宣撰 雜志第三 地理一
新羅の領域は、古い伝記においても一致しない。 これらの諸説は近似していると言えるが、新旧唐書のごときはどちらも「卞韓の末裔は楽浪の地にあり。」といい、新書にもまた「東に行けば長人に至る。長人とは、人の身長が三丈、鋸のような牙と鉤爪を持ち、人を捕まえて食べている。新羅は常に弩士数千を駐屯させ、連中から守っている。」というが、これらはどれも伝聞によって隔てられた言説であり、事実を記録したものではないだろう。 思うに、両漢の志によれば、楽浪郡は洛陽の東北五千里向こう側にあり、注には、「幽州に属し、かつての朝鮮國である。」とある。つまりは雞林の地分と隔絶することになり、また互いに伝え合うには、「東海の絶島の上には大人国がある。」と言われているが、しかしながら人を見た者はいない。してみれば、弩士の守衛の者などいるはずがあろうか。 今回は新羅の始祖赫居世について考えてみると、前漢五鳳元年甲子に国を開き、王都は長三千七十五步、廣三千一十八步、三十五里、六部、國號は徐耶伐といい、あるいは斯羅といい、あるいは斯盧といい、あるいは新羅といい、脫解王九年、始林に雞の怪異が起こり、名を雞林に改め、それに因んで國號とし、基臨王十年に再度新羅を號した。
最初に赫居世二十一年に、宮城を築き、金城と號し、婆娑王二十二年には、金城の東南で城を築き、月城を號し、あるいは在城と號し、周囲は一千二十三步、新月城の北に満月城があり、周囲は一千八百三十八步、また新月城の東には明活城があり、周囲は一千九百六步、また新月城の南には南山城があり、周囲は二千八百四步、始祖が金城に来処していたが、後世に至ると両月城に処することが多くなった。高句麗や百濟の地と犬牙を交え始め、ある時は互いに和親し、ある時は互いに侵略し掠奪を行なったが、後に大唐帝国と共同で二国に侵攻して滅ぼし、その土地を平げ、遂に九州を置き、本国の領土内に三州を置き、王城の東北に唐恩浦の路に相当する部分を尙州といい、王城の南を良州といい、西を康州といい、かつての百済国の領土内に三州を置き、百済の故城の北の熊津口を熊州といい、次いで西南を全州といい、次いで南を武州といい、かつての高句麗の南の領土内に二州を置き、西から第一を漢州といい、東に次いで朔州といい、又た東に次いで溟州といい、九州の管轄する郡縣については、四百五十の方言に関して所謂「鄕」「部」「曲」等といった雑所について考慮されることがなかったので、具体的な記録を復元することはできない。新羅の地理の面積は、ここに極まったとすることができるが、その衰退がはじまると、政治は荒んで人民は離散し、領土は日に日に狭くなってゆき、最後の王である金傅は国をもって我が太祖に帰順し、その国を慶州とした。 尙州は、沾解王の時に沙伐國を略取して州としたもので、法興王十一年、梁晉通六年に初めて軍主を置き、上州とし、眞興王十八年、州が廢され、神文王七年、唐垂拱三年、復活して置いた。周囲一千一百九步の城を築き、景德王十六年、尙州と改名し、現在はそれに因んでいる。領有する縣は三つ。靑驍縣は、もともと昔里火縣、景德王が改名し、現在は靑理縣。多仁縣は、もともと達已縣、あるいは多已とも伝わり、景德王が改名し、現在はそれに因む。化昌縣は、もともと知乃彌知縣、景德王が改名し、現在は未詳である。 醴泉郡は、もともと水酒郡、景德王が改名し、現在は甫州。領有する縣は四つ。永安縣は、もともと下枝縣、景德王が改名し、現在は豐山縣。安仁縣は、もともと蘭山縣、景德王が改名し、現在は未詳。嘉猷縣は、もともと近(一説に巾と書く)品縣、景德王が改名し、現在は山陽縣。殷正縣は、もともと赤牙縣、景德王が改名し、現在は殷豐縣である。 古昌郡、もともと古陁耶郡、景德王が改名し、現在は安東府。領有する縣が三つ。直寧縣は、もともと一直縣、景德王が改名し、現在は元に戻る。日谿縣は、もともと熱兮縣、あるいは泥兮とも伝わり、景德王が改名し、現在は未詳である。高丘縣は、もともと仇火縣、あるいは高近とも伝わり、景德王が改名し、現在は合屬義城府である。 聞韶郡、もともと召文國。景德王が改名し、現在は義城府。領有する縣が四つ。眞寶縣は、もともと柒巴火縣、景德王が改名し、現在は甫城。比屋縣は、もともと阿火屋縣(一説には幷屋と伝わる)、景德王が改名し、現在はそれに因む。安賢縣は、もともと阿尸兮縣(一説には阿乙兮と伝わる)、景德王が改名し、現在は安定縣。單密縣は、もともと武冬彌知(一説には、曷冬彌知と伝わる)、景德王が改名し、現在はこれに因む。 嵩善郡、もともと一善郡、眞平王三十六年に一善州となり、軍主を置き、神文王七年、州が廃され、景德王が改名し、現在は善州である。領有する縣は三つ。孝靈縣は、もともと芼兮縣、景德王が改名し、現在はそれに因む。尒同兮縣は、現在未詳。軍威縣は、もともと奴同覓縣(一説には如豆覓と伝わる)であり、景德王が改名し、現在はこれに因む。 開寧郡、古甘文の小國である。眞興王十八年、梁永定元年、軍主を置き、靑州となる。眞平王の時、州が廃され、文武王元年、甘文郡を置き、景德王が改名し、現在はこれに因む。領有する縣は四つ。禦侮縣は、もともと今勿縣(一説には陰達と伝わる)、景德王が改名し、現在はこれに因む。金山縣は、景德王は州縣の名を改めてから現在に及ぶまで、並んでそれに因む。知禮縣は、もともと知品川縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。