孝恭王

孝恭王

 孝恭王が擁立された。
 諱は嶢、憲康王の庶子である。
 母は金氏である。
 大赦した。
 文武百官に爵一級を増した。

 二年、春正月。
 尊母の金氏を義明王太后とし、舒弗邯の俊興を上大等に任命し、阿飡の繼康を侍中に任命した。

 秋七月。
 弓裔が浿西道及び漢山州の管內三十城余りを略取し、遂に松岳郡を都にした。
 三年、春三月。
 伊飡の乂謙の娘を納れ、妃とした。

 秋七月。
 北原の賊帥梁吉は、弓裔が自分を裏切るのではないかと忌み嫌い、これを國原等十余りの城主と共に攻めようと謀って非惱城下に進軍したが、梁吉の兵は潰走した。

 四年、冬十月。
 國原、靑州、槐壤の賊帥淸吉、莘萱等が城を挙げて弓裔に投降した。

 五年。
 弓裔が王を称した。

 秋八月。
 後百濟王の甄萱が大耶城を攻めたが下せなかった。
 軍を錦城の南に移して沿辺の部落を奪掠して帰った。

 六年、春三月。
 霜が降った。
 大阿飡の孝宗を侍中に任命した。

 七年。
 弓裔が都を移そうとして、鐵圓、斧壤に到着し、山水を周覽した。

 八年。
 弓裔が百官を設けた。これは新羅の制度に依拠する。(制した官號は新羅の制に因むといえども、多くの異なる点がある。
 国號を摩震、年號を武泰元年とした。
 浿江道十余りの州縣が弓裔に降った。

 九年、春二月。
 星が雨のように降った。

 夏四月。
 霜が降った。

 秋七月。
 弓裔が都を鐵圓に移した。

 八月。
 弓裔が行兵し、我が国の辺邑を侵奪し、そのまま竹嶺の東北まで辿り着いた。
 王は国土が日に日に削られてゆくことを聞いて、甚だ心を患わせた。
 しかしながら力及ばず、諸城主に「慎め。戦に出るな。堅壁を固く守れ」と御命した。

 十年、春正月。
 波珍飡の金成を上大等に任命した。

 三月。
 前に入唐して科挙に及第した金文蔚は、官が工部員外郞沂王府諮議叅軍まで出世し、冊命使として帰国した。

 夏四月から五月まで、雨が降らなかった。

 十一年。
 春夏に雨が降らなかった。
 一善郡以南の十城余りがことごとく甄萱に略取された。

 十二年、春二月。
 星孛が東に現れた。

 三月。
 霜が降った。

 夏四月。
 雨雹が降った。

 十三年、夏六月。
 弓裔が将に兵舡を率いるように命じ、珍島郡を降し、また皐夷島城を破った。

 十四年。
 甄萱は自ら步騎三千を率いて羅州城を包囲し、十日を経ても解除しなかった。
 弓裔は水軍を出し、これを襲擊した。
 甄萱は軍を引いて撤退した。

 十五年、春正月丙戌朔。
 日食があった。
 王が賤妾を嬖り、政事を気にかけなかった。
 大臣の殷影が諫めたが従わなかったので、殷影はその妾を捕まえて殺した。
 弓裔が国號を泰封と改め、年號を水德萬歲とした。

 十六年、夏四月。
 王が死去した。
 諡を孝恭とし、師子寺の北に葬られた。

 

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≪白文≫
 孝恭王立。
 諱嶢、憲康王之庶子。
 母、金氏。
 大赦。
 增文武百官爵一級。

 二年、春正月。
 尊母金氏爲義明王太后、以舒弗邯俊興爲上大等、阿飡繼康爲侍中。
 秋七月、弓裔取浿西道、及漢山州管內三十餘城。
 遂都於松岳郡。
 三年、春三月。
 納伊飡乂謙之女爲妃。

