祭祀(新羅)

祭祀(新羅)

 新羅における宗廟の制度を調査した。第二代南解王三年の春から始祖赫居世廟を立てられ、それを四季に祭るようになり、親妹阿老に祭を主催させた。第二十二代智證王で始祖誕降の地奈乙にて神宮を創立し、これを奉った。第三十六代惠恭王になって五廟が定められ、味鄒王を金姓の始祖とするようになり、太宗大王と文武大王が百濟と高句麗を平定したという大いなる功德があることから並列し、代々これを毀損することのないようにした。

 宗について。親廟のふたつを兼ねて五廟が作られた。第三十七代宣德王になると、社稷の壇が立てられ、同時に祀典が存在し、皆で境内の山川を祭った。天地に及んでいないのは、おそらく王制にある「天子は七廟、諸侯は五廟、二昭二穆と太祖の廟にして五」または「天子は天地天下の名山大川を祭り、諸侯は社稷の名山大川の其の地に在る者を祭る」とあることから、敢えて礼を越えることなく行なったのではないだろうか。しかしながら、壇堂の高下、壝門の内外、次位の尊卑、陳設登降の節、尊爵籩豆牲牢冊祝の禮といったものは、得ることができないことから推測するしかなく、ただその大略の伝わったものを粗記することしかできない。

 一年に六回ほど五廟を祭る。これは正月は二日と五日、五月五日、七月上旬、八月は一日と十五日、十二月寅日のことで、新城北門で八棤を祭り、豊作の年には大牢を用い、凶作の年には小牢を用い、立春の後の亥日、明活城南の熊殺谷に先農を祭り、立夏の後の亥日、新城北門に中農を祭り、立秋の後の亥日、蒜園に後農を祭り、立春の後の丑日、犬首谷門に風伯を祭り、立夏の後の申日、卓渚に雨師を祭り、立秋の後の辰日、本彼遊村に靈星を祭る(檢諸禮典には、先農を祭ることしか記録されておらず、中農後農については記録がない。)
 三山五岳以下の名山大川は、分けて大中小祀とし、大祀三山は、一つ目が奈歷(習比部)、二つ目が骨火(切也火郡)、三つ目が穴禮(大城郡)である。
 中祀五岳は、東が吐含山(大城郡)、南が地理山(菁州)、西が雞龍山(熊川州)、北が太伯山(奈已郡)、中が父岳(一説には公山といい、押督郡にある)である。
 四鎭は、東が溫沫懃(牙谷停)、南が海耻也里(一説には悉帝といい、推火郡にある)、西が加耶岬岳(馬尸山郡)、北が熊谷岳(比烈忽郡)である。
 四海は、東が阿等邊(一説には斤烏兄邊といい、退火郡にある)、南が兄邊(居柒山郡)、西が未陵邊(屎山郡)、北が非禮山(悉直郡)である。
 四瀆は、東が吐只河(一説には槧浦といわれ、退火郡にある)、南が黃山河(歃良州)、西が熊川河(熊川州)、北が漢山河(漢山州)俗離岳(三年山郡)推心(大加耶郡)上助音居西(西林郡)烏西岳(結已郡)北兄山城(大城郡)淸海鎭(助音島)。
 小祀は、霜岳(高城郡)、雪岳(䢘城郡)、花岳(斤平郡)、鉗岳(七重城)、負兒岳(北漢山州)、月奈岳(月奈郡)、武珍岳(武珍州)、西多山(伯海郡難知可縣)、月見山(奈吐郡沙熱伊縣)、道西城(萬弩郡)、冬老岳(進禮郡丹川縣)、竹旨(及伐山郡)、熊只(屈自郡熊只縣)、岳髮(一説には髮岳といい、于珍也郡にある)、于火(生西良郡于火縣)、三岐(大城郡)、卉黃(牟梁)、高墟(沙梁)、嘉阿岳(三年山郡)、波只谷原岳(阿支縣)、非藥岳(退火郡)、加林城(加林縣、一本有靈嵒山 虞風山、無加林城)、加良岳(菁州)、西述(牟梁)である。
 四城門祭は、一つ目が大井門、二つ目が吐山良門、三つ目が習比門、四つ目が王后梯門。
 部庭祭、梁部四川上祭は、一つ目が犬首、二つ目が文熱林、三つ目が靑淵、四つ目が樸樹。文熱林は日月の祭を行う。
 靈廟寺南行五星祭、惠樹行祈雨祭、四大道祭は、東が古里、南が簷幷樹、西が渚樹、北が活倂岐である。

