≪白文≫
倉助利、高勾麗人也。
烽上王時、為國相。
時慕容廆為邉患、王謂羣臣曰、
慕容氏兵強、屢犯我疆埸、為之奈何。
倉助利對曰、
北部大兄高奴子賢且勇、大王若欲禦寇安民、非高奴子無可用者。
王以為新城太守、慕容廆不復來。
九年秋八月、王發國內丁男年十五已上、修理宮室。
民乏於食、困於役、因之以流亡。
倉助利諫曰、
天災荐至、年穀不登、黎民失所、壯者流離四方、老幼轉乎溝壑、此誠畏天憂民、恐懼修省之時也。
大王曾是不思、驅飢餓之人、困木石之役、甚乖為民父母之意。
而況比隣有強梗之敵、若乗吾弊以來、其如社稷生民何。
願大王熟計之。
王慍曰、
君者、百姓之所瞻望也。
宮室不壯麗、無以示威重。
今相國蓋欲謗寡人、以干百姓之譽也。
助利曰、
君不恤民、非仁也。
臣不諫君、非忠也。
臣既承乏國相、不敢不言、豈敢干譽乎。
王笑曰、
國相欲為百姓死耶。
冀無後言。
助利知王之不悛、退與羣臣謀廢之。
王知不免、自縊。
≪書き下し文≫
倉助利は高勾麗人なり。
烽上王の時、國相と為る。
時に慕容廆は邉患と為り、王は羣臣に謂ひて曰く、
慕容氏の兵は強し、屢(しばしば)我が疆埸を犯し、之れを為すは奈何、と。
倉助利對へて曰く、
北部大兄の高奴子は賢且つ勇、大王若し寇を禦して民を安ぜむと欲すれば、高奴子に非ざれば用ふる可き者無し、と。
王以て新城太守と為し、慕容廆は復た來たることなし。
九年秋八月。
王は國內の丁男年十五已上を發し、宮室を修理す。
民は食に乏し、役に困しみ、之れに因りて以て流亡す。
倉助利諫めて曰く、
天災荐(しきり)に至り、年穀登らず、黎民は所を失ひ、壯者は四方に流離し、老幼は溝壑に轉ぜむかな、此れ誠に天を畏れ民を憂ひ、恐懼修省の時なり。
大王曾(すなは)ち是れ思ふことなく、飢餓の人を驅り、木石の役に困しめ、甚だ民の父母と為るの意(こころ)に乖れり。
而るに況や比隣に強梗の敵有り、若し吾の弊に乗じて以て來たらば、其の社稷生民を如何(いかん)。
願はくば大王よ、之れを熟計せよ、と。
王慍りて曰く、
君は、百姓の瞻望する所なり。
宮室壯麗ならざれば、以て威重を示すこと無し。
今相國蓋し寡人を謗らむと欲し、以て百姓の譽を干(おか)すなり。
助利曰く、
君の民に恤せざれば、仁に非ざるなり。
臣は君を諫めざれば、忠に非ざるなり。
臣は既に國相を承乏し、言はざることを敢へてせざれば、豈に敢へて譽を干(おか)さむや。
王笑ひて曰く、
國相は百姓の為に死なむと欲するか。
後の言を無からしむることを冀(こひねが)ふ。
助利は王の不悛を知り、退きて羣臣と與に之れを廢さむと謀る。
王は免れざるを知り、自ら縊す。