烽上王

烽上王

 烽上王(一説には雉葛)諱は相夫(あるいは歃矢婁とも)、西川王の太子である。
 幼い頃から傲慢で逸脱が多く猜疑心が強かった。
 西川王二十三年、前王が死去し、太子が即位した。

 元年、春三月。
 安國君達賈が殺された。
 達賈は王の諸父であり、功業が大いにあった。
 百姓に羨望され、ゆえにこれ謀殺は謀殺ではないかと疑わしい。
 国民は言った。
「安國君がいなければ、人民は梁貊、肅愼の難を逃れることができなかっただろう。
 今あの方に死なれたら、誰がその役割を果たせるというのか。」
 涙を散らして弔い合わない人はいなかった。

 秋九月。
 地震。

 二年、秋八月。
 慕容廆が侵攻してきた。
 王は新城に往って賊を避けようと鵠林までたどり着いたが、慕容廆は王が外出したと気づき、軍を引き連れて追いかけた。
 追いつかれそうになって、王が恐懼したその時、新城宰北部の小兄高奴子が五百騎を統率して王を迎えた。  賊にあたって奮擊し、慕容廆軍は敗退した。
 王喜び、高奴子に爵位を加え大兄とし、同時に鵠林を賜って食邑とさせた。

 九月。
 王はその弟咄固に異心があると言い、死を賜った。
 国民は咄固が無罪であることをもって哀慟した。
 咄固の子である乙弗を救出し、野に逃がした。
 三年、秋九月。
 國相の尚婁が死去した。
 よって南部大使者倉助利を國相に任命し、爵を勧めて大主簿とした。

 五年、秋八月。
 慕容廆が侵攻し、故國原にまでたどり着いた。
 西川王の墓を見つけて、人にそれを調べさせ、その役にあたった者には死体を暴く者まであった。
 しかし、墓の中から楽声が聞こえてきたということで、神がいるのではないかと恐れて撤退した。
 王が群臣に言った。
 慕容氏の兵馬は精強で、いつも我が国境を侵犯している。
 どうすればよいだろうか。
 國相の倉助利が答えた。
「北部大兄高奴子が賢明かつ勇猛です。
 大王がもし寇から護り人民を安じようとするのならば、高奴子に以外に用いるべき者はおりません。
 こうして王は高奴子を新城太守に任命した。
 善政を敷き、威勢と人望があったので、慕容廆は二度と寇に来ることはなかった。

 七年、秋九月。
 霜雹が穀物を食べられなくして、人民が餓えた。

 冬十月。
 王が宮室を増営し、すこぶる贅沢華麗を極めた。
 人民が餓えて困窮したので、群臣は何度も王を諫めたが、従わなかった。

 十月。
 王が乙弗を捜索させ、それを殺させようとしたが、失敗した。

 八年、秋九月。
 鬼が烽山で哭いた。
 客星が月を犯した。

 冬十二月。
 雷、地震。

 九年、春正月。
 地震。
 二月から秋七月まで雨が降らず、その年は飢饉となり、人民が互いを食い合った。

 八月。
 王が国内の男女年十五以上を徴発し、宮室を修理した。
 人民は食べ物が窮乏し、労役に困り果て、これによって多くが流亡した。
 倉助利が諫めた。
「天災が何度も重なったので、今年は穀物が実りませんでした。
 黎民は居場所を失い、壮年の者たちも四方に流離し、老幼の者たちはドブに死体を浮かべています。
 本当に天を畏敬し、人民を憂うのならば、わが身を改めるべき時ではないかと恐懼するものです。
 大王はこれまでそんなことなど考えず、飢餓にある人を駆り出し、木石の労役によって人民を困らせ、甚だ人民の父母たる国王の責務と乖離します。
 強硬な敵が隣に並んでいる現状では、言うまでもないことでしょう。
 もし我が国の疲弊に乗じて連中が攻め込んでくれば、社稷生民はどうすればいいと言うのでしょうか。
 願わくば大王、熟計なさってください。」
 王は憤怒した。
「君主とは百姓に羨望される存在だ。
 それならば宮室が荘厳美麗でなれば、どうやって威重を示せというのだ。
 今、つまり國相は私を誹謗することで、百姓からの評判を落とさせようとしているのだな。
 助利が言った。
 君主が人民に恩恵を与えないのは、仁ではない。
 臣下が君主を諫めないのは、忠ではない。
 ありがたくも私は既に國相という部不相応に高い地位に任命されております。
 それでも私は敢えて沈黙をしていないのです。
 王の名誉を傷つけることが目的であるはずがありますか。
 王は笑って言った。
「國相は百姓のために死にたいのか?
 どうかそんなことは二度と言わないでくれ。」
 助利は王が悪事を改める気がなく、しかも自分に害が及ぶことを恐れているのだと気付いた。
 群臣と退いて同じく謀り、それを廢し、乙弗を迎えて王とした。
 王は自分が許されることはないと気付いて自殺し、二人の子もこれに従って死んだ。
 烽山の原に葬られ、號して曰く烽上王、と。

