≪白文≫
嬰陽王、一云平陽、諱元、一云大元、平原王長子也。
風神俊爽、以濟世安民自任。
平原王在位七年、立為太子。
三十二年、王薨、太子卽位。
隋文帝遣使拜王、為上開府儀同三司、襲爵遼東郡公、賜衣一襲。
二年、春正月。
遣使入隋、奉表謝恩進奉、因請封王、帝許之。
三月。
策封為高句麗王、仍賜車服。
夏五月。
遣使謝恩。
三年、春正月。
遣使入隋朝貢。
八年、夏五月。
遣使入隋朝貢。
九年、春二月。
王率靺鞨之衆萬餘、侵遼西、營州摠管韋冲撃退之。
隋文帝聞而大怒、命漢王諒、王世積並爲元帥、將水陸三十萬來伐。
夏六月。
帝下詔黜王官爵。
漢王諒軍出臨渝關、値水潦、餽轉不繼、軍中乏食、復遇疾疫。
周羅睺自東泛海、趣平壤城、亦遭風、舡多漂沒。
秋九月。
師還、死者十八九。
王亦恐懼、遣使謝罪、上表稱遼東糞土臣某。
帝於是罷兵、待之如初。
百濟王昌遣使奉表、請為軍導。
帝下詔、
諭以高句麗服罪、朕已赦之、不可致伐。
厚其使而遣之。
王知其事、侵掠百濟之境。
十一年、春正月。
遣使入隋朝貢。
詔、
太學博士李文眞、約古史為新集五卷。
國初始用文字時、有人記事一百卷、名曰留記、至是刪修。
十四年、秋八月。
王遣將軍高勝、攻新羅北漢山城。
羅王率兵、過漢水、城中鼓噪相應。
勝以彼衆我寡、恐不克而退。
十八年。
初、煬帝之幸啓民帳也、我使者在啓民所。
啓民不敢隱、與之見帝。
黃門侍郞裴矩說帝曰、
高句麗本箕子所封之地、漢、晋皆為郡縣。
今乃不臣、別為異域、先帝欲征之久矣。
但楊諒不肖、師出無功。
當陛下之時、安可不取、使冠帶之境、遂為蠻貊之鄕乎。
今其使者、親見啓民擧國從化、可因其恐懼、脅使入朝。
帝從之、勑牛弘宣旨曰、
朕以啓民誠心奉國、故親至其帳、明年當往涿郡。
爾還日語爾王、宜早來朝、勿自疑懼、存育之禮、當如啓民、苟或不朝、將帥啓民、往巡彼土。
王懼、藩禮頗闕、帝將討之。
啓民、突厥可汗也。
夏五月。
遣師攻百濟松山城、不下、移襲石頭城、虜男女三千而還。
十九年、春二月。
命將襲新羅北境、虜獲八千人。
夏四月。
拔新羅牛鳴山城。
二十二年、春二月。
煬帝下詔、討高句麗。
夏四月。
車駕至涿郡之臨朔宮、四方兵皆集涿郡。
二十三年、春正月壬午。
帝下詔曰、
高句麗小醜、迷昏不恭、崇聚渤、碣之間、荐食遼、濊之境。
雖復漢、魏誅戮、巢穴暫傾、亂離多阻、種落還集。
萃川藪於往代、播寔繁以汔今。
睠彼華壤、翦爲夷類、歷年永久、惡稔旣盈。
天道禍淫、亡徵已兆。
亂常敗德、非可勝圖、掩慝懷姦。
唯曰日不足、移告之嚴、未嘗面受、朝覲之禮、莫肯躬親。
誘納亡叛、不知紀極、充斥邊垂、亟勞烽候。
關柝以之不靜、生人為之廢業。
在昔薄伐、已漏天網、旣緩前禽之戮、未卽後服之誅、曾不懷恩、翻爲長惡、乃兼契丹之黨、虔劉海戍、習靺鞨之服、侵軼遼西。
又靑丘之表、咸修職貢、碧海之濱、同稟正朔、遂復敓攘琛賮、遏絶往來。
虐及弗辜、誠而遇禍。
輶車奉使、爰曁海東、旌節所次、途經藩境、而擁塞道路、拒絶王人、無事君之心、豈為臣之禮。
此而可忍、孰不可容。
且法令苛酷、賦斂煩重、强臣豪族、咸執國鈞、朋黨比周、以之成俗。
賄貨如市、寃枉莫申。
重以仍歲災凶、比屋饑饉、兵戈不息、徭役無期、力竭轉輸、身塡溝壑、百姓愁苦。
爰誰適從。
境內哀惶、不勝其弊。
廻首面內、各懷性命之圖、黃髮稚齒、咸興酷毒之歎。
省俗觀風、爰屆幽朔、弔人問罪、無俟再駕。
於是、親摠六師、用申九伐、拯厥阽危。
協從天意、殄玆逋穢、剋嗣先謨。
今宜授律啓行、分麾届路、掩渤海而雷震、歷扶餘以電掃。