茂豐縣は、もともと茂山縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。 永同郡、もともと吉同郡、景德王が改名し、現在はこれに因む。領有する縣は二つ。陽山縣は、もともと助比川縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。黃澗縣は、もともと召羅縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。 管城郡、もともと古尸山郡、景德王が改名し、現在はこれに因む。領有する縣は二つ。利山縣は、もともと所利山縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。縣眞縣は、もともと阿冬号縣、景德王が改名し、現在はは安邑縣である。 二年郡、もともと三年山郡、景德王改名し、今は保齡郡。領有する縣は二つ。淸川縣は、もともと薩買縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。耆山縣は、もともと屈縣、景德王が改名し、現在は靑山縣である。 古寧郡、もともと古寧加耶國。新羅がこれを取り、古冬攬郡(一説には古陵縣)となり、景德王が改名し、現在は咸寧郡である。領有する縣は三つ。嘉善縣は、もともと加害縣、景德王が改名し、現在は加恩縣。冠山縣は、もともと冠縣(一説には冠文縣)、景德王が改名し、現在は慶縣であると聞いている。虎溪縣は、もともと虎側縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。 化寧郡、もともと答達匕郡(一説には沓達)、景德王が改名し、現在はこれに因る。領有する縣は一つ。道安縣は、もともと刀良縣。景德王が改名し、現在は中牟縣である。 良州、文武王五年、麟德二年に上州と下州に地を割り、歃良州を置く。神文王七年には、周囲一千二百六十步の城を築いた。景德王が良州を改名し、現在は梁州。領有する縣は一つ。巘陽縣は、もともと居知火縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。 金海小京は、古くは金官國(一説には伽落國と伝わり、一説には伽耶と伝わる)。始祖の首露王より十世の仇亥王まで至ったが、梁中大通四年、新羅の法興王十九年をもって、百姓を率いて降伏に来た。その地を金官郡とし、文武王二十年、永隆元年に小京とし、景德王が金海京と改名し、現在は金州である。 義安郡、もともと屈自郡、景德王が改名し、現在はこれに因む。領有する縣が三つ。漆隄縣は、もともと漆吐縣、景德王が改名し、現在は漆園縣。合浦縣は、もともと骨浦縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。熊神縣は、もともと熊只縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。 密城郡、もともと推火郡、景德王が改名し、現在はこれに因む。領むる縣五つ、尙藥縣、本(もともと)西火縣、景德王改名し、今は靈山縣。密津縣、もともと推浦縣(一説には竹山と伝わる)、景德王が改名し、現在は未詳。烏丘山縣は、もともと烏也山縣(一説には仇道と伝わり、一説には烏禮山と伝わる)、景德王が改名し、現在は合併して淸道郡に属す。荊山縣は、もともと驚山縣、景德王が改名し、現在は合併して淸道郡に属す。蘇山縣は、もともと率已山縣、景德王が改名し、現在は合併して淸道郡に属す。 火王郡、もともと比自火郡(一説には比斯伐と伝わる)、眞興王十六年に州を置き、下州と名づけ、二十六年、州が廃され、景德王が改名し、現在は昌寧郡。領有する縣は一つ。玄驍縣は、もともと推良火縣(一説には三良火と伝わる)、景德王が改名し、現在は玄豐縣。 壽昌郡(壽は一説に嘉と記載する)、もともと喟火郡、景德王が改名し、現在は壽城郡。領有する縣は四つ。大丘縣は、もともと達句火縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。八里縣は、もともと八居里縣、一説には北耻長里と伝わり、一説には仁里と伝わる。)景德王が改名し、現在は八居縣。河濱縣は、もともと多斯只縣(一説には沓只と伝わる)、景德王が改名し、現在はこれに因む。花園縣は、もともと舌火縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。 獐山郡、祗味王の時、討伐によって押梁(一説に督小國と記載する)を取り、郡を置いた。景德王が改名し、現在は章山郡。領有する縣は三つ。解顔縣は、もともと雉省火縣、一説には美里と伝わる) 、景德王が改名し、現在はこれに因む。餘粮縣は、もともと麻珍(一説に彌良縣と記載する)、景德王が改名し、現在は仇史部曲。慈仁縣は、もともと奴斯火縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。 臨皐郡、もともと切也火郡、景德王が改名し、現在は永州である。領有する縣五つ、長鎭縣、現在は竹長伊部曲。臨川縣は、助賁王の時、討伐によって骨火小國を獲得し、縣を置き、景德王が改名し、現在は併合して永州に属す。道同縣は、もともと刀冬火縣、景德王が改名し、現在は永州に併合して属す。