このサイトは何か。

 このサイトは、漢籍を原文で読み始めた私が、その際に生じる訳文を保管するために2020年6月1日に立ち上げたものです。

 もともとブログで少しずつ漢籍の翻訳をしていました。しかし、ブログというのはあくまで読み捨て前提で日々に諸々を書く場ですから、情報を体系的に蓄積していくことには向いていません。なので、ここは情報を蓄積してゆく場として創設されたわけです。

 2000年代後半から軽薄短小の情報ツールの象徴として流行を始めたブログですが、今やそれさえも廃れてしまい、TwitterやSNSといった更なる軽薄短小のメディアに流行が移り変わっています。つまり、よりスピーディーに、より読み捨てを前提とした情報をかけ流しにしてゆくメディアが力を得ているのが現代です。

 もちろん初めからデジタル情報と言うものは、そういった方向に特化した性質を有しているものですし、そもそも情報というもの自体が質量の外に存在し、世界を簡略化して人に伝える性質を有していることから、こうした形への進化は必然だったのかもしれません。

 しかし、それで本当によいのか? それ以外に情報との向き合い方の方向性はないのか? 過去を振り返ってみれば、やはり情報にだって、もう少し”重さ”のようなものがあったのではないか?

 漢籍とは世界最大級のオープンソースです。そして漢籍とは”重い”情報です。重厚長大なる人類の智慧です。これを訳し、敢えてホームページという形式の場に保管することによって、情報との向き合い方を再検討するきっかけになるかもしれない。

 このホームページは、現代の軽薄短小化に向かう情報の流れに敢えて逆行する試みとして存在します。まあ後付けで考えた理屈ですが……。

管理人は誰か。

 2000年頃からインターネットに触れ始めました。もともと定まったハンドルネームを使用せず、その場その場で別の名前を使用する存在、いわば本質的には名無しでした。東夷の倭人という名前での活動はTwitterが最初です。2015年からこのように名乗り始め、いつの間にか一番長く用いたハンドルネームになってしまいました。

 Twitterでは書けない長い文章を書くため2016年にブログを立ち上げ、上記の事情でホームページを2020年に立ち上げました。

 かつてより漢籍を好んでいたのですが、当初は現代語訳か、せいぜい書き下し文を読む程度のものだったのですが、まだ翻訳されていない漢籍を読みたいと思ったことがきっかけで原文で漢文を読むようになりました。

 最初に読もうとしていたのは、後漢時代の儒者の著した『潜夫論』という書籍だったのですが、こちらはまったく翻訳が進んでおらず、なぜか既に翻訳書の存在する三国史記を先に訳してしまいました。なんでだろう……。

 現在、『論語注疏(朱子学以前の論語の注釈書)』『大越史記全書(ベトナムの歴史書)』『遊心安楽道(古代新羅の仏典)』といった、現代日本語訳のない漢籍を少しずつ翻訳しています。

制作ツール

プログラム:Visual Studio Code
参照ツール:ChatGPT
テキスト:Googleドキュメント