比戈按甲誓旅而後行、三先五申、必勝而後戰。
左十二軍、出鏤方、長岑、溟海、蓋馬、建安、南蘇、遼東、玄菟、扶餘、朝鮮、沃沮、樂浪等道。
右十二軍、出黏蟬、含資、渾彌、臨屯、候城、提奚、踏頓、肅愼、碣石、東暆、帶方、襄平等道。
絡繹引途、摠集平壤。
凡一百十三萬三千八百人、號二百萬。
其餽輸者倍之。
宜社於南桑乾水上、類上帝於臨朔宮南、祭馬祖於薊城北。
帝親授節度、每軍上將、亞將各一人、騎兵四十隊。
隊百人、十隊為團。
步卒八十隊、分為四團、團各有偏將一人、其鎧胄、纓拂、旗旛、每團異色。
日遣一軍、相去四十里、連營漸進、終四十日發、乃盡。
首尾相繼、鼓角相聞、旌旗亘九百六十里。
御營內、合十二衛、三臺、五省、九寺、分隸內外、前後、左右六軍、次後發、又亘八十里。
近古出師之盛、未之有也。
二月。
帝御師進至遼水、衆軍摠會、臨水為大陣。
我兵阻水拒守、隋兵不得濟。
帝命工部尚書宇文愷、造浮橋三道於遼水西岸、旣成、引橋趣東岸、短不及岸丈餘。
我兵大至、隋兵驍勇者、爭赴水接戰、我兵乘高擊之、隋兵不得登岸、死者甚衆。
麥鐵杖躍登岸、與錢士雄、孟金叉等、皆戰死、乃斂兵引橋、復就西岸。
更命少府監何稠接橋、二日而成。
諸軍相次繼進、大戰于東岸。
我兵大敗、死者萬計。
諸軍乘勝、進圍遼東城、則漢之襄平城也。
車駕到度遼、下詔赦天下、命刑部尚書衛文昇等、撫遼左之民、給復十年、建置郡縣、以相統攝。
夏五月。
初、隋諸將之東下也、帝戒之曰、
凡軍事進止、皆須奏聞待報、無得專擅。
遼東數出戰不利、乃嬰城固守。
帝命諸軍攻之、又勅諸將、高句麗若降、則宜撫納、不得縱兵。
遼東城將陷、城中人輒言請降、諸將奉旨、不敢赴機、先令馳奏。
比報至、城中守禦亦備、隋隨出拒戰。
如此再三、帝終不悟、旣而城久不下。
六月己未、帝幸遼東城南、觀其城池形勢、因召諸將、詰責之曰、
公等自以官高、又恃家世、欲以暗懦待我邪。
在都之日、公等皆不願我來、恐見病敗耳。
我今來此、正欲觀公等所為、斬公輩爾。
公今畏死、莫肯盡力、謂我不能殺公邪。
諸將咸戰懼失色。
帝因留止城西數里、御六合城、我諸城堅守不下。
左翊衛將軍來護兒、帥江、淮水軍、舳艫數百里、浮海先進入自浿水、去平壤六十里。
與我軍相遇、進擊大破之。
護兒欲乘勝趣其城、副摠管周法尚止之、請俟諸軍至俱進。
護兒不聽、簡精甲數萬、直造城下。
我將伏兵於羅郭內空寺中、出兵與護兒戰、而僞敗。
護兒逐之入城、縱兵俘掠、無復部伍。
伏兵發、護兒大敗、僅而獲免、士卒還者、不過數千人。
我軍追至舡所、周法尚整陣待之、我軍乃退。
護兒引兵還屯海浦、不敢復留應接諸軍。
左翊衛大將軍宇文述、出扶餘道。
右翊衛大將軍于仲文、出樂浪道。
左驍衛大將軍荊元恒、出遼東道。
右翊衛大將軍薛世雄、出沃沮道。
右屯衛將軍辛世雄、出玄菟道。
右禦衛將軍張瑾、出襄平道。
右武侯將軍趙孝才、出碣石道。
涿郡太守檢校左武衛將軍崔弘昇、出遂城道。
檢校右禦衛虎賁郞將衛文昇、出增地道。
皆會於鴨綠水西。
述等兵、自瀘河、懷遠二鎭、人馬皆給百日糧、又給排甲、槍矟并衣資、戎具、火幕、人別三石已上、重莫能勝致。
下令軍中、
遺棄米粟者斬。
士卒皆於幕下、掘坑埋之、纔行及中路糧已將盡。
王遣大臣乙支文德、詣其營詐降、實欲觀虛實。
于仲文先奉密旨、
若遇王及文德來者、必擒之。
仲文將執之、尚書右丞劉士龍、為慰撫使、固止之。
仲文遂聽、文德還、旣而悔之、遣人紿文德曰、
更欲有言、可復來。
文德不顧、濟鴨綠水而去。
仲文與述等、旣失文德、內不自安。
述以糧盡欲還。
