≪白文≫
武王、諱璋、法王之子。
風儀英偉、志氣豪傑。
法王卽位、翌年薨、子嗣位。
三年、秋八月。
王出兵、圍新羅阿莫山城、一名母山城。
羅王眞平遣精騎數千、拒戰之、我兵失利而還。
新羅築小陁、畏石、泉山、甕岑四城、侵逼我疆境。
王怒、令佐平解讎、帥步騎四萬、進攻其四城。
新羅將軍乾品、武殷、帥衆拒戰。
解讎不利、引軍退於泉山西大澤中、伏兵以待之。
武殷乘勝、領甲卒一千、追至大澤、伏兵發急擊之。
武殷墜馬、士卒驚駭、不知所為。
武殷子貴山大言曰、
吾嘗受敎於師、曰、
士當軍、無退。
豈敢奔退、以墜師敎乎。
以馬授父、卽與小將箒項、揮戈力鬪以死。
餘兵見此益奮、我軍敗績、解讎僅免、單馬以歸。
六年、春二月。
築角山城。
秋八月。
新羅侵東鄙。
七年、春三月。
王都雨土、晝暗。
夏四月。
大旱、年饑。
八年、春三月。
遣扞率燕文進、入隋朝貢。
又遣佐平王孝隣入貢、兼請討高句麗。
煬帝許之、令覘高句麗動靜。
夏五月。
高句麗來攻松山城、不下、移襲石頭城、虜男女三千而歸。
九年、春三月。
遣使入隋朝貢。
隋文林郞裴淸奉使倭國、經我國南路。
十二年、春二月。
遣使入隋朝貢。
隋煬帝將征高句麗、王使國智牟入請軍期。
帝悅、厚加賞錫、遣尚書起部郞席律來、與王相謀。
秋八月。
築赤嵒城。
冬十月。
圍新羅椵岑城、殺城主讚德、滅其城。
十三年。
隋六軍度遼、王嚴兵於境、聲言助隋、實持兩端。
夏四月。
震宮南門。
五月。
大水、漂沒人家。
十七年、冬十月。
命達率芍奇領兵八千、攻新羅母山城。
十一月。
王都地震。
十九年。
新羅將軍邊品等、來攻椵岑城、復之、奚論戰死。
二十二年、冬十月。
遣使入唐、獻果下馬。
二十四年、秋。
遣兵侵新羅勒弩縣。
二十五年、春正月。
遣大臣入唐朝貢。
高祖嘉其誠款、遣使就冊為帶方郡王公百濟王。
秋七月。
遣使入唐朝貢。
冬十月。
攻新羅速含、櫻岑、歧岑、烽岑、旗懸、冗柵等六城、取之。
二十六年、冬十一月。
遣使入唐朝貢。
二十七年。
遣使入唐、獻明光鎧、因訟高句麗梗道路、不許來朝上國。
高祖遣散騎常侍朱子奢來、詔諭我及高句麗、平其怨。
秋八月。
遣兵、攻新羅主在城、執城主東所、殺之。
冬十二月。
遣使入唐朝貢。
二十八年、秋七月。
王命將軍沙乞、拔新羅西鄙二城、虜男女三百餘口。
王欲復新羅侵奪地分、大擧兵、出屯於熊津。
羅王眞平聞之、遣使告急於唐。
王聞之、乃止。
秋八月。
遣王姪福信、入唐朝貢、太宗謂與新羅世讎、數相侵伐、賜王璽書曰、
王世為君長、撫有東蕃、海隅遐曠、風濤艱阻、忠款之至、職貢相尋、尚想嘉猷、甚以欣慰。
朕祗承寵命、君臨區宇、思弘正道、愛育黎元、舟車所通、風雨所及、期之遂性、咸使乂安。
新羅王金眞平、朕之蕃臣、王之鄰國、每聞遣師、征討不息。
阻兵安忍、殊乖所望。
朕已對王姪福信及高句麗新羅使人、具勑通和、咸許輯睦。
王必須忘彼前怨、識朕本懷、共篤鄰情、卽停兵革。
王因遣使、奉表陳謝。
雖外稱順命、內實相仇如故。
