地理(百済)

 後漢書には、「三韓はおよそ七十八国、百濟とはその一国である。」と伝わり、北史には、「百濟から東に新羅があり、西南のいずれも大海が国境で、北は漢江に隣接し、その都は居拔城、あるいは固麻城といい、その外には更に五方城がある。」と伝わる。通典には、「百濟は南に新羅と接し、北に高麗を隔て、西に大海を国教としている。」と伝わり、舊唐書には、「百濟は扶餘の別種である。東北には新羅、西に海を渡ると越州、南に海を渡ると倭に辿り着き、北は高麗。その王の居城は、東西にふたつの城がある。」と伝わる。新唐書には「百濟は西に越州を国境とし、南は倭、どれも海を越えた先にあり、北には高麗がある。」と伝わる。古典記を考査すれば、「東明王の第三子の溫祚は、前漢の鴻嘉三年癸卯(みずのとう)に卒本扶餘から慰禮城まで辿り着き、都を立て王を称し、三百八十九年を経た十三世の近肖古王に至り、高句麗の南平壤を奪取し、漢城を都とした。一百五年を経た二十二世の文周王に至り、熊川に都を移し、六十三年を経た二十六世聖王に至り、所夫里に都を移し、国号は南扶餘とした。三十一世義慈王に至ったのは年一百二十二を経た唐顯慶五年、この義慈王の在位二十年、新羅の庾信は唐の蘇定方と共同でこれを討伐して平定した。かつては五部、その内実として三十七郡、二百城、七十六萬戶を統率していたが、唐はその地を分割して熊津、馬韓、東明等の五都督府を置き、これによってその酋長を都督府刺史とした。それから間もなく、新羅がその地を悉く併合し、熊州、全州、武州の三州と諸郡縣を置き、高句麗の南部地域と新羅の旧地と共に九州を為した。

 熊川州(一説には熊津と伝わる)、熱也山縣、伐音支縣、西原(一説には臂城、一説には子谷と伝わる)、大木岳郡、其買縣(一説には林川と伝わる)、仇知縣、加林郡、馬山縣、大山縣、舌林郡、寺浦縣、比衆縣、馬尸山郡、牛見縣、今勿縣、構郡、伐首只縣、餘村縣、沙平縣、所夫里郡(一説には泗沘と伝わる)、珍惡山縣、悅已縣(一説には豆陵尹城、一説には豆串城、一説には尹城と伝わる)、任存城、古良夫里縣、烏山縣、黃等也山郡、眞峴縣(一説には貞峴)、珍洞縣、雨述郡、奴斯只縣、所比浦縣、結已郡、新村縣、沙尸良縣、一牟山郡、豆仍只縣、未谷縣、基郡、省大兮縣、知六縣、湯井郡、牙述縣、屈旨縣(一説には屈直と伝わる)、完山(一説には比斯伐、一説には比自火と伝わる)、豆伊縣(一説には往武と伝わる)、仇智山縣、高山縣、南原(一説には古龍郡と伝わる)、大尸山郡、井村縣、賓屈縣、也西伊縣、古沙夫里郡、皆火縣、欣良買縣、上柒縣、進乃郡(一説には進仍乙と伝わる)、豆尸伊縣(一説には富尸伊と伝わる)、勿居縣、赤川縣、德近郡、加知奈縣(一説には加乙乃と伝わると伝わる)、只良肖縣、共伐共縣、屎山郡(一説には折文と伝わると伝わる)、甘勿阿縣、馬西良縣、夫夫里縣、碧骨郡、豆乃山縣、首冬山縣、乃利阿縣、武斤縣、道實郡、礫坪縣、堗坪縣、金馬渚郡、所力只縣、閼也山縣、干召渚縣、伯海郡(一説には伯伊と伝わる)、難珍阿縣、雨坪縣、任實郡、馬突縣(一説には馬珍)、居斯勿縣、武珍州(一説には奴只と伝わる)、未冬夫里縣、伏龍縣、屈支縣、分嵯郡(一説には夫沙と伝わる)、助助禮縣、冬老縣、豆肹縣、比史縣、伏忽郡、馬斯良縣、季川縣、烏次縣、古馬未知縣、秋子兮郡、菓支縣(一説には菓兮と伝わる)、栗支縣、月奈郡、半奈夫里縣、阿老谷縣、古彌縣、古尸伊縣、丘斯珍兮縣、所非兮縣、武尸伊郡、上老縣、毛良夫里縣、松彌支縣、欿平郡(一説には武平と伝わる)、猿村縣、馬老縣、突山縣、欲乃郡、遁支縣、仇次禮縣、豆夫只縣、尒陵夫里郡(一説には竹樹夫里、一説には仁夫里と伝わる)、波夫里郡、仍利阿縣(一説には海濱と伝わる)、發羅郡、豆肹縣、實於山縣、水川縣(一説には水入伊と伝わる)、道武郡、古西伊縣、冬音縣、塞琴縣(一説には捉濱と伝わる)、黃述縣、勿阿兮郡、屈乃縣、多只縣、道際縣(一説には陰海と伝わる)、因珍島郡(海島である)、徒山縣(海島であり、あるいは猿山と伝わる)、買仇里縣(海島也)、阿次山郡、葛草縣(一説には阿老、一説には谷野と伝わる)、古祿只縣(一説には開要と伝わる)、居知山縣(一説には安陵と伝わる)、奈已郡。