仲文議以精銳追文德、可以有功、述固止之。
仲文怒曰、
將軍仗十萬之衆、不能破小賊、何顔以見帝。
且仲文此行、固知無功。
何則、古之良將、能成功者、軍中之事、決在一人。
今人各有心、何以勝敵。
時、帝以仲文有計劃、令諸軍諮稟節度、故有此言。
由是、述等不得已而從之、與諸將、渡水追文德。
文德見述軍士有饑色、故欲疲之、每戰輒走。
述一日之中、七戰皆捷、旣恃驟勝、又逼群議、於是、遂進東濟薩水、去平壤城三十里、因山為營。
文德復遣使詐降、請於述曰、
若旋師者、當奉王、朝行在所。
述見士卒疲弊、不可復戰、又平壤城險固、度難猝拔、遂因其詐而還。
述等為方陣而行、我軍四面鈔撃、述等且戰且行。
秋七月。
至薩水、軍半濟、我軍自後擊其後軍、右屯衛將軍辛世雄戰死。
於是、諸軍俱潰、不可禁止。
將士奔還、一日一夜、至鴨綠水、行四百五十里。
將軍天水王仁恭為殿、擊我軍却之。
來護兒聞述等敗、亦引還。
唯衛文昇一軍獨全。
初、九軍到度遼、凡三十萬五千、及還至遼東城、唯二千七百人、資儲器械巨萬計、失亡蕩盡。
帝大怒、鎖繋述等、癸卯引還。
初、百濟王璋遣使、請討高句麗。
帝使之覘我動靜、璋內與我潛通。
隋軍將出、璋使其臣國智牟、入隋請師期。
帝大悅、厚加賞賜、遣尚書起部郞席律、詣百濟、告以期會。
及隋軍渡遼、百濟亦嚴兵境上、聲言助隋、實持兩端。
是行也、唯於遼水西、拔我武厲邏、置遼東郡及通定鎭而已。
二十四年、春正月。
帝詔徵天下兵、集涿郡、募民為驍果、修遼東古城、以貯軍糧。
二月。
帝謂侍臣曰、
高句麗小虜、侮慢上國。
今、拔海移山、猶望克果、况此虜乎。
乃復議代伐。
左光祿大夫郭榮諫曰、
戎狄失禮、臣下之事。
千鈞之弩、不為鼷鼠發機。
奈何親辱萬乘、以敵小寇乎。
帝不聽。
夏四月。
車駕度遼、遣宇文述與楊義臣、趣平壤。
王仁恭出扶餘道、進軍至新城。
我兵數萬拒戰、仁恭帥勁騎一千、擊破之。
我軍嬰城固守。
帝命諸將攻遼東、聽以便宜從事。
飛樓橦、雲梯、地道、四面俱進、晝夜不息。
我應變拒之、二十餘日不拔。
主客死者甚衆。
衝梯竿長十五丈、驍果沈光升其端、臨城與我軍戰、短兵接殺十數人。
我軍競擊之、而墜未及地、適遇竿有垂絙、光接而復上。
帝望見壯之、卽拜朝散大夫。
遼東城久不下、帝遣造布囊百餘萬口、滿貯士土、欲積為魚梁大道、闊三十步、高與城齊、使戰士登而攻之。
又作八輪樓車、高出於城、夾魚梁道、欲俯射城內。
指期將攻、城內危蹙。
會、楊玄感叛書至、帝大懼。
又聞達官子弟皆在玄感所、益憂之。
兵部侍郞斛斯政、素與玄感善、內不自安、來奔。
帝夜密召諸將、使引軍還。
軍資器械攻具、積如丘山、營壘帳幕、案堵不動、衆心恟懼、無復部分、諸道分散。
我軍卽時覺之、然不敢出、但於城內鼓噪。
至來日午時、方漸出外、猶疑隋軍詐之。
經二日、乃出數千兵追躡、畏隋軍之衆、不敢逼、常相去八九十里。
將至遼水、知御營畢度、乃敢逼後軍。
時、後軍猶數萬人、我軍隨而鈔撃、殺略數千人。
二十五年、春二月。
帝詔百寮、議伐高句麗、數日無敢言者。
詔復徵天下兵、百道俱進。
秋七月。
車駕次懷遠鎭。
時、天下已亂、所徵兵多失期不至、吾國亦困弊。
來護兒至卑奢城、我兵逆戰。
護兒擊克之、將趣平壤。
王懼、遣使乞降、因囚送斛斯政。
帝大悅、遣使持節、召護兒還。
八月。
帝自懷遠鎭班師。
冬十月。
帝還西京、以我使者及斛斯政、告大廟、仍徵王入朝、王竟不從。
勅將帥嚴裝、更圖後擧、竟不果行。
二十九年、秋九月。
王薨、號曰嬰陽王。
≪書き下し文≫
嬰陽王、一に云く平陽、諱は元、一に云く大元、平原王の長子なり。
