰、
 當時、王及王妃喜其如意、寵愛浸深、一也。
 因此、得繼大位、二也。
 卒得娶嚮所求季女、三也。
 王大笑。

 四年、春二月。
 王幸感恩寺望海。

 夏四月。
 日本國使至。

 五年、夏四月。
 唐懿宗降使太子右諭德御史中丞胡歸厚、使副光祿主簿兼監察御史裴光等、弔祭先王、兼賻贈一千匹、冊立王爲開府儀同三司檢校太尉持節大都督雞林州諸軍事上柱國新羅王。
 仍賜王官誥一道、旌節一副、錦綵五百匹、衣二副、金銀器七事、賜王妃錦綵五十匹、衣一副、銀器二事、賜王太子錦綵四十匹、衣一副、銀器一事、賜大宰相錦綵三十匹、衣一副、銀器一事。
 賜次宰相錦綵二十匹、衣一副、銀器一事。

 六年、春正月。
 封王考爲懿恭大王、母朴氏光和夫人爲光懿王太后、夫人金氏爲文懿王妃。
 立王子晸爲王太子。

 十五日。
 幸皇龍寺看燈、仍賜讌百寮。

 冬十月。
 伊飡允興與弟叔興、季興謀逆。
 事發覺、走岱山郡。
 王命追捕斬之、夷三族。

 七年、春正月。
 重修臨海殿。

 夏五月。
 京都疫。

 秋八月。
 大水、穀不登。

 冬十月。
 發使分道撫問。

 十二月。
 客星犯太白。

 八年、春正月。
 伊飡金銳、金鉉等謀叛、伏誅。

 夏六月。
 震皇龍寺塔。

 秋八月。
 重修朝元殿。

 九年、秋七月。
 遣王子蘇判金胤等入唐、謝恩兼進奉馬二匹、麩金一百兩、銀二百兩、牛黃十五兩、人蔘一百斤、大花魚牙錦一十匹、小花魚牙錦一十匹、朝霞錦二十匹、四十升白氎布四十匹、三十升紵衫段四十匹、四尺五寸頭髮百五十兩、三尺五寸頭髮三百兩、金釵頭五色綦帶、幷班胷各一十條、鷹金鏁鏇子幷紛鎝紅幍二十副、新樣鷹金鏁鏇子紛鎝五色幍三十副、鷹銀鏁鏇子紛鎝紅幍二十副、新樣鷹銀鏁鏇子紛鎝五色幍三十副、鷂子銀鏁鏇子紛鎝紅幍二十副、新樣鷂子銀鏁鏇子紛鎝五色幍三十副、金花鷹鈴子二百顆、金花鷂鈴子二百顆、金鏤鷹尾筒五十雙、金鏤鷂子尾筒五十雙、銀鏤鷹尾筒五十雙、銀鏤鷂子尾筒五十雙、繫鷹緋纈皮一百雙、繫鷂子緋纈皮一百雙、瑟瑟鈿金針筒三十具、金花銀針筒三十具、針一千五百。
 又遣學生李同等三人、隨進奉使金胤、入唐習業。
仍賜買書銀三百兩。

 十年、春二月。
 遣沙飡金因入唐宿衛。

 夏四月。
 京都地震。

 五月。
 王妃卒。

 秋七月。
 大水。

 冬。
 無雪。
 國人多疫。

 十一年、春正月。
 王命有司、改造皇龍寺塔。

 二月。
 重修月上樓。

 十二年、春二月。
 親祀神宮。

 夏四月。
 京師地震。

 秋八月。
 國內州郡、蝗害穀。

 十三年、春。
 民饑且疫、王發使賑救。

 秋九月。
 皇龍寺塔成九層、高二十二丈。

 十四年、春正月。
 上大等金正卒。
 以侍中魏珍爲上大等、藺興爲侍中。

 夏四月。
 唐僖宗降使宣諭。

 五月。
 伊飡近宗謀逆犯闕、出禁軍擊破之。
 近宗與其黨夜出城、追獲之車裂。

 秋九月。
 重修月正堂、崔致遠在唐登科。

 十五年、春二月。
 京都及國東、地震。
 星孛于東、二十日乃滅。

 夏五月。
 龍見王宮井、須臾雲霧四合飛去。

 秋七月八日。
 王薨、諡曰景文。


≪書き下し文≫
 景文王立つ。
 諱は膺廉、〈膺は一に凝と作す、僖康王の孫の啓明阿飡の子なり。
 母は光和と曰ふも、一に光義夫人と云ふ。
 妃は金氏の寧花夫人なり。

 元年、三月。
 王、武平門を御す。
 大赦す。

 二年、春正月。
 以て伊飡の金正を上大等と爲らしめ、阿飡の魏𤦜を侍中と爲らしむ。

 二月。
 王、神宮を親祀す。

 秋七月。
 遣使して唐に如かせ方物を貢がせしむ。

 八月。
 入唐使の阿飡富良等一行の人、溺沒す。

 三年、春二月。
 王、國學に幸(ゆ)く。
 博士已下をして、經義を講論せしめ、物を有差に賜ふ。

 冬十月。
 桃李華(はなひら)く。

 十一月。
 雪無し。
 寧花夫人の弟を納れ次妃と爲す。
 異日、王は興輪寺の僧に問ひて曰く、
 師は前に謂ふ所の三益なる者は何ぞや、と。
 對へて曰く、
 當時、王及び王妃は喜びて其の意の如くし、寵愛浸深す、一なり。
 此に因り、大位を繼ぐを得、二なり。
 卒(すぐ)に嚮に求むる所の季女を娶るを得、三なり、と。
 王大いに笑ふ。