 右の百濟の州郡縣は、共に一百四十七、これらは新羅によって名を改められ、現在の名称に及んだ。新羅の志を見よ。


戻る































≪白文≫
 後漢書云、三韓凡七十八國、百濟是其一國焉北史云、百濟東極新羅、西南俱限大海、北際漢江、其都曰居拔城、又云固麻城、其外更有五方城通典云、百濟南接新羅、北距高麗、西限大海舊唐書云、百濟、扶餘之別種、東北新羅、西渡海至越州、南渡海至倭、北高麗、其王所居、有東西兩城新唐書云、百濟西界越州、南倭、皆踰海、北高麗、按古典記、東明王第三子溫祚、以前漢鴻嘉三年癸卯、自卒本扶餘至慰禮城、立都稱王、歷三百八十九年、至十三世近肖古王、取高句麗南平壤、都漢城、歷一百五年、至二十二世文周王移都熊川、歷六十三年、至二十六世聖王移都所夫里、國號南扶餘、至三十一世義慈王、歷年一百二十二、至唐顯慶五年、是義慈王在位二十年、新羅庾信與唐蘇定方討平之、舊有五部、分統三十七郡、二百城、七十六萬戶、唐以其地、分置熊津馬韓東明等五都督府、仍以其酋長爲都督府刺史、未幾、新羅盡幷其地、置熊全武三州及諸郡縣、與高句麗南境及新羅舊地爲九州。