風神俊爽、世を濟(すく)ひ民を安ぐを以て自ら任ず。
平原王在位七年、立ちて太子と為す。
三十二年、王薨じ、太子卽位す。
隋文帝遣使して王を拜し、上開府儀同三司、襲爵遼東郡公と為し、衣一襲を賜ふ。
二年、春正月。
遣使して隋に入らせ、表を奉りて謝恩し、進奉して因りて王に封ぜむことを請ひ、帝之れを許す。
三月。
策封して高句麗王と為し、仍ち車服を賜ふ。
夏五月。
遣使して謝恩す。
三年、春正月。
遣使して隋に入らせ朝貢す。
八年、夏五月。
遣使して隋に入らせ朝貢す。
九年、春二月。
王靺鞨の衆萬餘を率い、遼西、營州を侵するも、摠管韋冲撃ちて之れを退く。
隋文帝聞きて大いに怒り、漢王諒、王世積に命じて並びに元帥と爲し、將に水陸三十萬伐ちに來たる。
夏六月。
帝詔を下して王の官爵を黜(しりぞ)く。
漢王諒軍出でて渝關に臨むも、水潦に値(あ)ひ、餽轉繼がず、軍中に食乏しく、疾疫に遇ふに復す。
周羅睺自ら東へ海を泛(わた)り、平壤城に趣くも、亦た風に遭ひ、舡(ふね)漂沒すること多し。
秋九月。
師還り、死者十八九。
王亦た恐懼し、遣使して謝罪し、上表して遼東糞土臣某を稱す。
帝は是に於いて兵を罷(や)め、之れを待ちて初めの如しとす。
百濟王昌遣使して表を奉り、軍導を為さむと請ふ。
帝詔を下す、
諭して以て高句麗罪に服し、朕已(すで)に之れを赦し、伐を致す可からず。
其の使を厚くして之れを遣る。
王其の事を知り、百濟の境を侵掠す。
十一年、春正月。
遣使して隋に入らせ朝貢す。
詔、
太學博士李文眞、古史を約して新集五卷を為せ。
國初めて文字を用ふるを始むる時、人の事を一百卷記すこと有り、名づけて曰く留記、是に至り刪修す。
十四年、秋八月。
王將軍高勝を遣り、新羅北漢山城を攻む。
羅王兵を率い、漢水を過ぎ、城中鼓噪して相ひ應ず。
勝は彼は衆(おお)く我は寡(すくな)しを以て、恐れて克たずして退く。
十八年。
初め、煬帝の啓民の帳に幸(ゆ)くや、我が使者啓民の所に在り。
啓民隱すことを敢へてせず、之れと與(とも)に帝に見(まみ)ゆ。
黃門侍郞裴矩帝に說きて曰く、
高句麗は本(もともと)箕子の之れを封ずる所の地、漢晋皆郡縣と為す。
今乃ち臣にあらず、別れて異域と為し、先帝之れを征さむと欲すること久しきかな。
但だ楊諒不肖にして、師出でて功無し。
陛下の時に當たり、安ぞ取らざるを可とせむ。
冠帶の境をして、遂に蠻貊(えびす)の鄕(さと)為(た)らしむ。
今其の使者、親(みずか)ら啓民と見(まみ)えて國を擧げて化に從ふ、其の恐懼に因り、使を脅して入朝せしむ可し。
帝之れに從ひ、牛弘に勑して旨を宣(の)べて曰く、
朕は啓民の誠心奉國を以てし、故に親(みずか)ら其の帳に至り、明年當(まさ)に涿郡に往かむとす。
爾は還日、爾の王に語れ。
宜しく早く來朝すべし、自ら疑ひ懼るること勿れ。
存育の禮、當に啓民の如し。
苟(いやしく)も或いは朝ざれば、啓民を將帥し、彼の土に往巡せしむ、と。
王懼れ、藩禮頗る闕(か)く。
帝將に之れを討たむとす。
啓民、突厥可汗なり。
夏五月。
師を遣り百濟の松山城を攻むるも、下せず、移りて石頭城を襲ひ、男女三千を虜にして還る。
十九年、春二月。
將に命じて新羅の北境を襲ひ、虜獲すること八千人。
夏四月。
新羅の牛鳴山城を拔く。
二十二年、春二月。
煬帝詔を下し、高句麗を討たせしむ。
夏四月。
車駕、涿郡の臨朔宮に至り、四方兵皆涿郡に集まる。
二十三年、春正月壬午。
帝詔を下して曰く、
