三国史記年表上

三国史記年表上

 海東に国家が成立して、なんとも久しきものである。
 箕子が周室に封を受けてから、衛満が僭號した漢初のことにことについては、年代がはるか遠い昔のことで、文字も粗略であったことから、これらについて詳細を理解することは困難である。
 しかし、三国の鼎峙までに至ると、世の伝承は非常に多くなる。
 新羅五十六王、九百九十二年。
 高句麗二十八王、七百五年。
 百濟三十一王、六百七十八年。
 その始まりと終わりについて、それらを考察することも可能なので、三國の年表を作成することにする。
(唐の賈言忠は、「高麗は漢代より国があり、現在は九百年目である」と言っていたが、これは誤りである。)

 

中國 漢

新羅

高句麗

百濟

甲子

前漢孝宣帝詢十七年

五鳳元年

始祖朴赫居世居西干即位する。

元年

この出現によって、この先を聖骨という。

 

 

乙丑

 

 

丙寅

 

 

丁卯

 

 

戊辰

甘露元年

 

 

己巳

 

 

庚午

 

 

辛未

 

 

壬申

黃龍元年

 

 

癸酉

孝元帝奭

初元元年

 

 

甲戌

十一

 

 

乙亥

十二

 

 

丙子

十三

 

 

丁丑

十四

 

 

戊寅

永光元年

十五

 

 

己卯

十六

 

 

庚辰

十七

 

 

辛巳

十八

 

 

壬午

十九

 

 

癸未

建昭元年

二十

 

 

甲申

二十一

始祖東明聖王、姓は高氏、諱は朱蒙、即位する。

元年

 

乙酉

二十二

 

丙戌

二十三

 

丁亥

二十四

 

戊子

竟寧元年

成帝驁

二十五

 

己丑

建始元年

二十六

 

庚寅

二十七

 

辛卯

二十八

 

壬辰

二十九

 

癸巳

河平元年

三十

 

甲午

三十一

十一

 

乙未

三十二

十二

 

丙申

三十三

十三

 

丁酉

陽朔元年

三十四

十四

 

戊戌

三十五

十五

 

己亥

三十六

十六

 

庚子

三十七

十七

 

辛丑

鴻嘉元年

三十八

十八

 

壬寅

三十九

十九

東明王、升遐する。

瑠璃明王類利、即位する。

元年

 

