乙支文徳

乙支文徳

 乙支文徳、その世系ははっきりしない。
 その資質は沈鷙にして智数あり、文書を綴ることができた。
 隋の開皇大業中、煬帝は高句麗を征伐せよとの詔を下し、そこで左翊衛大將軍の宇文述は扶餘道に出て、右翊衛大將軍の于仲文は樂浪道に出て、九軍とともに鴨淥水までたどり着いた。
 文徳は王命を受けて、その軍営を訪れて降伏すると偽り、実はその実情を観察しようとしていた。宇文述と于仲文は先に「もし王や乙支文徳が来るようであれば、それを捕獲せよ」との密旨を奉じ、仲文たちはこれを留めようとして、尚書右丞の劉士龍を慰撫使に任命し、固くそれを止めようとしたが、結局文徳の帰還を聴き入れ、深くそれを航海し、人を派遣して文徳を騙そうとして言った。
「追加で議言したいことがあるので、再度こちらに来るがよい。」
 文徳は顧みず、遂に鴨淥を渡って帰った。宇文述と于仲文は文徳を失ってしまった後、内心気が気ではなかった。
 宇文述は食糧が尽きたということで帰還しようとしていたが、于仲文は精銳をもって文徳を追撃し、それをもって功績ありとすべきだと提議したが、宇文述はそれを止めた。すると于仲文は怒った。
「将軍は十万の兵を指揮しながら、小賊を破るすらできなかった。どんな顔をして皇帝にお会いするのか!」
 宇文述たちはやむを得ずしてこれに従い、鴨淥水を渡ってこれを追撃した。
 文德が隋の軍士を見ると顔色に飢えが見えたので、それを疲れさせようとして、戦うたびに北走し、宇文述たちは一日の中、七度戦いすべてに勝利した。既ににわかの勝ちを恃んで、再度群議を迫り、そのまま東に進み、薩水を渡って平壤城から三十里、山によって軍営を立てた。
 文德は于仲文に詩を遺して言った。
「神策は天文を究め、妙算は地理を窮め、戦勝の功は既に高し。
 満足を知って軍旅を止めたいと云うことを願う。」
 于仲文は書簡に返答し、これを諭すと、文德はまた遣使して降伏すると偽り、宇文述に請願した。
「もし軍を撤退させるのならば、これから王に奉じ、朝にはそちらに行かせることにします。」
 宇文述は士卒の疲弊を見、再度戦うことはできないとして、また平壤城は険固であり、にわかに拔くことは困難であるとみて、遂にその詐術に則って帰還することにした。方陣を立てて行軍していると、文德は出軍し、四面からそれを鈔擊した。宇文述たちは戦いながら逃げることになり、秋七月に薩水までたどり着き、軍が半ばが渡ったところで文徳は進軍し、その後軍を攻撃し、右屯衛將軍の辛世雄を殺した。
 ここで諸軍はともに潰滅し、それを止めることはできなかった。九軍の将士は奔還し、一日一夜にして鴨淥水までたどり着くと、四百五十里を逃げ延びた。当初、遼に渡った軍は凡そ三十万五千人であったが、遼東城まで帰還できたのは、たったの二千七百人のみであった。

 本件について論じよう。
 煬帝遼東の役、出師の盛は前古いまだかつてなかったものであったが、高句麗は一偏方の小国でありながら、それを拒むことができた。ただ身を守るにとどまらず、軍の多寡による有利不利を超えて撃滅できたのは、文徳一人の力である。
 伝に「君子がいなければ、国は国として機能しない。」とあるが、これは信ずるべき言葉である。

 

 戻る








 乙支文德、未詳其世系。
 資沈鷙有智數、兼解屬文。
 隋開皇大業中、煬帝下詔征高句麗。
 於是、左翊衛大將軍宇文述、出扶餘道、右翊衛大將軍于仲文、出樂浪道、與九軍至鴨淥水。
 文德受王命、詣其營詐降、實欲觀其虛實。
 述與仲文、先奉密旨、若遇王及文德來、則執之、仲文等、將留之、尚書右丞劉士龍、為慰撫使、固止之、遂聽文德歸、深悔之、遣人紿文德曰、
 更欲有議言、可復來。
 文德不顧、遂濟鴨淥而歸。
 述與仲文、旣失文德、內不自安。
 述以粮盡欲還、仲文議以精銳追文德、可以有功、述止之。
 仲文怒曰、
 將軍仗十萬兵、不能破小賊、何顔以見帝。
 述等不得已而從之、度鴨淥水追之。
 文德見隋軍士有饑色、欲疲之、每戰輒北走、述等一日之中、七戰皆捷。
 旣恃驟勝、又逼群議、遂進東、濟薩水、去平壤城三十里、因山為營。
 文德遺仲文詩曰、
 神策究天文
 妙算窮地理
 戰勝功旣高
 知足願云止
 仲文答書諭之。
 文德又遣使詐降、請於述曰、
 若旋師者、當奉王朝行在所。
 述見士卒疲弊、不可復戰、又平壤城險固、難以猝拔、遂因其詐而還、為方陣而行。
 文德出軍、四面鈔擊之、述等且戰且行、秋七月至薩水、軍半濟、文德進軍、擊其後軍、殺右屯衛將軍辛世雄。
 於是、諸軍俱潰、不可禁止、九軍將士奔還、一日一夜、至鴨淥水、行四百五十里。
 初、度遼、凡軍三十萬五千人、及還至遼東城、唯二千七百人。

