焚巣館 -三国史記 第四十四巻居道-

居道



現代語訳
 居道、その一族の姓は失われ、どこの人であるかはわからない。脱解尼師今に仕え、干となった。当時は于尸山国と居柒山国が両隣の国境に挟むような形で存在し、すこぶる国の うれい となっていた。国境周辺の官となった居道は、ひそかに併呑をしたいとの思いを心に抱き、年ごとに一度、馬の群れを張吐の野に集め、兵士を使わせてそれらに騎乗させ、走り回らせて戯楽とし、当時の人々は『馬技』と称するようになった。両国の人々も、それを見ることに少しずつ慣れてしまい、新羅のいつものことだと思うばかりで、まったく怪しいとは思わなくなった。そこで兵馬を起こしてその不意を擊ち、二国を滅ぼした。
注記
(※1)脱解尼師今
 新羅4代王とされる。本書の記述に従えば、在位は西暦57年から80年。詳細は本書脱解王紀を参照。

(※2)干
 骨品制における外官(地方官)のひとつ。四頭品十三位。京位(中央官)における舎知、小舎と同位。

(※3)于尸山国
 現在の韓国蔚山 ウルサン 広域市にあったとされる。蔚山 ウルサン 于尸山 ウシサン 国に通じる。5世紀頃に成長した新羅に吸収されたとされているため、※1の通り西暦1世紀の人物である脱解尼師今に仕えたとされる本伝の記述とは矛盾している。

(※4)居柒山国
 現在の韓国釜山広域市東莱区とされる。こちらも、同地に存在する東萊福泉洞古墳群の内容から、5世紀中頃に成長した新羅に吸収されたと考えられるため、本文の記述と矛盾する。

(※5)張吐
 現在の韓国慶州市甘浦邑とする説があるらしい。また、『広開土王碑』に登場する「従抜城」と同じとする説がある。

漢文
 居道、失其族姓、不知何所人也。仕脫解尼師今、為干。時、于尸山國、居柒山國、介居隣境、頗為國患。居道為邊官、潛懷幷吞之志、每年一度、集群馬於張吐之野、使兵士騎之、馳走以為戱樂、時人稱為馬技。兩國人、習見之、以為新羅常事、不以為怪。於是、起兵馬、擊其不意、以滅二國。
書き下し文
 居道、其の うから かばね を失ひ、何所 いずこ の人なるを知らざるなり。脫解尼師今に仕え、干と る。時、于尸山の國と居柒山の國は隣の くにざかひ はさ り、頗る國の うれひ る。居道は くにへ つかさ り、 ひそ かに幷吞 のむこむ の志を いだ き、每年 としごと 一度 ひとたび 群馬 もろうま を張吐の野に集め、兵士 いくさひと 使 つか はせて之れに また がらせしむれば、馳走 はし らせて以ちて戱樂 あそび と為し、時の人は よば ひたるに馬技と為す。 ふたつ の國の人、之れを見ることを習ひとし、以ちて新羅 しらき いつも の事と おも ひ、以ちて怪しきと おも ふことなからむ。是に於いて兵馬 いくさ を起こし、其の不意を擊ち、以ちて ふたつ の國を滅ぼしたり。

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