溫達は高句麗の平岡王の時の人である。
容貌は滑稽なほど打ちしおれていたが、心の中は曇りなく清らかであった。
家がたいへん貧しかったため、いつも乞食をして母親を養い、着物が破れ草履がほつれたまま市井の間を往来していたので、当時の人はそれを目にして 愚溫達と呼んだ。
平岡王の幼い娘はよく泣いていたので、王は戱れて言った。
「お前はいつも泣いて我が耳を煩わせておる。これでは大人になっても士大夫の妻にはしてやれん。必ず愚溫達の嫁にしてしまうぞ。」
王は事あるごとにそれを言った。
娘が十六歳になると、上部高氏の嫁に下そうとしていたが、公主は答えて言った。
「大王はいつもおっしゃられておりました。『お前を必ず溫達の嫁にする』と。なぜ今になって前言を改めるのですか。匹夫であっても前言に違うことを求めません。尊位にある者については言うまでもないでしょう。だから『王者に戱言なし』と言われているのです。今回の大王の命は誤りです。妾はそれに従う気はありません。」
王は怒って言った。
「我が教えに従わないのであれば、お前はもとより我が娘ではない! なぜ同居することがあるだろうか。どこにでもお前の好きなところに行け!」
こうして公主は宝釧数十枚を肘後に繫いで、ひとり宮殿を出て行った。
路上で遇った人に溫達の家を問い、やっとのことでその家まで辿り着くと、盲目の老母と会い、その前に近づいで拜礼し、その子の所在を質問した。
老母は答えた。
「我が子は貧しく、身分の低い男です。貴人が近づくべきではありません。今、あなたさまから漂う香りは常人にないもので、あなたの手を取ってみれば、綿のように柔らかくなめらかです。必ず天下の貴人でしょう。誰に言われてそれを隠してこんなことに来られたのですか。我が息子は餓えに耐えられず、山林に 楡の皮を取りに行ったまま、ながらく帰ってきていません。」
家を出た公主が山の下まで辿り着くと、楡の皮を背負った溫達が来るのが見えた。
公主はそれに言葉をかけて想いを伝えたが、溫達は驚いて言った。
「こ、ここは幼い女子供が来ようとするところではない……ということは、お前は人間ではないな! 狐や鬼であるに違いない! 俺の側に近寄るなああ!!」
そのまま逃げ去り、振り返りもしなかった。
公主は独りで帰り、柴門の下で宿をとると、明朝に改めて家を訪れ、母子と事の次第を明らかにした。
溫達が曖昧な態度を取って決断をしないでいると、その母が言った。
「我が息子は卑俗を極めており、貴人のお連れ合いをするには足りません。それに我が家は貧乏を極めており、もとより貴人の住居にできません。」
公主は答えた。
「古人は『一斗の粟でも、一尺の布でも、分け合えば生きてゆける』と言いました。もし心を同じくするのであれば、富貴を得た後でないと一緒になることできないことがありましょうか。」
こうして金釧を売り払い、それを元手にして田宅、奴婢、牛馬、器物を買いそろえた。
初めに馬を買おうとする際、公主は溫達に語った。
「市場から馬を買ってはなりません。病瘦で放置された国馬を選び、その後でそれと交換しましょう。」
溫達はその言葉の通りにした。
公主が熱心に馬を養飼したので、馬は日に日に肥え、壮健となった。
高句麗はいつも春の三月三日になると、樂浪の丘で狩猟をし、猪や鹿を捕獲して天と山川の神を祭っていた。
その日になると、王が狩猟に出て、群臣及び五部の兵士の皆が従うことになっている。
そこで溫達は養った馬で隨行すると、他のどの者よりも走りは常に前に向かい、獲物も多く捕えることができた。
王はそれを招聘し、姓名を問うと驚き、それを奇異に思った。
後周の武帝が出師して遼東の征伐に向かったので、王は軍を率いて肄山の野で抗戦した時、溫達は先鋒となって疾走し、戦って数十級余りを斬り伏せ、諸軍は勝ちに乗じて奮闘し、大勝利を収めた。
論功に及び、溫達を第一としない者はいなかった。
王はそれに歓喜して言った。
「彼こそが我が娘壻だ!」
禮を備えて迎え入れ、大兄の爵位を賜った。
こういうわけで、君主の寵愛も非常に厚く、威権は日に日に盛となった。
嬰陽王の即位に及び、溫達は上奏した。
「新羅は我が国の漢北の地に割拠して郡縣としましたが、百姓は痛恨し、いまだに父母の国を忘れてません。願わくば大王よ、愚を不肖であるとせず軍隊を授けて戴ければ、一度で必ず我が国の領地を返還させましょう。」
王がそれを許可すると、行軍に臨んで誓った。
「鷄立峴、竹嶺以西を我が国に帰することがなければ、私は帰らんぞ!」
こうして行軍し、新羅軍と阿旦城の下で戦ったが、流れ矢の当たり、倒れて死んだ。
葬儀をしようにも柩が動こうとしなかった。そこに公主が来て棺を撫でて言った。
「死生は決まったのです。さあ、帰りましょう。」
こうして柩が持ち上がり、葬儀が行われた。
それを聞いた大王は悲しみ、声をあげて泣いた。
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