癸卯

四十

始祖溫祚王、即位する。

元年

甲辰

四十一

乙巳

永始元年

四十二

丙午

四十三

丁未

四十四

戊申

四十五

己酉

元延元年

四十六

庚戌

四十七

辛亥

四十八

壬子

四十九

十一

癸丑

綏和元年

五十

十二

十一

甲寅

孝哀帝欣

五十一

十三

十二

乙卯

建平元年

五十二

十四

十三

丙辰

五十三

十五

十四

丁巳

五十四

十六

十五

戊午

五十五

十七

十六

己未

元壽元年

五十六

十八

十七

庚申

孝平帝衎

五十七

十九

十八

辛酉

元始元年

五十八

二十

十九

壬戌

二年

五十九

二十一

二十

癸亥

六十

二十二

二十一

甲子

六十一

始祖赫居世薨去する。

南觧次次雄即位する。

元年

二十三

二十二

乙丑

二十四

二十三

丙寅

孺子嬰

 王莽

居攝元年

二十五

二十四

丁卯

二十六

二十五

戊辰

初始元年

二十七

二十六

己巳

新室

始建國元年

二十八

二十七

庚午

二十九

二十八

辛未

三十

二十九

壬申

三十一

三十

癸酉

三十二

三十一

甲戌

天鳳元年

十一

三十三

三十二

乙亥

十二

三十四

三十三

丙子

十三

三十五

三十四

丁丑

十四

三十六

三十五

戊寅

十五

三十七

瑠璃明王、薨去する。

太武神王、無恤即位する。

元年

三十六

己卯

十六

三十七

庚辰

地皇元年

十七

三十八

辛巳

十八

三十九

壬午

十九

四十

癸未

劉聖公

更始元年

二十

四十一

甲申

二十一

南觧次次雄、薨去する。

儒理尼師今、即位する。

元年

四十二

乙酉

後漢光武帝秀

建武元年

四十三

丙戌

四十四

丁亥

四十五

戊子

十一

四十六

溫祚王、薨去する。

多婁王、即位する。

元年

己丑

十二

庚寅

十三

辛卯

十四

壬辰

十五

癸巳

十六

甲午

十一

十七

乙未

十一

十二

十八

丙申

十二

十三

十九

丁酉

十三

十四

二十

戊戌

十四

十五

二十一

十一

己亥

十五

十六

二十二

十二

庚子

十六

十七

二十三

十三

辛丑

十七

十八

二十四

十四

壬寅

十八

十九

二十五

十五

癸卯

十九

二十

二十六

十六

甲辰

二十

二十一

二十七

大武神王、薨去する。

閔中王觧己未、即位する。

元年

十七

乙巳

二十一

二十二

十八

丙午

二十二

二十三

十九

丁未

二十三

二十四

二十

戊申

二十四

二十五

閔中王、薨去する。

慕本王觧憂、即位する。

元年

二十一

己酉

二十五

二十六

二十二

庚戌

二十六

二十七

二十三

辛亥

二十七

二十八

二十四

壬子

二十八

二十九

二十五

癸丑

二十九

三十

慕本王、薨去する。

國祖王宮、即位する。

元年

二十六

甲寅

三十

三十一

二十七

乙卯

三十一

三十二

二十八

丙辰

建武中元元年

三十三

二十九

丁巳

二年

孝明帝莊

三十四

儒理尼師今、薨去する。

脫觧尼師今、即位する。

元年

三十

戊午

永平元年

三十一

己未

三十二

庚申

三十三

辛酉

三十四

壬戌

三十五

癸亥

十一

三十六

甲子

十二

三十七

乙丑

十三

三十八

丙寅

十四

三十九

丁卯

十一

十五

四十

戊辰

十一

十二

十六

四十一

己巳

十二

十三

十七

四十二

庚午

十三

十四

十八

四十三

辛未

十四

十五

十九

四十四

壬申

十五

十六

二十

四十五

癸酉

十六

十七

二十一

四十六

甲戌

十七

十八

二十二

四十七

乙亥

十八

孝章皇帝炟

十九

二十三

四十八

丙子

建初元年

二十

二十四

四十九

丁丑

二十一

二十五

五十

多婁王、薨去する。

己婁王、即位する。

元年

戊寅

二十二

二十六

己卯

二十三

二十七

庚辰

二十四

脫觧尼師今、薨去する。

婆娑尼師今、即位する¥。

元年

二十八

辛巳

二十九

壬午

三十

癸未

三十一

甲申

元和元年

三十二

乙酉

三十三

丙戌

三十四

丁亥

章和元年

三十五

十一

戊子

孝和皇帝肇

三十六

十二

己丑

永元元年

三十七

十三

庚寅

十一

三十八

十四

辛卯

十二

三十九

十五

壬辰

十三

四十

十六

癸巳

十四

四十一

十七

甲午

十五

四十二

十八

乙未

十六

四十三

十九

丙申

十七

四十四

二十

丁酉

十八

四十五

二十一

戊戌

十九

四十六

二十二

己亥

十一

二十

四十七

二十三

庚子

十二

二十一

四十八

二十四

辛丑

十三

二十二

四十九

二十五

壬寅

十四

二十三

五十

二十六

癸卯

十五

二十四

五十一

二十七

甲辰

十六

二十五

五十二

二十八

乙巳

元興元年

孝殤帝隆

二十六

五十三

二十九

丙午

延平元年

孝安帝祐

二十七

五十四

三十

丁未

永初元年

二十八

五十五

三十一

戊申

二十九

五十六

三十二

己酉

三十

五十七

三十三

庚戌

三十一

五十八

三十四

辛亥

三十二

五十九

三十五

壬子

三十三

婆沙尼師今、薨去する。

祇摩尼師今、即位する。

元年

六十

三十六

癸丑

六十一

三十七

甲寅

元初元年

六十二

三十八

乙卯

六十三

三十九

丙辰

六十四

四十

丁巳

六十五

四十一

戊午

六十六

四十二

己未

六十七

四十三

庚申

永寧元年

六十八

四十四

辛酉

建光元年

六十九

四十五

壬戌

延光元年

十一

七十

四十六

癸亥

十二

七十一

四十七

甲子

十三

七十二

四十八

乙丑

孝順帝保

十四

七十三

四十九

丙寅

永建元年

十五

七十四

五十

丁卯

十六

七十五

五十一

戊辰

十七

七十六

五十二

己婁王、薨去する。

蓋婁王、即位する。

元年

己巳

十八

七十七

庚午

十九

七十八

辛未

二十

七十九

壬申

陽嘉元年

二十一

八十

癸酉

二十二

八十一

甲戌

二十三

祇摩尼師今、薨去する。

逸聖尼師今、即位する。

元年

八十二

乙亥

八十三

丙子

永和元年

八十四

丁丑

八十五

戊寅

八十六

十一

己卯

八十七

十二

庚辰

八十八

十三

辛巳

八十九

十四

壬午

漢安元年

九十

十五

癸未

九十一

十六

甲申

建康元年

孝沖帝炳

十一

九十二

十七

乙酉

永嘉元年

孝質帝纉

十二

九十三

十八

丙戌

本初元年

孝桓帝志

十三

九十四

國祖王、位を譲り、引退して後宮に居する。

次大王遂成、即位する。

元年

十九

丁亥

建和元年

十四

二十

戊子

十五

二十一

己丑

十六

二十二

庚寅

