武官

 侍衛府、三徒を有し、眞德王五年に置かれた。將軍六人、神文王元年、監を罷(や)めて將軍を置き、位は級湌から阿湌までがこれに就いた。大監六人、位は奈麻から阿湌までがこれに就いた。隊頭十五人、位は舍知から沙湌までがこれに就いた。項三十六人、位は舍知から大奈麻までがこれに就いた。卒百十七人、位は先沮知から大舍までがこれに就いた。

 諸軍官、掌握する將軍は合計で三十六人、大幢四人、貴幢四人、漢山停(新羅人は軍営を停と呼称する)三人、完山停三人、河西停二人、牛首停二人、位は眞骨上堂から上臣までがこれに就き、綠衿幢二人、紫衿幢二人、白衿幢二人、緋衿幢二人、黃衿幢二人、黑衿幢二人、碧衿幢二人、赤衿幢二人、靑衿幢二人、位は眞骨の級湌から角干までがこれに就いた。景德王の時に至り、熊川州停に加えて三人が置かれた。

 大官大監、眞興王十年に置き、掌握するのは大幢五人、貴幢五人、漢山停四人、牛首停四人、河西停四人、完山停四人、衿なし、綠衿幢四人、紫衿幢四人、白衿幢四人、緋衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、碧衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、合計で六十二人、衿を着、眞骨、位は舍知から阿湌までがこれに就き、次品は奈麻から四重阿湌までがこれに就いた。

 隊大監、統領する馬兵、罽衿一人、音里火停一人、古良夫里停一人、居斯勿停一人、參良火停一人、召參停一人、未多夫里停一人、南川停一人、骨乃斤停一人、伐力川停一人、伊火兮停一人、綠衿幢三人、紫衿幢三人、白衿幢三人、黃衿幢三人、黑衿幢三人、碧衿幢三人、赤衿幢三人、靑衿幢三人、菁州誓一人、漢山州誓一人、完山州誓一人、統領する步兵、大幢三人、漢山停三人、貴幢二人、牛首停二人、完山停二人、碧衿幢二人、綠衿幢二人、白衿幢二人、黃衿幢二人、黑衿幢二人、紫衿幢二人、赤衿幢二人、靑衿幢二人、緋衿幢四人、合計で七十人、並んで衿を着、位は奈麻から阿湌までがこれに就いた。

 弟監、眞興王二十三年に置き、統領するのは大幢五人、貴幢五人、漢山停四人、牛首停四人、河西停四人、完山停四人、衿なし、碧衿幢四人、綠衿幢四人、白衿幢四人、緋衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、紫衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、罽衿幢一人、合計で六十三人、位は舍知から大奈麻までがこれに就いた。

 監舍知、合計で十九人、法興王十年に置かれた。大幢一人、上州停一人、漢山停一人、牛首停一人、河西停一人、完山停一人、碧衿幢一人、綠衿幢一人、白衿幢一人、緋衿幢一人、黃衿幢一人、黑衿幢一人、紫衿幢一人、赤衿幢一人、靑衿幢一人、罽衿幢一人、白衿武幢一人、赤衿武幢一人、黃衿武幢一人、衿なし、位は舍知から大舍までがこれに就いた。

 少監、眞興王二十三年に置き、大幢十五人、貴幢十五人、漢山停十五人、河西停十二人、牛首停十三人、完山停十三人、碧今幢十三人、綠衿幢十三人、白衿幢十三人、緋衿幢十三人、黃今幢十三人、黑衿幢十三人、紫衿幢十三人、赤衿幢十三人、靑衿幢十三人、統領する騎兵、音里火停二人、古良夫里停二人、居斯勿停二人、參良火停二人、召參停二人、未多夫里停二人、南川停二人、骨乃斤停二人、伐力川停二人、伊火兮停二人、緋衿幢三人、碧衿幢六人、綠衿幢六人、白衿幢六人、黃衿幢六人、黑衿幢六人、紫衿幢六人、赤衿幢六人、靑衿幢六人、罽衿幢一人、菁州誓三人、漢山州誓三人、完山州誓三人、統領する步兵、大幢六人、漢山停六人、貴幢四人、牛首停四人、完山停四人、碧衿幢四人、綠衿幢四人、白衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、紫衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、緋衿幢八人、菁州誓九人、漢山州誓九人、完山州誓九人、合計で三百七十二人、六停は衿なし、これ以外は全員が衿を着、位は大舍より以下がこれに就いた。

 火尺、大幢十五人、貴幢十人、漢山停十人、牛首停十人、河西停十人、完山停十人、綠衿幢十人、緋衿幢十人、紫衿幢十人、白衿幢十三人、黃衿幢十三人、黑衿幢十三人、碧衿幢十三人、赤衿幢十三人、靑衿幢十三人、屬大官、罽衿七人、音里火停二人、古良夫里停二人、居斯勿停二人、參良火停二人、召參停二人、未多夫里停二人、南川停二人、骨乃斤停二人、伐力川停二人、伊火兮停二人、碧衿幢六人、綠衿幢六人、白衿幢六人、黃衿幢六人、黑衿幢六人、紫衿幢六人、赤衿幢六人、靑衿幢六人、菁州誓二人、漢山州誓二人、完山州誓二人、統領する騎兵、大幢六人、漢山停六人、貴幢四人、牛首停四人、完山停四人、碧衿幢四人、綠衿幢四人、白衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、紫衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、緋衿幢八人、白衿武幢八人、赤衿武幢八人、黃衿武幢八人、統領する步兵、合計で三百四十二人、位は少監と同じである。

 軍師幢主、法興王十一年に置き、王都一人、衿なし、大幢一人、上州停一人、漢山停一人、牛首停一人、河西停一人、完山停一人、碧衿幢一人、綠衿幢一人、緋衿幢一人、白衿幢一人、黃衿幢一人、黑衿幢一人、紫衿幢一人、赤衿幢一人、靑衿幢一人、白衿武幢一人、赤衿武幢一人、黃衿武幢一人、合計で十九人、衿を著、位は奈麻から一吉湌までがこれに就き、六[]。

 大匠尺幢主、大幢一人、上州停一人、漢山停一人、牛首停一人、河西停一人、完山停一人、碧衿幢一人、綠衿幢一人、緋衿幢一人、白衿幢一人、黃衿幢一人、黑衿幢一人、紫衿幢一人、赤衿幢一人、靑衿幢一人、合計で十五人、衿なし、位は軍師幢主と同じ。

 步騎幢主、王都一人、衿なし、大幢六人、漢山六人、貴幢四人、牛首州四人、完山州四人、碧衿幢四人、綠衿幢四人、白衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、紫衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、白衿武幢二人、赤衿武幢二人、黃衿武幢一人、合計で六十三人、位は奈麻から沙湌までがこれに就いた。

 三千幢主、音里火停六人、古良夫里停六人、居斯勿停六人、參良火停六人、召參停六人、未多夫里停六人、南川停六人、骨乃斤停六人、伐力川停六人、伊伐兮停六人、合計で六十人、衿を著し、位は舍知から沙湌までがこれに就いた。

