實兮

 實兮は大舍純德の子である。性は剛直で、義でなければ屈しようとはしなかった。眞平王の時の五十三年、上舍人となった。当時の下舍人の珍堤は、その為人ひととなり便佞おべっかで、王からはかわいがられていた。實兮と同僚ではあったが、事に臨めば互いに嚙み合わず、實兮は正義を守り、いい加減なことはしなかった。珍堤は嫉みと恨みによって、頻繁に王に讒言した。「實兮に智慧はありませんし、肝っ玉ばかりが強く、喜怒が激しく、大王の言葉であっても、そのこころにかなわなければ憤ってやり尽くそうとはしません。もし懲らしめなければ、奴は乱を起こすことになるでしょう。どうしてクビにしないのですか? 奴が屈服するのを待ち、その後になって登用したとしても、遅くはありませんよ。」王はそれに同意し、泠林へ左遷した。ある人が實兮に言った。君は先祖代々、忠誠によって才覚を公のために用い、当時の人々から評判されました。現在、佞臣の讒毀のために、竹嶺の外、荒僻の地まで赴任地を遠ざけられたことは、なんとも痛ましいことではないですか。どうして直言して自らの弁護をされないのですか。」實兮は答えた。「昔、屈原はひとりだけまっすぐであったが、楚から放逐されることになり、李斯は忠義を尽くしたが、秦から極刑に処されてしまった。故に佞臣が主を惑わし、忠士が排斥されてしまうのは、古来から同様なのだとわかる。なぜ悲しむほどのことがあろうか。」こうして、申言することなく立ち去り、長歌を作って心意を表現した。


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≪白文≫

 實兮、大舍純德之子也。性剛直、不可屈以非義。眞平王時五十三年、為上舍人。時下舍人珍堤、其為人便佞、為王所嬖。雖與實兮同寮、臨事互相是非、實兮守正不苟且。珍堤嫉恨、屢讒於王曰、實兮無智慧、多膽氣、急於喜怒、雖大王之言、非其意則憤不能已。若不懲艾、其將為亂、盍黜退之。待其屈服、而後用之、非晚也。王然之、謫官泠林。或謂實兮曰、君自祖考、以忠誠公材、聞於時。今為佞臣之讒毁、遠宦於竹嶺之外荒僻之地、不亦痛乎。何不直言自辨。實兮答曰、昔、屈原孤直、為楚擯黜、李斯盡忠、為秦極刑。故知佞臣惑主、忠士被斥、古亦然也、何足悲乎。遂不言而往、作長歌見意。

≪書き下し文≫

 實兮は大舍純德の子なり。性は剛直、非義を以て屈する可からず。眞平王の時の五十三年、上舍人と為る。時の下舍人の珍堤、其の為人ひととなり便佞おべっか、王の嬖さるる所と為る。實兮と同寮と雖も、事に臨みては互相の是非、實兮は正を守り苟且かりそめならず。珍堤はねたみうらみしばしば王に讒して曰く、實兮に智慧無く、膽氣多く、喜怒に急き、大王の言と雖も、其の意に非ざれば則ち憤りて能く已まず。若し懲艾こらしめざれば、其れ將に亂をおこし、なんぞ之れを黜退しりぞ)かせしめざらむ。其の屈服を待ち、而る後に之れを用いても、おそきに非ざらむや、と。王之れを然りとし、泠林に謫官す。あるひと實兮に謂ひて曰く、君は祖考より、忠誠を以て材を公にして、時に聞こゆ。今は佞臣の讒毁の為、竹嶺の外、荒僻の地に遠宦せむは、亦た痛からずや。何ぞ直言自辨せざるか、と。實兮答へて曰く、昔、屈原はひとりただしくも、楚の擯黜と為り、李斯は忠を盡すも、秦の極刑と為る。故に佞臣の主を惑はし、忠士の斥を被るは、古も亦た然りと知るなれば、何ぞ悲しむに足らむか、と。遂に言はずして往き、長歌をおこしてこころあらはせり。