和平元年

十七

二十三

辛卯

元嘉元年

十八

二十四

壬辰

十九

二十五

癸巳

永興元手

二十

二十六

甲午

二十一

逸聖尼師今、薨去する。

阿達羅尼師今、即位する。

元年

二十七

乙未

永壽元年

二十八

丙申

十一

二十九

丁酉

十二

三十

戊戌

延嘉元年

十三

三十一

己亥

十四

三十二

庚子

十五

三十三

辛丑

十六

三十四

壬寅

十七

三十五

癸卯

十八

三十六

甲辰

十一

十九

三十七

乙巳

十二

二十

國祖王三月、薨去する。

次大王二月、薨去する。

新大王相國、即位する。

元年

三十八

丙午

十三

三十九

蓋婁王、薨去する。

肖古王、即位する。

元年

丁未

永康元年

十四

戊申

孝靈帝宏

建寧元年

十五

己酉

十六

庚戌

十七

辛亥

十八

壬子

熹平元年

十九

癸丑

二十

甲寅

二十一

乙卯

二十二

十一

丙辰

二十三

十二

十一

丁巳

二十四

十三

十二

戊午

光和元年

二十五

十四

十三

己未

二十六

新大王、薨去する。

故國川責王、即位する。

元年

十四

庚申

二十七

十五

辛酉

二十八

十六

壬戌

二十九

十七

癸亥

三十

十八

甲子

中平元年

三十一

阿達尼師今、薨去する。

伐休尼師今、即位する。

元年

十九

乙丑

二十

丙寅

二十一

丁卯

二十二

戊辰

二十三

己巳

洪農王辯、擁立される。

光熹に改元し、また明寧に改元する。

孝獻帝協

永漢に改元する。

十一

二十四

庚午

初平元年

十二

二十五

辛未

十三

二十六

壬申

十四

二十七

癸酉

十五

二十八

甲戌

興平元年

十一

十六

二十九

乙亥

十二

十七

三十

丙子

建安元年

十三

伐休尼師今、薨去する。

奈觧尼師今、即位する。

元年

十八

三十一

丁丑

十九

故國川王、薨去する。

山上王延優、即位する。

元年

三十二

戊寅

三十三

己卯

三十四

庚辰

三十五

辛巳

三十六

壬午

三十七

癸未

三十八

甲申

三十九

乙酉

四十

丙戌

十一

十一

四十一

丁亥

十二

十二

十一

四十二

戊子

十三

十三

十二

四十三

己丑

十四

十四

十三

四十四

庚寅

十五

十五

十四

四十五

辛卯

十六

十六

十五

四十六

壬辰

十七

十七

十六

四十七

癸巳

十八

十八

十七

四十八

甲午

十九

十九

十八

四十九

肖古王、薨去する。

仇首王、即位する。

元年

乙未

二十

二十

十九

丙申

二十一

二十一

二十

丁酉

二十二

二十二

二十一

戊戌

二十三

二十三

二十二

己亥

二十四

二十四

二十三

庚子

延康元年

魏文帝曹丕

皇初元年

二十五

二十四

辛丑

蜀先主劉備、成都において皇帝に即位する。

建元章武

二十六

二十五

壬寅

吳大帝孫權、武昌を都にする。

建元黃武

北から三國が分立する。

二十七

二十六

癸卯

蜀後主禪、擁立される。

建興に改元す。

二十八

二十七

甲辰

二十九

二十八

十一

乙巳

三十

二十九

十二

丙午

明皇帝睿

三十一

三十

十三

丁未

大和元年

三十二

三十一

山上王、薨去する。

東川王憂位居、即位する。

元年

十四

戊申

三十三

十五

己酉

吳、黃龍に改元する。

建業に遷都する。

三十四

十六

庚戌

三十五

奈觧尼師今薨去する。

助負尼師今即位する。

元年

十七

辛亥

十八

壬子

吳、嘉禾に改元する。

十九

癸丑

青龍元年

二十

甲寅

二十一

仇首王、薨去する。

長子の沙伴王、嗣位するも幼少であるために廃される。

古厼王、即位する。

元年

乙卯

丙辰

丁巳

景初元年

十一

戊午

蜀、延熙に改元する。

吳、赤烏に改元する。

十二

己未

齊王芳

十三

庚申

正始元年

十一

十四

辛酉

十二

十五

壬戌

十三

十六

癸亥

十四

十七

甲子

十五

十八

十一

乙丑

十六

十九

十二

丙寅

十七

二十

十三

丁卯

十八

助賁尼師今薨去する。

沾觧尼師今即位する。

元年

二十一

十四

戊辰

二十二

東川王薨去する。

中川王然弗即位する。

元年

十五

己巳

嘉平元年

十六

庚午

十七

辛未

吳改元大元

十八

壬申

屋會稽王亮、擁立される。

建興に改元する。

十九

癸酉

二十

甲戌

高貴鄉公髦

正元元年

二十一

乙亥

二十二

丙子

甘露元年

吳、大平に改元する。

二十三

丁丑

十一

二十四

戊寅

蜀、景耀に改元する。

吳主休、擁立される。

永安に改元する。

十二

十一

二十五

己卯

十三

十二

二十六

庚辰

陳留王奐

景元元年

十四

十三

二十七

辛巳

十五

沽觧尼師今薨去する。

十四

二十八

壬午

味鄒尼師今即位する。

元年

十五

二十九

癸未

蜀、炎異に改元する。

十月、魏に降る。

蜀二主四十三年

十六

三十

甲申

吳主孫皓、擁立される。

咸熙元年

元興に改元する。

十七

三十一

乙酉

魏禪于晉

西晉世祖武皇帝炎

泰始元年

十八

三十二

丙戌

吳、寶鼎に改元する。

十九

三十三

丁亥

二十

三十四

戊子

二十一

三十五

己丑

吳、建衡に改元する。

二十二

三十六

庚寅

二十三

中川王薨去する。

西川王藥盧即位する。

元年

三十七

辛卯

三十八

壬辰

吳、鳳凰に改元する。

十一

三十九

癸巳

十二

四十

甲午

十三

四十一

 

 戻る








≪白文≫

 海東に國家有ること乆しきかな。

 箕子より周室に封を受け、衛滿は漢初に僣號するも、年代は綿邈(はるかとお)く、文字は踈略にして、固より得てして焉れを詳かなるもの莫し。

 三國の鼎峙に至れば、則ち傳世尤る多し。

 新羅五十六王、九百九十二年。

 高句麗二十八王、七百五年。

 百濟三十一王、六百七十八年。

 其の始終を得てして焉れを考える可し。

 三國年表を作す。

 唐の賈言忠の高麗、漢より國有り、今九百年と云ふは、誤りなり。

 

中國 漢

新羅

高句麗

百濟

甲子

前漢孝宣帝詢十七年

五鳳元年

始祖朴赫居世居西干即位す。

元年

此の見(あらは)るに從ひ、豫を聖骨と為す。

 

 

乙丑

 

 

丙寅

 

 

丁卯

 

 

戊辰

甘露元年

 

 

己巳

 

 

庚午

 

 

辛未

 

 

壬申

黃龍元年

 

 

癸酉

孝元帝奭

初元元年

 

 

甲戌

十一

 

 

乙亥

十二

 

 

丙子

十三

 

 

丁丑

十四

 

 

戊寅

永光元年

十五

 

 

己卯

十六

 

 

庚辰

十七

 

 

辛巳

十八

 

 

壬午

十九

 

 

癸未

建昭元年

二十

 

 

甲申

二十一

始祖東明聖王、姓は高氏、諱は朱蒙、即位す。

元年

 

