新羅初期の衣服の制について、色を考証することはできない。第二十三葉法興王まで至ると、六部人の服色に尊卑の制が定められ初めたが、まだそれは蛮夷の習俗のようであった。眞德在位二年まで至ると、金春秋が唐に入り、唐の儀礼を踏襲したいと請うたので、太宗皇帝は詔を下してそれを許可するとともに、衣帶を賜い、こうして帰国して施行すると、夷は華へと入れ替わり、文武王在位四年には、今度は婦人の服を改革し、これより以後、衣冠は中国と同じになった。 我が太祖は天命を受けると、ほとんどの国家の法度は、多くが新羅の旧制に因むことにした。つまり今朝に至るまでの宮廷における士女の衣裳は、まさに春秋の要請以来の遺制と考えられるだろう。臣(わたし)は三度ほど上国への使者の任を奉ったが、一行の衣冠は、宋人と異なることがなかった。かつて早くに入朝し過ぎてしまい、紫宸殿の門に立っていると、ひとり閤門の者が来て「そこの者、お前は高麗人の使者か?」と質問したので、「その通りだ」と答え、そのまま笑って立ち去った。また宋の使臣劉逵と吳拭が来訪して館に滞在していた時のこと、宴会に次いで地元の装いをした遊女を見ると、上陛に召し上げ、闊袖、衣色、絲帶、大裙を指して感嘆した。「これはどれも三代の服だ。ここまで伝わっているとは思いもよらなかった。」これを鑑みれば、現在の婦人の禮服は、まさに唐の旧服であろうことがわかるが、新羅の年代は遥か遠くなり、文史は欠落し、その制は詳説できないので、ただその見ることができる点を粗記するに留める。 法興王の制度は、太大角干から大阿湌に至るまで、紫色の衣を着用し、阿湌から級湌に至るまで緋色の衣を着用するとともに象牙の笏を持ち、大奈麻奈麻は青色の衣を着用し、大舍から先沮知に至るまで黄色の衣を着用する。 伊湌迊湌は錦の冠を被り、波珍湌大阿湌衿荷は緋色の冠を被り、上堂大奈麻赤位大舍は組纓を被る。 興德王の即位九年、太和八年、教を下した。「人には上下があり、位には尊卑があり、刑罰と法令は同じではなく、衣服も同様に異なり、風俗は徐々に徳が薄まり、人民は奢華であることを競い合い、ただ異物の珍寄なものを尚び、土産が鄙野であると斥けて嫌悪し、君主を説得するにあたっても礼数が失われ、風俗は徐々に衰退してしまったので、敢えて先王の定めた礼楽を率い、それによって明命を申し、もし故意に犯罪をする者がいれば、国家にはいつも刑罰が存在する。」 眞骨大等の幞頭は任意であるが、表衣半臂袴はどれも罽繡錦羅が禁じられ、腰帶は硏文白玉が禁じられ、靴は紫皮が禁じられ、靴帶は隱文白玉が禁じられ、襪任(くつした)には綾以下を用い、履任(くつ)には皮絲麻を用い、布には二十六升以下を用いる。 眞骨の女は、表衣は罽繡錦羅を禁じられ、內衣半臂袴襪履にはどれも罽繡羅が禁じられ、裱は罽と繡が禁じられて金銀絲孔雀尾翡翠毛が用いられ、梳は瑟瑟鈿玳瑁を禁じられ、釵は刻鏤と綴珠を禁じられ、冠は瑟瑟鈿を禁じられ、布は二十八升以下を用い、九色には赭黃を禁じられた。 六頭品、幞頭は繐羅絁絹布を用い、表衣は只だ綿紬紬布のみを用い、內衣只だ小文綾絁絹布のみを用い、袴は只だ絁絹綿紬布のみを用い、帶は只だ烏犀鍮鐵銅のみを用い、襪はただ絁綿紬布のみを用い、靴は烏麋皺文紫皮が禁じられ、靴帶には烏犀鍮鐵銅を用いられ、履にはただ皮麻だけを用い、布は十八升以下を用いる。 