定康王

定康王

 定康王が擁立された。
 諱は晃、景文王の第二子である。

 八月。
 拜して伊飡の俊興を侍中に任命した。
 国西部で旱魃と荒があった。

 二年、春正月。
 百高座を皇龍寺に設け、自ら聴講に行幸した。
 漢州伊飡の金蕘が叛乱し、兵をだしてこれを誅した。

 夏五月。
 王が疾病にかかり、侍中の俊興に言った。
 孤の病はよくなるだろうか。二度と起き上がれないだろう。
 嗣子がいないことは不幸であるが、しかし妹の曼天の資質は明鋭であり、骨法は丈夫に似ている。
 お前たちよ、どうか善德、眞德の古事に倣い、これを立てるがよい。」

 秋七月五日。
 死去した。
 諡を定康とし、菩提寺の東南に葬られた。

 

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≪白文≫
 定康王立。
 諱晃、景文王之第二子也。

 八月。
 拜伊飡俊興爲侍中。
 國西旱且荒。

 二年、春正月。
 設百高座於皇龍寺、親幸聽講。
 漢州伊飡金蕘叛、發兵誅之。

 夏五月。
 王疾病、謂侍中俊興曰、
 孤之病革矣、必不復起。
 不幸無嗣子、然妹曼天資明銳、骨法似丈夫、卿等宜倣善德、眞德古事、立之可也。

 秋七月五日。
 薨。
 諡曰定康、葬菩提寺東南。


≪書き下し文≫
 定康王立つ。
 諱は晃、景文王の第二子なり。

 八月。
 拜そて伊飡の俊興を侍中と爲らしむ。
 國西に旱且つ荒あり。

 二年、春正月。
 百高座を皇龍寺に設け、親ら聽講に(ゆ)く。
 漢州伊飡の金蕘叛き、兵を發ち之れを誅す。

 夏五月。
 王疾病し、侍中の俊興に謂ひて曰く、
 孤の病革(あらた)むるかな、必ず復起せざる。
 不幸にも嗣子無し、然れども妹の曼天の資は明銳、骨法は丈夫に似たり。
 卿等、宜しく善德、眞德の古事に倣ひ、之れを立てる可けむや。

 秋七月五日。
 薨ず。
 諡を定康と曰ひ、菩提寺の東南に葬る。