乙酉

二十二

 

丙戌

二十三

 

丁亥

二十四

 

戊子

竟寧元年

成帝驁

二十五

 

己丑

建始元年

二十六

 

庚寅

二十七

 

辛卯

二十八

 

壬辰

二十九

 

癸巳

河平元年

三十

 

甲午

三十一

十一

 

乙未

三十二

十二

 

丙申

三十三

十三

 

丁酉

陽朔元年

三十四

十四

 

戊戌

三十五

十五

 

己亥

三十六

十六

 

庚子

三十七

十七

 

辛丑

鴻嘉元年

三十八

十八

 

壬寅

三十九

十九

東明王升遐す。

瑠璃明王類利即位す。

元年

 

癸卯

四十

始祖溫祚王即位す。

元年

甲辰

四十一

乙巳

永始元年

四十二

丙午

四十三

丁未

四十四

戊申

四十五

己酉

元延元年

四十六

庚戌

四十七

辛亥

四十八

壬子

四十九

十一

癸丑

綏和元年

五十

十二

十一

甲寅

孝哀帝欣

五十一

十三

十二

乙卯

建平元年

五十二

十四

十三

丙辰

五十三

十五

十四

丁巳

五十四

十六

十五

戊午

五十五

十七

十六

己未

元壽元年

五十六

十八

十七

庚申

孝平帝衎

五十七

十九

十八

辛酉

元始元年

五十八

二十

十九

壬戌

二年

五十九

二十一

二十

癸亥

六十

二十二

二十一

甲子

六十一

始祖赫居世薨ず。

南觧次次雄即位す。

元年

二十三

二十二

乙丑

二十四

二十三

丙寅

孺子嬰

 王莽

居攝元年

二十五

二十四

丁卯

二十六

二十五

戊辰

初始元年

二十七

二十六

己巳

新室

始建國元年

二十八

二十七

庚午

二十九

二十八

辛未

三十

二十九

壬申

三十一

三十

癸酉

三十二

三十一

甲戌

天鳳元年

十一

三十三

三十二

乙亥

十二

三十四

三十三

丙子

十三

三十五

三十四

丁丑

十四

三十六

三十五

戊寅

十五

三十七

瑠璃明王薨ず。

太武神王無恤即位す。

元年

三十六

己卯

十六

三十七

庚辰

地皇元年

十七

三十八

辛巳

十八

三十九

壬午

十九

四十

癸未

劉聖公

更始元年

二十

四十一

甲申

二十一

南觧次次雄薨ず。

儒理尼師今即位す。

元年

四十二

乙酉

後漢光武帝秀

建武元年

四十三

丙戌

四十四

丁亥

四十五

戊子

十一

四十六

溫祚王薨ず。

多婁王即位す。

元年

己丑

十二

庚寅

十三

辛卯

十四

壬辰

十五

癸巳

十六

甲午

十一

十七

乙未

十一

十二

十八

丙申

十二

十三

十九

丁酉

十三

十四

二十

戊戌

十四

十五

二十一

十一

己亥

十五

十六

二十二

十二

庚子

十六

十七

二十三

十三

辛丑

十七

十八

二十四

十四

壬寅

十八

十九

二十五

十五

癸卯

十九

二十

二十六

十六

甲辰

二十

二十一

二十七

大武神王薨ず。

閔中王觧己未即位す。

元年

十七

乙巳

二十一

二十二

十八

丙午

二十二

二十三

十九

丁未

二十三

二十四

二十

戊申

二十四

二十五

閔中王薨ず。

慕本王觧憂即位す。

元年

二十一

己酉

二十五

二十六

二十二

庚戌

二十六

二十七

二十三

辛亥

二十七

二十八

二十四

壬子

二十八

二十九

二十五

癸丑

二十九

三十

慕本王薨ず。

國祖王宮即位す。

元年

二十六

甲寅

三十

三十一

二十七

乙卯

三十一

三十二

二十八

丙辰

建武中元元年

三十三

二十九

丁巳

二年

孝明帝莊

三十四

儒理尼師今薨ず。

脫觧尼師今即位す。

元年

三十

戊午

永平元年

三十一

己未

三十二

庚申

三十三

辛酉

三十四

壬戌

三十五

癸亥

十一

三十六

甲子

十二

三十七

乙丑

十三

三十八

丙寅

十四

三十九

丁卯

十一

十五

四十

戊辰

十一

十二

十六

四十一

己巳

十二

十三

十七

四十二

庚午

十三

十四

十八

四十三

辛未

十四

十五

十九

四十四

壬申

十五

十六

二十

四十五

癸酉

十六

十七

二十一

四十六

甲戌

十七

十八

二十二

四十七

乙亥

十八

孝章皇帝炟

十九

二十三

四十八

丙子

建初元年

二十

二十四

四十九

丁丑

二十一

二十五

五十

多婁王薨ず。

己婁王即位す。

元年

戊寅

二十二

二十六

己卯

二十三

二十七

庚辰

二十四

脫觧尼師今薨ず。

婆娑尼師今即位す。

元年

二十八

辛巳

二十九

壬午

三十

癸未

三十一

甲申

元和元年

三十二

乙酉

三十三

丙戌

三十四

丁亥

章和元年

三十五

十一

戊子

孝和皇帝肇

三十六

十二