六頭品の女、表衣はただ中小の文綾絁絹だけを用い、內衣は罽繡錦野草羅が禁じられ、半臂は罽繡羅繐羅が禁じられ、袴は罽繡錦羅繐羅金泥が禁じられ、裱は罽繡錦羅金銀泥が禁じられ、褙襠短衣はどれも罽繡錦羅布紡羅野草羅金銀泥が禁じられ、表裳は罽繡錦羅繐羅野草羅金銀泥▩纈が禁じられ、䙅襻は罽繡が禁じられ、內裳は罽繡錦羅野草羅が禁じられ、帶は金銀絲孔雀尾翡翠毛によって組みひもを作ることを禁じ、襪袎は罽羅繐羅が禁じられ、襪は罽繡錦羅繐羅野草羅が禁じられ、履は錦罽繡錦羅繐羅、梳は瑟瑟鈿が禁じられ、釵は純金に銀の刻鏤と綴珠を用いることが禁じられ、冠は繐羅紗絹を用い、布は二十五升以下を用い、色は赭黃紫紫粉金屑紅が禁じられた。 五頭品、幞頭は羅絁絹布を用い、表衣はただ布だけを用い、內衣半臂はただ小文綾絁絹布だけを用い、袴はただ綿紬布だけを用い、腰帶はただ鐵だけを用い、襪はただ綿紬だけを用い、靴は烏麖皺文紫皮が禁じられ、靴帶はただ鍮鐵銅だけを用い、履は皮麻を用い、布は十五升以下を用いる。 五頭品の女、表衣はただ無文獨織だけを用い、內衣はただ小文綾だけを用い、半臂は罽繡錦野草羅繐羅が禁じられ、袴は罽繡錦羅繐羅野草羅金泥が禁じられ、裱は綾絹以下を用い、▩[褙]襠は罽繡綿野草羅布紡羅金銀泥▩纈が禁じられ、短衣は罽繡錦野草羅布紡羅繐羅金銀泥▩纈が禁じられ、表裳は罽繡錦野草羅繐羅金銀泥▩纈が禁じられ、䙅襻は罽繡錦羅が禁じられ、內裳は罽繡綿野草羅金銀泥▩纈が禁じられ、帶は金銀絲孔雀尾翡翠毛によって組みひもを作ることが禁じられ、襪袎には罽繡錦羅繐羅が禁じられ、襪には罽繡錦羅繐羅野草羅が禁じられ、履はただ皮以下だけを用い、梳は素玳瑁以下を用い、釵は白銀以下を用い、冠はせず、布は二十升以下を用い、色は赭黃紫紫粉黃屑紅緋が禁じられた。 四頭品、幞頭は只だ紗絁絹布を用い、表衣袴は只だ布を用い、內衣半臂は只だ絁絹綿紬布を用い、腰帶は只だ鐵銅を用い、靴は烏麖皺文紫皮を禁じ、靴帶は只だ鐵銅を用い、履は牛皮麻已下を用い、布は十三升已下を用ゆ。 四頭品の女、表衣はただ綿紬以下だけ用い、內衣はただ小文綾以下だけを用い、半臂袴はただ小文綾絁絹以下だけを用い、裱短衣はただ絹已下だけを用い、褙襠はただ綾以下だけを用い、表裳はただ絁絹以下だけを用い、䙅は裳と同じ、襻は越羅を用い、內裳はなく、帶は繡組と野草羅乘天羅越羅が禁じられ、ただ綿紬以下のみを用い、襪袎はただ小文綾以下のみを用い、襪はただ小文綾絁綿紬布だけを用い、履は皮以下を用い、梳は素牙角木を用い、釵は刻鏤綴珠と純金が禁じられ、冠はなく、布は十八升を用い、色は赭黃紫紫粉黃屑緋紅滅紫が禁じられた。 平人、幞頭はただ絹布だけを用い、表衣袴はただ布だけを用い、內衣はただ絹布だけを用い、帶はただ銅鐵だけを用い、靴は烏麖皺文紫皮が禁じられ、靴帶はただ鐵銅だけが用じられ、履は麻以下を用い、布は十二升以下を用いる。 平人の女、表衣はただ綿紬布だけを用い、內衣はただ絁絹綿紬布だけを用い、袴は絁以下を用い、表裳は絹以下を用い、襻はただ綾以下を用い、帶はただ綾絹以下を用い、襪袎は模様のないものを用い、襪は絁綿紬以下を用い、梳は素牙角以下を用い、釵は鍮石以下を用い、布は十五升以下を用い、色は四頭品の女と同じ。 |