 熊川州(一云熊津)、熱也山縣、伐音支縣、西原(一云臂城、一云子谷)、大木岳郡、其買縣(一云林川)、仇知縣、加林郡、馬山縣、大山縣、舌林郡、寺浦縣、比衆縣、馬尸山郡、牛見縣、今勿縣、構郡、伐首只縣、餘村縣、沙平縣、所夫里郡(一云泗沘)、珍惡山縣、悅已縣(一云豆陵尹城、一云豆串城、一云尹城)、任存城、古良夫里縣、烏山縣、黃等也山郡、眞峴縣(一云貞峴)、珍洞縣、雨述郡、奴斯只縣、所比浦縣、結已郡、新村縣、沙尸良縣、一牟山郡、豆仍只縣、未谷縣、基郡、省大兮縣、知六縣、湯井郡、牙述縣、屈旨縣(一云屈直)、完山(一云比斯伐、一云比自火)、豆伊縣(一云往武)、仇智山縣、高山縣、南原(一云古龍郡)、大尸山郡、井村縣、賓屈縣、也西伊縣、古沙夫里郡、皆火縣、欣良買縣、上柒縣、進乃郡(一云進仍乙)、豆尸伊縣(一云富尸伊)、勿居縣、赤川縣、德近郡、加知奈縣(一云加乙乃)、只良肖縣、共伐共縣、屎山郡(一云折文)、甘勿阿縣、馬西良縣、夫夫里縣、碧骨郡、豆乃山縣、首冬山縣、乃利阿縣、武斤縣、道實郡、礫坪縣、堗坪縣、金馬渚郡、所力只縣、閼也山縣、干召渚縣、伯海郡(一云伯伊)、難珍阿縣、雨坪縣、任實郡、馬突縣(一云馬珍)、居斯勿縣、武珍州(一云奴只)、未冬夫里縣、伏龍縣、屈支縣、分嵯郡(一云夫沙)、助助禮縣、冬老縣、豆肹縣、比史縣、伏忽郡、馬斯良縣、季川縣、烏次縣、古馬未知縣、秋子兮郡、菓支縣(一云菓兮)、栗支縣、月奈郡、半奈夫里縣、阿老谷縣、古彌縣、古尸伊縣、丘斯珍兮縣、所非兮縣、武尸伊郡、上老縣、毛良夫里縣、松彌支縣、欿平郡(一云武平)、猿村縣、馬老縣、突山縣、欲乃郡、遁支縣、仇次禮縣、豆夫只縣、尒陵夫里郡(一云竹樹夫里、一云仁夫里)、波夫里郡、仍利阿縣(一云海濱)、發羅郡、豆肹縣、實於山縣、水川縣(一云水入伊)、道武郡、古西伊縣、冬音縣、塞琴縣(一云捉濱)、黃述縣、勿阿兮郡、屈乃縣、多只縣、道際縣(一云陰海)、因珍島郡(海島也)、徒山縣(海島也、或云猿山)、買仇里縣(海島也)、阿次山郡、葛草縣(一云阿老、一云谷野)、古祿只縣(一云開要)、居知山縣(一云安陵)、奈已郡。

 右百濟州郡縣共一白四十七、其新羅改名及今名、見新羅志。



≪書き下し文≫
 後漢書に云く、三韓は凡そ七十八國、百濟は是れ其の一國ならむ、と。北史に云く、百濟は東の極は新羅、西南俱(とも)に大海を限りとし、北は漢江に際し、其の都は居拔城と曰ひ、又た固麻城と云ひ、其の外に更に五方城有り、と。通典に云く、百濟は南に新羅を接し、北に高麗を距(へだ)て、西に大海を限りとす、と。舊唐書に云く、百濟は扶餘の別種。東北に新羅、西に海を渡れば越州に至り、南に海を渡れば倭に至り、北は高麗。其の王の居する所は、東西に兩城有り、と。新唐書に云く、百濟の西は越州を界(さかひ)とし、南は倭、皆海を踰(こ)え、北に高麗、と。古典記を按ずれば、東明王の第三子の溫祚、前漢の鴻嘉三年癸卯(みずのとう)を以て、卒本扶餘より慰禮城に至り、都を立て王を稱し、三百八十九年を歷(へ)、十三世の近肖古王に至り、高句麗の南平壤を取り、漢城に都(みやこ)し、一百五年を歷(へ)、二十二世の文周王に至り、移りて熊川に都(みやこ)し、六十三年を歷(へ)、二十六世聖王に至り、移りて所夫里に都し、國號は南扶餘、三十一世義慈王に至り、年一百二十二を歷(へ)、唐顯慶五年に至り、是れ義慈王の在位二十年、新羅の庾信は唐の蘇定方と與に討ちて之れを平ぐ。舊(かつ)て五部有り、分けて三十七郡、二百城、七十六萬戶を統ぶるも、唐は其の地を以て、分けて熊津、馬韓、東明等の五都督府を置き、仍りて其の酋長を以て都督府刺史と爲し、未だ幾くあらず、新羅は盡く其の地を幷(あは)せ、熊全武の三州及び諸郡縣を置き、高句麗の南境及び新羅の舊地と與に九州を爲せり。