 論曰、
 煬帝遼東之役、出師之盛、前古未之有也、高句麗一偏方小國、而能拒之、不唯自保而已、滅其軍幾盡者、文德一人之力也。
 傳曰、不有君子、其能國乎。
 信哉。


 乙支文德、未だ其の世系は詳らかならず。
 資は沈鷙に智數有り、兼ねて屬文を解す。
 隋の開皇大業中、煬帝は高句麗を征さむとの詔を下す。
 是に於いて、左翊衛大將軍の宇文述、扶餘道に出で、右翊衛大將軍の于仲文、樂浪道に出で、九軍と與に鴨淥水に至る。
 文德は王命を受け、其の營を詣でて降を詐し、實は其の虛實を觀んことを欲す。
 述と仲文、先に密旨を奉じ、若し遇(たまたま)王及び文德來たれば、則ち之れを執り、仲文等は將に之れを留めんとし、尚書右丞の劉士龍を慰撫使と為し、固く之れを止め、遂に文德の歸するを聽き、深く之れを悔い、人を遣り文德を紿(あざむ)きて曰く、
 更に議言を有らしめんと欲し、復た來たる可し、と。
 文德顧ず、遂に鴨淥を濟りて歸る。
 述と仲文、旣に文德を失し、內に自ら安ぜず。
 述は粮の盡きるを以て還らむと欲し、仲文は精銳を以て文德を追はしめ、以て功有りとす可しと議するも、述之れを止む。
 仲文怒りて曰く、
 將軍は十萬兵を仗するも、小賊を破ること能はず、何の顔をして以て帝に見ゆ、と。
 述等は已むを得ずして之れに從ひ、鴨淥水を度りて之れを追ふ。
 文德の隋の軍士を見みれば饑色有り、之れを疲れせしめんと欲し、戰ふ每に輒ち北走し、述等一日の中、七戰皆捷(か)つ。
 旣に驟(にわか)の勝ちに恃り、又た群議を逼り、遂に東に進み、薩水を濟り、平壤城を去ること三十里、山に因りて營を為す。
 文德は仲文に詩を遺して曰く、
 神策は天文を究め、
 妙算は地理を窮め、
 戰勝の功は旣に高し。
 足を知り止むを云はむことを願ふ。
 仲文は書に答へて之れを諭す。
 文德又た遣使して降るを詐し、述に請ひて曰く、
 若し師を旋(かへ)する者あらば、當に王に奉じて朝に在所に行かしめんとす。
 述は士卒の疲弊を見、復た戰ふ可からずとし、又た平壤城の險固、以て猝(にわか)に拔くは難く、遂に其の詐に因りて還り、方陣を為して行く。
 文德は出軍し、四面に之れを鈔擊すれば、述等は戰ひて且つ行(のが)れて且つ、秋七月に薩水に至り、軍は半ば濟るも、文德進軍し、其の後軍を擊ち、右屯衛將軍の辛世雄を殺す。
 是に於いて、諸軍俱に潰え、止むるを禁ず可からず、九軍の將士は奔還し、一日一夜にして鴨淥水に至り、四百五十里を行(くだ)る。
 初め、遼に度るは、凡そ軍三十萬五千人なるも、還りて遼東城に至るに及ぶは、唯だ二千七百人のみ。

 論じて曰く、
 煬帝遼東の役、出師の盛、前古未だ之れ有らむや、高句麗は一偏方の小國、而れども之れを拒むに能ふは、唯だ自ら保つのみにあらず、其の軍の幾盡を滅す者、文德一人の力なり。
 傳に曰く、君子有らざれば、其れ國に能ふか、と。
 信ずるかな。