百結先生

 百結先生、どこの人かはわからない。居狼山の下(ふもと)の家は極貧、百結(百箇所を縫い合わせた)の若懸鶉を着ていたので、当時の人々は號して東里百結先生と読んでいた。かつて榮啓期の為人(ひととなり)を慕い、琴をもって自ら持ち運び、喜怒悲歎、不平の事があれば、いつも琴によってそれを表現した。まさに歳が暮れようとする頃のこと、隣の里で粟を舂(つ)いていたので、彼の妻は杵の音を聞きながら「人は誰でも粟を所有してそれを舂(つ)いているのに、私独りだけにそれがない。どうやって歳を越せばいいのやら。」と言ったので、先生は天を仰いで嘆いた。「うーむ、死生は運命が決めること、富貴は天が決めることだ。それが来るときは拒むことができず、それが往くときは追うことができない。お前さんはなにが悲しいのかね。私がお前さんのために、杵の音を作って慰めてやろう。」こうして鼓琴が杵の音を織り成し、代々それが伝えられ、『碓樂』と名付けられた。


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≪白文≫

  百結先生、不知何許人。居狼山下、家極貧、衣百結若懸鶉、時人號為東里百結先生。嘗慕榮啓期之為人、以琴自隨、凡喜怒悲歡不平之事、皆以琴宣之。歲將暮、隣里舂粟、其妻聞杵聲曰、人皆有粟舂之、我獨無焉、何以卒歲。先生仰天嘆曰、夫死生有命、富貴在天。其來也不可拒、其往也不可追。汝何傷乎。吾為汝、作杵聲以慰之。乃鼓琴作杵聲、世傳之、名為碓樂。

≪書き下し文≫

 百結先生、何許(いずこ)の人か知らず。居狼山の下(ふもと)、家は極貧、百結の若懸鶉を衣(き)、時の人は號して東里百結先生と為す。嘗て榮啓期の為人(ひととなり)を慕ひ、琴を以て自ら隨(したが)ひ、凡そ喜怒悲歡不平の事、皆琴を以て之れを宣ぶ。歲は將に暮れんとし、隣の里は粟を舂(つ)かば、其の妻は杵の聲(おと)を聞きて曰く、人は皆粟を有(も)ちて之れを舂(つ)くも、我は獨り焉れ無かりける、何以て歲を卒(お)えむか、と。先生は天を仰ぎて嘆いて曰く、夫れ死生に命有り、富貴は天に在り。其の來たるや拒む可からず、其の往(ゆ)くや追ふ可からず。汝何ぞ傷むか。吾は汝の為、杵の聲を作りて以て之れを慰めん、と。乃ち鼓琴は杵の聲を作り、世(よよ)之れを傳え、名は碓樂と為す。