 壓丘祭と辟氣祭は先述の通り、あるものは別の制度に因み、あるものは洪水と旱魃に因んで行なわれるものである。

 

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≪白文≫

 按新羅宗廟之制、第二代南解王三年、春、始立始祖赫居世廟、四時祭之、以親妹阿老主祭、第二十二代智證王、於始祖誕降之地奈乙、創立神宮以享之、至第三十六代惠恭王、始定五廟、以味鄒王爲金姓始祖、以太宗大王文武大王平百濟高句麗有大功德、並爲世世不毁之。

 宗、兼親廟二爲五廟、至第三十七代宣德王、立社稷壇、又見於祀典、皆祭境內山川、而不及天地者、蓋以王制曰、天子七廟、諸侯五廟、二昭二穆與太祖之廟而五、又曰、天子祭天地天下名山大川、諸侯祭社稷名山大川之在其地者、是故不敢越禮而行之者歟、然其壇堂之高下、壝門之內外、次位之尊卑、陳設登降之節、尊爵籩豆牲牢冊祝之禮、不可得而推也、但粗記其大略云爾。

 一年六祭五廟、謂正月二日五日、五月五日、七月上旬、八月一日十五日、十二月寅日、新城北門祭八棤、豐年用大牢、凶年用小牢、立春後亥日、明活城南熊殺谷祭先農、立夏後亥日、新城北門祭中農、立秋後亥日、蒜園祭後農、立春後丑日、犬首谷門祭風伯、立夏後申日、卓渚祭雨師、立秋後辰日、本彼遊村祭靈星。(檢諸禮典、只祭先農、無中農後農。)

 三山五岳已下名山大川、分爲大中小祀。
大祀三山、一奈歷(習比部)、二骨火(切也火郡)、三穴禮(大城郡)。

 中祀五岳、東吐含山(大城郡)、南地理山(菁州)、西雞龍山(熊川州)、北太伯山(奈已郡)、中父岳(一云公山、押督郡)、四鎭、東溫沫懃(牙谷停)、南海耻也里(一云悉帝、推火郡)、西加耶岬岳(馬尸山郡)、北熊谷岳(比烈忽郡)、四海、東阿等邊(一云斤烏兄邊、退火郡)、南兄邊(居柒山郡)、西未陵邊(屎山郡)、北非禮山(悉直郡)、四瀆、東吐只河(一云槧浦、退火郡)、南黃山河(歃良州)、西熊川河(熊川州)、北漢山河(漢山州)俗離岳(三年山郡)推心(大加耶郡)上助音居西(西林郡)烏西岳(結已郡)北兄山城(大城郡)淸海鎭(助音島)。

 小祀、霜岳(高城郡)、雪岳(䢘城郡)、花岳(斤平郡)、鉗岳(七重城)、負兒岳(北漢山州)、月奈岳(月奈郡)、武珍岳(武珍州)、西多山(伯海郡難知可縣)、月見山(奈吐郡沙熱伊縣)、道西城(萬弩郡)、冬老岳(進禮郡丹川縣)、竹旨(及伐山郡)、熊只(屈自郡熊只縣)、岳髮(一云髮岳、于珍也郡)、于火(生西良郡于火縣)、三岐(大城郡)、卉黃(牟梁)、高墟(沙梁)、嘉阿岳(三年山郡)、波只谷原岳(阿支縣)、非藥岳(退火郡)、加林城(加林縣、一本有靈嵒山 虞風山、無加林城)、加良岳(菁州)、西述(牟梁)。

 四城門祭、一大井門、二吐山良門、三習比門、四王后梯門、部庭祭、梁部四川上祭、一犬首、二文熱林、三靑淵、四樸樹、文熱林行日月祭、靈廟寺南行五星祭、惠樹行祈雨祭、四大道祭、東古里、南簷幷樹、西渚樹、北活倂岐、壓丘祭辟氣祭、上件或因別制、或因水旱而行之者也。