≪白文≫ 新羅之初、衣服之制、不可考色、至第二十三葉法興王、始定六部人服色尊卑之制、猶是夷俗、至眞德在位二年、金春秋入唐、請襲唐儀、太宗皇帝詔可之、兼賜衣帶、遂還來施行、以夷易華、文武王在位四年、又革婦人之服、自此已後、衣冠同於中國。 我太祖受命、凡國家法度、多因羅舊、則至今朝廷士女之衣裳、蓋亦春秋請來之遺制歟、臣三奉使上國、一行衣冠、與宋人無異、嘗入朝尙早、立紫宸殿門、一閤門員來問、何者是高麗人使、應曰、我是、則笑而去、又宋使臣劉逵吳拭來聘在館、宴次見鄕粧倡女、召來上陛、指闊袖衣色絲帶大裙、嘆曰、此皆三代之服、不擬尙行、於此、知今之婦人禮服、蓋亦唐之舊歟、新羅年代綿遠、文史缺落、其制不可僂數、但粗記其可見云爾。 法興王制、自太大角干至大阿湌、紫衣、阿湌至級湌、緋衣並牙笏、大奈麻奈麻、靑衣、大舍至先沮知、黃衣。 伊湌迊湌、錦冠、波珍湌大阿湌衿荷、緋冠、上堂大奈麻赤位大舍、組纓。 興德王卽位九年、太和八年、下敎曰、人有上下、位有尊卑、名例不同、衣服亦異、俗漸澆薄、民競奢華、只尙異物之珍寄、却嫌土産之鄙野、禮數失於逼僭、風俗至於陵夷、敢率舊章、以申明命、苟或故犯、國有常刑。 眞骨大等、幞頭任意、表衣半臂袴並禁罽繡錦羅、腰帶禁硏文白玉、靴禁紫皮、靴帶禁隱文白玉、襪任用綾已下、履任用皮絲麻、布用二十六升已下。 眞骨女、表衣禁罽繡錦羅、內衣半臂袴襪履並禁罽繡羅、裱禁罽及繡用金銀絲孔雀尾翡翠毛者、梳禁瑟瑟鈿玳瑁、釵禁刻鏤及綴珠、冠禁瑟瑟鈿、布用二十八升已下、九色禁赭黃。 六頭品、幞頭用繐羅絁絹布、表衣只用綿紬紬布、內衣只用小文綾絁絹布、袴只用絁絹綿紬布、帶只用烏犀鍮鐵銅、襪只用絁綿紬布、靴禁烏麋皺文紫皮、靴帶用烏犀鍮鐵銅、履只用皮麻、布用十八升已下。 六頭品女、表衣只用中小文綾絁絹、內衣禁罽繡錦野草羅、半臂禁罽繡羅繐羅、袴禁罽繡錦羅繐羅金泥、裱禁罽繡錦羅金銀泥、褙襠短衣並禁罽繡錦羅布紡羅野草羅金銀泥、表裳禁罽繡錦羅繐羅野草羅金銀泥▩纈、䙅襻禁罽繡、內裳禁罽繡錦羅野草羅、帶禁以金銀絲孔雀尾翡翠毛爲組、襪袎禁罽羅繐羅、襪禁罽繡錦羅繐羅野草羅、履錦罽繡錦羅繐羅、梳禁瑟瑟鈿、釵禁純金以銀刻鏤及綴珠、冠用繐羅紗絹、布用二十五升已下、色禁赭黃紫紫粉金屑紅。 五頭品、幞頭用羅絁絹布、表衣只用布、內衣半臂只用小文綾絁絹布、袴只用綿紬布、腰帶只用鐵、襪只用綿紬、靴禁烏麖皺文紫皮、靴帶只用鍮鐵銅、履用皮麻、布用十五升已下。 五頭品女、表衣只用無文獨織、內衣只用小文綾、半臂禁罽繡錦野草羅繐羅、袴禁罽繡錦羅繐羅野草羅金泥、裱用綾絹已下、▩[褙]襠禁罽繡綿野草羅布紡羅金銀泥▩纈、短衣禁罽繡錦野草羅布紡羅繐羅金銀泥▩纈、表裳禁罽繡錦野草羅繐羅金銀泥▩纈、䙅襻禁罽繡錦羅、內裳禁罽繡綿野草羅金銀泥▩纈、帶禁以金銀絲孔雀尾翡翠毛爲組、襪袎禁罽繡錦羅繐羅、襪禁罽繡錦羅繐羅野草羅、履但用皮已下、梳用素玳瑁已下、釵用白銀已下、無冠、布用二十升已下、色禁赭黃紫紫粉黃屑紅緋。 四頭品、幞頭只用紗絁絹布、表衣袴只用布、內衣半臂只用絁絹綿紬布、腰帶只用鐵銅、靴禁烏麖皺文紫皮、靴帶只用鐵銅、履用牛皮麻已下、布用十三升已下。 