高句麗小醜、迷昏にして恭(した)はず、渤碣の間に崇聚し、遼濊の境に荐食す。
復(ふたた)び漢魏誅戮し、巢穴暫し傾き、亂れ離れ阻むこと多しと雖も、種落ちて還り集ふ。
往代に川藪に萃(つど)ひ、寔(こ)れを播(まきちら)して繁(しげ)り以て今を汔(つ)くす。
彼の華壤を睠(かえりみ)て、翦(た)ちて夷類と爲すは、歷年永久、惡稔(みの)りて旣に盈(み)つる。
天道の禍淫、亡(ほろび)の徵(しるし)は已に兆す。
常を亂して德を敗り、圖に勝へる可きに非ざれども、慝(よこしま)を掩(おお)ひ姦(よこしま)に懷く。
唯だ日の不足と曰ひ、移告の嚴、未だ嘗て面受せず、朝覲の禮、躬に親(みずか)ら肯ふこと莫し。
亡叛を誘ひ納(い)れ、紀極(かぎり)を知らず、邊垂(くにのはて)に充斥(みちあふ)れ、亟(しばしば)烽候に勞(つと)める。
關柝之れを以て靜ならず、生人之の為に廢業す。
昔に薄伐在るも、已に天網に漏れ、旣に前禽の戮を緩め、未だ後服の誅に卽せず、曾(かつ)て恩に懷かず、翻りて長惡を爲し、契丹の黨と兼ねるに乃(およ)び、海戍を虔劉し、靺鞨の服に習ひ、遼西を侵軼す。
又た靑丘の表、咸()く職貢を修め、碧海の濱、正朔を同じく稟け、遂に復た琛賮を敓攘し、往來を遏絶す。
虐すること辜(つみ)弗(な)きに及び、誠にして禍に遇ふ。
輶車奉使、爰(ここ)海東に曁(およ)び、旌節の次く所、途(みち)に藩境を經(へ)れば、而して道路を擁塞す。
王人を拒絶し、君の心に事ふること無し。
豈に臣の禮を為さむ。
此れにして忍ぶ可ければ、孰か容る可からず。
且つ法令は苛酷、賦斂は煩重、强臣豪族、咸(ことごと)く國鈞を執り、朋黨(ともがら)比周し、之れを以て俗を成す。
賄貨すること市の如し、寃枉(ぬれぎぬ)申すこと莫し。
歲を仍(かさ)ね災凶を以て重くし、屋に饑饉を比(なら)べ、兵戈息(や)まず、徭役すること期(かぎり)無く、力を轉輸に竭くし、身を溝壑(どぶ)に塡め、百姓苦を愁ふ。
爰(ここ)に誰か適從するか。
境內に哀惶するも、其の弊に勝(た)へず。
首を廻(まわ)して內に面すれば、各(おのおの)性命の圖に懷き、黃髮稚齒、咸(ことごと)く酷毒の歎を興す。
俗(ならひ)を省みて風(ならはし)を觀、爰(ここ)幽朔に屆(のぼ)り、人を弔ひ罪を問ひ、再駕を俟つこと無し。
是に於いて、親(みずか)ら六師を摠べ、九伐を用申し、厥の阽危を拯(すく)ふ。
天意に協從し、玆(こ)の逋穢を殄(ほろ)ぼし、先謨を剋(よ)く嗣ぐ。
今宜しく律を授け啓行し、麾を届路に分け、渤海を掩(おお)いて雷震し、扶餘を歷(へ)て以て電掃す。
戈を比(なら)べて甲を按(しら)べ旅を誓ひて後に行け。
三先五申し、勝ちを必して後に戰へ。
左十二軍、鏤方、長岑、溟海、蓋馬、建安、南蘇、遼東、玄菟、扶餘、朝鮮、沃沮、樂浪等の道に出ずる。
右十二軍、黏蟬、含資、渾彌、臨屯、候城、提奚、踏頓、肅愼、碣石、東暆、帶方、襄平等の道に出ずる。
絡繹引途し、平壤に摠集す。
凡そ一百十三萬三千八百人、號して二百萬、其の餽輸の者之れを倍にす。
南桑乾水上に宜社し、上帝を臨朔宮の南に類し、馬祖を薊城北に祭る。
帝親(みずか)ら節度を授け、每軍の上將、亞將各(おのおの)一人、騎兵四十隊、隊は百人、十隊を團と為す。
步卒八十隊、分けて四團を為し、團は各(おのおの)偏將一人有り、其の鎧胄、纓拂、旗旛、團每(ごと)に色異なる。
日に一軍を遣り、相ひ去ること四十里、營を連ねて漸進し、終に四十日にして發し、乃ち盡く。
