朴堤上

朴堤上

 朴堤上(あるいは毛末とも伝わる)は始祖赫居世の後裔、婆娑尼師今の五世孫、祖父は阿道葛文王、父は勿品波珍飡である。朴堤上は仕官して歃良州干となった。
 これ以前のことである。實聖王元年壬寅、倭国と講和し、倭王は奈勿王の子である未斯欣を人質に出すよう要請した。王はかつて奈勿王が自分を高句麗の人質にしたことを恨んでいたので、その子供に心中、怨恨を持っており、拒むことなく人質に出した。
 また十一年壬子、高句麗も未斯欣の兄の卜好を人質にすることを望んだので、大王は今回もそれを人質に出した。
 訥祗王が即位すると、弁士を得たいと思い、そちらに往き、迎え入れることにした。
 聞水酒村千干の伐寶靺、一利村干の仇里迺、利伊村干の波老の三人に賢智があり、召して質問した。
「私の弟が二人、倭国と高句麗の二国の人質となっており、長年帰っていない。兄弟であるから、いつも深く心に思いながらそれを止めることができないのだ。生還させたいと願っているのだが、どうすればこれができるだろうか。」
 三人は同時に答えた。
「わたくしたちは歃良州千干の朴堤上が剛勇で有謀であると聞いております。彼を得るれば、殿下の憂いを解くことができましょう。」
 こうして、朴堤上を御前に召し出し、三臣の言を告げて行ってほしいと要請した。
 朴堤上は答えた。
「私は愚不肖ではありますが、ご命令をお受けしないわけにはいきません。」
 聘禮を理由にして高句麗に入ると、王に語りかけた。
「わたくしは隣国との交流の道とは、誠信のみにあると聞いております。
 もし人質に子供を出して交流するならば、五霸にも及ばないまったくの末世の事でございます。今、寡君の愛第弟がこちらにおり、約十年が過ぎようとしていますが、寡君は鶺鴒在原の意をもって、永らく懐いて離れておりません。
 もし大王が恵然としてそれを帰したとしても、九牛が一本の毛を落とすようなもので、損になることはありません。しかも、寡君の大王に恩徳を感じること量り知れぬほどです。王よ、どうかこの事についてお考えください。」
 王は「わかった」と言い、一緒に帰国することを許した。
 帰国に及んで大王喜び慰めて曰く、
「私は二人の弟を左右の腕のように思っておるが、現在はただひとつの腕を得るに止まっている。どうすればよいだろうか。」
 朴堤上は答えた。
「わたくしは奴才ではございますが、既に身をもって国家にゆだねております。最後までご命令を辱めないように致しましょう。
 しかしながら、高句麗は大国ですから、王もまた賢君でありました。だからこそ、わたくしは一言を告げるだけで理解してもらうことができたのです。
 もし倭人が口舌によって諭すことができなければ、詐謀によって王子を帰来させるしかありません。
 わたくしはかの国に行けば、国家の指針に背いたとかの国に聞かせるようにしてください。
 こうして死を覚悟し、妻子に会うこともせず、粟浦に着き、舟を浮かばせて倭に向かったが、そのことを聞いた妻は浦口まで走り、舟を望み見て大哭きしながら言った。
「無事に帰ってきてください。」
 朴堤上は振り返って言った。
「我が将命は敵国に入ることだ。あなたも二度と会おうとは期待しないでくれ。」
