≪白文≫
乙巴素、高句麗人也。
國川王時、沛者於畀留於卑留、評者左可慮等、皆以外戚擅權、多行不義、國人怨憤。
王怒欲誅之、左可慮等謀反、王誅竄之。
遂下令曰、
近者、官以寵授、位非德進、毒流百姓、動我王家、此寡人不明所致也。
今、汝四部、各擧賢良在下者。
於是、四部共擧東部晏留、王徵之、委以國政。
晏留言於王曰、
微臣庸愚、固不足以參大政。
西鴨淥谷左勿村乙巴素者、琉璃王大臣乙素之孫也。
性質剛毅、智慮淵深、不見用於世、力田自給。
大王若欲理國、非此人則不可。
王遣使以卑辭重禮聘之、拜中畏大夫、加爵為于台。
謂曰、
孤叨承先業、處臣民之上、德薄材短、未濟於理。
先生藏用晦明、窮處草澤者久矣、今不我棄、幡然而來、非獨孤之喜幸、社稷生民之福也。
請安承敎、公其盡心。
巴素意雖許國、謂所受職、不足以濟事。
乃對曰、
臣之駑蹇、不敢當嚴命、願大王選賢良、授高官、以成大業。
王知其意、乃除為國相、令知政事。
於是、朝臣國戚、謂巴素以新間舊、疾之。
王有敎曰、
無貴賤、苟不從國相者、族之。
巴素退而告人曰、
不逢時則隱、逢時則仕、士之常也。
今、上待我以厚意、其可復念舊隱乎。
乃以至誠奉國、明政敎、愼賞罰、人民以安、內外無事。
王謂晏留曰、
若無子之一言、孤不能得巴素以共理。
今、庶績之凝、子之功也。
迺拜為大使者。
至山上王七年秋八月、巴素卒、國人哭之慟。
≪書き下し文≫
乙巴素は高句麗人なり。
國川王の時、沛者の於畀留於卑留、評者の左可慮等、皆が外戚擅權なるを以て、不義を行ふこと多く、國人怨み憤る。
王は怒り之れを誅さむと欲すれば、左可慮等謀反し、王之れを誅竄す。
遂に下令して曰く、
近者(ちかごろ)、官に寵授を以てするも、位して德進する非ず、毒を百姓に流し、我が王家を動す、此れ寡人の不明の致す所なり。
今、汝四部、各(おのおの)賢良の下に在る者を擧げよ。
是に於いて、四部共に東部の晏留を擧げれば、王は之れを徵し、以て國政を委ぬ。
晏留は王に言ひて曰く、
微臣は庸愚にして、固より以て大政に參ずるに足らず。
西鴨淥谷左勿村の乙巴素なる者、琉璃王の大臣乙素の孫なり。
性質は剛毅、智慮は淵深、世に用ひられることなく、田に力し自給す。
大王若し國を理さむと欲すれば、此の人に非ずば則ちす可からず。
王は遣使して辭を卑くして禮を重くするを以て之れを聘(たず)ね、拜して中畏大夫、爵を加へて于台と為す。
謂ひて曰く、
孤は叨(かたじけなく)も先業を承け、臣民の上に處するも、德薄く材短し、未だ理に濟ることなし。
先生は用を藏(かく)し明を晦(くら)くし、窮して草澤の者に處すること久しきかな、今の我の棄つることなく、幡然として來たらば、獨り孤の喜幸のみに非ず、社稷生民の福なり。
安ぞ敎を承け、其の盡心を公にせむと請ふ。
巴素の意は國を許すと雖も、職を受くる所、以て濟事に足らずと謂(おも)ひ、乃ち對へて曰く、
臣の駑蹇、嚴命に當たることを敢へてせず、大王に賢良を選び、高官を授け、以て大業を成すことを願ふ。
王は其の意を知り、乃ち除きて國相と為し、政事を知(つかさど)らせしむ。
是に於いて、朝臣國戚、巴素の新を以て舊を間するを謂ひ、之れを疾む。
王に敎有りて曰く、
貴賤無し、苟も國相從はざる者、族之れをす。
巴素退きて人に告げて曰く、
時に逢はざれば則ち隱れ、時に逢へて則ち仕ふ、士の常なり。
今、上は我に厚意を以て待し、其れ復た舊の隱るを念ふ可きか、と。
乃ち至誠を以て國に奉じ、政敎を明らかにし、賞罰を愼み、人民以て安じ、內外に事無し。
王は晏留に謂ひて曰く、
若し子の一言無かりければ、孤は巴素を得て以て共に理するに能はず。
今、庶績の凝、子の功なり、と。
迺ち拜して大使者と為す。
山上王七年秋八月に至り、巴素卒し、國人之れを哭きて慟す。