己丑

永元元年

三十七

十三

庚寅

十一

三十八

十四

辛卯

十二

三十九

十五

壬辰

十三

四十

十六

癸巳

十四

四十一

十七

甲午

十五

四十二

十八

乙未

十六

四十三

十九

丙申

十七

四十四

二十

丁酉

十八

四十五

二十一

戊戌

十九

四十六

二十二

己亥

十一

二十

四十七

二十三

庚子

十二

二十一

四十八

二十四

辛丑

十三

二十二

四十九

二十五

壬寅

十四

二十三

五十

二十六

癸卯

十五

二十四

五十一

二十七

甲辰

十六

二十五

五十二

二十八

乙巳

元興元年

孝殤帝隆

二十六

五十三

二十九

丙午

延平元年

孝安帝祐

二十七

五十四

三十

丁未

永初元年

二十八

五十五

三十一

戊申

二十九

五十六

三十二

己酉

三十

五十七

三十三

庚戌

三十一

五十八

三十四

辛亥

三十二

五十九

三十五

壬子

三十三

婆沙尼師今夢ず。

祇摩尼師今即位す。

元年

六十

三十六

癸丑

六十一

三十七

甲寅

元初元年

六十二

三十八

乙卯

六十三

三十九

丙辰

六十四

四十

丁巳

六十五

四十一

戊午

六十六

四十二

己未

六十七

四十三

庚申

永寧元年

六十八

四十四

辛酉

建光元年

六十九

四十五

壬戌

延光元年

十一

七十

四十六

癸亥

十二

七十一

四十七

甲子

十三

七十二

四十八

乙丑

孝順帝保

十四

七十三

四十九

丙寅

永建元年

十五

七十四

五十

丁卯

十六

七十五

五十一

戊辰

十七

七十六

五十二

己婁王薨ず。

蓋婁王即位す。

元年

己巳

十八

七十七

庚午

十九

七十八

辛未

二十

七十九

壬申

陽嘉元年

二十一

八十

癸酉

二十二

八十一

甲戌

二十三

祇摩尼師今薨ず。

逸聖尼師今即位す。

元年

八十二

乙亥

八十三

丙子

永和元年

八十四

丁丑

八十五

戊寅

八十六

十一

己卯

八十七

十二

庚辰

八十八

十三

辛巳

八十九

十四

壬午

漢安元年

九十

十五

癸未

九十一

十六

甲申

建康元年

孝沖帝炳

十一

九十二

十七

乙酉

永嘉元年

孝質帝纉

十二

九十三

十八

丙戌

本初元年

孝桓帝志

十三

九十四

國祖王、位を遜(ゆず)り、退きて後宮に居す。

次大王遂成即位す。

元年

十九

丁亥

建和元年

十四

二十

戊子

十五

二十一

己丑

十六

二十二

庚寅

和平元年

十七

二十三

辛卯

元嘉元年

十八

二十四

壬辰

十九

二十五

癸巳

永興元手

二十

二十六

甲午

二十一

逸聖尼師今薨ず。

阿達羅尼師今即位す。

元年

二十七

乙未

永壽元年

二十八

丙申

十一

二十九

丁酉

十二

三十

戊戌

延嘉元年

十三

三十一

己亥

十四

三十二

庚子

十五

三十三

辛丑

十六

三十四

壬寅

十七

三十五

癸卯

十八

三十六

甲辰

十一

十九

三十七

乙巳

十二

二十

國祖王三月薨ず。

次大王二月薨ず。

新大王相國即位す。

元年

三十八

丙午

十三

三十九

蓋婁王薨ず。

肖古王即位す。

元年

丁未

永康元年

十四

戊申

孝靈帝宏

建寧元年

十五

己酉

十六

庚戌

十七

辛亥

十八

壬子

熹平元年

十九

癸丑

二十

甲寅

二十一

乙卯

二十二

十一

丙辰

二十三

十二

十一

丁巳

二十四

十三

十二

戊午

光和元年

二十五

十四

十三

己未

二十六

新大王薨ず。

故國川責王即位す。

元年

十四

庚申

二十七

十五

辛酉

二十八

十六

壬戌

二十九

十七

癸亥

三十

十八

甲子

中平元年

三十一

阿達尼師今薨ず。

伐休尼師今即位す。

元年

十九

乙丑

二十

丙寅

二十一

丁卯

二十二

戊辰

二十三

己巳

洪農王辯立つ。

光熹に改元し、又た明寧に改元す。

孝獻帝協

永漢に改元す。

十一

二十四

庚午

初平元年

十二

二十五

辛未

十三

二十六

壬申

十四

二十七

癸酉

十五

二十八

甲戌

興平元年

十一

十六

二十九

乙亥

十二

十七

三十

丙子

建安元年

十三

伐休尼師今薨ず。

奈觧尼師今即位す。

元年

十八

三十一

丁丑

十九

故國川王薨ず。

山上王延優即位す。

元年

三十二

戊寅

三十三

己卯

三十四

庚辰

三十五

辛巳

三十六

壬午

三十七

癸未

三十八

甲申

三十九

乙酉

四十

丙戌

十一

十一

四十一

丁亥

十二

十二

十一

四十二

戊子

十三

十三

十二

四十三

己丑

十四

十四

十三

四十四

庚寅

十五

十五

十四

四十五

辛卯