 著衿騎幢主、碧衿幢十八人、綠衿幢十八人、白衿幢十八人、黃衿幢十八人、黑衿幢十八人、紫衿幢十八人、赤衿幢十八人、靑衿幢十八人、罽衿幢六人、菁州六人、完山州六人、漢山州六人、河西州四人、牛首幢三人、四千幢三人、合計で一百七十八人、位は三千幢主と同じ。

 緋衿幢主、四十人、沙伐州三人、歃良州三人、菁州三人、漢山州二人、牛首州六人、河西州六人、熊川州五人、完山州四人、武珍州八人、合計で四十人、衿を著し、位は舍知から沙湌までがこれに就いた。

 師子衿幢主、王都三人、沙伐州三人、歃良州三人、菁州三人、漢山州三人、牛首州三人、河西州三人、熊川州三人、完山州三人、武珍州三人、合計で三十人、衿を著し、位は舍知から一吉湌までがこれに就いた。

 法幢主、百官幢主三十人、京餘甲幢主十五人、小京餘甲幢主十六人、外餘甲幢主五十二人、弩幢主十五人、雲梯幢主六人、衝幢主十二人、石投幢主十二人、合計で一百五十八人、衿なし。

 黑衣長槍末步幢主、大幢三十人、貴幢二十二人、漢山二十八人、牛首二十人、完山二十人、紫衿二十人、黃衿二十人、黑衿二十人、碧衿二十人、赤衿二十人、靑衿二十人、綠衿二十四人、合計で二百六十四人、位は舍知から級湌までがこれに就いた。

 三武幢主、白衿武幢十六人、赤衿[武]幢十六人、黃衿武幢十六人、合計で四十八人、位は末步幢主と同じ。

 萬步幢主、京五種幢主十五人、節末幢主四人、九州萬步幢主十八人、合計で三十七人、衿なし、位は舍知から大奈麻までがこれに就いた。

 軍師監、王都二人、衿なし、大幢二人、上州停二人、漢山停二人、牛首停二人、河西停二人、完山停二人、碧衿幢二人、綠衿幢二人、緋衿幢二人、白衿幢二人、黃衿幢二人、黑衿幢二人、紫衿幢二人、赤衿幢二人、靑衿幢二人、合計で三十二人、衿を著し、位は舍知から奈麻までがこれに就いた。

 大匠大監、大幢一人、上州停一人、漢山停一人、牛首停一人、河西停一人、完山停一人、碧衿幢一人、綠衿幢一人、緋衿幢一人、白衿幢一人、黃衿幢一人、黑衿幢一人、紫衿幢一人、赤衿幢一人、靑衿幢一人、合計で十五人、衿なし、位は舍知から大奈麻までがこれに就いた。

 步騎監六十三人、王都一人、大幢六人、漢山六人、貴幢四人、牛首四人、完山四人、碧衿幢四人、綠衿幢四人、白衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、紫衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、白衿武幢二人、赤衿武幢二人、黃衿武幢二人、衿を著し、合計で六十三人、位は軍師監と同じ。

 三千監、音里火停六人、古良夫里停六人、居斯勿停六人、參良火停六人、召參停六人、未多夫里停六人、南川停六人、骨乃斤停六人、伐力川停六人、伊火兮停六人、合計で六十人、衿を著し、位は舍知から大奈麻までがこれに就いた。

 師子衿幢監三十人、位は幢から奈麻までがこれに就いた。

 法幢監、百官幢三十人、京餘甲幢十五人、外餘甲幢六十八人、石投幢十二人、衝幢十二人、弩幢四十五人、雲梯幢十二人、合計で一百九十四人、衿なし、位は舍知から奈麻までがこれに就いた。

 緋衿監四十八人、統領する幢四十人、統領する馬兵八人。

 著衿監、碧衿幢十八人、綠衿幢十八人、白衿幢十八人、黃衿幢十八人、黑衿幢十八人、紫衿幢十八人、赤衿幢十八人、靑衿幢十八人、罽衿六人、菁州六人、漢山六人、完山六人、河西三人、牛首幢三人、四千幢三人、合計で一百七十五人、位は幢から奈麻までがこれに就いた。

 皆知戟幢監四人、王都に並び、位は舍知から奈麻までがこれに就いた。

 法幢頭上百九十二人、餘甲幢四十五人、外法幢百二人、弩幢四十五人。

 法幢火尺、軍師幢三十人、師子衿幢二十人、京餘甲幢十五人、外餘甲幢百二人、弩幢四十五人、雲梯幢十一人、衝幢十八人、石投幢十八人、合計で二百五十九人。

 法幢辟主、餘甲幢四十五人、外法幢三百六人、弩幢百三十五人、合計で四百八十六人。

 三千卒百五十人、位は大奈麻以下がこれに就いた。

 凡軍號二十三、一に六停、二に九誓幢、三に十幢、四に五州誓、五に三武幢、六に罽衿幢、七に急幢、八に四千幢、九に京五種幢、十に二節末幢、十一に萬步幢、十二に大匠尺幢、十三に軍師幢、十四に仲幢、十五に百官幢、十六に四設幢、十七に皆知戟幢、十八に三十九餘甲幢、十九に仇七幢、二十に二罽、二十一に二弓、二十二に三邊守、二十三に新三千幢。

 六停、一に大幢、眞興王五年に置き始め、衿色は紫白。二に上州停、眞興王十三年に置き、文武王十三年に至り改めて貴幢と爲す。衿色は靑赤である。三に漢山停、もともと新州停、眞興王二十九年に新州停を罷(や)め、南川停を置き、眞平王二十六年に南川停を罷(や)め、漢山停を置き、衿色は黃靑である。四に牛首停、もともと比烈忽停、文武王十三年に比烈忽停を罷め、牛首停を置き、衿色は綠白である。五に河西停、もともと悉直停、太宗王五年に悉直停を罷(や)め、河西停を置き、衿色は綠白である。六に完山停、もともと下州停、新文王五年に下州停を罷(や)め、完山停を置き、衿色は白紫である。

 九誓幢、一に綠衿誓幢、眞平王五年に置かれ始めたが、名は誓幢であった。三十五年に綠衿誓幢と改め、衿色は綠紫である。二に紫衿誓幢、眞平王四十七年に置かれ始めたのは郞幢、文武王十七年に紫衿誓幢と改め、衿色は紫綠である。三に白衿誓幢、文武王十二年、百濟民を幢とし、衿色は白靑である。四に緋衿誓幢、文武王十二年に置かれ始めたのは長槍幢、孝昭王二年に緋衿誓幢と改めた。五に黃衿誓幢、神文王三年、高句麗民を幢とし、衿色は黃赤である。六に黑衿誓幢、神文王三年、靺鞨國民を幢とし、衿色は黑幢である。七に碧衿誓幢、神文王六年、報德城民を幢とし、衿色は碧黃である。八に赤衿誓幢、神文王六年、同じく報德城民を幢とし、衿色は赤黑である。九に靑衿誓幢、神文王七年、百濟の殘民を幢とし、衿色は靑白である。

 十停(あるいは三千幢と云う)、一に音里火停、二に古良夫里停、三に居斯勿停、衿色は靑である。四に參良火停、五に召參停、六に未多夫里停、衿色は黑である。七に南川停、八に骨乃斤停、衿色は黃である。九に伐力川停、十に伊火兮停、衿色は綠、並んで眞興王五年に置かれた。