≪書き下し文≫

 按ずるに新羅宗廟の制、第二代南解王三年、春、始めて始祖赫居世廟を立て、四時に之れを祭り、以て親妹阿老に祭を主たらせしめ、第二十二代智證王、始祖誕降の地奈乙に於いて、神宮を創立して以て之れを享(すす)め、第三十六代惠恭王に至り、始めて五廟を定め、味鄒王を以て金姓の始祖と爲し、太宗大王と文武大王の百濟高句麗を平ぐに大いなる功德有るを以て、並べて世世之れを毁することなしと爲せり。

 宗、親廟の二を兼ね五廟を爲(つく)り、第三十七代宣德王に至り、社稷の壇を立て、又た祀典に見(まみ)え、皆で境內の山川を祭り、而れども天地に及ばざる者、蓋し以て王制に曰く、天子は七廟、諸侯は五廟、二昭二穆と太祖の廟にして五、又た曰く、天子は天地天下の名山大川を祭り、諸侯は社稷の名山大川の其の地に在る者を祭る、是の故に敢へて禮を越ゆることなくして行ふの者か、然りて其の壇堂の高下、壝門の內外、次位の尊卑、陳設登降の節、尊爵籩豆牲牢冊祝の禮、得る可からずして推せむや、但だ其の大略の云を粗記するのみ。

 一年六祭五廟、正月二日五日、五月五日、七月上旬、八月一日十五日、十二月寅日を謂ひ、新城北門は八棤を祭り、豐年は大牢を用い、凶年は小牢を用い、立春の後の亥日、明活城南の熊殺谷に先農を祭り、立夏の後の亥日、新城北門に中農を祭り、立秋の後の亥日、蒜園に後農を祭り、立春の後の丑日、犬首谷門に風伯を祭り、立夏の後の申日、卓渚に雨師を祭り、立秋の後の辰日、本彼遊村に靈星を祭る(檢諸禮典、只だ先農を祭り、中農後農は無し。)

 三山五岳已下名山大川、分けて大中小祀と爲し、大祀三山、一に奈歷(習比部)、二に骨火(切也火郡)、三に穴禮(大城郡)なり。

 中祀五岳、東は吐含山(大城郡)、南は地理山(菁州)、西は雞龍山(熊川州)、北は太伯山(奈已郡)、中は父岳(一に公山と云ひ、押督郡)。
 四鎭、東は溫沫懃(牙谷停)、南は海耻也里(一に悉帝と云ひ、推火郡)、西に加耶岬岳(馬尸山郡)、北に熊谷岳(比烈忽郡)。
 四海、東阿等の邊(一に斤烏兄邊と云ひ、退火郡)、南に兄邊(居柒山郡)、西に未陵邊(屎山郡)、北に非禮山(悉直郡)。
 四瀆、東に吐只河(一云槧浦、退火郡)、南に黃山河(歃良州)、西に熊川河(熊川州)、北に漢山河(漢山州)俗離岳(三年山郡)推心(大加耶郡)上助音居西(西林郡)烏西岳(結已郡)北兄山城(大城郡)淸海鎭(助音島)。

 小祀、霜岳(高城郡)、雪岳(䢘城郡)、花岳(斤平郡)、鉗岳(七重城)、負兒岳(北漢山州)、月奈岳(月奈郡)、武珍岳(武珍州)、西多山(伯海郡難知可縣)、月見山(奈吐郡沙熱伊縣)、道西城(萬弩郡)、冬老岳(進禮郡丹川縣)、竹旨(及伐山郡)、熊只(屈自郡熊只縣)、岳髮(一云髮岳、于珍也郡)、于火(生西良郡于火縣)、三岐(大城郡)、卉黃(牟梁)、高墟(沙梁)、嘉阿岳(三年山郡)、波只谷原岳(阿支縣)、非藥岳(退火郡)、加林城(加林縣、一本有靈嵒山 虞風山、無加林城)、加良岳(菁州)、西述(牟梁)。

 四城門祭、一に大井門、二に吐山良門、三に習比門、四に王后梯門。
 部庭祭、梁部四川上祭、一に犬首、二に文熱林、三に靑淵、四に樸樹、文熱林は日月の祭を行ふ。
 靈廟寺南行五星祭、惠樹行祈雨祭、四大道祭、東は古里、南は簷幷樹、西は渚樹、北は活倂岐。
 壓丘祭辟氣祭、上件は或いは別制に因り、或いは水旱に因りて之れを行ふ者なり。