首尾相ひ繼ぎ、鼓角相ひ聞き、旌旗は九百六十里に亘(わた)る。
御營內、十二衛、三臺、五省、九寺を合はせ、內外、前後、左右の六軍に分隸し、次の後に發し、又た八十里に亘る。
近古の出師の盛、未だ之れ有らざるなり。
二月。
帝は師を御し、進みて遼水に至り、衆軍摠會し、水に臨みて大陣を為す。
我が兵阻水にて拒守し、隋兵濟(わた)るを得ず。
帝は工部尚書宇文愷に命じ、浮き橋を三道、遼水西岸に造らす。
旣に成さば、橋を引き東岸に趣くも、短にして岸に丈餘及ばず。
我が兵大いに至るも、隋兵の驍勇の者、爭ひて水に赴き接戰す。
我が兵高に乘り之れを擊ち、隋兵岸に登るを得ず、死する者甚だ衆(おお)し。
麥鐵杖躍びて岸に登り、錢士雄、孟金叉等と與に皆戰死し、乃ち兵を斂(おさ)めて橋を引き、復た西岸に就く。
更に少府監何稠に命じて橋を接がせしめ、二日にして成る。
諸軍相ひ次いで繼進し、大いに東岸にて戰ふ。
我が兵大いに敗れ、死者萬を計(かぞ)える。
諸軍勝ちに乘じ、進みて遼東城を圍む。
則ち漢の襄平城なり。
車駕遼に到りて度(わた)し、詔を下して天下を赦し、刑部尚書衛文昇等に命じ、遼左の民を撫し、復た十年給ひ、郡縣を建置し、相を以て統攝せしむ。
夏五月。
初め、隋の諸將の東に下るや、帝之れを戒めて曰く、
凡そ軍事の進止、皆須べからく奏聞して報を待ち、專擅を得ること無かれ。
遼東數(しばしば)戰に出ずるも不利にして、乃ち嬰城固守す。
帝諸軍に命じて之れを攻めさせ、又た諸將に勅す。
高句麗若し降れば、則ち宜しく撫して納(い)るべし。
兵を縱(はな)つを得ず、と。
遼東城將に陷ちむとし、城中の人輒ち降らむと請ふと言ひ、諸將旨を奉り、機に赴むことを敢へてせず、先ず奏に馳ぜさせしむ。
報を至る比(ころ)、城中守禦亦た備はり、隋は出に隨ひ拒戰す。
此の如きこと再三にして、帝終に悟らず、旣にして城久しく下らず。
六月己未。
帝遼東城の南に幸(ゆ)き、其の城池の形勢を觀、因りて諸將を召し、之れを詰責して曰く、
公等自ら官高を以てし、又た家世に恃み、暗懦を以て我れを待たむと欲するか。
都に在りし日、公等は皆我が來たるを願はず、病を見て敗るを恐るるのみ。
我今此に來たるは、正に公等の所為を觀、公輩を斬らむと欲するのみ。
公の今死を畏れ、力を盡くすことを肯ふもの莫きは、我の公を殺すこと能はざると謂ふか。
諸將咸(ことごと)く戰懼して色を失す。
帝因りて城の西數里に留止し、六合城を御するも、我が諸城は堅守して下らず。
左翊衛將軍來護兒、江淮水軍の帥(す)べ、舳艫數百里をして、海に浮かびて先に浿水より進入し、平壤を去ること六十里。
我が軍と相遇し、進擊して大いに之れを破る。
護兒勝ちに乘じて其の城に趣かむと欲するも、副摠管周法尚之れを止め、諸軍の至るを俟ちて俱に進むことを請ふ。
護兒聽かず、精甲數萬を簡(えら)び、直に城下に造(いた)る。
我が將羅郭內空寺中に兵を伏せ、兵を出だして護兒と戰ひ、而りて僞りて敗す。
護兒之れを逐(お)ひて城に入り、兵を縱(はな)ち俘掠し、部伍を復すこと無し。
伏兵を發して、護兒大いに敗れ、僅かにして獲を免れ、士卒の還る者、數千人を過ぎず。
我が軍追ひて舡(ふね)の所に至り、周法尚陣を整へて之れを待つ、我が軍乃ち退く。
護兒兵を引きて海浦に還り屯(たむろ)し、復た留まりて諸軍に應接することを敢へてせず。
左翊衛大將軍宇文述、扶餘道に出る。
右翊衛大將軍于仲文、樂浪道に出る。
左驍衛大將軍荊元恒、遼東道に出る。