二十九年、春二月。
遣兵攻新羅椵岑城、不克而還。
三十年、秋九月。
遣使入唐朝貢。
三十一年、春二月。
重修泗沘之宮。
王幸熊津城。
夏旱、停泗沘之役。
秋七月。
王至自熊津。
三十二年、秋九月。
遣使入唐朝貢。
三十三年、春正月。
封元子義慈為太子。
二月。
改築馬川城。
秋七月。
發兵伐新羅、不利。
王田于生草之原。
冬十二月。
遣使入唐朝貢。
三十四年、秋八月。
遣將攻新羅西谷城、十三日拔之。
三十五年、春二月。
王興寺成。
其寺臨水、彩飾壯麗。
王每乘舟、入寺行香。
三月。
穿池於宮南、引水二十餘里、四岸植以楊柳、水中築島嶼、擬方丈仙山。
三十七年、春二月。
遣使入唐朝貢。
三月。
王率左右臣寮、遊燕於泗沘河北浦。
兩岸奇巖怪石錯立、間以奇花異草、如畫圖。
王飲酒極歡、鼓琴自歌、從者屢舞。
時人謂其地為大王浦。
夏五月。
王命將軍于召、帥甲士五百、往襲新羅獨山城。
于召至玉門谷、日暮、解鞍休士。
新羅將軍閼川將兵、掩至鏖擊之。
于召登大石上、彎弓拒戰、矢盡、為所擒。
六月。
旱。
秋八月。
燕群臣於望海樓。
三十八年、春二月。
王都地震。
三月。
又震。
冬十二月。
遣使入唐、獻鐵甲雕斧。
太宗優勞之、賜錦袍幷彩帛三千段。
三十九年、春三月。
王與嬪御泛舟大池。
四十年、冬十月。
又遣使於唐、獻金甲雕斧。
四十一年、春正月。
星孛于西北。
二月。
遣子弟於唐、請入國學。
四十二年、春三月。
王薨。
諡曰武。
使者入唐、素服奉表曰、
君外臣扶餘璋卒。
帝擧哀玄武門、詔曰、
懷遠之道、莫先於寵命、飾終之義、無隔於遐方。
故柱國帶方郡公百濟王扶餘璋、棧山航海、遠稟正朔、獻琛奉牘、克固始終、奄致薨殞、追深慜悼。
宜加常數、式表哀榮、贈光祿大夫。
賻賜甚厚。
≪書き下し文≫
武王、諱は璋、法王の子なり。
風儀英偉、志氣は豪傑なり。
法王卽位し、翌年薨じ、子位を嗣ぐ。
三年、秋八月。
王兵を出し、新羅の阿莫山城を圍む、一に母山城と名づく。
羅王眞平精騎數千を遣り、之れを拒戰し、我が兵利を失して還る。
新羅小陁、畏石、泉山、甕岑の四城をを築き、我が疆境を侵逼す。
王怒り、佐平解讎をして、步騎四萬を帥べさせ、其の四城に進攻す。
新羅將軍乾品、武殷、衆を帥べて拒戰す。
解讎は不利なれば、軍を引き泉山西の大澤中に退き、兵を伏せて以て之れを待つ。
武殷勝ちに乘じ、甲卒一千を領(おさ)めて、追ひて大澤に至るも、伏兵發して之れを急擊す。
武殷墜馬し、士卒驚駭し、為す所を知らず。
武殷の子貴山大言して曰く、
吾嘗て師に敎を受けて曰く、
士當に軍(いくさ)なれば、退くこと無し、と。
豈に敢へて奔退し、以て師敎を墜としめや。
馬を以て父に授け、卽ち小將箒項と、戈を揮(ふる)って力鬪して以て死す。
餘兵此れを見て益(ますます)奮い、我が軍敗績し、解讎僅かに免(のが)れ、單馬以て歸す。
六年、春二月。
角山城を築く。
秋八月。
新羅東鄙を侵す。
