安藏王

安藏王

 安藏王の諱は興安、文咨明王の長子である。
 文咨在位七年、太子に擁立された。
 二十八年、王が死去したので、太子が即位した。

 二年、春正月。
 遣使して梁に入らせ朝貢した。

 二月。
 梁高祖が王を封じて寧東將軍都督營、平二州諸軍事高句麗王とし、遣使者の江法盛に王衣冠劒佩を下賜したが、魏兵が海中にてこれを捕らえ、洛陽に送った。
 魏は王を封じて安東將軍領護東夷校尉遼東郡開國公高句麗王とした。

 秋九月。
 梁に入り朝貢した。

 三年、夏四月。
 王卒本に行幸し、始祖廟を祀った。

 五月。
 王が卒本から到着し、経路にあった州邑の貧乏な者に穀三斛を賜った。

 五年春。
 旱魃があった。

 秋八月。
 兵を派遣して百濟に侵攻した。

 冬十月。
 飢饉が発生したので、倉を發して賑救した。

 十一月。
 遣使して魏に行かせ、良馬十匹を進呈した。

 八年、春三月。
 遣使して梁に入らせ朝貢した。

 九年、冬十一月。
 遣使して梁に如かせ朝貢した。

 十一年、春三月。
 王が黄城の東で狩りをした。

 冬十月。
 王と百濟が五谷にて戦い、これに勝った。  殺害あるいは捕虜とすること二千級余り。

 十三年、夏五月。
 王が死去し、號を安藏王とした。
 これは梁中大通三年、魏普泰元年のことである。
 梁書には、安藏王在位第八年、普通七年に死去したとあるが、誤りである。

 

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≪白文≫
 安藏王、諱興安、文咨明王之長子。
 文咨在位七年、立為太子。
 二十八年、王薨、太子卽位。

 二年、春正月。
 遣使入梁朝貢。

 二月。
 梁高祖封王為寧東將軍都督營、平二州諸軍事高句麗王、遣使者江法盛、賜王衣冠劒佩、魏兵就海中執之、送洛陽。
 魏封王為安東將軍領護東夷校尉遼東郡開國公高句麗王。

 秋九月。
 入梁朝貢。

 三年、夏四月。
 王幸卒本、祀始祖廟。

 五月。
 王至自卒本、所經州邑貧乏者、賜穀三斛。

 五年春。
 旱。

 秋八月。
 遣兵侵百濟。

 冬十月。
 饑、發倉賑救。

 十一月。
 遣使如魏[9]、進良馬十匹。

 八年、春三月。
 遣使入梁朝貢。

 九年、冬十一月。
 遣使如梁朝貢。
 十一年、春三月。
 王畋於黄城之東。

 冬十月。
 王與百濟戰於五谷、克之、殺獲二千餘級。

 十三年、夏五月。
 王薨、號爲安藏王。
 是梁中大通三年、魏普泰元年也。
 梁書云、
 安藏王在位第八年、普通七年卒。
 誤也。



≪書き下し文≫
 安藏王、諱は興安、文咨明王の長子なり。
 文咨在位七年、立ちて太子と為る。
 二十八年、王薨じ、太子卽位す。

 二年、春正月。
 遣使して梁に入らせ朝貢す。

 二月。
 梁高祖王を封じて寧東將軍都督營、平二州諸軍事高句麗王と為し、遣使者江法盛、王衣冠劒佩を賜ひ、魏兵海中に就きて之れを執り、洛陽に送る。
 魏は王を封じて安東將軍領護東夷校尉遼東郡開國公高句麗王と為す。

 秋九月。
 梁に入り朝貢す。

 三年、夏四月。
 王卒本に幸(ゆ)き、始祖廟を祀る。

 五月。
 王卒本より至り、經る所の州邑の貧乏なる者、穀三斛を賜ふ。

 五年春。
 旱。

 秋八月。
 兵を遣り百濟を侵す。

 冬十月。
 饑え、倉を發して賑救す。

 十一月。
 遣使して魏に如かせ、良馬十匹を進む。

 八年、春三月。
 遣使して梁に入らせ朝貢す。

 九年、冬十一月。
 遣使して梁に如かせ朝貢す。
 十一年、春三月。
 王黄城の東に畋(か)る。

 冬十月。
 王と百濟五谷にて戰ひ、之れに克ち、殺獲すること二千餘級。

 十三年、夏五月。
 王薨じ、號して安藏王と爲す。
 是れ梁中大通三年、魏普泰元年なり。
 梁書云く、
 安藏王在位第八年、普通七年卒す。
 誤りなり。