≪白文≫
文咨明王、一云明治好王、諱羅雲、長壽王之孫。
父、王子古鄒大加助多、助多早死、長壽王養於宮中、以為太孫。
長壽在位七十九年薨、繼立。
元年、春三月。
魏孝文帝遣使拜王、為使持節都督遼海諸軍事征東將軍領護東夷中郞將遼東郡開國公高句麗王、賜衣冠、服物、車旗之飾。
又詔王遣世子入朝、王辭以疾、遣從叔升千、隨使者詣闕。
夏六月。
遣使入魏朝貢。
秋八月。
遣使入魏朝貢。
冬十月。
遣使入魏朝貢。
二年、冬十月。
地震。
三年、春正月。
遣使入魏朝貢。
二月。
扶餘王及妻孥、以國來降。
秋七月。
我軍與新羅人、戰於薩水之原。
羅人敗、保犬牙城、我兵圍之、百濟遣兵三千、援新羅、我兵引退。
齊帝策王為使持節散騎常侍都督營、平二州征東大將軍樂浪公。
遣使入魏朝貢。
冬十月。
桃李華。
四年、春二月。
遣使入魏朝貢。
大旱。
夏五月。
遣使入魏朝貢。
秋七月。
南巡狩、望海而還。
八月。
遣兵圍百濟雉壤城、百濟請救於新羅。
羅王命將軍德智、率兵來援、我軍退還。
五年。
齊帝進王為車騎將軍。
遣使入齊朝貢。
秋七月。
遣兵攻新羅牛山城、新羅兵出擊泥河上、我軍敗北。
六年、秋八月。
遣兵攻新羅牛山城、取之。
七年、春正月。
立王子興安為太子。
秋七月。
創金剛寺。
八月。
遣使入魏朝貢。
八年。
百濟民饑、二千人來投。
九年、秋八月。
遣使入魏朝貢。
十年、春正月。
遣使入魏朝貢。
冬十二月。
遣使入魏朝貢。
十一年、秋八月。
蝗。
冬十月。
地震、民屋倒墮、有死者。
梁高祖卽位。
夏四月。
進王為車騎大將軍。
冬十一月。
百濟犯境。
十二月。
遣使入魏朝貢。
十二年、冬十一月。
百濟遣達率優永、率兵五千、來侵水谷城。
十三年、夏四月。
遣使入魏朝貢、世宗引見其使芮悉弗於東堂。
悉弗進曰、
小國係誠天極、累葉純誠、地産土毛、無愆王貢。
但黃金出自扶餘、珂則涉羅所産。
扶餘為勿吉所逐、涉羅為百濟所幷、二品所以不登王府、實兩賊是為。
世宗曰、
高句麗世荷上將、專制海外、九夷點虜、悉得征之、甁罄罍恥、誰之咎也。
昔、方貢之愆、責在連率。
卿宜宣朕志於卿主、務盡威懷之略、揃披害羣、輯寧東裔。
使二邑、還復舊墟、土毛無失常貢也。
十五年、秋八月。
王獵於龍山之陽、五日而還。
九月。
遣使入魏朝貢。
冬十一月。
遣將伐百濟、大雪、士卒凍皸而還。
十六年、冬十月。
遣使入魏朝貢。
王遣將高老、興與靺鞨謀、欲攻百濟漢城、進屯於橫岳下、百濟出師逆戰、乃退。
十七年。
梁高祖下詔曰、
高句麗王樂浪郡公某、乃誠款著、貢驛相尋、宜隆秩命、式弘朝典、可撫軍、一作東、大將軍開府儀同三司。
夏五月。
遣使入魏朝貢。
冬十二月。
遣使入魏朝貢。
十八年、夏五月。
遣使入魏朝貢。
十九年、夏閏六月。
遣使入魏朝貢。
冬十一二月。
遣使入魏朝貢。
二十一年、春三月。
遣使入梁朝貢。
夏五月。
遣使入魏朝貢。
秋九月。
侵百濟、陷加弗、圓山二城、虜獲男女一千餘口。
二十二年、春正月。
遣使入魏朝貢。
夏五月。
遣使入魏朝貢。
冬十月。
遣使入魏朝貢。
二十三年、冬十一月。
遣使入魏朝貢。
二十四年、冬十月。
遣使入魏朝貢。
二十五年、夏四月。
遣使入梁朝貢。
二十六年、夏四月。
遣使入魏朝貢。
二十七年、春二月。
遣使入魏朝貢。
三月。
暴風拔木、王宮南門自毁。
夏四月。
遣使入魏朝貢。
五月。
遣使入魏朝貢。
二十八年。
王薨。
號為文咨明王。
魏靈太后擧哀於東堂、遣使策贈車騎大將軍。
時、魏肅宗年十歲、太后臨朝稱制。
≪書き下し文≫
文咨明王、一に云く明治好王、諱は羅雲、長壽王の孫なり。
父は王子古鄒大加の助多なり。
助多は早死にし、長壽王宮中にて養ひ、以て太孫と為す。
長壽在位七十九年薨じ、立を繼ぐ。
元年、春三月。
魏孝文帝遣使して王を拜み、使持節都督遼海諸軍事征東將軍領護東夷中郞將遼東郡開國公高句麗王と為し、衣冠、服物、車旗の飾を賜ふ。
又た詔りて王世子を遣り入朝せしむるも、王辭するに疾を以てし、從叔の升千を遣り、使者に隨ひ闕に詣(いた)らせしむ。
夏六月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
秋八月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
冬十月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
二年、冬十月。
地震。
三年、春正月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
二月。
扶餘王及び妻孥、國を以て降に來たる。
秋七月。
我が軍と新羅人、薩水の原にて戰ふ。
羅人敗れ、犬牙城に保つも、我が兵之れを圍む。
百濟兵三千を遣り、新羅を援(たす)け、我が兵引き退く。
齊帝策して王を使持節散騎常侍都督營、平二州征東大將軍樂浪公と為す。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
冬十月。
桃李の華(はなひら)く。
四年、春二月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
大旱。
夏五月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
秋七月。
南巡して狩り、海を望みて還る。
八月。
兵を遣り百濟雉壤城を圍むも、百濟は救を新羅に請ふ。