 五州誓、一に菁州誓、二に完山州誓、三に漢山州誓、衿色は紫綠である。四に牛首州誓、五に河西州誓、衿色は綠紫である、並びて文武王十二年に置かれた。

 三武幢、一に白衿武幢、文武王十五年に置き、二に赤衿武幢、神文王七年に置き、三に黃衿武幢、九年に置かれた。

 罽衿幢、太宗王元年に置き、衿色は罽である。

 急幢、眞平王二十七年に置き、衿色は黃綠である。

 四千幢、眞平王十三年に置き、衿色は黃黑である。

 京五種幢、衿色は、一に靑綠、二に赤紫、三に黃白、四に白黑、五に黑靑である。

 二節末幢、衿色は、一に綠紫、二に紫綠である。

 萬步幢、九州各二つの衿色をしている。沙伐州は、靑黃靑紫、歃良州は、赤靑赤白、菁州は、赤黃赤綠、漢山州は、黃黑黃綠、牛首州は、黑綠黑白、熊川州は、黃紫黃靑、河西州は、靑黑靑赤、武珍州は、白赤白黃である。

 大匠尺幢、衿なし。

 軍師幢、眞平王二十六年に置き始め、衿色は白である。

 仲幢、文武王十一年に置き始め、衿色は白である。

 百官幢、衿なし。

 四設幢、一に弩幢、二に雲梯幢、三に衝幢、四に石投幢、衿なし。

 皆知戟幢、神文王十年に置き始め、衿色は黑紫白である。

 三十九餘甲幢、衿なし(京餘甲小京餘甲外餘甲等を謂うが、その数は未詳である)。

 仇七幢、文武王十六年に置き始め、衿色は白である。

 二罽幢(あるいは外罽と云う)、一に漢山州罽幢、太宗王十七年に置き、二に牛首州罽幢、文武王十二年に置き、衿色は皆罽である。

 二弓(あるいは外弓と云う)、一に漢山州弓尺、眞德王六年に置き、二に河西州弓尺、眞平王二十年に置き、衿なし。

 三邊守幢(一説には邊守と云う)、神文王十年に置き、一に漢山邊、二に牛首邊、三に河西邊、衿なし。

 新三千幢(一説に外三千と云う)、一に牛首州三千幢、二に奈吐郡三千幢、文武王十二年に置き、三に奈生郡三千幢、十六年に置き、衿色は未詳である。

 衿とは、思うに書伝に謂うところの徽織(バッジ)のことで、詩経には『”織”り込む文様は”鳥の紋章”(”織”文鳥章)』という一説があり、箋には『織とは、徽織である。鳥章は、ハヤブサの文章(エンブレム)である。将帥以下は、すべて衣にこれをはっきりと見せた』と云い、これを史記と漢書では『旗熾』と表記するが、『熾』と『織』は、字は異なるが音は同じである。周禮司常には、『九旗に描かれた物が異なるのは、徽織が互いに違いを示すためであり、国内に在るときは朝位を表現し、軍に在るときはその制を表象することが目的で、これを身に着けるのは死事に備えるためである。』という。新羅人の徽織(エムブレム)は、靑赤等の色で違いを表現しつつ、その形は半月を象(かたど)り、罽の赤は上から衣に縫い付ける。その長短の制(きまり)はよくわからない。

 大將軍花、三副、長さ九寸、広さ三寸三分、上將軍花、四副、長さ九寸五分、下將軍花、五副、長さ一尺、大監花、大虎の頰皮、長さ九寸、広さ二寸五分、鈴は黃金、円周一尺二寸、弟監花、熊の頰皮、長さ八寸五分、鈴の白銀、円周九寸、少監花、鷲の尾、鈴は白銅、円周六寸、火尺花は少監と同じ、鈴は鐵、円周二寸、軍師幢主花、大虎の尾、長さ一尺八寸、軍師監花、熊の胸皮、長さ八寸五分、大匠尺幢主花、熊の臂皮、長さ七寸(一に中虎の額皮、長さ八寸五分と云う)、鈴は黃金、円周九寸、三千幢主花、大虎の尾、長さ一尺八寸、三千監花、鷲の尾、諸著衿幢主花、大虎の尾、長さ一尺八寸五分、花は猛獸の皮もしくは鷲鳥の羽でこれを作り、杠(はたざお)の上に置き、もしくは所謂豹尾は、現在の人はこれを面槍將軍花と呼ぶが、物の名については言明せず、その数もある時は多く、ある時は少なく、その語義はよくわからないが、鈴は路を行って馱馬の上に置き、あるいは鐸と云う。

 政官(あるいは政法典と云う)、始めは大舍一人、史二人を司とし、元聖王元年になると、初めて僧官を置き、僧中から才がある行者を選抜して充て、理由があれば入れ替え、年限は定められていない。

 國統一人(一に寺主と云う)、眞興王十二年、高句麗の惠亮法師を寺主とし、都唯那娘一人、阿尼大都唯那一人、眞興王が始めに寶良法師をこれに就け、眞德王元年に一人を加え、大書省一人、眞興王は安臧法師をこれに就け、眞德王元年に一人を加え、少年書省二人、元聖王三年、惠英と梵如の二法をこれに就けた。

 州統九人、郡統十八人。

戻る

































≪白文≫
 侍衛府、有三徒、眞德王五年置、將軍六人、神文王元年、罷監置將軍、位自級湌至阿湌爲之、大監六人、位自奈麻至阿湌爲之、隊頭十五人、位自舍知至沙湌爲之、項三十六人、位自舍知至大奈麻爲之、卒百十七人、位自先沮知至大舍爲之。

 諸軍官、將軍共三十六人、掌大幢四人、貴幢四人、漢山停(羅人謂營爲停)三人、完山停三人、河西停二人、牛首停二人、位自眞骨上堂至上臣爲之、綠衿幢二人、紫衿幢二人、白衿幢二人、緋衿幢二人、黃衿幢二人、黑衿幢二人、碧衿幢二人、赤衿幢二人、靑衿幢二人、位自眞骨級湌至角干爲之、至景德王時、熊川州停加置三人。

 大官大監、眞興王十年置、掌大幢五人、貴幢五人、漢山停四人、牛首停四人、河西停四人、完山停四人、無衿、綠衿幢四人、紫衿幢四人、白衿幢四人、緋衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、碧衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、共六十二人、着衿、眞骨、位自舍知至阿湌爲之、次品自奈麻至四重阿湌爲之。

 隊大監、領馬兵、罽衿一人、音里火停一人、古良夫里停一人、居斯勿停一人、參良火停一人、召參停一人、未多夫里停一人、南川停一人、骨乃斤停一人、伐力川停一人、伊火兮停一人、綠衿幢三人、紫衿幢三人、白衿幢三人、黃衿幢三人、黑衿幢三人、碧衿幢三人、赤衿幢三人、靑衿幢三人、菁州誓一人、漢山州誓一人、完山州誓一人、領步兵、大幢三人、漢山停三人、貴幢二人、牛首停二人、完山停二人、碧衿幢二人、綠衿幢二人、白衿幢二人、黃衿幢二人、黑衿幢二人、紫衿幢二人、赤衿幢二人、靑衿幢二人、緋衿幢四人、共七十人、並着衿、位自奈麻至阿湌爲之。