七年、春三月。
王都雨土、晝暗し。
夏四月。
大旱、年饑ゆ。
八年、春三月。
扞率燕文進を遣り、隋に入らせ朝貢す。
又た佐平王孝隣を遣り貢に入らせ、兼ねて高句麗を討むことを請へり。
煬帝之れを許し、高句麗の動靜を覘(のぞ)かせしむ。
夏五月。
高句麗松山城を攻めに來たるも、下せず、石頭城に移り襲ひ、男女三千を虜にして歸す。
九年、春三月。
遣使して隋に入り朝貢す。
隋文林郞裴淸倭國に使するを奉り、我が國を經て南路す。
十二年、春二月。
遣使して隋に入らせ朝貢す。
隋煬帝將に高句麗を征さむとす。
王は國智牟を入らせ軍期を請はせしむ。
帝悅び、厚く賞錫を加へ、尚書起部郞席律來を遣り、王と相ひ謀る。
秋八月。
赤嵒城を築く。
冬十月。
新羅の椵岑城を圍み、城主の讚德を殺し、其の城を滅す。
十三年。
隋の六軍遼に度(わた)る。
王は境に於いて兵を嚴め、聲言して隋を助け、實は兩端を持す。
夏四月。
宮の南門に震あり。
五月。
大水、人家を漂沒す。
十七年、冬十月。
達率の芍奇に命じて兵八千を領めせしめ、新羅の母山城を攻む。
十一月。
王都地震。
十九年。
新羅將軍邊品等、椵岑城を攻めに來たり、復た之れをし、奚論戰死す。
二十二年、冬十月。
遣使して唐に入らせ、果下馬を獻ず。
二十四年、秋。
兵を遣りて新羅の勒弩縣を侵す。
二十五年、春正月。
遣大臣入唐朝貢。
高祖其の誠款を嘉(よろこ)び、遣使して就かせ冊して帶方郡王公百濟王と為す。
秋七月。
遣使して唐に入らせ朝貢す。
冬十月。
新羅の速含、櫻岑、歧岑、烽岑、旗懸、冗柵等六城を攻め、之れを取る。
二十六年、冬十一月。
遣使して唐に入らせ朝貢す。
二十七年。
遣使して唐に入らせ、明光鎧を獻じ、因りて高句麗の道路を梗(ふさ)ぎ、上國に來朝することを許さざるを訟(うった)ふ。
高祖遣りて散騎常侍の朱子奢を來たらしめ、詔して我及び高句麗を諭し、其の怨を平ぐ。
秋八月。
兵を遣り、新羅の主在城を攻め、城主を東所に執り、之れを殺す。
冬十二月。
遣使して唐に入らせ朝貢す。
二十八年、秋七月。
王將軍沙乞に命じ、新羅の西鄙二城を拔き、男女三百餘口を虜にす。
王復た新羅の侵奪地の分くるを欲し、大いに兵を擧げ、出でて熊津に屯(たむろ)す。
羅王眞平之れを聞き、遣使して急を唐に告ぐ。
王之れを聞き、乃ち止む。
秋八月。
王姪の福信を遣り、唐に入らせ朝貢す。
太宗は新羅世讎と數相ひ侵伐するを謂ひ、王璽書を賜りて曰く、
王世に君長を為し、撫は東蕃に有り、海隅遐(はる)か曠(ひろ)く、風(かぜ)濤(たかなみ)は艱(けわし)く阻むも、忠款の至、職貢相ひ尋ね、尚ほ嘉猷を想ひ、甚だ以て欣慰す。
朕は寵命を祗承し、君は區宇に臨み、思は正道を弘め、愛は黎元を育み、舟車の通ずずる所、風雨の及ぶ所、之の遂性に期し、咸(ことごと)く乂安せしむ。
新羅王の金眞平、朕の蕃臣、王の鄰國、每(つね)に師を遣り、征討すること息(や)まざると聞く。