 海路を経て倭国に入ると、本国に叛逆して来た者のように振る舞ったが、倭王はそれを疑った。百濟人が以前に倭に入国し、「新羅と高句麗が王国に侵攻しようと謀略している。」と讒言していたのだ。
 こうして倭は派兵して、新羅の境外に見回りの者を駐屯させた。
 たまたまその時、高句麗が侵略に来て倭の見回りの者たちを捕縛して殺したので、倭王は百濟人の言葉を事実だと見なすようになった。
 また羅王が未斯欣と朴堤上の家族を収監したと聞き、朴堤上が本当に叛逆者であるとも思った。
 そこで、出軍して新羅を襲撃するためにも、それと同時に朴堤上と未斯欣を将帥に任命することで、それらに新羅の道案内をさせようとした。
 行軍して海中の山島にたどり着くと、倭の諸将は新羅を滅ぼした後、朴堤上と未斯欣の妻子を取って返還しようと密議した。
 朴堤上はそれを知って未斯欣と舟に乗って遊び、魚鴨を捕る漁師のように振る舞い、それを見た倭人は異心がないと考え、これを喜んだ。
 そこで朴堤上は未斯欣にこっそりと本国に帰ることを勧めた。
 未斯欣は言う。
「僕は将軍を父のように慕ってきたのだ。独りで帰ることなんでできない。」
 朴堤上は言った。
「もし二人がともに出発すれば、策謀が成功しないかもしれません。」
 未斯欣は朴堤上の頭を抱きかかえ、泣きながら別れの言葉を告げて帰国した。
 朴堤上は独り室内で眠り、遅くに起きることで未斯欣を遠くまで行かせようとし、諸人が「将軍、なぜこのような遅くに起きられたのか。」と質問すると、「前日からの船による行軍で疲れ切って、朝早くに起きることができなかったのだ。」と答えた。
 出軍に及んで、未斯欣が逃亡したことに気付くと、すぐに朴堤上を縛り上げ、船を行かせて追跡したが、たまたま霧が煙のようにかかり、暗くて何も見えなかったため、それを望み見ることができなかった。
 朴堤上を倭王の居所に帰らせると、そのまま木島に流し、程なくして人に薪火を焚かせ、その支体を焼き爛れさせ、その後斬刑に処した。
 それを聞いた大王は哀慟し、大阿飡を追贈し、厚くその家に下賜し、未斯欣に朴堤上の第二女を娶らせ、妻とさせ、それによってこのことに報いた。
 未斯欣が帰来した初め、六部にそれを遠迎するように命じ、対面に及ぶと、握手してお互いに泣いた。兄弟との面会に酒を置いて娯楽を極め、王は自ら歌舞を作り、それによって自らの意を宣べた。
 現在の郷楽『憂息曲』は、この時に作られたものである。

 

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 朴堤上、或云毛末、始祖赫居世之後、婆娑尼師今五世孫。
 祖、阿道葛文王。
 父、勿品波珍飡。
 堤上仕為歃良州干。
 先是、實聖王元年壬寅、與倭國講和、倭王請以奈勿王之子未斯欣為質。
 王嘗恨奈勿王使己質於高句麗、思有以釋憾於其子、故不拒而遣之。
 又十一年壬子、高句麗、亦欲得未斯欣之兄卜好為質、大王又遣之。
 及訥祗王卽位、思得辯士、往迎之。
 聞水酒村千干伐寶靺、一利村干仇里迺、利伊村干波老三人有賢智、召問曰、  吾弟二人、質於倭、麗二國、多年不還。
 兄弟之故、思念不能自止、願使生還、若之何而可。
 三人同對曰、
 臣等聞歃良州千干堤上、剛勇而有謀、可得以解殿下之憂。
 於是、徵堤上使前、告三臣之言、而請行。
 堤上對曰、
 臣雖愚不肖、敢不唯命祗承。