 

 

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≪白文≫

 烽上王、一云雉葛、諱相夫、或云歃矢婁、西川王太子。
 幼驕逸多疑忌。
 西川王二十三年、薨、太子卽位。

 元年、春三月。
 殺安國君達賈。
 王以賈在諸父之行、有大功業、為百姓所瞻望、故疑之謀殺。
 國人曰、
 微安國君、民不能免梁貊、肅愼之難。
 今其死矣、其將焉託。
 無不揮涕相弔。

 秋九月。
 地震。

 二年、秋八月。
 慕容廆來侵。
 王王欲往新城避賊、行至鵠林、慕容廆知王出、引兵追之。
 將及、王懼。
 時、新城宰北部小兄高奴子、領五百騎迎王、逢賊奮擊之、廆軍敗退。
 王喜、加高奴子爵為大兄、兼賜鵠林為食邑。

 九月。
 王謂其弟咄固有異心、賜死。
 國人以咄固無罪哀慟之。
 咄固子乙弗出遯於野。
 三年、秋九月。
 國相尚婁卒。
 以南部大使者倉助利為國相、進爵為大主簿。

 五年、秋八月。
 慕容廆來來侵、至故國原、見西川王墓、使人發之、役者有暴死者、亦聞壙內有樂聲、恐有神乃引退。
 王謂群臣曰、
 慕容氏、兵馬精强、屢犯我疆場、為之奈何。
 國相[8]倉助利對曰、
 北部大兄高奴子、賢且勇。
 大王若欲禦寇安民、非高奴子、無可用者。
 王以高奴子為新城太守。
 善政有威聲、慕容廆不復來寇。

 七年、秋九月。
 霜雹殺穀、民饑。

 冬十月。
 王增營宮室、頗極侈麗、民饑且困、群臣驟諫、不從。

 十月。
 王使人索乙弗、殺之不得。

 八年、秋九月。
 鬼哭于烽山。
 客星犯月。

 冬十二月。
 雷、地震。

 九年、春正月。
 地震。
 自二月至秋七月不雨、年饑、民相食。

 八月。
 王發國內男女年十五已上、修理宮室。
 民乏於食、困於役、因之以流亡。
 倉助利諫曰、
 天災荐、年穀不登、黎民失所、壯者流離四方、老幼轉乎溝壑、此誠畏天憂民、恐懼修省之時也。
 大王曾是不思、驅饑餓之人、困木石之役、甚乖為民父母之意。
 而况比鄰有強梗之敵、若乘吾弊以來、其如社稷生民何。
 願大王熟計之。
 王慍曰、
 君者、百姓之所瞻望也。
 宮室不壯麗、無以示威重。
 今國相蓋欲謗寡人、以干百姓之譽也。
 助利曰、
 君不恤民、非仁也。
 臣不諫君、非忠也。
 臣旣承乏國相、不敢不言。
 豈敢干譽乎。
 王笑曰、
 國相欲為百姓死耶。
 冀無復言。
 助利知王之不悛、且畏及害。
 退與群臣同謀、廢之、迎乙弗為王。
 王知不免、自經、二子亦從而死。
 葬於烽山之原、號曰烽上王。