新寧縣は、もともと史丁火縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。黽白縣は、もともと買熱次縣、景德王が改名し、現在は併合して新寧縣に属す。 東萊郡、もともと居漆山郡、景德王が改名し、現在はこれに因む。領有する縣は二つ。東平縣は、もともと大甑縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。機張縣は、もともと甲火良谷縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。 東安郡、もともと生西良郡、景德王が改名し、現在は合はせて慶州に屬す。領有する縣は一つ、虞風縣、もともと于火縣、景德王が改名し、現在は併合して蔚州臨關郡に属す。 本毛火(一説には蚊化と記載する)郡、聖德王が城を築くことで日本の賊路を遮り、景德王が改名し、現在は併合して慶州に属す。領有する縣二つ。東津縣は、もともと栗浦縣、景德王が改名し、現在は併合して蔚州に属す。河曲(一説にはに西と記載する)縣、婆娑王の時、屈阿火村を取って縣を置き、景德王が改名し、現在は蔚州である。 義昌郡、もともと退火郡、景德王が改名し、現在は興海郡。領有する縣は六つ。安康縣は、もともと比火縣、景德王が改名し、現在はそれに因む。鬐立縣は、もともと只沓縣、景德王が改名し、現在は長鬐縣。神光縣は、もともと東仍音縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。臨汀縣は、もともと斤烏支縣、景德王が改名し、現在は迎日縣。杞溪縣は、もともと芼兮縣(一説には化雞と伝わる) 、景德王が改名し、現在はこれに因む。音汁火縣は、婆娑王の時、音汁伐國を取って縣を置き、現在は併合して安康縣に属する。驚。 大城郡、もともと仇刀城の境內、率伊山城の茄山縣(一説には驚山城と伝わる)、烏刀山城等の三城は、現在は併合して淸道郡に属す。約章縣は、もともと惡支縣、景德王が改名し、現在は併合して慶州に属す。東畿停は、もともと毛只停、景德王が改名し、現在は併合して慶州に属す。 商城郡、もともと西兄山郡、景德王が改名し、現在は併合して慶州に属す。南畿停は、もともと道品兮停、景德王が改名し、現在は併合して慶州に属す。中畿停は、もともと根乃停、景德王が改名し、現在は併合して慶州に屬す。西畿停、もともと豆良彌知停、景德王が改名し、現在は併合して慶州に属す。北畿停、もともと雨谷停、景德王が改名し、現在は併合して慶州に属す。莫耶停は、もともと官阿良支停(一説には北阿良と伝わる) 、景德王が改名し、現在は併合して慶州に属す。 康州、神文王五年、唐垂拱元年、居陁州を分割して菁州を置き、景德王が改名し、現在は晉州である。領有する縣は二つ。嘉壽縣は、もともと加主火縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。屈村縣は、現在は未詳である。 南海郡、神文王が最初に轉也山郡を置いたのは、海中の島である。景德王が改名し、現在はそれに因む。領有する縣は二つ。蘭浦縣は、もともと內浦縣、景德王が改名し、現在はそれに因む。平山縣は、もともと平西山縣(一説には西平とも伝わる)、景德王が改名し、現在はそれに因む。 河東郡、もともと韓多沙郡、景德王が改名し、現在はそれに因む。領有する縣は三つ。省良縣は、現在の金良部曲、嶽陽縣は、もともと小多沙縣、景德王が改名し、現在はそれに因む。河邑縣は、もともと浦村縣、景德王が改名し、現在は未詳である。 固城郡は、もともと古自郡、景德王が改名し、現在はこれに因む。領有する縣は三つ。蚊火良縣、現在は未詳である。泗水縣は、もともと史勿縣、景德王が改名し、現在は泗州。尙善縣は、もともと一善縣、景德王が改名し、現在は永善縣である。 咸安郡、法興王が大兵をもって阿尸良國(一説に阿那加耶と伝わる)を滅ぼし、その地を郡とし、景德王が改名し、現在はそれに因む。領有する縣は二つ。玄武縣は、もともと召彡縣、景德王が改名し、現在は召彡部曲である。宜寧縣は、もともと獐含縣、景德王が改名し、現在はそれに因む。 巨濟郡、文武王が最初に裳郡を置いたのは、海中の島である。景德王が改名し、現在はそれに因む。領有する縣は三つ。鵝洲縣は、もともと巨老縣、景德王が改名し、現在はそれに因む。溟珍縣は、もともと買珍伊縣、景德王が改名し、現在はそれに因む。南垂縣は、もともと松邊縣、景德王が改名し、現在は元に戻っている。 闕城郡、もともと闕支郡、景德王が改名し、現在は江城縣。領有する縣は二つ。丹邑縣、もともと赤村縣、景德王が改名し、現在は丹溪縣。山陰縣は、もともと知品川縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。 天嶺郡、もともと速含郡、景德王が改名し、現在は咸陽郡。領有する縣は二つ。雲峰縣は、もともと母山縣(あるいは阿英城と伝わり、あるいは阿莫城とも伝わる)、景德王が改名し、現在はそれに因む。利安縣は、もともと馬利縣、景德王が改名し、現在はそれに因む。 居昌郡、もともと居烈郡(あるいは居陁とも伝わる)、景德王が改名し、現在はこれに因む。領有する縣は二つ。餘善縣は、もともと南內縣、景德王が改名し、現在は感陰縣。咸陰縣は、もともと加召縣、景德王が改名し、現在は元に戻っている。 