 秋七月。
 北原賊帥梁吉、忌弓裔貳己、與國原等十餘城主、謀攻之。
 進軍於非惱城下。
 梁吉兵潰走。

 四年、冬十月。
 國原、靑州、槐壤賊帥淸吉、莘萱等、擧城投於弓裔。

 五年。
 弓裔稱王。

 秋八月。
 後百濟王甄萱、攻大耶城、不下。
 移軍錦城之南奪掠沿邊部落而歸。

 六年、春三月。
 降霜。
 以大阿飡孝宗爲侍中。

 七年。
 弓裔欲移都、到鐵圓、斧壤、周覽山水。

 八年。
 弓裔設百官、依新羅制。所制官號、雖因羅制、多[4]有異[5]者。
 國號摩震、年號武泰元年。
 浿江道十餘州縣、降於弓裔。

 九年、春二月。
 星隕如雨。

 夏四月。
 降霜。

 秋七月。
 弓裔移都於鐵圓。

 八月。
 弓裔行兵、侵奪我邊邑、以至竹嶺東北。
 王聞疆埸日削、甚患。
 然、力不能禦命諸城主、愼勿出戰、堅壁固守。

 十年、春正月。
 以波珍飡金成爲上大等。

 三月。
 前入唐及第金文蔚、官至工部員外郞沂王府諮議叅軍、充冊命使而還。
 自夏四月至五月、不雨。

 十一年。
 春夏無雨。
 一善郡以南十餘城、盡爲甄萱所取。

 十二年、春二月。
 星孛于東。

 三月。
 隕霜。

 夏四月。
 雨雹。

 十三年、夏六月。
 弓裔命將領兵舡、降珍島郡、又破皐夷島城。

 十四年。
 甄萱躬率步騎三千、圍羅州城、經旬不解。
 弓裔發水軍、襲擊之、萱引軍而退。

 十五年、春正月丙戌朔。
 日有食之。
 王嬖於賤妾、不恤政事。
 大臣殷影諫、不從、影執其妾、殺之。
 弓裔改國號泰封、年號水德萬歲。

 十六年、夏四月。
 王薨。
 諡曰孝恭、葬于師子寺北。



≪書き下し文≫
 孝恭王立つ。
 諱は嶢、憲康王の庶子なり。
 母は金氏なり。
 大赦す。
 文武百官に爵一級を增す。

 二年、春正月。
 尊母の金氏を義明王太后と爲らしめ、以て舒弗邯俊興を上大等と爲らしめ、阿飡の繼康を侍中と爲らしむ。

 秋七月。
 弓裔、浿西道及び漢山州の管內三十餘城を取る。
 遂に松岳郡に都す。
 三年、春三月。
 伊飡の乂謙の女を納れて妃と爲す。

 秋七月。
 北原の賊帥梁吉、弓裔の己に貳(ふたごころ)あらむことを忌み、國原等十餘の城主と之れを攻めむと謀る。
 非惱城下に進軍す。
 梁吉の兵、潰走す。

 四年、冬十月。
 國原、靑州、槐壤の賊帥淸吉、莘萱等、城を擧げて弓裔に投ず。

 五年。
 弓裔、王を稱す。

 秋八月。
 後百濟王の甄萱、大耶城を攻むるも、下せず。
 軍を錦城の南に移して沿邊の部落を奪掠して歸す。

 六年、春三月。
 霜降る。
 以て大阿飡の孝宗を侍中と爲らしむ。

 七年。
 弓裔、都を移さむと欲し、鐵圓、斧壤に到り、山水を周覽す。

 八年。
 弓裔、百官を設く、新羅の制に依る。制する所の官號、羅制に因ると雖も、多く異する者有り。
 國を摩震と號し、年を武泰元年と號す。
 浿江道十餘州縣、弓裔に降る。

 九年、春二月。
 星隕ること雨の如し。

 夏四月。
 霜降る。

 秋七月。
 弓裔、都を鐵圓に移す。

 八月。
 弓裔行兵し、我が邊邑を侵奪し、以て竹嶺の東北に至る。
 王は疆埸の日削るを聞き、甚だ患へり。
 然れども、力能はず諸城主に愼みて戰に出ずること勿れ、堅壁を固く守るべしと禦命す。

 十年、春正月。
 以て波珍飡の金成を上大等と爲らしむ。

 三月。
 前に入唐し及第せる金文蔚、官は工部員外郞沂王府諮議叅軍に至り、冊命使に充たりて還る。
 夏四月より五月に至り、雨(あめふ)らず。

 十一年。
 春夏に雨(あめふること)無し。
 一善郡以南の十餘城、盡く甄萱の取る所と爲る。

 十二年、春二月。
 星孛、東にあり。

 三月。
 霜隕る。

 夏四月。
 雨雹。

 十三年、夏六月。
 弓裔、將に命じて兵舡を領めせしめ、珍島郡を降し、又た皐夷島城を破る。

 十四年。
 甄萱躬(みずか)ら步騎三千を率い、羅州城を圍み、旬を經て解かず。
 弓裔、水軍を發ち、之れを襲擊し、萱は軍を引きて退く。

 十五年、春正月丙戌朔。
 日之れを食する有り。
 王、賤妾を嬖り、政事に恤せず。
 大臣の殷影諫むるも、從はず、影は其の妾を執り、之れを殺す。
 弓裔、國號を泰封と改め、年號を水德萬歲とす。

 十六年、夏四月。
 王薨ず。
 諡を孝恭と曰ひ、師子寺の北に葬らる。