安忍を阻兵するは、望む所に殊乖す。
朕は已に王姪福信及び高句麗新羅の使人に對し、具(つぶさ)に和を通ぜむとして勑(さと)し、咸(ことごと)く輯睦を許す。
王必ず須べからく彼の前怨を忘れ、朕の本懷を識り、共に鄰情を篤くし、卽ち兵革を停むるべし。
王は遣使に因り、表を奉り謝を陳(の)ぶる。
外には命に順ずると稱すると雖も、內實には相ひ仇すること故(もと)の如し。
二十九年、春二月。
兵を遣り新羅の椵岑城を攻め、克たずして還る。
三十年、秋九月。
遣使して唐に入らせ朝貢す。
三十一年、春二月。
泗沘の宮を重修す。
王熊津城に幸(ゆ)く。
夏。
旱、泗沘の役を停む。
秋七月。
王熊津より至る。
三十二年、秋九月。
遣使して唐に入らせ朝貢す。
三十三年、春正月。
元子の義慈を封じて太子と為す。
二月。
馬川城を改築す。
秋七月。
兵を發して新羅を伐たむとするも、利あらず。
王は生草の原にて田(か)る。
冬十二月。
遣使して唐に入らせ朝貢す。
三十四年、秋八月。
將を遣り新羅の西谷城を攻め、十三日して之れを拔く。
三十五年、春二月。
王興寺を成す。
其の寺は水に臨み、彩飾壯麗なり。
王每(つね)に舟に乘り、寺に入りて香を行ふ。
三月。
宮南に池を穿ち、水を二十餘里引き、四岸に楊柳を以て植へ、水中に島嶼を築き、方丈仙山を擬す。
三十七年、春二月。
遣使して唐に入らせ朝貢す。
三月。
王は左右臣寮を率い、泗沘河の北浦に遊燕す。
兩岸に奇巖怪石錯立し、奇花異草を以て間すること、畫圖の如し。
王飲酒して歡を極め、鼓琴して自ら歌ひ、從者屢舞す。
時に人其の地を謂ひて大王浦と為す。
夏五月。
王將軍于召に命じ、甲士五百を帥べさせ、往かせて新羅の獨山城を襲ふ。
于召玉門谷に至るも、日は暮れ、鞍を解き士を休ませしむ。
新羅將軍閼川將兵、掩(ひそ)かに至り之れを鏖擊す。
于召大石の上に登り、彎弓にて拒戰するも、矢盡き、擒はるる所と為る。
六月。
旱。
秋八月。
群臣と望海樓にて燕す。
三十八年、春二月。
王都地震。
三月。
又た震。
冬十二月。
遣使して唐に入らせ、鐵甲雕斧を獻ず。
太宗之れを優勞し、錦袍幷彩帛三千段を賜ふ。
三十九年、春三月。
王と嬪御大池に舟を泛かぶ。
四十年、冬十月。
又た唐に遣使し、金甲雕斧を獻ず。
四十一年、春正月。
星孛、西北にあり。
二月。
子弟を唐に遣り、入國せしめ學を請ふ。
四十二年、春三月。
王薨ず。
諡(おくりな)を武と曰ふ。
使者唐に入り、素(しろ)服して表を奉りて曰く、
君の外臣扶餘璋卒す。
帝哀を玄武門に擧げ、詔して曰く、
懷遠の道、寵命に先ずること莫く、飾終の義、遐方に隔たること無し。
故柱國帶方郡公百濟王扶餘璋、山を棧(わた)り海を航(わた)り、遠稟正朔、琛を獻じ牘を奉り、克固始終し、奄(にわか)に薨殞に致ること、深く慜悼を追(おく)る。
宜しく常數に加へ、哀榮を式表し、光祿大夫を贈るべし、と。
賻賜すること甚だ厚し。