十六

十六

十五

四十六

壬辰

十七

十七

十六

四十七

癸巳

十八

十八

十七

四十八

甲午

十九

十九

十八

四十九

肖古王薨ず。

仇首王即位す。

元年

乙未

二十

二十

十九

丙申

二十一

二十一

二十

丁酉

二十二

二十二

二十一

戊戌

二十三

二十三

二十二

己亥

二十四

二十四

二十三

庚子

延康元年

魏文帝曹丕

皇初元年

二十五

二十四

辛丑

蜀先主劉備、成都に於いて帝位に即す。

建元章武

二十六

二十五

壬寅

吳大帝孫權、武昌に都す。

建元黃武

北より三國分かつ。

二十七

二十六

癸卯

蜀後主禪立つ。

建興に改元す。

二十八

二十七

甲辰

二十九

二十八

十一

乙巳

三十

二十九

十二

丙午

明皇帝睿

三十一

三十

十三

丁未

大和元年

三十二

三十一

山上王薨ず。

東川王憂位居即位す。

元年

十四

戊申

三十三

十五

己酉

吳、黃龍に改元す。

建業に遷都す。

三十四

十六

庚戌

三十五

奈觧尼師今薨ず。

助負尼師今即位す。

元年

十七

辛亥

十八

壬子

吳、嘉禾に改元す。

十九

癸丑

青龍元年

二十

甲寅

二十一

仇首王薨ず。

長子の沙伴王嗣位して幼少に廢を見(う)く。

古厼王即位す。

元年

乙卯

丙辰

丁巳

景初元年

十一

戊午

蜀、延熙に改元す。

吳、赤烏に改元す。

十二

己未

齊王芳

十三

庚申

正始元年

十一

十四

辛酉

十二

十五

壬戌

十三

十六

癸亥

十四

十七

甲子

十五

十八

十一

乙丑

十六

十九

十二

丙寅

十七

二十

十三

丁卯

十八

助賁尼師今薨ず。

沾觧尼師今即位す。

元年

二十一

十四

戊辰

二十二

東川王薨ず。

中川王然弗即位す。

元年

十五

己巳

嘉平元年

十六

庚午

十七

辛未

吳改元大元

十八

壬申

屋會稽王亮立つ。

建興に改元す。

十九

癸酉

二十

甲戌

高貴鄉公髦

正元元年

二十一

乙亥

二十二

丙子

甘露元年

吳、大平に改元す。

二十三

丁丑

十一

二十四

戊寅

蜀、景耀に改元す。

吳主休立

永安に改元す。

十二

十一

二十五

己卯

十三

十二

二十六

庚辰

陳留王奐

景元元年

十四

十三

二十七

辛巳

十五

沽觧尼師今薨ず。

十四

二十八

壬午

味鄒尼師今即位す。

元年

十五

二十九

癸未

蜀、炎異に改元す。

十月、魏に降る。

蜀二主四十三年

十六

三十

甲申

吳主孫皓立つ。

咸熙元年

元興に改元す。

十七

三十一

乙酉

魏禪于晉

西晉世祖武皇帝炎

泰始元年

十八

三十二

丙戌

吳、寶鼎に改元す。

十九

三十三

丁亥

二十

三十四

戊子

二十一

三十五

己丑

吳、建衡に改元す。

二十二

三十六

庚寅

二十三

中川王薨ず。

西川王藥盧即位す。

元年

三十七

辛卯

三十八

壬辰

吳、鳳凰に改元す。

十一

三十九

癸巳

十二

四十

甲午

十三

四十一

<書き下し文>

 海東有國家乆矣。

 自箕子受封於周室、衛滿僣號於漢初、年代綿邈、文字踈略、固莫得而詳焉。

 至於三國鼎峙、則傳世尤多。

 新羅五十六王、九百九十二年。

 高句麗二十八王、七百五年。

 百濟三十一王、六百七十八年。

 其始終可得而考焉。

 作三國年表。

 唐賈言忠云、高麗自漢有國、今九百年、誤也。

 

中國 漢

新羅

高句麗

百濟

甲子

前漢孝宣帝詢十七年

五鳳元年

始祖朴赫居世居西干即位

元年

從此至見豫為聖骨

 

 

乙丑

 

 

丙寅

 

 

丁卯

 

 

戊辰

甘露元年

 

 

己巳

 

 

庚午

 

 

辛未

 

 

壬申

黃龍元年

 

 

癸酉

孝元帝奭

初元元年

 

 

甲戌

十一

 

 

乙亥

十二

 

 

丙子

十三

 

 

丁丑

十四

 

 

戊寅

永光元年

十五

 

 

己卯

十六

 

 

庚辰

十七

 

 

辛巳

十八

 

 

壬午

十九

 

 

癸未

建昭元年

二十

 

 

甲申

二十一

始祖東明聖王姓高氏諱朱蒙即位

元年

 

乙酉

二十二

 

丙戌

二十三

 

丁亥

二十四

 

戊子

竟寧元年

成帝驁

二十五

 

己丑

建始元年

二十六

 

庚寅

二十七

 

辛卯

二十八

 

壬辰

二十九

 

癸巳

河平元年

三十

 

甲午

三十一

十一

 

乙未

三十二

十二

 

丙申

三十三

十三

 

丁酉

陽朔元年

三十四

十四

 

戊戌

三十五

十五

 

己亥

三十六

十六

 

庚子

三十七

十七

 

辛丑

鴻嘉元年

三十八

十八

 

壬寅

三十九

十九

東明王升遐

瑠璃明王類利即位

元年

 

