小獸林王

小獸林王

 小獸林王(一説には小解朱留王)諱は丘夫諱丘夫、故國原王の子である。
 身長は大きく非凡な謀略があった。
 故國原王二十五年、太子に擁立された。
 四十一年、王が死去し、太子が即位した。

 二年、夏六月。
 秦王苻堅が遣使して浮屠順道を連れ、佛像と經文を送った。
 王は遣使して感謝に廻り、方物を貢いだ。
 大學を立て、子弟を教育した。

 三年。
 初の律令が公布された。

 四年。
 僧の阿道が来た。

 五年、春二月。
 初めて省門寺を創設し、そこに順道を配置した。
 また伊弗蘭寺を創設し、そこには阿道を配置した。
 これが海東仏法の始まりである。

 秋七月。
 百濟の水谷城を攻撃した。

 六年、冬十一月。
 百濟の北鄙に侵攻した。

 七年、冬十月。
 雪が降らず、雷が起こり、人民に疫病が蔓延した。
 百濟が兵三万を率いて、平壤城に侵攻した。

 十一月。
 百濟に南伐した。
 遣使して苻秦に入り朝貢した。

 八年。
 旱魃で人民が植え、互いの肉を食い合った。

 秋九月。
 契丹が国教北部を侵犯し、八箇所の部落を陥落させた。

 十三年、秋九月。
 星孛が西北に現れた。

 十四年、冬十一月。
 王が死去した。
 小獸林に葬られ、小獸林王と號された。

 

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≪白文≫
 小獸林王、一云小解朱留王、諱丘夫諱丘夫、故國原王之子也。
 身長大有雄略。
 故國原王二十五年、立為太子。
 四十一年、王薨、太子卽位。

 二年、夏六月。
 秦王苻堅、遣使及浮屠順道、送佛像、經文。
 王遣使廻謝、以貢方物。
 立大學、敎育子弟。

 三年。
 始頒律令。

 四年。
 僧阿道來。
 五年、春二月。
 始創省門寺、以置順道。
 又創伊弗蘭寺、以置阿道。
 此海東佛法之始。

 秋七月。
 攻百濟水谷城。

 六年、冬十一月。
 侵百濟北鄙。

 七年、冬十月。
 無雪、雷、民疫。
 百濟將兵三萬、來侵平壤城。

 十一月。
 南伐百濟。
 遣使入苻[7]秦朝貢。

 八年、旱、民饑相食。

 秋九月。
 契丹犯北邊、陷八部落。

 十三年、秋九月。
 星孛于西北。

 十四年、冬十一月。
 王薨。
 葬於小獸林、號為小獸林王。



≪書き下し文≫
 小獸林王、一に云く小解朱留王、諱は丘夫諱丘夫、故國原王の子なり。
 身長は大きく雄略有り。
 故國原王二十五年、立ちて太子と為す。
 四十一年、王薨じ、太子卽位す。

 二年、夏六月。
 秦王苻堅、遣使して浮屠順道を及ぼし、佛像、經文を送る。
 王遣使して廻謝し、以て方物を貢ぐ。
 大學を立て、子弟を敎育す。

 三年。
 始めて律令を頒つ。

 四年。
 僧阿道來たり。

 五年、春二月。
 始めて省門寺を創り、以て順道を置く。
 又た伊弗蘭寺を創り、以て阿道を置く。
 此れ海東佛法の始めなり。

 秋七月。
 百濟の水谷城を攻む。

 六年、冬十一月。
 百濟の北鄙を侵す。

 七年、冬十月。
 雪無し、雷、民疫(おこり)あり。
 百濟兵三萬を將い、平壤城を侵しに來たり。

 十一月。
 百濟に南伐す。
 遣使して苻秦に入り朝貢す。

 八年。
 旱、民饑へて相ひ食(ば)む。

 秋九月。
 契丹北邊を犯し、八部落を陷す。

 十三年、秋九月。
 星孛、西北にあり。

 十四年、冬十一月。
 王薨ず。
 小獸林に葬られ、號して小獸林王と為す。