四頭品女、表衣只用綿紬已下、內衣只用小文綾已下、半臂袴只用小文綾絁絹已下、裱短衣只用絹已下、褙襠只用綾已下、表裳只用絁絹已下、䙅與裳同、襻用越羅、無內裳、帶禁繡組及野草羅乘天羅越羅、只用綿紬已下、襪袎只用小文綾已下、襪只用小文綾絁綿紬布、履用皮已下、梳用素牙角木、釵禁刻鏤綴珠及純金、無冠、布用十八升、色禁赭黃紫紫粉黃屑緋紅滅紫。 平人、幞頭只用絹布、表衣袴只用布、內衣只用絹布、帶只用銅鐵、靴禁烏麖皺文紫皮、靴帶只用鐵銅、履用麻已下、布用十二升已下 平人女、表衣只用綿紬布、內衣只用絁絹綿紬布、袴用絁已下、表裳用絹已下、襻只用綾已下、帶只用綾絹已下、襪袎用無文、襪用絁綿紬已下、梳用素牙角已下、釵用鍮石已下、布用十五升已下、色與四頭品女同。
新羅の初め、衣服の制、色を考ふ可からず。第二十三葉法興王まで至り、始めて六部人の服色に尊卑の制を定むるも、猶ほ是れ夷(ゑびす)の俗(ならはし)がごとし。眞德在位二年に至り、金春秋唐に入り、唐の儀を襲(かさ)ねむと請へば、太宗皇帝詔して之れを可(ゆる)し、兼ねて衣帶を賜ひ、遂に還り來て施行し、夷(ゑびす)を以て華に易え、文武王在位四年、又た婦人の服を革(あらた)め、此れより已後、衣冠は中國に同じくす。 我が太祖は命を受け、凡そ國家の法度、多く羅の舊(ふる)きに因る。則ち今朝に至るまでの廷(みやづかえ)の士女の衣裳、蓋し亦た春秋の請ひ來たるの遺制たらむか。臣は三(みたび)上國に使すること奉り、一行の衣冠、宋人と異なること無し。嘗て入朝すること尙早、紫宸殿の門に立つれば、一(ひとり)閤門の員來たりて問ふに、何者是れ高麗人の使か、と。應へて曰く、我是れなり、と。則ち笑ひて去る。又た宋使臣の劉逵と吳拭來聘して館に在り、宴して次に鄕粧の倡女を見、上陛に召來すれば、闊袖衣色絲帶大裙を指し、嘆じて曰く、此れ皆三代の服なるも、尙ほ行かむとは擬(おも)はざり、と。此に於いて、今の婦人の禮服、蓋し亦た唐の舊かと知り、新羅年代は綿(はる)か遠くなり、文史は缺落し、其の制は僂數す可からず、但だ其の見る可きを粗記するのみ、爾云(しかい)ふ。 法興王の制、太大角干より大阿湌に至るまで紫衣、阿湌より級湌に至るまで緋衣並びに牙笏、大奈麻奈麻は靑衣、大舍より先沮知に至るまで黃衣たり。 伊湌迊湌は錦冠、波珍湌大阿湌衿荷は緋冠、上堂大奈麻赤位大舍は組纓なり。 興德王卽位九年、太和八年、下敎して曰く、人に上下有り、位に尊卑有り、名例は同じからず、衣服亦た異なり、俗漸し澆薄し、民は奢華を競ふは、只だ異物の珍寄を尙び、土産の鄙野を却け嫌ひ、禮數は逼僭に於いて失はれ、風俗は陵夷に至り、敢へて舊章を率い、以て明命を申し、苟も或(あるもの)故犯すれば、國に常刑有り、と。 眞骨大等、幞頭は任意、表衣半臂袴並禁罽繡錦羅、腰帶に硏文白玉を禁じ、靴に紫皮を禁じ、靴帶に隱文白玉を禁じ、襪任(くつした)に綾已下を用い、履任(くつ)に皮絲麻を用い、布は二十六升已下を用ゆ。 眞骨の女、表衣に罽繡錦羅を禁じ、內衣半臂袴襪履は並び罽繡羅を禁じ、裱は罽及び繡を禁じ金銀絲孔雀尾翡翠毛の者を用い、梳は瑟瑟鈿玳瑁を禁じ、釵は刻鏤及び綴珠を禁じ、冠は瑟瑟鈿を禁じ、布は二十八升已下を用い、九色は赭黃を禁ず。 