西川王

西川王

 西川王(あるいは西壤とも)、諱は藥盧(一説には若友)中川王の第二子である。
 性格は物分かりがよく聡明で仁心があり、国民はこれを愛敬した。
 中川王八年、太子に擁立された。
 二十三年、冬十月、王が死去し、太子が即位した。

 二年、春正月。
 西部大使者于漱の娘を王后に擁立した。

 秋七月。
 國相の陰友が死去した。

 九月。
 尚婁を國相に任命した。
 尚婁は陰友の子である。

 冬十二月。
 地震。

 三年、夏四月。
 霜が降り麥を害した。

 六月。
 大旱魃。

 四年、秋七月丁酉朔。
 日食。
 人民が飢えたので倉を開いて振るまった。

 七年、夏四月。
 王新城に行き(新城は国の東北の大鎭であると云われている)狩猟で白鹿を獲た。

 秋八月。
 王が新城からたどり着いた。

 九月。
 神雀が宮庭に集った。

 十一年、冬十月。
 肅愼が侵入し、辺境の人民を虐殺した。
 王が群臣に言った。
「私が眇末な軀であったから、国礎が襲われてしまったのだ。
 德は人を懐かせることもできず、威厳は人の身を震わせることもできない。
 そのために隣国の敵が侵攻し、我が国境をめちゃくちゃにされてしまった。
 謀臣猛将から意見を伺い、それによって敵を叩き潰そうと思う。
 あなたがた群公を諮問し、それぞれが奇謀異略の才を尽くして軍を率いる者を推挙せよ。」
 群臣皆が言った。
「王弟の達賈こそ、勇猛にして智略を備え、大将に相応しいでしょう。」
 こうして王は、達賈を派遣して討伐に向かわせた。
 達賈は奇襲に出て肅愼を急襲し、檀盧城を抜いて、酋長を殺した。
 六百家余りを扶餘南の烏川に遷し、部落六七所を降服させ、それらを属国とした。
 王は大いに悦び、達賈を封じて安國君とし、内政外交軍事の統括と梁貊および肅愼の諸部落の統治を兼務させた。

 十七年、春二月。
 王弟の逸友と素勃の二人が謀叛をたくらんでいた。
 しかし、詐病して溫湯に往き、徒党と一緒に節操もなく遊び戯れていた際、悖逆の意思があることをポロリと口にしてしまった。
 王はそれを呼びだし、許したと偽って互いに敬拝したが、その瞬間に隙を突いて力士に誅させた。

 十九年、夏四月。
 王新城に行幸した。
 海谷太守が鯨魚の目を献上した。
 夜に光る。

 秋八月。
 王が東で狩をし、白鹿を獲た。

 九月。
 地震。

 冬十一月。
 王が新城からたどり着いた。

 二十三年。
 王が死去した。
 西川の原に葬られ、號して曰く西川王、と。

 

 

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≪白文≫
 西川王、或云西壤、諱藥盧、一云若友、中川王第二子。
 性聰悟而仁、國人愛敬之。
 中川王八年、立為太子。
 二十三年、冬十月、王薨、太子卽位。

 二年、春正月。
 立西部大使者于漱之女、為王后。

 秋七月。
 國相陰友卒。

 九月。
 以尚婁為國相。
 尚婁、陰友子也。

 冬十二月。
 地震。

 三年、夏四月。
 隕霜害麥。

 六月。
 大旱。

 四年、秋七月丁酉朔。
 日有食之。
 民饑、發倉賑之。

 七年、夏四月。
 王如新城、或云、新城、國之東北大鎭也、獵獲白鹿。

 秋八月。
 王至自新城。

 九月。
 神雀集宮庭。

 十一年、冬十月。
 肅愼來侵、屠害邊氓。
 王謂群臣曰、
 寡人以眇末[6]之軀、謬襲邦基、德不能綏、威不能震、致此鄰敵、猾我疆域。
 思得謀臣猛將、以折遐衝、咨爾群公、各擧奇謀異略才堪將帥者。
 群臣皆曰、
 王弟達賈、勇而有智略、堪為大將。
 王於是、遣達賈往伐之。
 達賈出奇掩擊、拔檀盧城、殺酋長、遷六百餘家於扶餘南烏川、降部落六七所、以為附庸。
 王大悅、封達賈為安國君、知內外兵馬事、兼統梁貊、肅愼諸部落。

 十七年、春二月。
 王弟逸友、素勃等二人、謀叛、詐稱病、往溫湯、與黨類、戱樂無節、出言悖逆。
 王召之、僞許拜相、及其至、令力士執而誅之。

 十九年、夏四月。
 王幸新城。
 海谷太守獻鯨魚目、夜有光。

 秋八月、王東狩、獲白鹿。

 九月。
 地震。

 冬十一月。
 王至自新城。

 二十三年。
 王薨。
 葬於西川之原、號曰西川王。



≪書き下し文≫
 西川王、或(あるいは)云く西壤、諱は藥盧、一に云く若友、中川王の第二子なり。
 性は聰悟にして仁、國人之れを愛敬す。
 中川王八年、立ちて太子と為る。
 二十三年、冬十月、王薨じ、太子卽位す。

 二年、春正月。
 西部大使者于漱の女を立て、王后と為す。

 秋七月。
 國相の陰友卒す。

 九月。
 以て尚婁を國相と為す。
 尚婁、陰友の子なり。

 冬十二月。
 地震。

 三年、夏四月。
 霜隕り麥を害す。

 六月。
 大旱。

 四年、秋七月丁酉朔。
 日之れを食す有り。
 民饑ゆ、倉を發して之れを賑(にぎわ)す。

 七年、夏四月。
 王新城に如き、或(あるいは)云く、新城、國の東北の大鎭なり、白鹿を獵獲す。

 秋八月。
 王新城より至る。

 九月。
 神雀宮庭に集る。

 十一年、冬十月。
 肅愼侵に來たり、邊氓を屠害す。
 王群臣に謂ひて曰く、
 寡人眇末の軀を以て、謬(あやま)りて邦基を襲ふ。
 德は綏んずるに能はず、威は震はするに能はず、此れ鄰敵を致し、我が疆域を猾(みだ)す。
 謀臣猛將に思得(おもいえ)て、以て遐衝を折る。
 爾(なんじ)群公を咨(はか)り、各(おのおの)奇謀異略の才堪にして帥を將いる者を擧げよ。
 群臣皆曰く、
 王弟達賈、勇にして智略有り、大將を為すに堪える。
 王は是に於いて、達賈を遣りて之れを伐しに往かせしむ。
 達賈奇に出でて掩擊し、檀盧城を拔き、酋長を殺し、六百餘家を扶餘南烏川に遷し、部落六七所を降し、以て附庸を為す。
 王大いに悅び、達賈を封じて安國君と為し、內外兵馬の事を知り、梁貊、肅愼諸部落を統べるを兼ねる。

 十七年、春二月。
 王弟の逸友、素勃等二人、叛を謀り、詐きて病と稱し、溫湯に往き、黨類と與(くみ)し、戱樂無節、悖逆を出言す。
 王之れを召し、僞りて許し相ひを拜し、其れに及びに至り、力士をして執らせて之れを誅す。

 十九年、夏四月。
 王新城に幸(ゆ)く。
 海谷太守鯨魚目を獻ず。
 夜に光有り。

 秋八月。
 王東に狩り、白鹿を獲。

 九月。
 地震。

 冬十一月。
 王新城より至る。

 二十三年。
 王薨ず。
 西川の原に葬られ、號して曰く西川王。