外官

 都督九人、智證王六年、異斯夫を悉直州軍主とし、文武王元年に摠官と改め、元聖王元年に都督を称し、位は級滄から伊湌までがこれに就き、仕臣(あるいは仕大等と云う)五人、眞興王二十五年に置き始め、位は級湌から波珍湌までがこれに就き、州助(あるいは州輔と云う)九人、位は奈麻から重阿湌までがこれに就き、郡大守百十五人、位は舍知から重阿湌までがこれに就き、長史(あるいは司馬と云う)九人、位は舍知から大奈麻までがこれに就き、仕大舍(あるいは少尹と云う)五人、位は舍知から大奈麻までがこれに就き、外司正百三十三人、文武王十三年に置き、位はよくわからない。少守(あるいは制守と云う)八十五人、位は幢から大奈麻までがこれに就き、縣令二百一人、位は先沮知から沙湌までがこれに就いた。

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≪白文≫
 都督九人、智證王六年、以異斯夫爲悉直州軍主、文武王元年改爲摠官、元聖王元年稱都督、位自級滄至伊湌爲之、仕臣(或云仕大等)五人、眞興王二十五年始置、位自級湌至波珍湌爲之、州助(或云州輔)九人、位自奈麻至重阿湌爲之、郡大守百十五人、位自舍知至重阿湌爲之、長史(或云司馬)九人、位自舍知至大奈麻爲之、仕大舍(或云少尹)五人、位自舍知至大奈麻爲之、外司正百三十三人、文武王十三年置、位未詳、少守(或云制守)八十五人、位自幢至大奈麻爲之、縣令二百一人、位自先沮知至沙湌爲之。



≪書き下し文≫
 都督九人、智證王六年、異斯夫を以て悉直州軍主と爲し、文武王元年改めて摠官と爲し、元聖王元年に都督を稱し、位は級滄より伊湌に至るまで之れを爲し、仕臣(或は仕大等と云ふ)五人、眞興王二十五年に始めて置き、位は級湌より波珍湌に至るまで之れを爲し、州助(或は州輔と云ふ)九人、位は奈麻より重阿湌に至るまで之れを爲し、郡大守百十五人、位は舍知より重阿湌に至るまで之れを爲し、長史(或は司馬と云ふ)九人、位は舍知より大奈麻に至るまで之れを爲し、仕大舍(或は少尹と云ふ)五人、位は舍知より大奈麻に至るまで之れを爲し、外司正百三十三人、文武王十三年に置き、位は未詳たり、少守(或は制守と云ふ)八十五人、位は幢より大奈麻に至るまで之れを爲し、縣令二百一人、位は先沮知より沙湌に至るまで之れを爲す。