高靈郡、もともと大加耶國、始祖の伊珍阿豉王(一説には內珍朱智と伝わる)より道設智王に至るまで凡そ十六世、五百二十年。眞興大王が侵攻してこれを滅ぼし、その地を大加耶郡とし、景德王が改名し、現在はこれに因む。領有する縣は二つ。冶爐縣は、もともと赤火縣、景德王が改名し、現在はこれに因む。新復縣は、もともと加尸兮縣、景德王が改名し、現在は未詳である。 江陽郡、もともと大良(一説には耶州と記載する)郡、景德王が改名し、現在は陜州である。領有する縣は三つ、三岐縣は、もともと三支縣(一説には麻杖と伝わる)、景德王が改名し、現在はこれに因む。八谿縣は、もともと草八兮縣、景德王が改名し、現在は草谿縣。宜桑縣は、もともと辛尒縣(一説には朱烏村と伝わり、一説には泉州縣と伝わる)景德王が改名し、現在は新繁縣。 星山郡、もともと一利郡(一説には里山郡と伝わる)景德王が改名し、現在は加利縣である。領有する縣四つ、壽同縣は、もともと斯同火縣、景德王が改名し、現在は未詳である。谿子縣は、もともと大木縣、景德王が改名し、現在は若木縣。新安縣は、もともと本彼縣、景德王が改名し、現在は京山府。都山縣は、もともと狄山縣、景德王が改名し、現在は未詳である。
三國史記 卷第三十四
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≪白文≫ 三國史記 卷第三十四 宣撰 雜志第三 地理一 新羅疆界、古傳記不同、杜佑通典云、其先本辰韓種、其國在百濟高麗二國東南、東濱大海、劉煦唐書云、東南俱限大海、宋祁新書云、東南日本、西百濟、北高麗、南濱海、賈耽四夷述曰、辰韓在馬韓東、東抵海、北與濊接、新羅崔致遠曰、馬韓則高麗、卞韓則百濟、辰韓則新羅也、此諸說可謂近似焉、若新 舊唐書皆云、卞韓苗裔在樂浪之地新書又云、東距長人、長人者人長三丈、鋸牙鉤爪、搏人以食、新羅常屯弩士數千守之、此皆傳聞懸說、非實錄也、按兩漢志、樂浪郡距洛陽東北五千里、注曰、屬幽州、故朝鮮國也、則似與雞林地分隔絶、又相傳、東海絶島上有大人國、而人無見者、豈有弩士守之者、今按新羅始祖赫居世、前漢五鳳元年甲子開國、王都長三千七十五步、廣三千一十八步、三十五里、六部、國號曰徐耶伐、或云斯羅、或云斯盧、或云新羅、脫解王九年、始林有雞怪、更名雞林、因以爲國號、基臨王十年復號新羅、初赫居世二十一年、築宮城、號金城、婆娑王二十二年、於金城東南築城、號月城、或號在城、周一千二十三步、新月城北有滿月城、周一千八百三十八步、又新月城東有明活城、周一千九百六步、又新月城南有南山城、周二千八百四步、始祖已來處金城、至後世多處兩月城、始與高句麗百濟地錯犬牙、或相和親、或相寇鈔、後與大唐侵滅二邦、平其土地、遂置九州、本國界內置三州、王城東北當唐恩浦路曰尙州、王城南曰良州、西曰康州、於故百濟國界置三州、百濟故城北熊津口曰熊州、次西南曰全州、次南曰武州、於故高句麗南界置二州、從西第一曰漢州、次東曰朔州、又次東曰溟州、九州所管郡縣、無慮四百五十方言所謂鄕 部 曲等雜所、不復具錄、新羅地理之廣袤、斯爲極矣、及其衰也、政荒民散、疆土日蹙、末王金傅以國歸我太祖、以其國爲慶州 尙州、沾解王時取沙伐國爲州、法興王十一年、梁晉通六年、初置軍主、爲上州、眞興王十八年、州廢、神文王七年、唐垂拱三年、復置、築城周一千一百九步、景德王十六年、改名尙州、今因之、領縣三、靑驍縣、本昔里火縣、景德王改名、今靑理縣、多仁縣、本達已縣或云多已、景德王改名、今因之、化昌縣、本知乃彌知縣、景德王改名、今未詳 醴泉郡、本水酒郡、景德王改名、今甫州、領縣四、永安縣、本下枝縣、景德王改名、今豐山縣、安仁縣、本蘭山縣、景德王改名、今未詳、嘉猷縣、本近一作巾品縣、景德王改名、今山陽縣、殷正縣、本赤牙縣、景德王改名、今殷豐縣 古昌郡、本古陁耶郡、景德王改名、今安東府、領縣三、直寧縣、本一直縣、景德王改名、今復故、日谿縣、本熱兮縣或云泥兮、景德王改名、今未詳、高丘縣、本仇火縣或云高近、景德王改名、今合屬義城府 聞韶郡、本召文國、景德王改名、今義城府、領縣四、眞寶縣、本柒巴火縣、景德王改名、今甫城、比屋縣、本阿火屋縣一云幷屋、景德王改名、今因之、安賢縣、本阿尸兮縣一云阿乙兮、景德王改名、今安定縣、單密縣、本武冬彌知一云曷冬彌知、景德王改名、今因之 嵩善郡、本一善郡、眞平王三十六年爲一善州、置軍主、神文王七年、州廢、景德王改名、今善州、領縣三、孝靈縣、本芼兮縣、景德王改名、今因之、尒同兮縣、今未詳、軍威縣、本奴同覓縣一云如豆覓、景德王改名、今因之 開寧郡、古甘文小國也、眞興王十八年、梁永定元年、置軍主、爲靑州、眞平王時、州廢、文武王元年、置甘文郡、景德王改名、今因之、領縣四、禦侮縣、本今勿縣一云陰達、景德王改名、今因之、金山縣、景德王改州縣名、及今並因之、知禮縣、本知品川縣、景德王改名、今因之、茂豐縣、本茂山縣、景德王改名、今因之 永同郡、本吉同郡、景德王改名、今因之、領縣二、陽山縣、本助比川縣、景德王改名、今因之、黃澗縣、本召羅縣、景德王改名、今因之 管城郡、本古尸山郡、景德王改名、今因之、領縣二、利山縣、本所利山縣、景德王改名、今因之、縣眞縣、本阿冬号縣、景德王改名、今安邑縣 二年郡、本三年山郡、景德王改名、今保齡郡、領縣二、淸川縣、本薩買縣、景德王改名、今因之、耆山縣、本屈縣、景德王改名、今靑山縣 