≪書き下し文≫
 烽上王、一に云く雉葛、諱は相夫、或(あるいは)云く歃矢婁、西川王の太子なり。
 幼くして驕逸多く疑忌す。
 西川王二十三年、薨じ、太子卽位す。

 元年、春三月。
 安國君達賈を殺す。
 王賈を以て諸父の行に在り、大いに功業有り。
 百姓の瞻望する所と為し、故に之れ謀殺を疑ふ。
 國人曰く、
 安國君微(な)かれば、民は梁貊、肅愼の難を免ずること能はず。
 今其れ死なんや、其れ將に焉ぞ託さぬとせむ。
 涕を揮(ち)らして相ひ弔はざる無し。

 秋九月。
 地震。

 二年、秋八月。
 慕容廆侵に來たり。
 王新城に往き賊を避けむと欲し、行きて鵠林に至るも、慕容廆王の出ずるを知り、兵を引きて之れを追へり。
 將に及ばんとして、王懼る。
 時、新城宰北部小兄高奴子、五百騎を領(おさ)めて王を迎へ、賊に逢ひ之れを奮擊し、廆軍敗退す。
 王喜び、高奴子に爵を加へ大兄と為し、鵠林を賜ひ食邑と為すを兼ねる。

 九月。
 王其の弟咄固に異心有りと謂ひ、死を賜る。
 國人は咄固の無罪を以て之れを哀慟す。
 咄固子乙弗出でて野に遯(に)ぐる。
 三年、秋九月。
 國相尚婁卒す。
 以て南部大使者倉助利を國相と為し、爵を進め大主簿と為す。

 五年、秋八月。
 慕容廆侵に來たり、故國原に至る。
 西川王の墓を見、人をして之れを發し、役者に死者を暴く有り、亦た壙內に樂聲有るを聞き、神有るを恐れて乃ち引き退す。
 王群臣に謂ひて曰く、
 慕容氏、兵馬は精强、屢(しばしば)我が疆場を犯す、之れを為すは奈何。
 國相倉助利對へて曰く、
 北部大兄高奴子、賢且つ勇なり。
 大王若し寇を禦し民を安ずるを欲さば、高奴子に非ずして用ふ可き者無し。
 王以て高奴子を新城太守と為す。
 善政に威聲有り、慕容廆復た寇に來たることなし。

 七年、秋九月。
 霜雹穀を殺ぎ、民饑ゆ。

 冬十月。
 王宮室を增營し、頗る侈麗を極め、民饑え且つ困り、群臣驟(しばしば)諫むるも、從はず。

 十月。
 王人をして乙弗を索させ、之れを殺させしむるも得ず。

 八年、秋九月。
 鬼烽山に哭く。
 客星、月を犯す。

 冬十二月。
 雷、地震。

 九年、春正月。
 地震。
 二月より秋七月に至り雨らず、年饑え、民相ひ食む。

 八月。
 王國內の男女年十五已上を發し、宮室を修理す。
 民食に乏しく、役に困り、之れに因りて以て流亡す。
 倉助利諫めて曰く、
 天災荐(かさ)なり、年に穀登らず、黎民所を失し、壯者は四方に流離し、老幼は溝壑に轉ぶ。
 此れ誠に天を畏れ民を憂へば、修省の時を恐懼するなり。
 大王曾て是れ思はず、饑餓の人を驅り、木石の役に困り、甚だ民の父母を為す意に乖る。
 而るに况や鄰に強梗の敵有りて比ばむや。
 若し吾が弊に乘じて以て來たれば、其れ社稷生民は如何。
 願はくば大王、之れを熟計せよ、と。
 王慍(いきどほ)りて曰く、
 君は、百姓の瞻望する所なり。
 宮室壯麗ならざれば、以て威重を示すこと無し。
 今國相蓋し寡人を謗らむと欲し、以て百姓の譽(ほまれ)を干(おか)すなり。
 助利曰く、
 君が民を恤せざるは、仁に非ざるなり。
 臣は君を諫めざれば、忠に非ざるなり。
 臣は旣に國相を承乏し、敢へて言わざることなかれば、豈に敢へて譽(ほまれを)干(おか)さんか。
 王笑ひて曰く、
 國相百姓の為に死せるを欲すか。
 復言無かれと冀(こひねが)ふ。
 助利は王の不悛、且つ害の及ぶこと畏るを知る。
 群臣と退き同じく謀り、之れを廢し、乙弗を迎へて王と為せり。
 王は免ざることを知り、自經し、二子も亦た從ひて死す。
 烽山の原に葬られ、號して曰く烽上王、と。