 弟監、眞興王二十三年置、領大幢五人、貴幢五人、漢山停四人、牛首停四人、河西停四人、完山停四人、無衿、碧衿幢四人、綠衿幢四人、白衿幢四人、緋衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、紫衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、罽衿幢一人、共六十三人、位自舍知至大奈麻爲之。

 監舍知、共十九人、法興王十年置、大幢一人、上州停一人、漢山停一人、牛首停一人、河西停一人、完山停一人、碧衿幢一人、綠衿幢一人、白衿幢一人、緋衿幢一人、黃衿幢一人、黑衿幢一人、紫衿幢一人、赤衿幢一人、靑衿幢一人、罽衿幢一人、白衿武幢一人、赤衿武幢一人、黃衿武幢一人、無衿、位自舍知至大舍爲之。

 少監、眞興王二十三年置、大幢十五人、貴幢十五人、漢山停十五人、河西停十二人、牛首停十三人、完山停十三人、碧今幢十三人、綠衿幢十三人、白衿幢十三人、緋衿幢十三人、黃今幢十三人、黑衿幢十三人、紫衿幢十三人、赤衿幢十三人、靑衿幢十三人、領騎兵、音里火停二人、古良夫里停二人、居斯勿停二人、參良火停二人、召參停二人、未多夫里停二人、南川停二人、骨乃斤停二人、伐力川停二人、伊火兮停二人、緋衿幢三人、碧衿幢六人、綠衿幢六人、白衿幢六人、黃衿幢六人、黑衿幢六人、紫衿幢六人、赤衿幢六人、靑衿幢六人、罽衿幢一人、菁州誓三人、漢山州誓三人、完山州誓三人、領步兵、大幢六人、漢山停六人、貴幢四人、牛首停四人、完山停四人、碧衿幢四人、綠衿幢四人、白衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、紫衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、緋衿幢八人、菁州誓九人、漢山州誓九人、完山州誓九人、共三百七十二人、六停無衿、此外皆着衿、位自大舍已下爲之。

 火尺、大幢十五人、貴幢十人、漢山停十人、牛首停十人、河西停十人、完山停十人、綠衿幢十人、緋衿幢十人、紫衿幢十人、白衿幢十三人、黃衿幢十三人、黑衿幢十三人、碧衿幢十三人、赤衿幢十三人、靑衿幢十三人、屬大官、罽衿七人、音里火停二人、古良夫里停二人、居斯勿停二人、參良火停二人、召參停二人、未多夫里停二人、南川停二人、骨乃斤停二人、伐力川停二人、伊火兮停二人、碧衿幢六人、綠衿幢六人、白衿幢六人、黃衿幢六人、黑衿幢六人、紫衿幢六人、赤衿幢六人、靑衿幢六人、菁州誓二人、漢山州誓二人、完山州誓二人、領騎兵、大幢六人、漢山停六人、貴幢四人、牛首停四人、完山停四人、碧衿幢四人、綠衿幢四人、白衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、紫衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、緋衿幢八人、白衿武幢八人、赤衿武幢八人、黃衿武幢八人、領步兵、共三百四十二人、位與少監同。

 軍師幢主、法興王十一年置、王都一人、無衿、大幢一人、上州停一人、漢山停一人、牛首停一人、河西停一人、完山停一人、碧衿幢一人、綠衿幢一人、緋衿幢一人、白衿幢一人、黃衿幢一人、黑衿幢一人、紫衿幢一人、赤衿幢一人、靑衿幢一人、白衿武幢一人、赤衿武幢一人、黃衿武幢一人、共十九人、著衿、位自奈麻至一吉湌爲之、六[][1]。

 大匠尺幢主、大幢一人、上州停一人、漢山停一人、牛首停一人、河西停一人、完山停一人、碧衿幢一人、綠衿幢一人、緋衿幢一人、白衿幢一人、黃衿幢一人、黑衿幢一人、紫衿幢一人、赤衿幢一人、靑衿幢一人、共十五人、無衿、位與軍師幢主同。

 步騎幢主、王都一人、無衿、大幢六人、漢山六人、貴幢四人、牛首州四人、完山州四人、碧衿幢四人、綠衿幢四人、白衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、紫衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、白衿武幢二人、赤衿武幢二人、黃衿武幢一人、共六十三人、位自奈麻至沙湌爲之。

 三千幢主、音里火停六人、古良夫里停六人、居斯勿停六人、參良火停六人、召參停六人、未多夫里停六人、南川停六人、骨乃斤停六人、伐力川停六人、伊伐兮停六人、共六十人、著衿、位自舍知至沙湌爲之。

 著衿騎幢主、碧衿幢十八人、綠衿幢十八人、白衿幢十八人、黃衿幢十八人、黑衿幢十八人、紫衿幢十八人、赤衿幢十八人、靑衿幢十八人、罽衿幢六人、菁州六人、完山州六人、漢山州六人、河西州四人、牛首幢三人、四千幢三人、共一百七十八人、位與三千幢主同。

 緋衿幢主、四十人、沙伐州三人、歃良州三人、菁州三人、漢山州二人、牛首州六人、河西州六人、熊川州五人、完山州四人、武珍州八人、共四十人、著衿、位自舍知至沙湌爲之。

 師子衿幢主、王都三人、沙伐州三人、歃良州三人、菁州三人、漢山州三人、牛首州三人、河西州三人、熊川州三人、完山州三人、武珍州三人、共三十人、著衿、位自舍知至一吉湌爲之。

 法幢主、百官幢主三十人、京餘甲幢主十五人、小京餘甲幢主十六人、外餘甲幢主五十二人、弩幢主十五人、雲梯幢主六人、衝幢主十二人、石投幢主十二人、共一百五十八人、無衿。

 黑衣長槍末步幢主、大幢三十人、貴幢二十二人、漢山二十八人、牛首二十人、完山二十人、紫衿二十人、黃衿二十人、黑衿二十人、碧衿二十人、赤衿二十人、靑衿二十人、綠衿二十四人、共二百六十四人、位自舍知至級湌爲之。

 三武幢主、白衿武幢十六人、赤衿[武]幢十六人、黃衿武幢十六人、共四十八人、位與末步幢主同。

 萬步幢主、京五種幢主十五人、節末幢主四人、九州萬步幢主十八人、共三十七人、無衿、位自舍知至大奈麻爲之。

 軍師監、王都二人、無衿、大幢二人、上州停二人、漢山停二人、牛首停二人、河西停二人、完山停二人、碧衿幢二人、綠衿幢二人、緋衿幢二人、白衿幢二人、黃衿幢二人、黑衿幢二人、紫衿幢二人、赤衿幢二人、靑衿幢二人、共三十二人、著衿、位自舍知至奈麻爲之。

 大匠大監、大幢一人、上州停一人、漢山停一人、牛首停一人、河西停一人、完山停一人、碧衿幢一人、綠衿幢一人、緋衿幢一人、白衿幢一人、黃衿幢一人、黑衿幢一人、紫衿幢一人、赤衿幢一人、靑衿幢一人、共十五人、無衿、位自舍知至大奈麻爲之。