古寧郡、本古寧加耶國、新羅取之、爲古冬攬郡一云古陵縣、景德王改名、今咸寧郡、領縣三、嘉善縣、本加害縣、景德王改名、今加恩縣、冠山縣、本冠縣一云冠文縣、景德王改名、今聞慶縣、虎溪縣、本虎側縣、景德王改名、今因之 化寧郡、本答達匕郡一云沓達、景德王改名、今因之、領縣一、道安縣、本刀良縣、景德王改名、今中牟縣 良州、文武王五年、麟德二年、割上州下州地、置歃良州、神文王七年、築城、周一千二百六十步、景德王改名良州、今梁州、領縣一、巘陽縣、本居知火縣、景德王改名、今因之 金海小京、古金官國一云伽落國、一云伽耶、自始祖首露王至十世仇亥王、以梁中大通四年、新羅法興王十九年、率百姓來降、以其地爲金官郡、文武王二十年、永隆元年、爲小京、景德王改名金海京、今金州 義安郡、本屈自郡、景德王改名、今因之、領縣三、漆隄縣、本漆吐縣、景德王改名、今漆園縣、合浦縣、本骨浦縣、景德王改名、今因之、熊神縣、本熊只縣、景德王改名、今因之 密城郡、本推火郡、景德王改名、今因之、領縣五、尙藥縣、本西火縣、景德王改名、今靈山縣、密津縣、本推浦縣一云竹山、景德王改名、今未詳、烏丘山縣、本烏也山縣一云仇道、一云烏禮山、景德王改名、今合屬淸道郡、荊山縣、本驚山縣、景德王改名、今合屬淸道郡、蘇山縣、本率已山縣、景德王改名、今合屬淸道郡火王郡、本比自火郡一云比斯伐、眞興王十六年置州、名下州、二十六年、州廢、景德王改名、今昌寧郡、領縣一、玄驍縣、本推良火縣一云三良火、景德王改名、今玄豐縣 壽昌郡壽一作嘉、本喟火郡、景德王改名、今壽城郡、領縣四、大丘縣、本達句火縣、景德王改名、今因之、八里縣、本八居里縣一云北耻長里、一云仁里、景德王改名、今八居縣、河濱縣、本多斯只縣一云沓只、景德王改名、今因之、花園縣、本舌火縣、景德王改名、今因之 獐山郡、祗味王時、伐取押梁 一作督小國、置郡、景德王改名、今章山郡、領縣三、解顔縣、本雉省火縣一云美里 、景德王改名、今因之、餘粮縣、本麻珍一作彌良縣、景德王改名、今仇史部曲、慈仁縣、本奴斯火縣、景德王改名、今因之 臨皐郡、本切也火郡、景德王改名、今永州、領縣五、長鎭縣、今竹長伊部曲、臨川縣、助賁王時、伐得骨火小國、置縣、景德王改名、今合屬永州、道同縣、本刀冬火縣、景德王改名、今合屬永州、新寧縣、本史丁火縣、景德王改名、今因之、黽白縣、本買熱次縣、景德王改名、今合屬新寧縣 東萊郡、本居漆山郡、景德王改名、今因之、領縣二、東平縣、本大甑縣、景德王改名、今因之、機張縣、本甲火良谷縣、景德王改名、今因之 東安郡、本生西良郡、景德王改名、今合屬慶州、領縣一、虞風縣、本于火縣、景德王改名、今合屬蔚州臨關郡、本毛火一作蚊化郡、聖德王築城以遮日本賊路、景德王改名、今合屬慶州、領縣二、東津縣、本栗浦縣、景德王改名、今合屬蔚州、河曲一作西縣、婆娑王時、取屈阿火村置縣、景德王改名、今蔚州 義昌郡、本退火郡、景德王改名、今興海郡、領縣六、安康縣、本比火縣、景德王改名、今因之、鬐立縣、本只沓縣、景德王改名、今長鬐縣、神光縣、本東仍音縣、景德王改名、今因之、臨汀縣、本斤烏支縣、景德王改名、今迎日縣、杞溪縣、本芼兮縣一云化雞 、景德王改名、今因之、音汁火縣、婆娑王時、取音汁伐國置縣、今合屬安康縣 驚 大城郡、本仇刀城境內、率伊山城茄山縣一云驚山城 烏刀山城等三城、今合屬淸道郡、約章縣、本惡支縣、景德王改名、今合屬慶州、東畿停、本毛只停、景德王改名、今合屬慶州 商城郡、本西兄山郡、景德王改名、今合屬慶州、南畿停、本道品兮停、景德王改名、今合屬慶州、中畿停、本根乃停、景德王改名、今合屬慶州、西畿停、本豆良彌知停、景德王改名、今合屬慶州、北畿停、本雨谷停、景德王改名、今合屬慶州、莫耶停、本官阿良支停一云北阿良 、景德王改名、今合屬慶州 康州、神文王五年、唐垂拱元年、分居陁州置菁州、景德王改名、今晉州、領縣二、嘉壽縣、本加主火縣、景德王改名、今因之、屈村縣、今未詳 南海郡、神文王初置轉也山郡、海中島也、景德王改名、今因之、領縣二、蘭浦縣、本內浦縣、景德王改名、今因之、平山縣、本平西山縣一云西平、景德王改名、今因之 河東郡、本韓多沙郡、景德王改名、今因之、領縣三、省良縣、今金良部曲、嶽陽縣、本小多沙縣、景德王改名、今因之、河邑縣、本浦村縣、景德王改名、今未詳 固城郡、本古自郡、景德王改名、今因之、領縣三、蚊火良縣、今未詳、泗水縣、本史勿縣、景德王改名、今泗州、尙善縣、本一善縣、景德王改名、今永善縣 咸安郡、法興王以大兵滅阿尸良國一云阿那加耶、以其地爲郡、景德王改名、今因之、領縣二、玄武縣、本召彡縣、景德王改名、今召彡部曲、宜寧縣、本獐含縣、景德王改名、今因之 巨濟郡、文武王初置裳郡、海中島也、景德王改名、今因之、領縣三、鵝洲縣、本巨老縣、景德王改名、今因之、溟珍縣、本買珍伊縣、景德王改名、今因之、南垂縣、本松邊縣、景德王改名、今復故 闕城郡、本闕支郡、景德王改名、今江城縣、領縣二、丹邑縣、本赤村縣、景德王改名、今丹溪縣、山陰縣、本知品川縣、景德王改名、今因之 天嶺郡、本速含郡、景德王改名、今咸陽郡、領縣二、雲峰縣、本母山縣或云阿英城、或云阿莫城、景德王改名、今因之、利安縣、本馬利縣、景德王改名、今因之 居昌郡、本居烈郡或云居陁、景德王改名、今因之、領縣二、餘善縣、本南內縣、景德王改名、今感陰縣、咸陰縣、本加召縣、景德王改名、今復故 高靈郡、本大加耶國、自始祖伊珍阿豉王一云內珍朱智至道設智王凡十六世五百二十年、眞興大王侵滅之、以其地爲大加耶郡、景德王改名、今因之、領縣二、冶爐縣、本赤火縣、景德王改名、今因之、新復縣、本加尸兮縣、景德王改名、今未詳 江陽郡、本大良一作耶州郡、景德王改名、今陜州、領縣三、三岐縣、本三支縣一云麻杖、景德王改名、今因之、八谿縣、本草八兮縣、景德王改名、今草谿縣、宜桑縣、本辛尒縣一云朱烏村、一云泉州縣、景德王改名、今新繁縣 星山郡、本一利郡一云里山郡、景德王改名、今加利縣、領縣四、壽同縣、本斯同火縣、景德王改名、今未詳、谿子縣、本大木縣、景德王改名、今若木縣、新安縣、本本彼縣、景德王改名、今京山府、都山縣、本狄山縣、景德王改名、今未詳