羅王將軍德智に命じ、兵を率せしめて援(たすけ)に來たりて、我が軍退き還る。
五年。
齊帝進王為車騎將軍。
遣使して齊に入らせ朝貢す。
秋七月。
兵を遣り新羅牛山城を攻むるも、新羅兵泥河の上(ほとり)に出擊し、我が軍敗北す。
六年、秋八月。
兵を遣り新羅牛山城を攻め、之れを取る。
七年、春正月。
王子興安を立て太子と為す。
秋七月。
金剛寺を創る。
八月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
八年。
百濟の民饑え、二千人投に來たる。
九年、秋八月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
十年、春正月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
冬十二月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
十一年、秋八月。
蝗。
冬十月。
地震、民屋倒墮し、死者有り。
梁高祖卽位す。
夏四月。
王に進めて車騎大將軍と為す。
冬十一月。
百濟境を犯す。
十二月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
十二年、冬十一月。
百濟達率優永を遣り、兵五千を率いせしめ、來たりて水谷城を侵す。
十三年、夏四月。
遣使して魏に入らせ朝貢するも、世宗は東堂に其の使芮悉弗を引きて見(まみ)ゆ。
悉弗進みて曰く、
小國は誠を天に極みに係(かか)げ、累は葉純誠なり。
地は土毛を産み、愆無く王貢ぐ。
但だ黃金は扶餘より出で、珂は則ち涉羅の産ずる所なり。
扶餘は勿吉の逐ふ所と為り、涉羅は百濟の幷す所と為る。
二品の王府に登らざる所以、實は兩賊是れを為せり。
世宗曰く、
高句麗は世上將を荷(にな)ひ、海外を制することを專らとし、九夷の點虜、悉く之れを征するを得る。
甁の罄(つ)くるは罍の恥、誰か之れを咎めんか。
昔、方貢の愆、責は連率に在り。
卿は宜しく朕の志を卿主に宣べ、威懷の略に務め盡し、揃披して羣を害し、東裔を輯寧し、二邑をして舊墟に還復せしめ、土毛に失無く常に貢ぐべし。
十五年、秋八月。
王は龍山の陽にて獵り、五日して還る。
九月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
冬十一月。
將を遣りて百濟を伐たむとするも、大雪、士卒凍皸して還る。
十六年、冬十月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
王將高老を遣り、靺鞨と謀を興し、百濟の漢城を攻むるを欲し、進みて橫岳下に屯(たむろ)するも、百濟師を出して逆戰し、乃ち退く。
十七年。
梁高祖下詔して曰く、
高句麗王樂浪郡公某、誠款を著すに乃(およ)び、貢驛は相ひ尋ね、宜しく秩命を隆し、朝典に式(したが)ひ弘め、撫軍(一に東と作す)大將軍開府儀同三司を可(ゆる)す。
夏五月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
冬十二月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
十八年、夏五月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
十九年、夏閏六月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
冬十一二月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
二十一年、春三月。
遣使して梁に入らせ朝貢す。
夏五月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
秋九月。
百濟を侵し、加弗、圓山の二城を陷し、虜獲すること男女一千餘口。
二十二年、春正月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
夏五月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
冬十月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
二十三年、冬十一月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
二十四年、冬十月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
二十五年、夏四月。
遣使梁に入らせ朝貢す。
二十六年、夏四月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
二十七年、春二月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
三月。
暴風木を拔き、王宮の南門自ら毁る。
夏四月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
五月。
遣使して魏に入らせ朝貢す。
二十八年。
王薨ず。
號して文咨明王と為す。
魏靈太后は東堂に哀を擧げ、遣使して車騎大將軍を策贈す。
時に魏肅宗年十歲、太后朝に臨み制を稱す。