 熊川州(一に云く熊津)、熱也山縣、伐音支縣、西原(一に云く臂城、一に云く子谷)、大木岳郡、其買縣(一に云く林川)、仇知縣、加林郡、馬山縣、大山縣、舌林郡、寺浦縣、比衆縣、馬尸山郡、牛見縣、今勿縣、構郡、伐首只縣、餘村縣、沙平縣、所夫里郡(一に云く泗沘)、珍惡山縣、悅已縣(一に云く豆陵尹城、一に云く豆串城、一に云く尹城)、任存城、古良夫里縣、烏山縣、黃等也山郡、眞峴縣(一に云く貞峴)、珍洞縣、雨述郡、奴斯只縣、所比浦縣、結已郡、新村縣、沙尸良縣、一牟山郡、豆仍只縣、未谷縣、基郡、省大兮縣、知六縣、湯井郡、牙述縣、屈旨縣(一に云く屈直)、完山(一に云く比斯伐、一に云く比自火)、豆伊縣(一に云く往武)、仇智山縣、高山縣、南原(一に云く古龍郡)、大尸山郡、井村縣、賓屈縣、也西伊縣、古沙夫里郡、皆火縣、欣良買縣、上柒縣、進乃郡(一に云く進仍乙)、豆尸伊縣(一に云く富尸伊)、勿居縣、赤川縣、德近郡、加知奈縣(一に云く加乙乃)、只良肖縣、共伐共縣、屎山郡(一に云く折文)、甘勿阿縣、馬西良縣、夫夫里縣、碧骨郡、豆乃山縣、首冬山縣、乃利阿縣、武斤縣、道實郡、礫坪縣、堗坪縣、金馬渚郡、所力只縣、閼也山縣、干召渚縣、伯海郡(一に云く伯伊)、難珍阿縣、雨坪縣、任實郡、馬突縣(一に云く馬珍)、居斯勿縣、武珍州(一に云く奴只)、未冬夫里縣、伏龍縣、屈支縣、分嵯郡(一に云く夫沙)、助助禮縣、冬老縣、豆肹縣、比史縣、伏忽郡、馬斯良縣、季川縣、烏次縣、古馬未知縣、秋子兮郡、菓支縣(一に云く菓兮)、栗支縣、月奈郡、半奈夫里縣、阿老谷縣、古彌縣、古尸伊縣、丘斯珍兮縣、所非兮縣、武尸伊郡、上老縣、毛良夫里縣、松彌支縣、欿平郡(一に云く武平)、猿村縣、馬老縣、突山縣、欲乃郡、遁支縣、仇次禮縣、豆夫只縣、尒陵夫里郡(一に云く竹樹夫里、一に云く仁夫里)、波夫里郡、仍利阿縣(一に云く海濱)、發羅郡、豆肹縣、實於山縣、水川縣(一に云く水入伊)、道武郡、古西伊縣、冬音縣、塞琴縣(一に云く捉濱)、黃述縣、勿阿兮郡、屈乃縣、多只縣、道際縣(一に云く陰海)、因珍島郡(海島なり)、徒山縣(海島なり、或は云く猿山)、買仇里縣(海島なり)、阿次山郡、葛草縣(一に云く阿老、一に云く谷野)、古祿只縣(一に云く開要)、居知山縣(一に云く安陵)、奈已郡。

 右の百濟の州郡縣、共に一白四十七、其れ新羅の名を改め今の名に及ぶ。新羅の志を見よ。