故國壤王

故國壤王

 故國壤王、諱は伊連(あるいは於只支とも)、小獸林王の弟である。
 小獸林王在位十四年、死去したが跡継ぎがおらず、弟の伊連が即位した。

 二年、夏六月。
 王が兵四万を出撃させ、遼東を襲った。
 その前に燕王は帶方の王佐に垂命し、龍城を任せていた。
 王佐は我が軍が遼東を襲撃していると聞き、司馬郝景を派遣して、兵を率いさせて救援に向かわせたが、我が軍がそれを撃ち破り、遂に遼東と玄菟を陥落させ、男女一万口を捕虜にして帰った。

 冬十月。
 燕の慕容農が兵を率いて侵攻し、遼東、玄菟の二郡を取り戻した。
 当初、幽州や冀州からの流民には投降する者が多かったので、慕容農は范陽龐淵を遼東太守に任命し、それらを招いて撫した。

 十二月。
 地震。

 三年、春正月。
 王子の談德を太子に擁立した。

 秋八月。
 王が兵を発して、百濟を南伐した。

 冬十月。
 桃李の花が咲いた。
 牛が馬を生み、その足は八つ、尾は二つであった。

 五年、夏四月。
 大旱魃が起こった。

 秋八月。
 蝗が発生した。

 六年、春。
 人民が餓えて互いの肉を食い合うほどであったので、王は倉を開いて賑給した。

 秋九月。
 百濟が侵攻し、南鄙の部落を略奪して帰った。

 七年、秋九月。
 百濟が達率の眞嘉謨を派遣し、都押城を攻め破り、二百人を捕虜にして帰った。

 八年。
 新羅に遣使して友好を修め、新羅王が姪を遣り實聖を人質とした。

 三月。
 仏法を崇信し福を求めよ、と下教した。
 有司に命じて、國社を立て、宗廟を修めさせた。

 夏五月。
 王が死去した。
 故國壤に葬られ、故國壤王と號した。

 

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≪白文≫
 故國壤王、諱伊連、或云於只支、小獸林王之弟也。
 小獸林王在位十四年、薨、無嗣、弟伊連卽位。

 二年、夏六月。
 王出兵四萬、襲遼東。
 先是、燕王垂命帶方王佐、鎭龍城。
 佐聞我軍襲遼東、遣司馬郝景、將兵救之、我軍擊敗之、遂陷遼東、玄菟、虜男女一萬口而還。

 冬十月。
 燕慕容農將兵來侵、復遼東、玄菟二郡。
 初、幽、冀流民、多來投、農以范陽龐淵、為遼東太守、招撫之。

 十二月。
 地震。

 三年、春正月。
 立王子談德為太子。

 秋八月。
 王發兵、南伐百濟。

 冬十月。
 桃李華。
 牛生馬、八足二尾。

 五年、夏四月。
 大旱。

 秋八月。
 蝗。

 六年、春。
 饑人相食、王發倉賑給。

 秋九月。
 百濟來侵、掠南鄙部落而歸。

 七年、秋九月。
 百濟遣達率眞嘉謨、攻破都押城、虜二百人以歸。

 八年。
 遣使新羅修好、新羅王遣姪實聖為質。

 三月。
 下敎、
 崇信佛法求福。
 命有司、立國社、修宗廟。

 夏五月。
 王薨。
 葬於故國壤、號為故國壤王。



≪書き下し文≫
 故國壤王、諱は伊連、或(あるいは)云く於只支、小獸林王の弟なり。
 小獸林王在位十四年、薨じ、嗣無く、弟の伊連卽位す。

 二年、夏六月。
 王兵四萬を出だし、遼東を襲ふ。
 是れに先じ、燕王帶方の王佐に垂命し、龍城に鎭む。
 佐は我が軍の遼東を襲ふを聞き、司馬郝景を遣り、兵を將いさせて之れを救ふも、我が軍之れを擊敗し、遂に遼東、玄菟を陷し、男女一萬口を虜として還る。

 冬十月。
 燕の慕容農兵を將いて侵に來たり、遼東、玄菟の二郡を復す。
 初め、幽冀の流民、投に來たるもの多く、農は范陽龐淵を以て、遼東太守と為し、之れを招撫す。

 十二月。
 地震。

 三年、春正月。
 王子談德を立て太子と為す。

 秋八月。
 王兵を發し、百濟を南伐す。

 冬十月。
 桃李華(はなひら)く。
 牛馬を生み、足は八つに尾は二つ。

 五年、夏四月。
 大旱。

 秋八月。
 蝗。

 六年、春。
 饑へて人相ひ食(ば)み、王は倉を發して賑給す。

 秋九月。
 百濟侵に來たり、南鄙部落を掠めて歸る。

 七年、秋九月。
 百濟達率の眞嘉謨を遣り、都押城を攻め破り、二百人を虜として以て歸る。

 八年。
 新羅に遣使して好(よしみ)を修め、新羅王姪を遣り實聖を質と為す。

 三月。
 下敎、
 佛法を崇信し福を求む。
 有司に命じ、國社を立てさせ、宗廟を修めせしむ。

 夏五月。
 王薨ず。
 故國壤に葬むられ、號を故國壤王と為す。