右翊衛大將軍薛世雄、沃沮道に出る。
右屯衛將軍辛世雄、玄菟道に出る。
右禦衛將軍張瑾、襄平道に出る。
右武侯將軍趙孝才、碣石道に出る。
涿郡太守檢校左武衛將軍崔弘昇、遂城道に出る。
檢校右禦衛虎賁郞將衛文昇、增地道に出る。
皆鴨綠水の西に會す。
述等兵、瀘河、懷遠の二鎭より、人馬は皆百日の糧を給ひ、又た排甲、槍矟并びに衣資、戎具、火幕を給ひ、人別に三石已上、重に勝(た)へるに能ふもの莫しに致る。
軍中に下令す、
米粟を遺棄する者は斬る、と。
士卒は皆、幕下に坑(あな)を掘り之れを埋め、纔行して中路に及び、糧は已に將に盡きぬとす。
王大臣乙支文德を遣り、其の營に詣(いた)らせ詐降するも、實は虛實を觀ぬと欲す。
于仲文先ず密かに旨を奉る、
若し王及び文德に遇ひに來たる者あらば、必ず之れを擒(とら)むとす。
仲文將に之れを執らむとし、尚書右丞劉士龍、慰撫使を為し、固く之れを止む。
仲文遂に聽き、文德還るも、旣にして之れを悔ひ、人を遣り文德に紿(いつは)りて曰く、
更に言有るを欲し、復た來たる可し、と。
文德顧みず、鴨綠水を濟りて去る。
仲文と述等、旣に文德を失し、內に自ら安んぜず。
述糧の盡きるを以て還らむと欲す。
仲文精銳を以て文德を追ひ、以て功有るとす可しと議するも、述固く之れを止むる。
仲文怒りて曰く、
將軍十萬の衆に仗(よ)り、小賊を破ること能はざれば、何の顔を以て帝に見ゆか。
且つ仲文此の行、固より功無しを知る。
何となれば則ち、古の良將、成功に能ふ者、軍中の事、決は一人に在り。
今人各(おのおの)心有り、何を以て敵に勝つとせむ、と。
時に帝、仲文に計劃有るを以て、諸軍に諮稟節度せしめ、故に此の言有り。
是に由りて、述等已むを得ずして之れに從ひ、諸將と水を渡り文德を追ふ。
文德述の軍士に饑色有るを見、故に之れを疲するを欲し、戰ふ每に輒ち走る。
述は一日の中、七戰して皆捷(か)ち、旣に驟(にわ)かの勝ちを恃み、又た群議を逼り、是に於いて、遂に東に進み薩水を濟り、平壤城を去ること三十里、山に因りて營を為す。
文德復た遣使して詐降す、述に請ひて曰く、
若し師を旋(かえ)す者あらば、當に王に奉り、朝在所に行かむとす。
述は士卒の疲弊し、復た戰ふ可からず、又た平壤城は險固にして、猝(にわ)かに拔くこと度し難しと見て、遂に其の詐に因りて還る。
述等方陣を為して行き、我が軍四面鈔撃し、述等且つ戰ひ且つ行く。
秋七月。
薩水に至り、軍は半ば濟るも、我が軍後より其の後軍を擊ち、右屯衛將軍辛世雄戰死す。
是に於いて、諸軍俱に潰え、禁止す可からず。
將士奔還し、一日一夜、鴨綠水に至り、四百五十里を行(くだ)る。
將軍天水王仁恭殿(しんがり)を為し、我が軍を擊ちて之れを却(しりぞ)く。
來護兒述等の敗を聞き、亦た引き還す。
唯だ衛文昇の一軍のみ獨り全うす。
初め、九軍遼に到り度るは、凡そ三十萬五千、遼東城に還り至るに及ぶは、唯だ二千七百人のみ。
資し儲(たくわ)へた器械は巨萬を計(かぞ)へるも、失亡し蕩盡す。
帝大いに怒り、鎖に述等を繋ぎ、癸卯に引き還す。
初め、百濟王璋遣使し、高句麗を討たむと請ふ。
帝之れをして我が動靜を覘(うかが)はせしむも、璋は我と內に潛通す。
隋軍將に出でむとし、璋は其の臣國智牟を使はせ、隋に入り師期せむと請ふ。
帝大いに悅び、厚く賞賜を加へ、尚書起部郞席律を遣り、百濟に詣らせ、期會を以て告ぐ。
隋軍遼に渡るに及び、百濟亦た境上に嚴兵し、隋を助くと聲言するも、實は兩端を持す。