癸卯

四十

始祖溫祚王即位

元年

甲辰

四十一

乙巳

永始元年

四十二

丙午

四十三

丁未

四十四

戊申

四十五

己酉

元延元年

四十六

庚戌

四十七

辛亥

四十八

壬子

四十九

十一

癸丑

綏和元年

五十

十二

十一

甲寅

孝哀帝欣

五十一

十三

十二

乙卯

建平元年

五十二

十四

十三

丙辰

五十三

十五

十四

丁巳

五十四

十六

十五

戊午

五十五

十七

十六

己未

元壽元年

五十六

十八

十七

庚申

孝平帝衎

五十七

十九

十八

辛酉

元始元年

五十八

二十

十九

壬戌

二年

五十九

二十一

二十

癸亥

六十

二十二

二十一

甲子

六十一

始祖赫居世薨

南觧次次雄即位

元年

二十三

二十二

乙丑

二十四

二十三

丙寅

孺子嬰

 王莽

居攝元年

二十五

二十四

丁卯

二十六

二十五

戊辰

初始元年

二十七

二十六

己巳

新室

始建國元年

二十八

二十七

庚午

二十九

二十八

辛未

三十

二十九

壬申

三十一

三十

癸酉

三十二

三十一

甲戌

天鳳元年

十一

三十三

三十二

乙亥

十二

三十四

三十三

丙子

十三

三十五

三十四

丁丑

十四

三十六

三十五

戊寅

十五

三十七

瑠璃明王薨

太武神王無恤即位

元年

三十六

己卯

十六

三十七

庚辰

地皇元年

十七

三十八

辛巳

十八

三十九

壬午

十九

四十

癸未

劉聖公

更始元年

二十

四十一

甲申

二十一

南觧次次雄薨

儒理尼師今即位

元年

四十二

乙酉

後漢光武帝秀

建武元年

四十三

丙戌

四十四

丁亥

四十五

戊子

十一

四十六

溫祚王薨

多婁王即位

元年

己丑

十二

庚寅

十三

辛卯

十四

壬辰

十五

癸巳

十六

甲午

十一

十七

乙未

十一

十二

十八

丙申

十二

十三

十九

丁酉

十三

十四

二十

戊戌

十四

十五

二十一

十一

己亥

十五

十六

二十二

十二

庚子

十六

十七

二十三

十三

辛丑

十七

十八

二十四

十四

壬寅

十八

十九

二十五

十五

癸卯

十九

二十

二十六

十六

甲辰

二十

二十一

二十七

大武神王薨

閔中王觧己未即位

元年

十七

乙巳

二十一

二十二

十八

丙午

二十二

二十三

十九

丁未

二十三

二十四

二十

戊申

二十四

二十五

閔中王薨

慕本王觧憂即位

元年

二十一

己酉

二十五

二十六

二十二

庚戌

二十六

二十七

二十三

辛亥

二十七

二十八

二十四

壬子

二十八

二十九

二十五

癸丑

二十九

三十

慕本王薨

國祖王宮即位

元年

二十六

甲寅

三十

三十一

二十七

乙卯

三十一

三十二

二十八

丙辰

建武中元元年

三十三

二十九

丁巳

二年

孝明帝莊

三十四

儒理尼師今薨

脫觧尼師今即位

元年

三十

戊午

永平元年

三十一

己未

三十二

庚申

三十三

辛酉

三十四

壬戌

三十五

癸亥

十一

三十六

甲子

十二

三十七

乙丑

十三

三十八

丙寅

十四

三十九

丁卯

十一

十五

四十

戊辰

十一

十二

十六

四十一

己巳

十二

十三

十七

四十二

庚午

十三

十四

十八

四十三

辛未

十四

十五

十九

四十四

壬申

十五

十六

二十

四十五

癸酉

十六

十七

二十一

四十六

甲戌

十七

十八

二十二

四十七

乙亥

十八

孝章皇帝炟

十九

二十三

四十八

丙子

建初元年

二十

二十四

四十九

丁丑

二十一

二十五

五十

多婁王薨

己婁王即位

元年

戊寅

二十二

二十六

己卯

二十三

二十七

庚辰

二十四

脫觧尼師今薨

婆娑尼師今即位

元年

二十八

辛巳

二十九

壬午

三十

癸未

三十一

甲申

元和元年

三十二

乙酉

三十三

丙戌

三十四

丁亥

章和元年

三十五

十一

戊子

孝和皇帝肇

三十六

十二

己丑

永元元年

三十七

十三

庚寅

十一

三十八

十四

辛卯

十二

三十九

十五

壬辰

十三

四十

十六

癸巳

十四

四十一

十七

甲午

十五

四十二

十八

乙未

十六

四十三

十九

丙申

十七

四十四

二十

丁酉

十八

四十五

二十一

戊戌

十九

四十六

二十二

己亥

十一

二十

四十七

二十三

庚子

十二

二十一

四十八

二十四

辛丑

十三

二十二

四十九

二十五

壬寅

十四

二十三

五十

二十六

癸卯

十五

二十四

五十一

二十七

甲辰

十六

二十五

五十二

二十八

乙巳

元興元年

孝殤帝隆

二十六

五十三

二十九

丙午

延平元年

孝安帝祐

二十七

五十四

三十

丁未

永初元年

二十八

五十五

三十一

戊申

二十九

五十六

三十二

己酉

三十

五十七

三十三

庚戌

三十一

五十八

三十四

辛亥

三十二

五十九

三十五

壬子

三十三

婆沙尼師今夢

祇摩尼師今即位

元年

六十

三十六

癸丑

六十一

三十七

甲寅

元初元年

六十二

三十八

乙卯

六十三

三十九

丙辰

六十四

四十

丁巳

六十五

四十一

戊午

六十六

四十二

己未

六十七

四十三

庚申

永寧元年

六十八

四十四

辛酉

建光元年

六十九

四十五

壬戌

延光元年

十一

七十

四十六

癸亥

十二

七十一

四十七

甲子

十三

七十二

四十八

乙丑

孝順帝保

十四

七十三

四十九

丙寅

永建元年

十五

七十四

五十

丁卯

十六

七十五

五十一

戊辰

十七

七十六

五十二

己婁王薨