 步騎監六十三人、王都一人、大幢六人、漢山六人、貴幢四人、牛首四人、完山四人、碧衿幢四人、綠衿幢四人、白衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、紫衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、白衿武幢二人、赤衿武幢二人、黃衿武幢二人、著衿、共六十三人、位與軍師監同。

 三千監、音里火停六人、古良夫里停六人、居斯勿停六人、參良火停六人、召參停六人、未多夫里停六人、南川停六人、骨乃斤停六人、伐力川停六人、伊火兮停六人、共六十人、著衿、位自舍知至大奈麻爲之。

 師子衿幢監三十人、位自幢至奈麻爲之。

 法幢監、百官幢三十人、京餘甲幢十五人、外餘甲幢六十八人、石投幢十二人、衝幢十二人、弩幢四十五人、雲梯幢十二人、共一百九十四人、無衿、位自舍知至奈麻爲之。

 緋衿監四十八人、領幢四十人、領馬兵八人。

 著衿監、碧衿幢十八人、綠衿幢十八人、白衿幢十八人、黃衿幢十八人、黑衿幢十八人、紫衿幢十八人、赤衿幢十八人、靑衿幢十八人、罽衿六人、菁州六人、漢山六人、完山六人、河西三人、牛首幢三人、四千幢三人、共一百七十五人、位自幢至奈麻爲之。

 皆知戟幢監四人、並王都、位自舍知至奈麻爲之。

 法幢頭上百九十二人、餘甲幢四十五人、外法幢百二人、弩幢四十五人。

 法幢火尺、軍師幢三十人、師子衿幢二十人、京餘甲幢十五人、外餘甲幢百二人、弩幢四十五人、雲梯幢十一人、衝幢十八人、石投幢十八人、共二百五十九人。

 法幢辟主、餘甲幢四十五人、外法幢三百六人、弩幢百三十五人、共四百八十六人。

 三千卒百五十人、位自大奈麻已下爲之。

 凡軍號二十三、一曰六停、二曰九誓幢、三曰十幢、四曰五州誓、五曰三武幢、六曰罽衿幢、七曰急幢、八曰四千幢、九曰京五種幢、十曰二節末幢、十一曰萬步幢、十二曰大匠尺幢、十三曰軍師幢、十四曰仲幢、十五曰百官幢、十六曰四設幢、十七曰皆知戟幢、十八曰三十九餘甲幢、十九曰仇七幢、二十曰二罽、二十一曰二弓、二十二曰三邊守、二十三曰新三千幢。

 六停、一曰大幢、眞興王五年始置、衿色紫白、二曰上州停、眞興王十三年置、至文武王十三年改爲貴幢、衿色靑赤、三曰漢山停、本新州停、眞興王二十九年罷新州停、置南川停、眞平王二十六年罷南川停、置漢山停、衿色黃靑、四曰牛首停、本比烈忽停、文武王十三年罷比烈忽停、置牛首停、衿色綠白、五曰河西停、本悉直停、太宗王五年罷悉直停、置河西停、衿色綠白、六曰完山停、本下州停、新文王五年罷下州停、置完山停、衿色白紫。

 九誓幢、一曰綠衿誓幢、眞平王五年始置、但名誓幢、三十五年改爲綠衿誓幢、衿色綠紫、二曰紫衿誓幢、眞平王四十七年始置郞幢、文武王十七年改爲紫衿誓幢、衿色紫綠、三曰白衿誓幢、文武王十二年、以百濟民爲幢、衿色白靑、四曰緋衿誓幢、文武王十二年始置長槍幢、孝昭王二年改爲緋衿誓幢、五曰黃衿誓幢、神文王三年、以高句麗民爲幢、衿色黃赤、六曰黑衿誓幢、神文王三年、以靺鞨國民爲幢、衿色黑幢、七曰碧衿誓幢、神文王六年、以報德城民爲幢、衿色碧黃、八曰赤衿誓幢、神文王六年、又以報德城民爲幢、衿色赤黑、九曰靑衿誓幢、神文王七年、以百濟殘民爲幢、衿色靑白。

 十停(或云三千幢)、一曰音里火停、二曰古良夫里停、三曰居斯勿停、衿色靑、四曰參良火停、五曰召參停、六曰未多夫里停、衿色黑、七曰南川停、八曰骨乃斤停、衿色黃、九曰伐力川停、十曰伊火兮停、衿色綠、並眞興王五年置。

 五州誓、一曰菁州誓、二曰完山州誓、三曰漢山州誓、衿色紫綠、四曰牛首州誓、五曰河西州誓、衿色綠紫、並文武王十二年置。

 三武幢、一曰白衿武幢、文武王十五年置、二曰赤衿武幢、神文王七年置、三曰黃衿武幢、九年置。

 罽衿幢、太宗王元年置、衿色罽。

 急幢、眞平王二十七年置、衿色黃綠。

 四千幢、眞平王十三年置、衿色黃黑。

 京五種幢、衿色、一靑綠、二赤紫、三黃白、四白黑、五黑靑。

 二節末幢、衿色、一綠紫、二紫綠。

 萬步幢、九州各二衿色、沙伐州、靑黃靑紫、歃良州、赤靑赤白、菁州、赤黃赤綠、漢山州、黃黑黃綠、牛首州、黑綠黑白、熊川州、黃紫黃靑、河西州、靑黑靑赤、武珍州、白赤白黃。

 大匠尺幢、無衿。

 軍師幢、眞平王二十六年始置、衿色白。

 仲幢、文武王十一年始置、衿色白。

 百官幢、無衿。

 四設幢、一曰弩幢、二曰雲梯幢、三曰衝幢、四曰石投幢、無衿。

 皆知戟幢、神文王十年始置、衿色黑紫白。

 三十九餘甲幢、無衿(謂京餘甲小京餘甲外餘甲等也、其數未詳)。

 仇七幢、文武王十六年始置、衿色白。

 二罽幢(或云外罽)、一曰漢山州罽幢、太宗王十七年置、二曰牛首州罽幢、文武王十二年置、衿色皆罽。

 二弓(或云外弓)、一曰漢山州弓尺、眞德王六年置、二曰河西州弓尺、眞平王二十年置、無衿。

 三邊守幢(一云邊守)、神文王十年置、一曰漢山邊、二曰牛首邊、三曰河西邊、無衿。

 新三千幢(一云外三千)、一曰牛首州三千幢、二曰奈吐郡三千幢、文武王十二年置、三曰奈生郡三千幢、十六年置、衿色未詳。

 衿、蓋書傳所謂徽織詩云織文鳥章、箋云織、徽織也、鳥章、鳥隼之文章、將帥以下、衣皆著焉史記 漢書謂之旗熾、熾與織、字異音同周禮司常九旗、所畫異物者、徽織所以相別、在國以表朝位、在軍又象其制而爲之、被之以備死事、羅人徽織、以靑赤等色爲別者、其形象半月、罽赤著衣於上、其長短之制未詳。

