乙支文德、未詳其世系。
資沈鷙有智數、兼解屬文。
隋開皇大業中、煬帝下詔征高句麗。
於是、左翊衛大將軍宇文述、出扶餘道、右翊衛大將軍于仲文、出樂浪道、與九軍至鴨淥水。
文德受王命、詣其營詐降、實欲觀其虛實。
述與仲文、先奉密旨、若遇王及文德來、則執之、仲文等、將留之、尚書右丞劉士龍、為慰撫使、固止之、遂聽文德歸、深悔之、遣人紿文德曰、
更欲有議言、可復來。
文德不顧、遂濟鴨淥而歸。
述與仲文、旣失文德、內不自安。
述以粮盡欲還、仲文議以精銳追文德、可以有功、述止之。
仲文怒曰、
將軍仗十萬兵、不能破小賊、何顔以見帝。
述等不得已而從之、度鴨淥水追之。
文德見隋軍士有饑色、欲疲之、每戰輒北走、述等一日之中、七戰皆捷。
旣恃驟勝、又逼群議、遂進東、濟薩水、去平壤城三十里、因山為營。
文德遺仲文詩曰、
神策究天文
妙算窮地理
戰勝功旣高
知足願云止
仲文答書諭之。
文德又遣使詐降、請於述曰、
若旋師者、當奉王朝行在所。
述見士卒疲弊、不可復戰、又平壤城險固、難以猝拔、遂因其詐而還、為方陣而行。
文德出軍、四面鈔擊之、述等且戰且行、秋七月至薩水、軍半濟、文德進軍、擊其後軍、殺右屯衛將軍辛世雄。
於是、諸軍俱潰、不可禁止、九軍將士奔還、一日一夜、至鴨淥水、行四百五十里。
初、度遼、凡軍三十萬五千人、及還至遼東城、唯二千七百人。
論曰、
煬帝遼東之役、出師之盛、前古未之有也、高句麗一偏方小國、而能拒之、不唯自保而已、滅其軍幾盡者、文德一人之力也。
傳曰、不有君子、其能國乎。
信哉。
乙支文德、未だ其の世系は詳らかならず。
資は沈鷙に智數有り、兼ねて屬文を解す。
隋の開皇大業中、煬帝は高句麗を征さむとの詔を下す。
是に於いて、左翊衛大將軍の宇文述、扶餘道に出で、右翊衛大將軍の于仲文、樂浪道に出で、九軍と與に鴨淥水に至る。
文德は王命を受け、其の營を詣でて降を詐し、實は其の虛實を觀んことを欲す。
述と仲文、先に密旨を奉じ、若し遇(たまたま)王及び文德來たれば、則ち之れを執り、仲文等は將に之れを留めんとし、尚書右丞の劉士龍を慰撫使と為し、固く之れを止め、遂に文德の歸するを聽き、深く之れを悔い、人を遣り文德を紿(あざむ)きて曰く、
更に議言を有らしめんと欲し、復た來たる可し、と。
文德顧ず、遂に鴨淥を濟りて歸る。
述と仲文、旣に文德を失し、內に自ら安ぜず。
述は粮の盡きるを以て還らむと欲し、仲文は精銳を以て文德を追はしめ、以て功有りとす可しと議するも、述之れを止む。
仲文怒りて曰く、
將軍は十萬兵を仗するも、小賊を破ること能はず、何の顔をして以て帝に見ゆ、と。
述等は已むを得ずして之れに從ひ、鴨淥水を度りて之れを追ふ。
文德の隋の軍士を見みれば饑色有り、之れを疲れせしめんと欲し、戰ふ每に輒ち北走し、述等一日の中、七戰皆捷(か)つ。
旣に驟(にわか)の勝ちに恃り、又た群議を逼り、遂に東に進み、薩水を濟り、平壤城を去ること三十里、山に因りて營を為す。
文德は仲文に詩を遺して曰く、
神策は天文を究め、
妙算は地理を窮め、
戰勝の功は旣に高し。
足を知り止むを云はむことを願ふ。
仲文は書に答へて之れを諭す。
文德又た遣使して降るを詐し、述に請ひて曰く、
若し師を旋(かへ)する者あらば、當に王に奉じて朝に在所に行かしめんとす。
述は士卒の疲弊を見、復た戰ふ可からずとし、又た平壤城の險固、以て猝(にわか)に拔くは難く、遂に其の詐に因りて還り、方陣を為して行く。
文德は出軍し、四面に之れを鈔擊すれば、述等は戰ひて且つ行(のが)れて且つ、秋七月に薩水に至り、軍は半ば濟るも、文德進軍し、其の後軍を擊ち、右屯衛將軍の辛世雄を殺す。
是に於いて、諸軍俱に潰え、止むるを禁ず可からず、九軍の將士は奔還し、一日一夜にして鴨淥水に至り、四百五十里を行(くだ)る。
初め、遼に度るは、凡そ軍三十萬五千人なるも、還りて遼東城に至るに及ぶは、唯だ二千七百人のみ。
論じて曰く、
煬帝遼東の役、出師の盛、前古未だ之れ有らむや、高句麗は一偏方の小國、而れども之れを拒むに能ふは、唯だ自ら保つのみにあらず、其の軍の幾盡を滅す者、文德一人の力なり。
傳に曰く、君子有らざれば、其れ國に能ふか、と。
信ずるかな。