 四年、春二月。
 王、感恩寺に幸(ゆ)き海を望む。

 夏四月。
 日本國使至る。

 五年、夏四月。
 唐の懿宗、使に太子右諭德御史中丞の胡歸厚を降し、光祿主簿兼監察御史裴光等に副せしめ、先王を弔祭せしめ、兼ねて賻贈すること一千匹、王を冊立して開府儀同三司檢校太尉持節大都督雞林州諸軍事上柱國新羅王と爲らしむ。
 仍りて王に官誥一道、旌節一副、錦綵五百匹、衣二副、金銀器七事を賜ひ、王妃に錦綵五十匹、衣一副、銀器二事を賜ひ、王太子錦綵四十匹、衣一副、銀器一事を賜ひ、大宰相に錦綵三十匹、衣一副、銀器一事を賜ひ、次宰相に錦綵二十匹、衣一副、銀器一事を賜ふ。

 六年、春正月。
 封じて王考を懿恭大王と爲らしめ、母朴氏光和夫人を光懿王太后と爲らしめ、夫人の金氏を文懿王妃と爲らしむ。
 王子の晸を立て王太子と爲らしむ。

 十五日。
 皇龍寺に幸(ゆ)き燈を看、仍りて讌百寮を賜ふ。

 冬十月。
 伊飡の允興と弟の叔興、季興、逆を謀る。
 事は發覺し、岱山郡に走る。
 王、命じて追はしめ、捕へせしめて之れを斬らしめ、三族を夷(みなごろし)にせしむ。

 七年、春正月。
 臨海殿を重修す。

 夏五月。
 京都に疫(おこり)あり。

 秋八月。
 大水、穀登らず。

 冬十月。
 使を發して道を分け撫問せしむ。

 十二月。
 客星、太白を犯す。

 八年、春正月。
 伊飡の金銳、金鉉等、叛を謀りて誅に伏す。

 夏六月。
 皇龍寺塔を震はす。

 秋八月。
 朝元殿を重修す。

 九年、秋七月。
 王子蘇判の金胤等を遣り唐に入らせしめ、謝恩に兼ねて馬二匹、麩金一百兩、銀二百兩、牛黃十五兩、人蔘一百斤、大花魚牙錦一十匹、小花魚牙錦一十匹、朝霞錦二十匹、四十升白氎布四十匹、三十升紵衫段四十匹、四尺五寸頭髮百五十兩、三尺五寸頭髮三百兩、金釵頭五色綦帶、幷班胷各一十條、鷹金鏁鏇子幷びに紛鎝紅幍二十副、新樣鷹金鏁鏇子紛鎝五色幍三十副、鷹銀鏁鏇子紛鎝紅幍二十副、新樣鷹銀鏁鏇子紛鎝五色幍三十副、鷂子銀鏁鏇子紛鎝紅幍二十副、新樣鷂子銀鏁鏇子紛鎝五色幍三十副、金花鷹鈴子二百顆、金花鷂鈴子二百顆、金鏤鷹尾筒五十雙、金鏤鷂子尾筒五十雙、銀鏤鷹尾筒五十雙、銀鏤鷂子尾筒五十雙、繫鷹緋纈皮一百雙、繫鷂子緋纈皮一百雙、瑟瑟鈿金針筒三十具、金花銀針筒三十具、針一千五百を進奉せしむ。
 又た學生の李同等三人を遣り、進奉使の金胤に隨はせしめ、唐に入らせ業を習はせしむ。
 仍りて買書銀三百兩を賜ふ。

 十年、春二月。
 沙飡の金因を遣り唐の宿衛に入らせしむ。

 夏四月。
 京都地震。

 五月。
 王妃卒す。

 秋七月。
 大水。

 冬。
 雪無し。
 國人に疫(おこり)多し。

 十一年、春正月。
 王は有司に命じ、皇龍寺の塔を改造す。

 二月。
 月上樓を重修す。

 十二年、春二月。
 神宮に親祀す。

 夏四月。
 京師地震。

 秋八月。
 國內州郡、蝗は穀を害す。

 十三年、春。
 民饑え且つ疫(おこり)、王は使を發して賑救せしむ。

 秋九月。
 皇龍寺の塔、九層、高二十二丈を成す。

 十四年、春正月。
 上大等金正卒す。
 以て侍中の魏珍を上大等に爲しめ、藺興を侍中と爲しむ。

 夏四月。
 唐僖宗、使を降して宣諭せしむ。

 五月。
 伊飡の近宗、闕に逆犯することを謀り、禁軍を出し之れを擊破す。
 近宗と其の黨、夜に城を出るも、追ひて之れを獲へて車裂きにす。

 秋九月。
 月正堂を重修す。
 崔致遠、唐に在りて科に登る。

 十五年、春二月。
 京都及び國東、地震。
 東に星孛あり、二十日乃ち滅す。

 夏五月。
 龍、王宮の井に見(あらは)れ、須臾にして雲霧四合して飛び去る。

 秋七月八日。
 王薨じ、諡を景文と曰ふ。