是の行なるや、唯だ遼水西に於いて、我が武厲邏を拔き、遼東郡及び通定鎭を置くのみ。
二十四年、春正月。
帝詔して天下に兵を徵(め)し、涿郡を集め、募民を驍果と為し、遼東の古城を修め、以て軍糧を貯ふ。
二月。
帝侍臣に謂ひて曰く、
高句麗の小虜、上國を侮(あなど)り慢(おこた)る。
今、海を拔き山を移し、猶ほ克果を望むがごとし、况や此の虜をや。
乃ち復た代伐を議す。
左光祿大夫郭榮諫めて曰く、
戎狄禮を失するは、臣下の事なり。
千鈞の弩、鼷鼠の發機を為さず。
奈何(いか)にして親(みずか)ら萬乘を辱め、以て小寇に敵ふか。
帝聽かず。
夏四月。
車駕遼を度(わた)り、宇文述と楊義臣を遣り、平壤に趣く。
王仁恭は扶餘道に出、進軍して新城に至る。
我が兵數萬拒戰するも、仁恭は勁騎一千を帥べ、之れを擊破す。
我が軍嬰城固守す。
帝は諸將に命じて遼東を攻め、便宜從事を以て聽く。
飛樓橦、雲梯、地道、四面俱に進み、晝夜息まず。
我は變に應じて之れを拒み、二十餘日拔かず。
主客の死者甚だ衆し。
衝梯の竿は長さ十五丈、驍果沈光其の端に升(のぼ)り、城に臨み我が軍と戰ひ、短兵接して十數人を殺す。
我が軍競ひて之れを擊ち、而れども墜つること未だ地に及ばず、適遇(たまたま)竿に垂れる絙(おおなわ)有り、光接して復た上(のぼ)る。
帝望み見て之れを壯(いさましき)とし、卽ち朝散大夫に拜す。
遼東城久しく下らず、帝遣りて布囊を百餘萬口造り、士土を滿貯し、積みて魚梁の大道を為さむと欲し、闊(ひろ)さ三十步、高さ城と齊(ひと)しく、戰士をして登らしめて之れを攻む。
又た八輪樓車を作り、高さは城を出で、魚梁道を夾(はさ)み、城內を俯(うつむ)き射たむと欲す。
期して將に攻むると指し、城內に危蹙(さしせま)る。
會(たまたま)、楊玄感の叛の書至り、帝大いに懼る。
又た達官子弟皆玄感の所に在るを聞き、益(ますます)之れを憂ふ。
兵部侍郞斛斯政、素(もともと)玄感と善(よ)みし、內に自ら安ずることなく、奔(はしり)に來たる。
帝夜に密かに諸將を召し、引軍をして還させしむ。
軍資器械攻具、積むこと丘山の如し。
營壘帳幕、案堵して動かず、衆心恟懼し、復た部分かるること無く、諸道分散す。
我が軍卽時之れを覺り、然りて出を敢へてせず、但だ城內に於いて鼓噪す。
來日午時に至り、方に漸く外に出でむとするも、猶ほ隋軍之れを詐するを疑ふ。
二日經て、乃ち數千の兵を出だして追躡すれば、隋軍の衆畏れ、逼ることを敢へてせず、常に相ひ去ること八九十里。
將に遼水に至らむとし、御營の度(たく)を畢えるを知り、乃ち敢へて後軍に逼らず。
時に後軍、數萬人を猶(ためら)ひ、我が軍隨ひて鈔撃し、殺略すること數千人。
二十五年、春二月。
帝百寮に詔して、高句麗を伐たむと議し、數日するも敢へて言ふ者無し。
詔して復た天下に兵を徵し、百道俱に進む。
秋七月。
車駕に懷遠鎭次ぐ。
時に天下已に亂れ、徵す所の兵期を失して至らざること多く、吾が國亦た困弊す。
來護兒は卑奢城に至り、我が兵逆戰す。
護兒之れを擊ちて克ち、將に平壤に趣かむとす。
王懼れ、遣使して降を乞ひ、因りて斛斯政を囚送す。
帝大いに悅び、使持節を遣り、護兒を召して還る。
八月。
帝懷遠鎭より師を班(かえ)す。
冬十月。
帝西京に還り、我が使者及び斛斯政を以て、大廟に告げ、仍ち王を徵(め)して入朝せしむるも、王竟(つい)に從はず。
將帥嚴裝せしめて勅し、更に後擧を圖らむとするも、竟(つひ)に行(おこなひ)を果たさず。
二十九年、秋九月。
王薨じ、號を嬰陽王と曰ふ。