六頭品、幞頭は繐羅絁絹布を用い、表衣は只だ綿紬紬布のみを用い、內衣只だ小文綾絁絹布のみを用い、袴は只だ絁絹綿紬布のみを用い、帶は只だ烏犀鍮鐵銅のみを用い、襪は只だ絁綿紬布のみを用い、靴は烏麋皺文紫皮を禁じ、靴帶は烏犀鍮鐵銅を用じ、履は只だ皮麻を用い、布は十八升已下を用ゆ。 六頭品の女、表衣は只だ中小の文綾絁絹を用い、內衣は罽繡錦野草羅を禁じ、半臂は罽繡羅繐羅を禁じ、袴は罽繡錦羅繐羅金泥を禁じ、裱は罽繡錦羅金銀泥を禁じ、褙襠短衣は並びて罽繡錦羅布紡羅野草羅金銀泥を禁じ、表裳は罽繡錦羅繐羅野草羅金銀泥▩纈を禁じ、䙅襻は罽繡を禁じ、內裳は罽繡錦羅野草羅を禁じ、帶は金銀絲孔雀尾翡翠毛を以て組を爲すことを禁じ、襪袎は罽羅繐羅を禁じ、襪は罽繡錦羅繐羅野草羅を禁じ、履は錦罽繡錦羅繐羅、梳は瑟瑟鈿を禁じ、釵は純金に銀刻鏤及び綴珠を以てするを禁じ、冠は繐羅紗絹を用い、布は二十五升已下を用い、色は赭黃紫紫粉金屑紅を禁ず。 五頭品、幞頭は羅絁絹布を用い、表衣は只だ布のみを用い、內衣半臂は只だ小文綾絁絹布のみを用い、袴は只だ綿紬布のみを用い、腰帶は只だ鐵のみを用い、襪は只だ綿紬のみを用い、靴は烏麖皺文紫皮を禁じ、靴帶は只だ鍮鐵銅のみを用い、履は皮麻を用い、布は十五升已下を用ゆ。 五頭品の女、表衣は只だ無文獨織を用い、內衣は只だ小文綾のみを用い、半臂は罽繡錦野草羅繐羅を禁じ、袴は罽繡錦羅繐羅野草羅金泥を禁じ、裱は綾絹已下を用い、▩[褙]襠は罽繡綿野草羅布紡羅金銀泥▩纈を禁じ、短衣は罽繡錦野草羅布紡羅繐羅金銀泥▩纈を禁じ、表裳は罽繡錦野草羅繐羅金銀泥▩纈を禁じ、䙅襻は罽繡錦羅を禁じ、內裳は罽繡綿野草羅金銀泥▩纈を禁じ、帶は金銀絲孔雀尾翡翠毛を以て組と爲すを禁じ、襪袎は罽繡錦羅繐羅を禁じ、襪は罽繡錦羅繐羅野草羅を禁じ、履は但だ皮已下を用い、梳は素玳瑁已下を用い、釵は白銀已下を用い、冠無し、布は二十升已下を用い、色は赭黃紫紫粉黃屑紅緋を禁ず。 四頭品、幞頭は只だ紗絁絹布を用い、表衣袴は只だ布を用い、內衣半臂は只だ絁絹綿紬布を用い、腰帶は只だ鐵銅を用い、靴は烏麖皺文紫皮を禁じ、靴帶は只だ鐵銅を用い、履は牛皮麻已下を用い、布は十三升已下を用ゆ。 四頭品の女、表衣は只だ綿紬已下のみ用い、內衣は只だ小文綾已下のみ用い、半臂袴は只だ小文綾絁絹已下のみ用い、裱短衣は只だ絹已下のみ用い、褙襠は只だ綾已下のみを用い、表裳は只だ絁絹已下のみを用い、䙅は裳與(と)同じ、襻は越羅を用い、內裳は無し、帶は繡組及び野草羅乘天羅越羅を禁じ、只だ綿紬已下を用い、襪袎は只だ小文綾已下を用い、襪は只だ小文綾絁綿紬布を用い、履は皮已下を用い、梳は素牙角木を用い、釵は刻鏤綴珠及び純金を禁じ、冠無し、布は十八升を用い、色は赭黃紫紫粉黃屑緋紅滅紫を禁ず。 平人、幞頭は只だ絹布を用い、表衣袴は只だ布を用い、內衣は只だ絹布を用い、帶は只だ銅鐵を用い、靴は烏麖皺文紫皮を禁じ、靴帶は只だ鐵銅を用じ、履は麻已下を用い、布は十二升已下を用ゆ。 平人の女、表衣は只だ綿紬布を用い、內衣は只だ絁絹綿紬布を用い、袴は絁已下を用い、表裳は絹已下を用い、襻は只だ綾已下を用い、帶は只だ綾絹已下を用い、襪袎は無文を用し、襪は絁綿紬已下を用い、梳は素牙角已下を用い、釵は鍮石已下を用い、布は十五升已下を用い、色は四頭品の女與(と)同じ。 |