次大王

 次大王、諱は遂成、太祖大王の同母弟である。
 勇壮で威厳はあったが、仁慈は少なかった。
 太祖大王の推讓を受け、即位した。
 時年七十六。

【二年】
[春二月]
 貫那沛者の彌儒を左輔に任命した。
[三月]
 右輔高福章を誅殺した。
 福章は死に臨み嘆いて言った。
「痛ましいことだ。しかし、これは冤罪である。
 私は当時、先朝の近臣として、その賊乱の者を睨んできたが、誰もがそれについて沈黙してきた。
 先君が私の忠告を用いなかったことを恨む。
 ここに至って奴は今、君主の大位に昇り、新たに政治と教育を百姓に示そうとしている。
 しかしながら、不義をもって一人の忠臣を殺そうというのだ。
 不幸にも私は無道の時に自らの人生を重ねてしまった。
 速やかに死ぬに越したことはない。」
 かくして即刻処刑されたが、その言葉は遠近に聞こえ、憤惜しない者はいなかった。

[秋七月]
 左輔の穆度婁は疾を称して隠居した。
 桓那于台支留を左輔に任命し、爵位を与えて大主簿とした。

[冬十月]
 沸流那陽神を中畏大夫に任命し、爵位を与えて于台とした。
 どれも王の故旧である。

[十一月]
 地震が起こった。

【三年】
[夏四月]
 王が人を使わせて太祖大王の元子である莫勤を殺させた。
 その弟莫德は自分にも禍が及ぶことを恐れて、自ら首を吊って死んだ。

 本件について論じよう。
 昔、宋宣公は自らの子、與夷を擁立せず、自身の弟である繆公を擁立した。
 しかし、繆公は小さいことも我慢できず大いなる計画を乱し、これによって代を重ねて禍乱を残した。
 ゆえにこの件は春秋で大いに処断されている。
 今回、太祖王は義を知らなかった。
 君主という大位を軽んじ、不仁の弟に王位を授け、その禍は一人の忠臣と二人の愛子に及んだ。
 歎息を禁じ得ない。

[秋七月]
 王が平儒原にて狩りをしていると、白狐がそれに従って鳴いた。
 王がそれを射たが当たらなかったので、師巫に問うた。
 それによれば、
「狐は妖獣であり吉祥ではありません。
 白という色は、その中でも特に怪しむべきものです。
 しかしながら、天はその言をわかりやすく伝えているわけではありません。
 ゆえに妖怪をもって示しているものは、人君を恐懼させ、自らの身を省みて修めさせようとし、それによってその人を新(あらた)にさせようとしているのです。
 君主がもし徳を修めれば、禍を転じて福となすこともできるでしょう。
 王は言った。
「凶は凶であり、吉は吉である。
 お前は既にそれを妖と為したのに、それがまた福と為すと言う。
 何を誣(あざむ)こうというのだ?」
 かくして、その師巫を殺した。

【四年】
[夏四月丁卯晦]
 日食。

[五月]
 五星が東方に集った。
 占い師が王の怒りを畏れ、誣告(さざむ)いて言った。
「これは君の徳によるもので、我が国に福が訪れる兆候です。」
 王は喜んだ。

[冬十二月]
 氷無し。

【八年】
[夏六月]
 霜が隕った。
[冬十二月]  雷。
 地震。
 晦。
 客星が月を犯した。

【十三年】
[春二月]
 ほうき星が北斗に現れた。

[夏五月甲戌晦]  日食。

【二十年】
[春正月]
 晦。
 日食。

[三月]
 太祖大王が別宮にて死去した。齢百十九歳である。

[冬十月]
 椽那皀衣の明臨荅夫は人民のことを想うと忍びなくなり、王を弑殺した。
 號を次大王とした。


 三國史記 卷第十五  

 

