劒君

 劒君、仇文大舍之の子、沙梁宮舍人となった。建福四十四九年丁亥(かのとい)秋八月、霜が降ってそこらの穀物が死に絶え、明年の春夏には大飢饉が起こり、人民は子を売って食べる有様であった。時を同じくして、宮中の舍人たちは共同で謀り、唱翳倉の穀物を盗んでそれを分け合ったが、劒君はひとり受け取らなかった。舍人たちは「衆人すべてが受け取っているのに、君だけがそれを断った。どうしてだ。もし少ないから嫌だというなら、更にこれだけ追加してやろう。」と言ったが、劒君は笑った。「僕は近郞の徒に名を連ね、風月の庭で修行したのだ。いやしくもその義に反することがあれば、千金の利益であっても心は動かぬ。」当時、大日伊飡の子は花郞となり、近郞を號していたので、このように言ったのだ。劒君が退出して近郞の門まで行くと、舍人たちは「あやつを殺さなければ、必ず事が漏れてしまうだろう。」と密議し、そのまま彼を召し出した。劒君は彼らが殺害を謀っていることに気づき、近郞に断って言った。「今日を最後に、相まみえることは二度とないだろう。」近郞はそれについて質問しても、劒君は何も言わなかったが、再三にわたってそれを質問すると、ついにその理由を簡単に話した。近郞は言った。「なぜ役人に言わないのか。」劒君は言った。「自身の死をおそれても、衆人に罪をかけるのは、情に忍びないことである。」「それならなぜ逃げなかったのだ。」「あやつらは間違っていたが、私は正しいのだ。それなのに自ら逃げてしまうことは、丈夫のすることではない。」と答え、そのまま立ち去った。諸舍人は酒を置いて彼に謝罪したが、密かに藥を食事に入れておいた。劒君はそれを知っていたのに無理をして食べ、そのまま死んでしまった。君子は言った。「劒君の死はあるべきところではなかった。泰山を鴻毛より軽んじたと評価すべきだろう。」


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≪白文≫

 劒君、仇文大舍之子、為沙梁宮舍人。建福四十四九年丁亥秋八月、隕霜殺諸穀、明年春夏大飢、民賣子而食。於時、宮中諸舍人同謀、盜唱翳倉穀分之、劒君獨不受。諸舍人曰、衆人皆受、君獨却之、何也。若嫌小、請更加之。劒君笑曰、僕編名於近郞之徒、修行於風月之庭、苟非其義、雖千金之利、不動心焉。時大日伊飡之子、為花郞、號近郞、故云爾。劒君出至近郞之門、舍人等密議不殺此人、必有漏言、遂召之。劒君知其謀殺、辭近郞曰、今日之後、不復相見。郞問之、劒君不言、再三問之、乃略言其由。郞曰、胡不言於有司。劒君曰、畏己死、使衆人入罪、情所不忍也。然則盍逃乎。曰、彼曲我直、而反自逃、非丈夫也。遂往。諸舍人置酒謝之、密以藥置食、劒君知而强食、乃死。君子曰、劒君死非其所、可謂輕泰山於鴻毛者也。

≪書き下し文≫

 劒君、仇文大舍之の子、沙梁宮舍人と為る。建福四十四九年丁亥(かのとい)秋八月、霜を隕らせて諸の穀を殺し、明年の春夏は大いに飢え、民は子を賣(ひさ)ぎて食せり。時に於いて、宮中の諸舍人は同じく謀り、唱翳倉の穀を盜みて之れを分くるも、劒君獨り受けず。諸舍人曰く、衆人皆受くも、君は獨り之れを却く、何ぞや。若し小を嫌ふならば、更に之れを加へむことを請へり、と。劒君笑ひて曰く、僕は近郞の徒に於いて編名し、風月の庭に於いて修行す。苟も其の義に非ざれば、千金の利と雖も、不動心たらむ。時に大日伊飡の子、花郞と為り、近郞を號し、故に爾(しか)云ふ。劒君は出でて近郞の門に至り、舍人等密議するに、此の人を殺さざれば、必ず漏言有らむ、と遂に之れを召す。劒君は其の謀殺を知り、近郞に辭して曰く、今日の後、相ひ見えむこと復(にどと)あらじ、と。郞之れを問ふも、劒君言はず、再三之れを問へば、乃ち其の由を略言す。郞曰く、胡ぞ有司に言はざるか、と。劒君曰く、己の死を畏るるも、衆人をして罪に入らしむるは、情の忍ばざる所なり、と。然らば則ち盍ぞ逃げざるか、と。曰く、彼は曲なるも我は直く、而るに自ら逃るるに反るは、丈夫に非ざるなり、と。遂に往く。諸舍人は酒を置きて之れを謝するも、密かに藥を以て食に置き、劒君知れども食を强い、乃ち死せる。君子曰く、劒君の死は其の所に非ず、泰山を鴻毛より輕ずると謂ふ可き者なり、と。