 遂以聘禮入高句麗、語王曰、
 臣聞交隣國之道、誠信而已。
 若交質子、則不及五霸、誠末世之事也。
 今、寡君之愛第弟在此、殆將十年。
 寡君以鶺鴒在原之意、永懷不已。
 若大王惠然歸之、則若九牛之落一毛、無所損也。
 而寡君之德大王也、不可量也、王其念之。
 王曰、諾。
 許與同歸。
 及歸國、大王喜慰曰、
 我念二弟、如左右臂、今只得一臂、奈何。
 堤上報曰、
 臣雖奴才、旣以身許國、終不辱命。
 然、高句麗大國、王亦賢君、是故、臣得以一言悟之。
 若倭人、不可以口舌諭、當以詐謀、可使王子歸來。
 臣適彼、則請以背國論使彼聞之。
 乃以死自誓、不見妻子、祗粟浦、汎舟向倭。
 其妻聞之、奔至浦口、望舟大哭曰、
 好歸來。
 堤上回顧曰、
 我將命入敵國、爾莫作再見期。
 遂徑入倭國、若叛來者、倭王疑之。
 百濟人、前入倭、讒言、
 新羅與高句麗謀侵王國、倭遂遣兵、邏戍新羅境外。
 會高句麗來侵、幷擒殺倭邏人、倭王乃以百濟人言為實。
 又聞羅王囚未斯欣、堤上之家人、謂堤上實叛者。
 於是、出師將、襲新羅、兼差堤上與未斯欣為將、兼使之鄕導。
 行至海中山島、倭諸將密議、滅新羅後、執堤上、未斯欣妻孥以還。
 堤上知之、與未斯欣乘舟遊、若捉魚鴨者、倭人見之、以謂無心喜焉。
 於是、堤上勸未斯欣潛歸本國。
 未斯欣曰、
 僕奉將軍如父、豈可獨歸。
 堤上曰、
 若二人俱發、則恐謀不成。
 未斯欣抱堤上項、泣辭而歸。
 堤上獨眠室內、晏起、欲使未斯欣遠行。
 諸人問、
 將軍何起之晚。
 答曰、
 前日、行舟勞困、不得夙興。
 及出、知未斯欣之逃、遂縛堤上、行舡追之。
 適、煙霧晦冥、望不及焉。
 歸堤上於王所、則流於木島、未幾、使人以薪火燒爛支體、然後、斬之。
 大王聞之哀慟、追贈大阿飡、厚賜其家、使未斯欣、娶其堤上之第二女為妻、以報之。
 初、未斯欣之來也、命六部遠迎之、及見、握手相泣。
 會兄弟置酒極娛、王自作歌舞、以宣其意。
 今、鄕樂憂息曲、是也。

 朴堤上、或(あるいは)毛末と云ふ、始祖赫居世の後、婆娑尼師今の五世孫なり。
 祖は阿道葛文王、父は勿品波珍飡なり。
 堤上は仕へて歃良州干と為る。
 是れに先んじ、實聖王元年壬寅、倭國と講和し、倭王は請ひて以て奈勿王の子の未斯欣を質と為す。
 王嘗て奈勿王の己をして高句麗に質とせしむるを恨み、其の子に於いて釋憾するを以て有らむと思ひ、故に拒まずして之れを遣る。
 又た十一年壬子、高句麗、亦た未斯欣の兄の卜好を得て質と為さむと欲し、大王又た之れを遣る。
 訥祗王の卽位に及び、辯士を得むと思ひ、往きて之れを迎ふ。
 聞水酒村千干伐寶靺、一利村干仇里迺、利伊村干波老の三人に賢智有り、召して問ひて曰く、
 吾が弟二人、倭麗の二國に質とし、多年還らず。
 兄弟の故、思念して自ら止むること能はず、生還せしめんことを願ふも、之れ若何として可なるか、と。
 三人同じく對へて曰く、
 臣等は歃良州千干の堤上、剛勇にして有謀なるを聞き、得て以て殿下の憂を解く可し、と。
 是に於いて、堤上を徵(め)して前(すす)ませしめ、三臣の言を告げ、而りて行を請ふ。
 堤上對へて曰く、
 臣は愚不肖と雖も、敢へて唯命祗承せず、と。
 聘禮を以て高句麗に入るを遂げ、王に語りて曰く、
 臣は隣國と交ゆるの道、誠信のみと聞けり。