 大將軍花、三副、長九寸、廣三寸三分、上將軍花、四副、長九寸五分、下將軍花、五副、長一尺、大監花、大虎頰皮、長九寸、廣二寸五分、鈴黃金、圓一尺二寸、弟監花、熊頰皮、長八寸五分、鈴白銀、圓九寸、少監花、鷲尾、鈴白銅、圓六寸、火尺花與少監同、鈴鐵、圓二寸、軍師幢主花、大虎尾、長一尺八寸、軍師監花、熊胸皮、長八寸五分、大匠尺幢主花、熊臂皮、長七寸(一云中虎額皮、長八寸五分)、鈴黃金、圓九寸、三千幢主花、大虎尾、長一尺八寸、三千監花、鷲尾、諸著衿幢主花、大虎尾、長一尺八寸五分、花以猛獸皮若鷲鳥羽作之、置杠上、若所謂豹尾者、今人謂之面槍將軍花、不言物名、其數或多或少、其義未詳、鈴行路置馱馬上、或云鐸。

 政官(或云政法典)、始以大舍一人、史二人爲司、至元聖王元年、初置僧官、簡僧中有才行者充之、有故則遞、無定年限。

 國統一人(一云寺主)、眞興王十二年、以高句麗惠亮法師爲寺主、都唯那娘一人、阿尼大都唯那一人、眞興王始以寶良法師爲之、眞德王元年加一人、大書省一人、眞興王以安臧法師爲之、眞德王元年加一人、少年書省二人、元聖王三年、以惠英梵如二法爲之。

 州統九人、郡統十八人。



≪書き下し文≫
 侍衛府、三徒有り、眞德王五年に置く。將軍六人、神文王元年、監を罷(や)めて將軍を置き、位は級湌より阿湌に至るまで之れを爲す。大監六人、位は奈麻より阿湌に至るまで之れを爲す。隊頭十五人、位は舍知より沙湌に至るまで之れを爲す。項三十六人、位は舍知より大奈麻に至るまで之れを爲す。卒百十七人、位は先沮知より大舍に至るまで之れを爲す。

 諸軍官、掌(つかさど)るは將軍共に三十六人、大幢四人、貴幢四人、漢山停(羅人は營を謂ひて停と爲す)三人、完山停三人、河西停二人、牛首停二人、位は眞骨上堂より上臣に至るまで之れを爲し、綠衿幢二人、紫衿幢二人、白衿幢二人、緋衿幢二人、黃衿幢二人、黑衿幢二人、碧衿幢二人、赤衿幢二人、靑衿幢二人、位は眞骨の級湌より角干に至るまで之れを爲す。景德王の時に至り、熊川州停に加えて三人を置く。

 大官大監、眞興王十年に置き、掌(つかさど)るは大幢五人、貴幢五人、漢山停四人、牛首停四人、河西停四人、完山停四人、衿無し、綠衿幢四人、紫衿幢四人、白衿幢四人、緋衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、碧衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、共に六十二人、衿を着て眞骨、位は舍知より阿湌に至るまで之れを爲し、次品は奈麻より四重阿湌に至るまで之れを爲す。

 隊大監、領(おさ)むる馬兵、罽衿一人、音里火停一人、古良夫里停一人、居斯勿停一人、參良火停一人、召參停一人、未多夫里停一人、南川停一人、骨乃斤停一人、伐力川停一人、伊火兮停一人、綠衿幢三人、紫衿幢三人、白衿幢三人、黃衿幢三人、黑衿幢三人、碧衿幢三人、赤衿幢三人、靑衿幢三人、菁州誓一人、漢山州誓一人、完山州誓一人、領(おさ)むる步兵、大幢三人、漢山停三人、貴幢二人、牛首停二人、完山停二人、碧衿幢二人、綠衿幢二人、白衿幢二人、黃衿幢二人、黑衿幢二人、紫衿幢二人、赤衿幢二人、靑衿幢二人、緋衿幢四人、共に七十人、並びて衿を着、位は奈麻より阿湌に至るまで之れを爲す。

 弟監、眞興王二十三年に置き、領(おさ)むるは大幢五人、貴幢五人、漢山停四人、牛首停四人、河西停四人、完山停四人、衿無し、碧衿幢四人、綠衿幢四人、白衿幢四人、緋衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、紫衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、罽衿幢一人、共に六十三人、位は舍知より大奈麻に至るまで之れを爲す。

 監舍知、共に十九人、法興王十年に置く。大幢一人、上州停一人、漢山停一人、牛首停一人、河西停一人、完山停一人、碧衿幢一人、綠衿幢一人、白衿幢一人、緋衿幢一人、黃衿幢一人、黑衿幢一人、紫衿幢一人、赤衿幢一人、靑衿幢一人、罽衿幢一人、白衿武幢一人、赤衿武幢一人、黃衿武幢一人、衿無し、位は舍知より大舍に至るまで之れを爲す。

 少監、眞興王二十三年に置き、大幢十五人、貴幢十五人、漢山停十五人、河西停十二人、牛首停十三人、完山停十三人、碧今幢十三人、綠衿幢十三人、白衿幢十三人、緋衿幢十三人、黃今幢十三人、黑衿幢十三人、紫衿幢十三人、赤衿幢十三人、靑衿幢十三人、領(おさ)むる騎兵、音里火停二人、古良夫里停二人、居斯勿停二人、參良火停二人、召參停二人、未多夫里停二人、南川停二人、骨乃斤停二人、伐力川停二人、伊火兮停二人、緋衿幢三人、碧衿幢六人、綠衿幢六人、白衿幢六人、黃衿幢六人、黑衿幢六人、紫衿幢六人、赤衿幢六人、靑衿幢六人、罽衿幢一人、菁州誓三人、漢山州誓三人、完山州誓三人、領(おさ)むる步兵、大幢六人、漢山停六人、貴幢四人、牛首停四人、完山停四人、碧衿幢四人、綠衿幢四人、白衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、紫衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、緋衿幢八人、菁州誓九人、漢山州誓九人、完山州誓九人、共に三百七十二人、六停は衿無し、此の外は皆衿を着、位は大舍より已下之れを爲す。

 火尺、大幢十五人、貴幢十人、漢山停十人、牛首停十人、河西停十人、完山停十人、綠衿幢十人、緋衿幢十人、紫衿幢十人、白衿幢十三人、黃衿幢十三人、黑衿幢十三人、碧衿幢十三人、赤衿幢十三人、靑衿幢十三人、屬大官、罽衿七人、音里火停二人、古良夫里停二人、居斯勿停二人、參良火停二人、召參停二人、未多夫里停二人、南川停二人、骨乃斤停二人、伐力川停二人、伊火兮停二人、碧衿幢六人、綠衿幢六人、白衿幢六人、黃衿幢六人、黑衿幢六人、紫衿幢六人、赤衿幢六人、靑衿幢六人、菁州誓二人、漢山州誓二人、完山州誓二人、領(おさ)むる騎兵、大幢六人、漢山停六人、貴幢四人、牛首停四人、完山停四人、碧衿幢四人、綠衿幢四人、白衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、紫衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、緋衿幢八人、白衿武幢八人、赤衿武幢八人、黃衿武幢八人、領(おさ)むる步兵、共に三百四十二人、位は少監と同じ。

 軍師幢主、法興王十一年に置き、王都一人、衿無し、大幢一人、上州停一人、漢山停一人、牛首停一人、河西停一人、完山停一人、碧衿幢一人、綠衿幢一人、緋衿幢一人、白衿幢一人、黃衿幢一人、黑衿幢一人、紫衿幢一人、赤衿幢一人、靑衿幢一人、白衿武幢一人、赤衿武幢一人、黃衿武幢一人、共に十九人、衿を著、位は奈麻より一吉湌に至るまで之れを爲し、六[]。