三國史記 卷第三十四
三國史記 卷第三十四 宣撰 雜志第三 地理一 新羅の疆界(くにざかひ)、古(ふる)き傳記(つたえしるす)に同じからず、杜佑の通典に云(いは)く、其の先(とおつおや)は本(もともと)辰韓の種(ちすぢ)、其の國、百濟と高麗の二國の東南に在り、東の濱は大海、と。劉煦の唐書に云(いは)く、東南俱(とも)に大海を限(さかひ)とす、と。宋祁の新書云(いは)く、東南に日本、西に百濟、北に高麗、南に濱海、と。賈耽の四夷述に曰(いは)く、辰韓は馬韓の東に在り、東は海に抵(あた)り、北は濊と接す、と。新羅の崔致遠曰く、馬韓なるは則ち高麗、卞韓なるは則ち百濟、辰韓なるは則ち新羅なり、と。此れらの諸說は近似すると謂ふ可し、新舊唐書の若(ごと)きは皆云(いは)く、卞韓の苗裔(うまご)は樂浪の地に在り、と。新書も又た云(いは)く、東は長人に距(いた)り、長人なる者の人長(みのたけ)三丈、鋸の牙と鉤爪し、人を搏えて以て食らひ、新羅は常に弩士數千を屯(たむろ)せしめ之れに守らせむ、此れ皆懸(へだ)つ說(ことば)を傳え聞き、實(まこと)の錄(しるす)に非ざるなり、按ずるに兩(ふたつ)の漢の志(しるす)には、樂浪郡は洛陽の東北五千里に距(いた)り、注に曰(いは)く、幽州に屬し、故(かつて)は朝鮮國なり、と。則ち雞林の地分と隔絶するが似くし、又た相ひ傳へ、東海の絶島の上に大人國有り、而れども人に見る者無し、豈に弩士の守の者有らむ。今新羅の始祖赫居世を按ずるに、前漢五鳳元年甲子に國を開き、王都は長三千七十五步、廣三千一十八步、三十五里、六部、國號に徐耶伐と曰ひ、或は斯羅と云ひ、或は斯盧と云ひ、或は新羅と云ひ、脫解王九年、始林に雞の怪有り、名を雞林に更(あらた)め、因りて以て國號と爲し、基臨王十年に復(ふたた)び新羅を號し、初め赫居世二十一年、宮城を築き、金城を號し、婆娑王二十二年、金城の東南に於いて城を築き、月城を號し、或は在城と號し、周は一千二十三步、新月城の北に滿月城有り、周は一千八百三十八步、又た新月城の東に明活城有り、周は一千九百六步、又た新月城の南に南山城有り、周は二千八百四步、始祖已に金城に來處し、後世に至り兩月城に處すること多く、高句麗百濟の地と犬牙を錯(まじ)え始め、或は相ひ和親し、或は相ひ寇鈔(おかしぬすみ)、後に大唐と二(ふたつ)の邦(くに)を侵し滅ぼし、其の土地を平ぎ、遂に九州を置き、本國の界(さかひ)の內に三州を置き、王城の東北に唐恩浦の路に當たるを曰く尙州、王城の南を曰く良州、西に曰く康州、故(かつ)ての百濟國の界(くにざかひ)に三州を置き、百濟の故城の北の熊津口を曰く熊州、次いで西南を曰く全州、次いで南を曰く武州、故(かつて)の高句麗の南の界(さかひ)に於いて二州を置き、西より第一を曰く漢州、東に次いで曰く朔州、又た東に次いで曰く溟州、九州の管(つかさど)る所の郡縣、四百五十方言は所謂鄕部曲等の雜所を慮る無く、具(くは)しく錄(しる)すこと復たせざり、新羅地理の廣袤(ひろさ)、斯に極を爲せり、其の衰うるに及ぶや、政は荒み民は散り、疆土は日(ひにひに)蹙(せまり)、末王の金傅は國を以て我が太祖に歸し、其の國を以て慶州と爲す。 尙州、沾解王の時に沙伐國を取りて州と爲し、法興王十一年、梁晉通六年、初め軍主を置き、上州と爲し、眞興王十八年、州廢し、神文王七年、唐垂拱三年、復た置き、城の周一千一百九步を築き、景德王十六年、尙州と改名し、今之れに因み、領むる縣三つ、靑驍縣、本昔里火縣、景德王改名し、今は靑理縣、多仁縣、本達已縣、或は云く多已、景德王改名し、今は之れに因り、化昌縣、本(もともと)知乃彌知縣、景德王改名し、今は未詳たり。 醴泉郡、本(もともと)水酒郡、景德王改名し、今は甫州、領むる縣四つ、永安縣、本(もともと)下枝縣、景德王改名し、今は豐山縣、安仁縣、本(もともと)蘭山縣、景德王改名し、今は未詳、嘉猷縣、本(もともと)近、一に巾と作す、品縣、景德王改名し、今は山陽縣、殷正縣、本(もともと)赤牙縣、景德王改名し、今は殷豐縣なり。 古昌郡、本(もともと)古陁耶郡、景德王改名し、今は安東府、領むる縣三つ、直寧縣、本(もともと)一直縣、景德王改名し、今は故(もと)に復(もど)り、日谿縣、本(もともと)熱兮縣、或(あるいは)云(いは)く泥兮、景德王改名し、今は未詳たり、高丘縣、本(もともと)仇火縣、或(あるいは)云(いは)く高近、景德王改名し、今は合屬義城府。 聞韶郡、本(もともと)召文國。景德王改名し、今は義城府、領むる縣四つ、眞寶縣、本(もともと)柒巴火縣、景德王改名し、今は甫城、比屋縣、本(もともと)阿火屋縣、一に云(いは)く幷屋、景德王改名し、今は之れに因む。安賢縣、本(もともと)阿尸兮縣、一に云(いは)く阿乙兮、景德王改名し、今は安定縣、單密縣、本(もともと)武冬彌知、一に云(いは)く曷冬彌知、景德王改名し、今は之れに因る。 