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 次大王、諱遂成、太祖大王同母弟也。  勇壯有威嚴、小仁慈。  受太祖大王推讓、即位。  時年七十六。  二年、春二月。  拜貫那沛者彌儒爲左輔。  三月。  誅右輔高福章。  福章臨死嘆曰、  痛哉寃乎。  我當時爲先朝近臣、其可見賊亂之人、默然不言哉。  恨先君不用吾言。  以至於此、今君甫陟大位、宜新政敎以示百姓。  而以不義殺一忠臣。  吾與其生於無道之時、不如死之速也。  乃即刑。  遠近聞之、莫不憤惜。  秋七月。  左輔穆度婁稱疾退老。  以桓那于台支留爲左輔、加爵爲大主簿。  冬十月。  沸流那陽神爲中畏大夫、加爵爲于台。  皆王之故舊。  十一月。  地震。  三年、夏四月。  王使人殺太祖大王元子莫勤。  其弟莫德恐禍連及、自縊。  論曰、  昔宋宣公不立其子與夷、而立其弟繆公。  小不忍亂大謀、以致累世之亂。  故春秋大居正。  今太祖王不知義。  輕大位、以授不仁之弟。  禍及一忠臣二愛子、可勝歎耶。  秋七月。  王田于平儒原、白狐隨而鳴。  王射之不中、問於師巫。  曰、  狐者妖獸非吉祥。  白其色、尤可怪也。  然天不能諄諄其言。  故示以妖怪者、欲令人君恐懼修省、以自新也。  君若修德、則可以轉禍爲福。  王曰、  凶則爲凶、吉則爲吉。  爾既以爲妖、又以爲福。  何其誣耶。  遂殺之。  四年、夏四月、丁卯晦。  日有食之。  五月。  五星聚於東方。  日者畏王之怒。  誣告曰、  是君之德也、國之福也。  王喜。  冬十二月。  無氷。  八年、夏六月。  隕霜。  冬十二月。  雷。  地震。  晦。  客星犯月。  十三年、春二月。  星孛于北斗。  夏五月、甲戌晦。  日有食之。  二十年、春正月。  晦。  日有食之。  三月。  太祖大王薨於別宮、年百十九歳。  冬十月。  椽那皀衣明臨荅夫。  因民不忍、弑王。  號爲次大王。  三國史記 卷第十五   次大王、諱は遂成、太祖大王の同母弟なり。  勇壯にして威嚴有るも、仁慈は小なり。  太祖大王の推讓を受け、即位す。  時年七十六。  二年、春二月。  拜して貫那沛者の彌儒を左輔と爲す。  三月。  右輔高福章を誅す。  福章死に臨み嘆いて曰く、  痛ましきかな、寃(ぬれぎぬ)なり。  我當時先朝の近臣を爲し、其の賊亂の人を見る可し。  默然として言はざるかな、先君の吾が言を用ひざるを恨む。  此に至るを以て、今君大位に甫陟し 宜しく新たに政敎を以て百姓に示す。  而るに不義を以て一忠臣を殺し、吾無道の時に其の生を與し、死の速に如かざるなり。  乃ち即刑するに、遠近に之れ聞こえ 憤惜せざるもの莫し。  秋七月。  左輔の穆度婁は疾を稱し退老す。  以て桓那于台支留を左輔と爲し、爵を加へて大主簿と爲す。  冬十月。  沸流那陽神を中畏大夫と爲し、爵を加へて于台と爲す。  皆王の故舊なり。  十一月。  地震。  三年、夏四月。  王人をして太祖大王の元子莫勤を殺す。  其の弟莫德禍の連及するを恐れて、自ら縊す。  論じて曰く、  昔宋宣公其の子與夷を建てず、而りて其の弟繆公を立る。  小は不忍ばず大謀を亂し、以て累世の亂を致す。  故に春秋大いに居正す。  今太祖王は義を知らず。  大位を輕んじ、以て不仁の弟を授け、禍は一忠臣二愛子に及ぶ。  歎ずるに勝る可きか。  秋七月。  王平儒原に田り、白狐隨して鳴く。  王之れを射るも中らず、師巫に問ふ。  曰く、  狐は妖獸にして吉祥に非ず。  白は其の色、尤も怪しむ可きなり。  然れども天は其の言を諄諄とするに能はず。  故に妖怪を以て示すは、人を令して君を恐懼修省せしむるを欲し、以て自ずから新なり。  君若し德を修めれば、則ち以て禍を轉じて福と爲す可し。  王曰く、  凶は則ち凶と爲し、吉は則ち吉と爲す。  爾は既に以て妖を爲す。  又た以て福を爲さば、何ぞ其れ誣か。  遂に之れを殺す。  四年、夏四月、丁卯晦。  日之れを食する有り。  五月。  五星、東方に聚ふ。  日者王の怒を畏る。  誣告げて曰く、  是れ君の德なるに、國の福なり。  王喜。  冬十二月。  氷無し。  八年、夏六月。  霜隕る。  冬十二月。  雷。  地震。  晦。  客星月を犯す。  十三年、春二月。  星孛北斗にあり。  夏五月、甲戌晦。  日之れを食する有り。  二十年、春正月。  晦。  日之れを食する有り。  三月。  太祖大王別宮にて薨ず、年は百十九歳。  冬十月。  椽那皀衣の明臨荅夫、民に因りて忍びなく、王を弑す。  號を次大王と爲す。  三國史記 卷第十五