 大匠尺幢主、大幢一人、上州停一人、漢山停一人、牛首停一人、河西停一人、完山停一人、碧衿幢一人、綠衿幢一人、緋衿幢一人、白衿幢一人、黃衿幢一人、黑衿幢一人、紫衿幢一人、赤衿幢一人、靑衿幢一人、共に十五人、衿無し、位は軍師幢主と同じ。

 步騎幢主、王都一人、衿無し、大幢六人、漢山六人、貴幢四人、牛首州四人、完山州四人、碧衿幢四人、綠衿幢四人、白衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、紫衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、白衿武幢二人、赤衿武幢二人、黃衿武幢一人、共に六十三人、位は奈麻より沙湌に至るまで之れを爲す。

 三千幢主、音里火停六人、古良夫里停六人、居斯勿停六人、參良火停六人、召參停六人、未多夫里停六人、南川停六人、骨乃斤停六人、伐力川停六人、伊伐兮停六人、共に六十人、衿を著し、位は舍知より沙湌に至るまで之れを爲す。

 著衿騎幢主、碧衿幢十八人、綠衿幢十八人、白衿幢十八人、黃衿幢十八人、黑衿幢十八人、紫衿幢十八人、赤衿幢十八人、靑衿幢十八人、罽衿幢六人、菁州六人、完山州六人、漢山州六人、河西州四人、牛首幢三人、四千幢三人、共に一百七十八人、位は三千幢主と同じ。

 緋衿幢主、四十人、沙伐州三人、歃良州三人、菁州三人、漢山州二人、牛首州六人、河西州六人、熊川州五人、完山州四人、武珍州八人、共に四十人、衿を著し、位は舍知より沙湌に至るまで之れを爲す。

 師子衿幢主、王都三人、沙伐州三人、歃良州三人、菁州三人、漢山州三人、牛首州三人、河西州三人、熊川州三人、完山州三人、武珍州三人、共に三十人、衿を著し、位は舍知より一吉湌に至るまで之れを爲す。

 法幢主、百官幢主三十人、京餘甲幢主十五人、小京餘甲幢主十六人、外餘甲幢主五十二人、弩幢主十五人、雲梯幢主六人、衝幢主十二人、石投幢主十二人、共に一百五十八人、衿無し。

 黑衣長槍末步幢主、大幢三十人、貴幢二十二人、漢山二十八人、牛首二十人、完山二十人、紫衿二十人、黃衿二十人、黑衿二十人、碧衿二十人、赤衿二十人、靑衿二十人、綠衿二十四人、共に二百六十四人、位は舍知より級湌に至るまで之れを爲す。

 三武幢主、白衿武幢十六人、赤衿[武]幢十六人、黃衿武幢十六人、共に四十八人、位は末步幢主と同じ。

 萬步幢主、京五種幢主十五人、節末幢主四人、九州萬步幢主十八人、共に三十七人、衿無し、位は舍知より大奈麻に至るまで之れを爲す。

 軍師監、王都二人、衿無し、大幢二人、上州停二人、漢山停二人、牛首停二人、河西停二人、完山停二人、碧衿幢二人、綠衿幢二人、緋衿幢二人、白衿幢二人、黃衿幢二人、黑衿幢二人、紫衿幢二人、赤衿幢二人、靑衿幢二人、共に三十二人、衿を著し、位は舍知より奈麻に至るまで之れを爲す。

 大匠大監、大幢一人、上州停一人、漢山停一人、牛首停一人、河西停一人、完山停一人、碧衿幢一人、綠衿幢一人、緋衿幢一人、白衿幢一人、黃衿幢一人、黑衿幢一人、紫衿幢一人、赤衿幢一人、靑衿幢一人、共に十五人、衿無し、位は舍知より大奈麻に至るまで之れを爲す。

 步騎監六十三人、王都一人、大幢六人、漢山六人、貴幢四人、牛首四人、完山四人、碧衿幢四人、綠衿幢四人、白衿幢四人、黃衿幢四人、黑衿幢四人、紫衿幢四人、赤衿幢四人、靑衿幢四人、白衿武幢二人、赤衿武幢二人、黃衿武幢二人、衿を著し、共に六十三人、位は軍師監と同じ。

 三千監、音里火停六人、古良夫里停六人、居斯勿停六人、參良火停六人、召參停六人、未多夫里停六人、南川停六人、骨乃斤停六人、伐力川停六人、伊火兮停六人、共に六十人、衿を著し、位は舍知より大奈麻に至るまで之れを爲す。

 師子衿幢監三十人、位は幢より奈麻に至るまで之れを爲す。

 法幢監、百官幢三十人、京餘甲幢十五人、外餘甲幢六十八人、石投幢十二人、衝幢十二人、弩幢四十五人、雲梯幢十二人、共に一百九十四人、衿無し、位は舍知より奈麻に至るまで之れを爲す。

 緋衿監四十八人、領(おさ)むる幢四十人、領むる馬兵八人。

 著衿監、碧衿幢十八人、綠衿幢十八人、白衿幢十八人、黃衿幢十八人、黑衿幢十八人、紫衿幢十八人、赤衿幢十八人、靑衿幢十八人、罽衿六人、菁州六人、漢山六人、完山六人、河西三人、牛首幢三人、四千幢三人、共に一百七十五人、位は幢より奈麻に至るまで之れを爲す。

 皆知戟幢監四人、王都に並び、位は舍知より奈麻に至るまで之れを爲す。

 法幢頭上百九十二人、餘甲幢四十五人、外法幢百二人、弩幢四十五人。

 法幢火尺、軍師幢三十人、師子衿幢二十人、京餘甲幢十五人、外餘甲幢百二人、弩幢四十五人、雲梯幢十一人、衝幢十八人、石投幢十八人、共に二百五十九人。

 法幢辟主、餘甲幢四十五人、外法幢三百六人、弩幢百三十五人、共に四百八十六人。

 三千卒百五十人、位は大奈麻已下之れを爲す。

 凡軍號二十三、一に曰く六停、二に曰く九誓幢、三に曰く十幢、四に曰く五州誓、五に曰く三武幢、六に曰く罽衿幢、七に曰く急幢、八に曰く四千幢、九に曰く京五種幢、十に曰く二節末幢、十一に曰く萬步幢、十二に曰く大匠尺幢、十三に曰く軍師幢、十四に曰く仲幢、十五に曰く百官幢、十六に曰く四設幢、十七に曰く皆知戟幢、十八に曰く三十九餘甲幢、十九に曰く仇七幢、二十に曰く二罽、二十一に曰く二弓、二十二に曰く三邊守、二十三に曰く新三千幢。

 六停、一に曰く大幢、眞興王五年に始めて置き、衿色は紫白。二に曰く上州停、眞興王十三年に置き、文武王十三年に至り改めて貴幢と爲す。衿色は靑赤たり。三に曰く漢山停、本(もともと)新州停、眞興王二十九年に新州停を罷(や)め、南川停を置き、眞平王二十六年に南川停を罷(や)め、漢山停を置き、衿色は黃靑たり。四に曰く牛首停、本(もともと)比烈忽停、文武王十三年に比烈忽停を罷め、牛首停を置き、衿色は綠白たり。五に曰く河西停、本(もともと)悉直停、太宗王五年に悉直停を罷(や)め、河西停を置き、衿色は綠白たり。六に曰く完山停、本(もともと)下州停、新文王五年に下州停を罷(や)め、完山停を置き、衿色は白紫たり。