嵩善郡、本(もともと)一善郡、眞平王三十六年に一善州と爲り、軍主を置き、神文王七年、州廢し、景德王改名し、今は善州。領むる縣三つ、孝靈縣、本(もともと)芼兮縣、景德王改名し、今は之れに因み、尒同兮縣、今は未詳、軍威縣、本(もともと)奴同覓縣、一に云(いは)く如豆覓、景德王改名し、今之れに因む。 開寧郡、古甘文の小國なり。眞興王十八年、梁永定元年、軍主を置き、靑州と爲る。眞平王の時、州廢し、文武王元年、甘文郡を置き、景德王改名し、今之れに因む。領むる縣四つ、禦侮縣は、本(もともと)今勿縣、一に云(いは)く陰達、景德王改名し、今は之れに因む。金山縣、景德王は州縣の名を改め、今に及ぶまで並びて之れに因む。知禮縣、本(もともと)知品川縣、景德王改名し、今之れに因む。茂豐縣、本(もともと)茂山縣、景德王改名し、今之れに因む。 永同郡、本(もともと)吉同郡、景德王改名し、今之れに因む。領むる縣二つ、陽山縣、本(もともと)助比川縣、景德王改名し、今之れに因む。黃澗縣、本(もともと)召羅縣、景德王改名し、今之れに因む。 管城郡、本(もともと)古尸山郡、景德王改名し、今之れに因む。領むる縣二つ、利山縣、本(もともと)所利山縣、景德王改名し、今之れに因む。縣眞縣、本(もともと)阿冬号縣、景德王改名し、今は安邑縣。 二年郡、本(もともと)三年山郡、景德王改名し、今は保齡郡。領むる縣二つ、淸川縣、本(もともと)薩買縣、景德王改名し、今之れに因む。耆山縣、本(もともと)屈縣、景德王改名し、今は靑山縣。 古寧郡、本(もともと)古寧加耶國、新羅之れを取り、古冬攬郡、一に云(いは)く古陵縣と爲し、景德王改名し、今は咸寧郡。領むる縣三つ、嘉善縣、本(もともと)加害縣、景德王改名し、今は加恩縣、冠山縣、本冠縣、一に云(いは)く冠文縣、景德王改名し、今は慶縣と聞けり。虎溪縣、本(もともと)虎側縣、景德王改名し、今之れに因む。 化寧郡、本(もともと)答達匕郡、一に云(いは)く沓達、景德王改名し、今は之れに因る。領むる縣一つ、道安縣、本(もともと)刀良縣、景德王改名し、今は中牟縣。 良州、文武王五年、麟德二年、上州と下州に地を割り、歃良州を置く。神文王七年、城を築くこと周一千二百六十步。景德王は良州を改名し、今は梁州。領むる縣一つ、巘陽縣、本(もともと)居知火縣、景德王改名し、今は之れに因る。 金海小京、古金官國、一に云(いは)く伽落國、一に云(いは)く伽耶、始祖の首露王より十世の仇亥王に至り、以て梁中大通四年、新羅の法興王十九年、百姓を率いて降(くだり)に來たり、其の地を以て金官郡と爲し、文武王二十年、永隆元年、小京と爲し、景德王、金海京と改名し、今は金州。 義安郡、本(もともと)屈自郡、景德王改名し、今は之れに因る。領むる縣三つ、漆隄縣、本(もともと)漆吐縣、景德王改名し、今は漆園縣、合浦縣、本(もともと)骨浦縣、景德王改名し、今は之れに因る。熊神縣、本(もともと)熊只縣、景德王改名し、今は之れに因る。 密城郡、本(もともと)推火郡、景德王改名し、今は之れに因る。領むる縣五つ、尙藥縣、本(もともと)西火縣、景德王改名し、今は靈山縣。密津縣、本(もともと)推浦縣、一に云(いは)く竹山、景德王改名し、今は未詳。烏丘山縣、本(もともと)烏也山縣、一に云(いは)く仇道、一に云(いは)く烏禮山、景德王改名し、今は合はせて淸道郡に屬せり。荊山縣、本(もともと)驚山縣、景德王改名し、今は合はせて淸道郡に屬す。蘇山縣、本(もともと)率已山縣、景德王改名し、今は合はせて淸道郡に屬す。 火王郡、本(もともと)比自火郡、一に云(いは)く比斯伐、眞興王十六年に州を置き、下州と名づけ、二十六年、州廢し、景德王改名し、今は昌寧郡、領むる縣一つ、玄驍縣、本(もともと)推良火縣、一に云(いは)く三良火、景德王改名し、今は玄豐縣。 壽昌郡、壽は一に嘉と作す、本(もともと)喟火郡、景德王改名し、今は壽城郡。領むる縣四つ、大丘縣、本(もともと)達句火縣、景德王改名し、今は之れに因む。八里縣、本(もともと)八居里縣、一に云(いは)く北耻長里、一に云(いは)く仁里、景德王改名し、今は八居縣。河濱縣、本(もともと)多斯只縣、一に云(いは)く沓只、景德王改名し、今は之れに因む。花園縣、本(もともと)舌火縣、景德王改名し、今は之れに因む。 獐山郡、祗味王の時、伐ちて押梁、一に督小國と作す、を取り、郡を置き、景德王改名し、今は章山郡。領むる縣三つ、解顔縣、本(もともと)雉省火縣、一に云(いは)く美里 、景德王改名し、今は之れに因む。餘粮縣、本(もともと)麻珍、一に彌良縣と作す、景德王改名し、今は仇史部曲。慈仁縣、本(もともと)奴斯火縣、景德王改名し、今は之れに因む。 臨皐郡、本(もともと)切也火郡、景德王改名し、今は永州。領むる縣五つ、長鎭縣、今は竹長伊部曲。臨川縣、助賁王の時、伐ちて骨火小國を得、縣を置き、景德王改名し、今は合はせて永州に屬す。道同縣、本(もともと)刀冬火縣、景德王改名し、今は永州に合はせ屬す。新寧縣、本(もともと)史丁火縣、景德王改名し、今は之れに因む。黽白縣、本(もともと)買熱次縣、景德王改名し、今は合はせて新寧縣に屬す。 東萊郡、本(もともと)居漆山郡、景德王改名し、今は之れに因む。領むる縣二つ、東平縣、本(もともと)大甑縣、景德王改名し、今は之れに因む。機張縣、本(もともと)甲火良谷縣、景德王改名し、今は之れに因む。 東安郡、本(もともと)生西良郡、景德王改名し、今は合はせて慶州に屬す。