≪白文≫
丕寧子、不知鄕邑族姓。
眞德王元年丁未、百濟以大兵、來攻茂山、甘勿、桐岑等三城、庾信率步騎一萬、拒之。
百濟兵甚銳、苦戰不能克、士氣索而力憊。
庾信知丕寧子有力戰深入之志、召謂曰、
歲寒然後、知松栢之後彫。
今日之事、急矣、非子誰能奮勵出奇、以激衆心乎。
因與之飲酒、以示殷勤。
丕寧子再拜云、
今於稠人廣衆之中、獨以事屬我、可謂知己矣、固當以死報之。
出謂奴合節曰、
吾今日上為國家、下為知己、死之。
吾子擧眞、雖幼年、有壯志、必欲與之俱死、若父子倂命、則家人其將疇依。
汝其與擧眞好收吾骸骨、歸以慰母心。
言畢、卽鞭馬橫槊、災突賊陣、格殺數人而死。
擧眞望之欲去、合節請曰、
大人有言、令合節與阿郞還家、安慰夫人。
今子負父命棄母慈、可謂孝乎。
執馬轡不放。
擧眞曰、
見父死而苟存、豈所謂孝子乎。
卽以劒擊折合節臂、奔入敵中戰死。
合節曰、
私天崩矣、不死何為。
亦交鋒而死。
軍士見三人之死、感激爭進、所向挫鋒陷陣、大敗賊兵、斬首三千餘級。
庾信收三屍、脫衣覆之、哭甚哀。
大王聞之涕淚、以禮合葬於反知山、恩賞妻子、九族尤渥。
≪書き下し文≫
竹竹は大耶州人なり。
丕寧子、鄕邑族姓を知らず。
眞德王元年丁未、百濟は大兵を以て茂山、甘勿、桐岑等の三城を攻めに來たりて、庾信は步騎一萬を率い、之れを拒む。
百濟兵甚だ銳にして、苦戰して克つこと能はず、士氣は索りて力は憊(よわりき)る。
庾信は丕寧子に力戰深入の志有るを知り、召して謂ひて曰く、
歲寒然る後、松栢の後彫を知る。
今日の事、急なり。
子に非ずば誰をか奮勵出奇して以て衆心を激するに能はむや、と。
因りて之れと與に酒を飲み、以て殷勤を示す。
丕寧子は再び拜して云く、
今、稠人廣衆の中に於いて、獨り事を以て我に屬するは、己を知ると謂ふ可きかな。
固より當に死を以て之れに報いむとす、と。
出でて奴の合節に謂ひて曰く、
吾は今日、上には國家の為、下には己を知るの為、之れに死せむ。
吾が子の擧眞、幼年と雖も壯志有り。
必ず之れに與し俱に死さむと欲するも、若し父子命を倂ぶれば、則ち家人其れ將に疇(たれ)にか依らむ。
汝は其れ擧眞と與に好く吾が骸骨を收め、歸して以て母の心を慰むるべし、と。
言ひ畢え、卽ち馬を鞭して槊を橫し、賊陣に災突し、數人を格殺して死す。
擧眞之れを望み去らむと欲するも、合節請ひて曰く、
大人に言有り、合節と阿郞を家に還させしめ、夫人を安慰せしむるべし、と。
今、子は父の命を負ひ母の慈を棄つるは、孝と謂ふ可きか、と。
馬の轡を執りて放さず。
擧眞曰く、
父の死を見て苟も存するは、豈に孝子と謂ふ所か、と。
卽ち劒を以て合節の臂を擊ち折り、敵中に奔り入りて戰死す。
合節曰く、
私天崩れむかな、何の為に死なざる、と。
亦た鋒を交えて死す。
軍士は三人の死を見、感激して爭ひて進み、向かふ所の鋒を挫き陣を陷し、大いに賊兵を敗り、斬首すること三千餘級。
庾信は三屍を收め、衣を脫ぎ之れを覆ひ、哭すること甚だ哀し。
大王之れを聞きて涕淚し、禮を以て反知山に合葬し、妻子、九族に恩賞すること尤(すこぶ)る渥(あつ)し。