 九誓幢、一に曰く綠衿誓幢、眞平王五年に始めて置くも、但し名は誓幢、三十五年改めて綠衿誓幢と爲し、衿色は綠紫たり。二に曰く紫衿誓幢、眞平王四十七年に始めて置くは郞幢、文武王十七年改めて紫衿誓幢と爲し、衿色は紫綠たり。三に曰く白衿誓幢、文武王十二年、百濟民を以て幢と爲し、衿色は白靑たり。四に曰く緋衿誓幢、文武王十二年に始めて置くは長槍幢、孝昭王二年改めて緋衿誓幢と爲す。五に曰く黃衿誓幢、神文王三年、高句麗民を以て幢と爲し、衿色は黃赤たり。六に曰く黑衿誓幢、神文王三年、靺鞨國民を以て幢と爲し、衿色は黑幢たり。七に曰く碧衿誓幢、神文王六年、報德城民を以て幢と爲し、衿色は碧黃たり。八に曰く赤衿誓幢、神文王六年、又た報德城民を以て幢と爲し、衿色は赤黑たり。九に曰く靑衿誓幢、神文王七年、百濟の殘民を以て幢と爲し、衿色は靑白たり。

 十停(或は三千幢と云ふ)、一に曰く音里火停、二に曰く古良夫里停、三に曰く居斯勿停、衿色は靑たり。四に曰く參良火停、五に曰く召參停、六に曰く未多夫里停、衿色は黑たり。七に曰く南川停、八に曰く骨乃斤停、衿色は黃たり。九に曰く伐力川停、十に曰く伊火兮停、衿色は綠、並びて眞興王五年に置く。

 五州誓、一に曰く菁州誓、二に曰く完山州誓、三に曰く漢山州誓、衿色は紫綠たり。四に曰く牛首州誓、五に曰く河西州誓、衿色は綠紫たり、並びて文武王十二年に置く。

 三武幢、一に曰く白衿武幢、文武王十五年に置き、二に曰く赤衿武幢、神文王七年に置き、三に曰く黃衿武幢、九年に置く。

 罽衿幢、太宗王元年に置き、衿色は罽たり。

 急幢、眞平王二十七年に置き、衿色は黃綠たり。

 四千幢、眞平王十三年に置き、衿色は黃黑たり。

 京五種幢、衿色は、一に靑綠、二に赤紫、三に黃白、四に白黑、五に黑靑。

 二節末幢、衿色は、一に綠紫、二に紫綠。

 萬步幢、九州各二つの衿色す。沙伐州、靑黃靑紫、歃良州、赤靑赤白、菁州、赤黃赤綠、漢山州、黃黑黃綠、牛首州、黑綠黑白、熊川州、黃紫黃靑、河西州、靑黑靑赤、武珍州、白赤白黃。

 大匠尺幢、衿無し。

 軍師幢、眞平王二十六年に始めて置き、衿色は白。

 仲幢、文武王十一年に始めて置き、衿色は白。

 百官幢、衿無し。

 四設幢、一に曰く弩幢、二に曰く雲梯幢、三に曰く衝幢、四に曰く石投幢、衿無し。

 皆知戟幢、神文王十年に始めて置き、衿色は黑紫白。

 三十九餘甲幢、衿無し(京餘甲小京餘甲外餘甲等を謂ふなり。其數は未詳たり)。

 仇七幢、文武王十六年に始めて置き、衿色は白たり。

 二罽幢(或は外罽と云ふ)、一に曰く漢山州罽幢、太宗王十七年に置き、二に曰く牛首州罽幢、文武王十二年に置き、衿色は皆罽たり。

 二弓(或は外弓と云ふ)、一に曰く漢山州弓尺、眞德王六年に置き、二に曰く河西州弓尺、眞平王二十年に置き、衿無し。

 三邊守幢(一に邊守と云ふ)、神文王十年に置き、一に曰く漢山邊、二に曰く牛首邊、三に曰く河西邊、衿無し。

 新三千幢(一に外三千と云ふ)、一に曰く牛首州三千幢、二に曰く奈吐郡三千幢、文武王十二年に置き、三に曰く奈生郡三千幢、十六年に置き、衿色は未詳たり。

 衿、蓋し書傳の謂ふ所の徽織、詩に織文鳥章と云ひ、箋に織は、徽織なり、鳥章は、鳥隼の文章たり、將帥以下、衣は皆焉れを著せり、と云ひ、史記と漢書には之れを旗熾と謂ふも、熾と織は、字は異なるも音は同じからむ。周禮司常、九旗に畫する所の異物たるは、徽織は相ひ別るる所以、國に在りて以て朝位を表し、軍に在らば又た其の制を象(かたど)りて之れを爲し、之れを被るに死事に備ふるを以てす、と。羅人の徽織は、靑赤等の色を以て別を爲す者にして、其の形は半月を象(かたど)り、罽の赤は上より衣に著し、其の長短の制は未詳たり。

 大將軍花、三副、長さ九寸、廣さ三寸三分、上將軍花、四副、長さ九寸五分、下將軍花、五副、長さ一尺、大監花、大虎の頰皮、長さ九寸、廣さ二寸五分、鈴は黃金、圓一尺二寸、弟監花、熊の頰皮、長さ八寸五分、鈴の白銀、圓九寸、少監花、鷲の尾、鈴は白銅、圓六寸、火尺花は少監と同じ、鈴は鐵、圓二寸、軍師幢主花、大虎の尾、長さ一尺八寸、軍師監花、熊の胸皮、長さ八寸五分、大匠尺幢主花、熊の臂皮、長さ七寸(一に中虎の額皮、長さ八寸五分と云ふ)、鈴は黃金、圓九寸、三千幢主花、大虎の尾、長さ一尺八寸、三千監花、鷲の尾、諸著衿幢主花、大虎の尾、長さ一尺八寸五分、花は猛獸の皮若しくは鷲鳥の羽を以て之れを作り、杠(はたざお)の上に置き、若しくは所謂豹尾の者、今の人は之れを面槍將軍花と謂ふも、物の名を言はず、其の數も或は多、或は少、其の義は未詳たり、鈴は路を行き馱馬の上に置き、或は鐸と云ふ。

 政官(或は政法典と云ふ)、始めは大舍一人、史二人を以て司と爲し、元聖王元年に至り、初めて僧官を置き、僧中に才有る行者を簡び之れに充(あ)て、故有らば則ち遞(いれかへ)、年限を定むること無し。

 國統一人(一に寺主と云ふ)、眞興王十二年、高句麗の惠亮法師を以て寺主と爲し、都唯那娘一人、阿尼大都唯那一人、眞興王始めて寶良法師を以て之れを爲し、眞德王元年に一人を加え、大書省一人、眞興王は安臧法師を以て之れを爲し、眞德王元年に一人を加え、少年書省二人、元聖王三年、惠英と梵如の二法を以て之れを爲す。

 州統九人、郡統十八人。