領むる縣一つ、虞風縣、本(もともと)于火縣、景德王改名し、今は合はせて蔚州臨關郡に屬す。 本毛火、一に蚊化と作す、郡、聖德王、城を築きて以て日本の賊路を遮り、景德王改名し、今は合はせて慶州に屬す。領むる縣二つ、東津縣、本(もともと)栗浦縣、景德王改名し、今は合はせて蔚州に屬す。河曲、一に西と作す、縣、婆娑王の時、屈阿火村を取りて縣を置き、景德王改名し、今の蔚州。 義昌郡、本(もともと)退火郡、景德王改名し、今は興海郡、領むる縣六つ、安康縣、本(もともと)比火縣、景德王改名し、今は之れに因む。鬐立縣、本(もともと)只沓縣、景德王改名し、今は長鬐縣。神光縣、本(もともと)東仍音縣、景德王改名し、今は之れに因む。臨汀縣、本(もともと)斤烏支縣、景德王改名し、今は迎日縣。杞溪縣、本(もともと)芼兮縣、一に云(いは)く化雞 、景德王改名し、今は之れに因む。音汁火縣、婆娑王の時、音汁伐國を取りて縣を置き、今は合はせて安康縣に屬す。驚。 大城郡、本(もともと)仇刀城の境內、率伊山城茄山縣、一に云(いは)く驚山城、烏刀山城等の三城、今は合はせて淸道郡に屬す。約章縣、本(もともと)惡支縣、景德王改名し、今は合はせて慶州に屬す。東畿停、本(もともと)毛只停、景德王改名し、今は合はせて慶州に屬す。 商城郡、本(もともと)西兄山郡、景德王改名し、今は合はせて慶州に屬す。南畿停、本(もともと)道品兮停、景德王改名し、今は合はせて慶州に屬す。中畿停、本(もともと)根乃停、景德王改名し、今は合はせて慶州に屬す。西畿停、本(もともと)豆良彌知停、景德王改名し、今は合はせて慶州に屬す。北畿停、本(もともと)雨谷停、景德王改名し、今は合はせて慶州に屬し、莫耶停、本(もともと)官阿良支停、一に云(いは)く北阿良 、景德王改名し、今は合はせて慶州に屬す。 康州、神文王五年、唐垂拱元年、居陁州を分けて菁州を置き、景德王改名し、今は晉州、領むる縣二つ、嘉壽縣、本(もともと)加主火縣、景德王改名し、今は之れに因む。屈村縣、今は未詳たり。 南海郡、神文王の初めに轉也山郡を置くは、海中の島なり。景德王改名し、今は之れに因む。領むる縣二つ、蘭浦縣、本(もともと)內浦縣、景德王改名し、今は之れに因む。平山縣、本(もともと)平西山縣、一に云(いは)く西平、景德王改名し、今は之れに因む。 河東郡、本(もともと)韓多沙郡、景德王改名し、今は之れに因む。領むる縣三つ、省良縣、今は金良部曲、嶽陽縣、本(もともと)小多沙縣、景德王改名し、今は之れに因む。河邑縣、本(もともと)浦村縣、景德王改名し、今は未詳たり。 固城郡、本(もともと)古自郡、景德王改名し、今は之れに因む。領むる縣三つ、蚊火良縣、今は未詳たり。泗水縣、本(もともと)史勿縣、景德王改名し、今は泗州。尙善縣、本(もともと)一善縣、景德王改名し、今は永善縣。 咸安郡、法興王、大兵を以て阿尸良國、一に阿那加耶と云ふ、を滅ぼし、其の地を以て郡と爲し、景德王改名し、今は之れに因む。領むる縣二つ、玄武縣、本(もともと)召彡縣、景德王改名し、今は召彡部曲。宜寧縣、本(もともと)獐含縣、景德王改名し、今は之れに因む。 巨濟郡、文武王初め裳郡を置くは、海中の島なり。景德王改名し、今は之れに因む。領むる縣三つ、鵝洲縣、本(もともと)巨老縣、景德王改名し、今は之れに因む。溟珍縣、本(もともと)買珍伊縣、景德王改名し、今は之れに因む。南垂縣、本(もともと)松邊縣、景德王改名し、今は故(もと)に復(もど)す。 闕城郡、本(もともと)闕支郡、景德王改名し、今は江城縣。領むる縣二つ、丹邑縣、本(もともと)赤村縣、景德王改名し、今は丹溪縣。山陰縣、本(もともと)知品川縣、景德王改名し、今は之れに因む。 天嶺郡、本(もともと)速含郡、景德王改名し、今は咸陽郡。領むる縣二つ、雲峰縣、本(もともと)母山縣、或は阿英城と云ふ、或は阿莫城と云ふ、景德王改名し、今は之れに因む。利安縣、本(もともと)馬利縣、景德王改名し、今は之れに因む。 居昌郡、本(もともと)居烈郡、或は居陁と云ふ、景德王改名し、今は之れに因む。領むる縣二つ、餘善縣、本(もともと)南內縣、景德王改名し、今は感陰縣。咸陰縣、本(もともと)加召縣、景德王改名し、今は故(もと)に復(もど)す。 高靈郡、本(もともと)大加耶國、始祖の伊珍阿豉王、一に內珍朱智と云ふ、より道設智王に至るまで凡そ十六世、五百二十年、眞興大王侵して之れを滅ぼし、其の地を以て大加耶郡と爲し、景德王改名し、今は之れに因む。領むる縣二つ、冶爐縣、本(もともと)赤火縣、景德王改名し、今は之れに因む。新復縣、本(もともと)加尸兮縣、景德王改名し、今は未詳たり。 江陽郡、本(もともと)大良、一に耶州と作す、郡、景德王改名し、今は陜州。領むる縣三つ、三岐縣、本(もともと)三支縣、一に麻杖と云ふ、景德王改名し、今は之れに因む。八谿縣、本(もともと)草八兮縣、景德王改名し、今は草谿縣。宜桑縣、本(もともと)辛尒縣、一に朱烏村と云ふ、一に泉州縣と云ふ、景德王改名し、今は新繁縣。 星山郡、本(もともと)一利郡、一に里山郡と云ふ、景德王改名し、今は加利縣、領むる縣四つ、壽同縣、本(もともと)斯同火縣、景德王改名し、今は未詳たり。谿子縣、本(もともと)大木縣、景德王改名し、今は若木縣。新安縣、本(もともと)本彼縣、景德王改名し、今は京山府。都山縣、本(もともと)狄山縣、景德王改名し、今は未詳たり。 三國史記 卷第三十四 |