蓋婁王即位

元年

己巳

十八

七十七

庚午

十九

七十八

辛未

二十

七十九

壬申

陽嘉元年

二十一

八十

癸酉

二十二

八十一

甲戌

二十三

祇摩尼師今薨

逸聖尼師今即位

元年

八十二

乙亥

八十三

丙子

永和元年

八十四

丁丑

八十五

戊寅

八十六

十一

己卯

八十七

十二

庚辰

八十八

十三

辛巳

八十九

十四

壬午

漢安元年

九十

十五

癸未

九十一

十六

甲申

建康元年

孝沖帝炳

十一

九十二

十七

乙酉

永嘉元年

孝質帝纉

十二

九十三

十八

丙戌

本初元年

孝桓帝志

十三

九十四

國祖王遜位退居後宮

次大王遂成即位

元年

十九

丁亥

建和元年

十四

二十

戊子

十五

二十一

己丑

十六

二十二

庚寅

和平元年

十七

二十三

辛卯

元嘉元年

十八

二十四

壬辰

十九

二十五

癸巳

永興元手

二十

二十六

甲午

二十一

逸聖尼師今薨

阿達羅尼師今即位

元年

二十七

乙未

永壽元年

二十八

丙申

十一

二十九

丁酉

十二

三十

戊戌

延嘉元年

十三

三十一

己亥

十四

三十二

庚子

十五

三十三

辛丑

十六

三十四

壬寅

十七

三十五

癸卯

十八

三十六

甲辰

十一

十九

三十七

乙巳

十二

二十

國祖王三月薨

次大王二月薨

新大王相國即位

元年

三十八

丙午

十三

三十九

蓋婁王薨

肖古王即位

元年

丁未

永康元年

十四

戊申

孝靈帝宏

建寧元年

十五

己酉

十六

庚戌

十七

辛亥

十八

壬子

熹平元年

十九

癸丑

二十

甲寅

二十一

乙卯

二十二

十一

丙辰

二十三

十二

十一

丁巳

二十四

十三

十二

戊午

光和元年

二十五

十四

十三

己未

二十六

新大王薨

故國川責王即位

元年

十四

庚申

二十七

十五

辛酉

二十八

十六

壬戌

二十九

十七

癸亥

三十

十八

甲子

中平元年

三十一

阿達尼師今薨

伐休尼師今即位

元年

十九

乙丑

二十

丙寅

二十一

丁卯

二十二

戊辰

二十三

己巳

洪農王辯立

改元光熹又改元明寧

孝獻帝協

改元永漢

十一

二十四

庚午

初平元年

十二

二十五

辛未

十三

二十六

壬申

十四

二十七

癸酉

十五

二十八

甲戌

興平元年

十一

十六

二十九

乙亥

十二

十七

三十

丙子

建安元年

十三

伐休尼師今薨

奈觧尼師今即位

元年

十八

三十一

丁丑

十九

故國川王薨

山上王延優即位

元年

三十二

戊寅

三十三

己卯

三十四

庚辰

三十五

辛巳

三十六

壬午

三十七

癸未

三十八

甲申

三十九

乙酉

四十

丙戌

十一

十一

四十一

丁亥

十二

十二

十一

四十二

戊子

十三

十三

十二

四十三

己丑

十四

十四

十三

四十四

庚寅

十五

十五

十四

四十五

辛卯

十六

十六

十五

四十六

壬辰

十七

十七

十六

四十七

癸巳

十八

十八

十七

四十八

甲午

十九

十九

十八

四十九

肖古王薨

仇首王即位

元年

乙未

二十

二十

十九

丙申

二十一

二十一

二十

丁酉

二十二

二十二

二十一

戊戌

二十三

二十三

二十二

己亥

二十四

二十四

二十三

庚子

延康元年

魏文帝曹丕

皇初元年

二十五

二十四

辛丑

蜀先主劉備即帝位於成都

建元章武

二十六

二十五

壬寅

吳大帝孫權都武昌

建元黃武

自北三國分矣

二十七

二十六

癸卯

蜀後主禪立

改元建興

二十八

二十七

甲辰

二十九

二十八

十一

乙巳

三十

二十九

十二

丙午

明皇帝睿

三十一

三十

十三

丁未

大和元年

三十二

三十一

山上王薨

東川王憂位居即位

元年

十四

戊申

三十三

十五

己酉

吳改元黃龍

遷都建業

三十四

十六

庚戌

三十五

奈觧尼師今薨

助負尼師今即位

元年

十七

辛亥

十八

壬子

吳改元嘉禾

十九

癸丑

青龍元年

二十

甲寅

二十一

仇首王薨

長子沙伴王嗣位而幼少見廢

古厼王即位

元年

乙卯

丙辰

丁巳

景初元年

十一

戊午

蜀改元延熙

吳改元赤烏

十二

己未

齊王芳

十三

庚申

正始元年

十一

十四

辛酉

十二

十五

壬戌

十三

十六

癸亥

十四

十七

甲子

十五

十八

十一

乙丑

十六

十九

十二

丙寅

十七

二十

十三

丁卯

十八

助賁尼師今薨

沾觧尼師今即位

元年

二十一

十四

戊辰

二十二

東川王薨

中川王然弗即位

元年

十五

己巳

嘉平元年

十六

庚午

十七

辛未

吳改元大元

十八

壬申

屋會稽王亮立

改元建興

十九

癸酉

二十

甲戌

高貴鄉公髦

正元元年

二十一

乙亥

二十二

丙子

甘露元年

吳改元大平

二十三

丁丑

十一

二十四

戊寅

蜀改元景耀

吳主休立

改元永安

十二

十一

二十五

己卯

十三

十二

二十六

庚辰

陳留王奐

景元元年

十四

十三

二十七

辛巳

十五

沽觧尼師今薨

十四

二十八

壬午

味鄒尼師今即位

元年

十五

二十九

癸未

蜀改元炎異

十月降於魏

蜀二主四十三年

十六

三十

甲申

吳主孫皓立

咸熙元年

改元元興

十七

三十一

乙酉

魏禪于晉

西晉世祖武皇帝炎

泰始元年

十八

三十二

丙戌

吳改元寶鼎

十九

三十三

丁亥

二十

三十四

戊子

二十一

三十五

己丑

吳改元建衡

二十二

三十六

庚寅

二十三

中川王薨

西川王藥盧即位

元年

三十七

辛卯

三十八

壬辰

吳改元鳳凰

十一

三十九

癸巳

十二

四十

甲午

十三

四十一