焚巣館 -三国史記 第五十巻 論

 本件について論じよう。
 新羅は幾度となく困窮し、道理は喪われた。天の助くる所もなく、民の帰る所もない。そこで隙に乗じた群盜が猬(ハリネズミ)の針のように興り立ったが、それらの中で劇烈な者は、弓裔と甄萱の二人だけであった。
 もともと弓裔は新羅の王子であったが、宗国に復讐するために反乱を起こし、皆殺しを図ってこれを滅ぼし、先祖の像までもを斬るに至った。なんとも甚だしき不仁を行なったものである。
 甄萱は新羅の民より起こり、新羅の祿を食らっていたが、禍乱の心を包み隠し、国家の危機を幸いとし、都邑を侵軼し、君臣を殺害して掠奪をし、禽鳥や大猿のようにしてこれらを草薙(くさな)ぎ、天下の元悪大憝(※1)を実らせた。
 故に弓裔はその臣下に見棄てられ、甄萱はその子から禍を産んた。どちらも自らそれを選択したのだ。誰を咎めることができるだろうか。
 項羽や李密のような雄才でも、漢や唐の興隆に敵うことはできなかった。してみれば、弓裔や甄萱のような凶人については言うまでもない。どうして我が太祖に対抗することができるだろうか。その為にしたことは、人民を恐怖によって追い立てたことだけである。(※2)



(※1)元悪大憝
 元悪は「悪の元締め」「諸悪の根源」、大憝は「大罪人」「悪を極めた人物」の意。大悪人のことである。出典は書経。

(※2)その為にしたことは、人民を恐怖によって追い立てたことだけである。
 原文は、「但為之歐民者也」であり、私は「但(ただ)之れの為にするは、民を歐(おひたて)ることのみなり」と書き下した。ここで問題となるのは、「歐」の意味である。「歐」は日本の新字体では「欧」であり、第一義は「吐く」「吐き戻す」である。しかし、「歐民」が「民を吐き戻す」では意味が通らない。それ以外の意味には、「うたう(謳う)」と「なぐる(殴る)」がある。  時に儒教経典のひとつに数えられる『大戴礼記』には、「導之以德教者、德教行而民康樂。歐之以法令者、法令極而民哀戚。」という一節がある。「之れを導くに德教を以てする者は、德教行ひて民を康樂せしむ。之れを歐するに法令を以てする者は、法令極めて民を哀戚せしむ。」と書き下して現代語訳すれば、「これ(人民)を導くために徳教を用いる者は、徳教を行なうことで人民を安堵させて楽しませる。これ(人民)を『歐』するために法令を用いる者は、法令を極めて人民を悲しみ悼ませる」となろうか。これは論語為政篇にある孔子の言葉「道之以政、齊之以刑、民免而無恥。道之以德、齊之以禮、有恥且格。」と似ている。こちらを概ね意訳すれば、「人民を導くために政治を用い、統治するために刑罰を用いれば、人民は免れても恥じることがなくなる。人民を導くために徳を用い、統治に礼を用いれば、恥を持って自ら正しくなる」といったところで、徳(礼)と法(刑)が対比される有名な章句である。ここでは、人民を法律によって無理やり従わせるよりも、徳や礼によって人民を感化させることを上位に置く倫理観が示される。してみれば、『大戴礼記』の『歐』は「(法令によって人民を)無理やり従わせる」という意味になろう。これは辞典における「殴る」という意味に近い。  これを鑑みれば、本文の用例も、この部分を意識したものであると考えられる。新羅本紀第十二巻敬順王紀には、「昔甄氏之來也、如逢豺虎。今王公之至也、如見父母。」とあり、これは儒教倫理に基づき、徳によって人民を感化する太祖王建と、恐怖によって人民を従わせる甄萱を対比しての言葉であろう。そして、この人物観は本文の内容とも一致している。  よって、本文「但為之歐民者也」の『歐』を、『大戴礼記』の『歐』と同じ用法であると見なし、ここでは「なぐる」よりも更に具体的な含意を持たせて「おひたてる(追い立てる)」と訓読した上で、現代語訳を「恐怖によって追い立てる」とした。

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≪白文≫
 論曰、
 新羅數窮道喪、天無所助、民無所歸。
 於是羣盜投隙而作、若猬毛然、其劇者弓裔甄萱二人而已。
 弓裔本新羅王子而反以宗國為讐、圖夷滅之、至斬先祖之畵像、其為不仁甚矣。
 甄萱起自新羅之民、食新羅之祿、而包藏禍心、幸國之危、侵軼都邑、虔劉君臣、若禽獼而草薙之、實天下之元惡大憝。
 故弓裔見棄於其臣、甄萱産禍於其子、皆自取之也、又誰咎也。
 雖項羽李密之雄才、不能敵漢唐之興、而況裔萱之凶人、豈可與我太祖相抗歟。
 但為之歐民者也。

≪書き下し文≫
 論じて曰く、
 新羅數(しばしば)窮して道喪はれ、天の助くる所無し、民の歸する所無し。
 是に於いて羣盜、隙に投じて作(おこ)ること猬の毛の然るが若くなるも、其の劇する者は弓裔甄萱の二人のみ。
 弓裔は本(もともと)新羅の王子にして宗國を讐と為すを以て反し、夷(ころ)すを圖りて之れを滅し、先祖の畵像を斬るに至る。其れ不仁を為すこと甚しきかな。
 甄萱は新羅の民より起こり、新羅の祿を食らひ、而れども禍(はざはひ)の心を包み藏(かく)し、國の危を幸とし、都邑を侵軼し、君臣を虔劉し、禽獼の若くして之れを草薙(くさなぎ)ぎ、天下の元惡大憝を實らせしむ。
 故に弓裔は其の臣に棄られ、甄萱は其の子に禍を産み、皆自ら之れを取るなり。又た誰か咎むるや。
 項羽李密の雄才と雖も、漢唐の興に敵ふこと能はず、而るに況や裔萱の凶人をや。豈に我が太祖と相ひ抗する可けむか。但(ただ)之れの為にするは、民を歐(おひたて)るのみなり。