素那

素那

 素那(あるいは金川とも伝わる)は白城郡蛇山の人である。
 その父は沈那(あるいは煌川とも伝わる)は、膂力は人並外れ、身軽で俊敏であった。
 蛇山の境界は百濟と交錯し、そのため互いに寇擊し合い、ひと月たりとも休まることはなかった。
 沈那は戦に出るごとに、向かう所敗れぬ戦陣はなかった。
 仁平中、白城郡は出兵し、行軍して百濟の辺境の村邑を抄めると、それを百濟は精兵を出して急擊し、我が軍の士卒は乱れ、退いたが、沈那は独り立ち、劒を抜いて目を怒らせ、大いに叱りつけて、数十人余りを斬殺すると、懼れた賊はそれに当たろうとせず、遂に兵を引いて逃走した。
 百濟人は沈那を指し、『新羅の飛将』と呼び、それに因んで互いに言い合った。
「沈那が生きている間は、白城に近づいてはならない。」
 素那は雄豪で、父のような風格があった。
 百濟が滅んだ後、漢州都督都儒公は白王を遷替して素那を阿達城に派遣し、北鄙の防衛をさせてほしいと大王に要請した。
 上元二年乙亥春、阿達城太守級飡の漢宣が、「某日に麻の種を植えるために一斉に家を出るように。違令してはならぬぞ。」と人民に指示を出した。
 これを認知した靺鞨の諜者(スパイ)は、帰国してその酋長に報告した。
 その日になると、百姓は皆が城を出て田にいた。靺鞨は軍隊を潜伏させ、突然城に入り、一城を剽掠した。老人や幼児たちは狼狽し、どうしてよいかわからなかった。
 素那は刃を振るって賊に向かい、大声で叫んだ。
「お前たちは新羅に沈那の子、素那がいることを知らんのか! もとより死を畏れず生きようと思わず、闘いたいという者はかかって来るがよい!!」
 こうして憤怒して賊に突撃すると、賊は近づこうとせず、ただ向って弓を射つだけであった。素那も弓を射ち、飛矢は蜂のようであった。辰の刻から酉の刻に至り、素那の身体に刺さった矢は猬(はりねずみ)のようで、遂に倒れて死んだ。
 素那の妻は加林郡の良家の女子であった。
 事のはじめ、素那は阿達城の敵国に隣接していたことから、独りで赴任し、その妻を家に留まらせていた。
 素那の死を聞いた郡人がそれを弔うと、その妻は哭きながら答えた。
「私の夫はいつも言っておりました。『丈夫はもとより武器によって死ぬものだ。寝床に伏して、家人の手の中で死ぬことができようか。』と。その平素から言っていたことの通り、今回の死はその志の通りでございます。」
 それを聞いた大王は涙を流して泣き、衣服の襟を濡らして言った。
「勇猛に国家のことに当たった父子を、世濟の忠義と言わねばなるまい。」
 迊飡を贈官した。

 

 戻る








≪白文≫
 素那、或云金川、白城郡蛇山人也。
 其父沈那、或云煌川、膂力過人、身輕且捷。
 蛇山境與百濟相錯、故互相寇擊無虛月。
 沈那每出戰、所向無堅陣。
 仁平中、白城郡出兵、往抄百濟邊邑、百濟出精兵急擊之、我士卒亂退。
 沈那獨立拔劒、怒目大叱、斬殺數十餘人、賊懼不敢當、遂引兵而走。
 百濟人、指沈那曰、
 新羅飛將。
 因相謂曰、
 沈那尚生、莫近白城。
 素那雄豪有父風。
 百濟滅後、漢州都督都儒公請大王遷白王遣素那於阿達城、俾禦北鄙。
 上元二年乙亥春、阿達城太守級飡漢宣、敎民以某日齊出種麻、不得違令。
 靺鞨諜者認之、歸告其酋長。
 至其日、百姓皆出城在田、靺鞨潛師猝入城、剽掠一城、老幼狼狽、不知所為。
 素那奮刃向賊、大呼曰、
 爾等知新羅有沈那之子素那乎。
 固不畏死以圖生、欲鬪者曷不來耶。
 遂憤怒突賊、賊不敢迫、但向射之。
 素那亦射、飛矢如蜂、自辰至酉、素那身矢如猬、遂倒而死。
 素那妻、加林郡良家女子。
 初素那以阿達城隣敵國、獨行、留其妻而在家。
 郡人聞素那死、弔之、其妻哭而對曰、
 吾夫常曰、丈夫固當兵死、豈可臥牀席、死家人之手乎。
 其平昔之言如此、今死如其志也。
 大王聞之、涕泣沾襟曰、
 父子勇於國事、可謂世濟忠義矣。
 贈官迊飡。

≪書き下し文≫
 素那、或(あるいは)金川と云ふ、白城郡蛇山の人なり。
 其の父は沈那、或(あるいは)煌川と云ふ、膂力は人に過ぎ、身は輕く且つ捷し。
 蛇山の境は百濟と相ひ錯し、故に互ひに相ひ寇擊し月を虛しくすること無し。
 沈那は戰に出でる每に、向かふ所堅陣無し。
 仁平中、白城郡出兵し、往きて百濟の邊邑を抄(かす)め、百濟は精兵を出して之れを急擊し、我が士卒は亂れて退く。
 沈那は獨り立ち劒を拔き、目を怒らせて大いに叱り、數十餘人を斬殺し、賊は懼れて當たることを敢へてせず、遂に兵を引きて走る。
 百濟人、沈那を指し、新羅の飛將と曰ふ。
 因りて相ひ謂ひて曰く、
 沈那は尚ほ生き、白城に近づくこと莫れ、と。
 素那は雄豪なること父風有り。
 百濟の滅ぶ後、漢州都督都儒公は大王に白王を遷して素那を阿達城に遣らむことを請ひ、北鄙を禦せしむる。
 上元二年乙亥春、阿達城太守級飡の漢宣、民に敎へ、某日を以て麻を種(う)えるに齊出せしめ、違令を得ず。
 靺鞨の諜者は之れを認め、歸して其の酋長に告ぐ。
 其の日に至り、百姓は皆が城を出でて田に在り、靺鞨は師を潛ませ猝かに城に入らせしめ、一城を剽掠せしめ、老幼狼狽し、為す所を知らず。
 素那は刃を奮い賊に向かひ、大いに呼(さけ)びて曰く、
 爾等は新羅に沈那の子素那有るを知らむや。
 固より死を畏れずして以て生を圖り、鬪ふことを欲する者は曷(なん)ぞ來たらむや、と。
 遂に憤怒して賊を突き、賊は迫ることを敢へてせず、但だ向かひて之れを射つのみ。
 素那亦た射ち、飛矢は蜂の如し、辰より酉に至り、素那の身の矢は猬(はりねずみ)の如し、遂に倒れて死す。
 素那の妻は加林郡の良家の女子なり。
 初め素那は阿達城の敵國に隣するを以て、獨り行き、其の妻を留めて家に在らしむ。
 郡人は素那の死を聞き、之れを弔ひ、其の妻は哭きて對へて曰く、
 吾が夫は常に曰く、
 丈夫固より兵死に當たらむ。
 豈に牀席に臥し、家人の手に死す可けむや、と。
 其の平昔の言は此の如し、今の死は其の志の如くなり、と。
 大王は之れを聞き、涕泣して襟を沾(ぬら)して曰く、
 父子の國事に勇すること、世濟の忠義と謂ふ可きかな、と。
 迊飡を贈官す。