 若し質子を交ゆれば、則ち五霸に及ばず、誠は末だ世の事とせざるなり。
 今、寡君の愛第弟は此に在り、殆將十年。
 寡君は鶺鴒在原の意を以て、永らく懷くこと已まず。
 若し大王惠然として之れを歸さば、則ち九牛の一毛落つるが若く、損する所無きなり。
 而りて寡君の大王に德するや、量る可からざらむや、王其れ之れを念へ。
 王曰く、諾、と。
 與に同じく歸ることを許す。
 歸國に及び、大王喜び慰めて曰く、
 我は二弟を念ふこと、左右の臂が如し、今只だ一臂を得るは奈何。
 堤上報ひて曰く、
 臣は奴才と雖も、旣に身を以て國に許し、終に命を辱することなし。
 然らば、高句麗は大國、王も亦た賢君、是れ故に、臣は一言を以て之れを悟るを得る。
 若し倭人、口舌を以て諭す可からざれば、當に詐謀を以て王子を歸來せしむる可し。
 臣は彼に適(ゆ)かば、則ち國論に背くを以て彼をして之れに聞こしめさむことを請ふ。
 乃ち死を以て自ら誓ひ、妻子に見えず、粟浦に祗(つつし)み、舟を汎(う)かばせ倭に向かはむ、と。
 其の妻之れを聞き、奔りて浦口に至り、舟を望み大哭きして曰く、
 好く歸來すべし、と。
 堤上回顧して曰く、
 我が將命は敵國に入り、爾は再見の期を作すこと莫れ、と。
 徑を遂げて倭國に入るも、叛來の者が若くし、倭王は之れを疑ふ。
 百濟人、前に倭に入り、讒言するに、新羅と高句麗は王國を侵さむと謀る、と。
 倭は遂に兵を遣り、新羅の境外に邏(みまわ)り戍(たむろ)す。
 會(たまたま)高句麗は侵しに來たりて幷びに倭の邏人(みまわり)を擒り殺し、倭王は乃ち百濟人の言を以て實と為す。
 又た羅王の未斯欣、堤上の家人を囚ふを聞き、堤は實の叛者なると謂ふ。
 是に於いて、出師して將に新羅を襲はむとし、兼ねて堤上と未斯欣を差して將と為し、兼ねて之れをして鄕導せしむ。
 行きて海中山島に至り、倭の諸將は新羅を滅ぼした後、堤上、未斯欣の妻孥を執りて以て還さむと密議す。
 堤上は之れを知り、未斯欣と舟に乘りて遊び、魚鴨を捉ふる者の若くし、倭人は之れを見、無心と以謂(おもへ)らく焉れを喜ぶ。
 是に於いて、堤上は未斯欣に潛(ひそ)かに本國に歸することを勸む。
 未斯欣曰く、
 僕は將軍に奉ずること父の如し、豈に獨り歸する可けむ。
 堤上曰く、
 若し二人俱に發すれば、則ち謀の成さざらむかと恐る、と。
 未斯欣は堤上の項を抱へ、泣辭して歸る。
 堤上は獨り室內に眠り、晏起し、未斯欣をして遠くに行かしめんと欲す。
 諸人問ふ、
 將軍、何を之の晚に起きるか。
 答へて曰く、
 前日、舟を行かせ勞困し、夙(あさはやく)に興(おき)るを得ず。
 出ずるに及び、未斯欣の逃るるを知り、遂に堤上を縛り、舡を行かせ之れを追ふ。
 適(たまたま)、煙霧晦冥、望むも焉れに及ばず。
 堤上を王所に歸させしめ、則ち木島に流し、未だ幾くなく、人をして薪火を以て支體を燒爛せしめ、然る後に之れを斬らしむる。
 大王は之れを聞き哀慟し、大阿飡を追贈し、厚く其の家に賜ひ、未斯欣をして其の堤上の第二女を娶らせしめて妻と為し、以て之れに報ゆ。
 初め、未斯欣の來たるや、六部に命じて之れを遠迎せしめ、見えるに及び、握手して相泣く。
 兄弟と會して酒を置き娛を極め、王は自ら歌舞を作り、以て其の意を宣ぶ。
 今の鄕樂憂息曲とは、是れなり。