本生譚 兎王捨身供養梵志縁起 第六

兎王の講法

現代語訳

 往きし日の菩薩、かつては兎の王であった。彼は前世から積まれた カルマ の因縁により、その報いを受けて人の言語 ことば を話すことができたが、純誠質直、いまだかつて虚言や謬説をすることなく、智慧を積み集め、あたかも香の薫りが衣服に染みつくように自然のまま慈悲を行ない続け、思念には僅かばかりの殺害の心も生じることなく、これら無量百千の兎の中にあっても、生まれながらに調柔が与えられ、それらの最上位に いま し、これらの徒の為に講座について経法を宣べた。

いいつけ に勤め、 あきら らかに聴き、よくこれを思念すべし。私もお前たちも、 はじまり なき むかし より、正行を修めず、悪に随って生まれ死ぬことを繰り返したことで、四つの因果によって三悪道にいるのだ。ここでいう四つの因果とは、 ローパ ドーサ モーハ マーナ である。ひとつに慳貪 ローパ による十悪業をなしてしまえば、この因緣によって餓鬼に堕ちる。ますます ものおしみ はひどくなり、故にその咽喉は針のように細くなる。永劫に漿水 おもゆ の名を耳にすることなく、わずかばかりの食べ物を供えられても業火に生まれ変わり、皮と骨がへばりつくほどの餓えと渴きの苦しみを受け続けるのだ。もしくは瞋恚 ドーサ による十悪業をなしてしまえば、この因緣によって畜生に堕ちる。ある者は鷙や獣、虎や牛、毒蛇等、足がないか足の多い者となって更に互いが互いを貪り食い合うことになり、駱駝や牛としての生を受ければ重い物を背負って遠くまで運ぶ報を受け、頭を頷けて脚は擦り切らせることで前世からの負債を償うために世に住むことになるのだ。もしくは愚癡 モーハ による十悪業をなしてしまえば、この因縁によって地獄に堕ちる。浄慧はなく、故に因果を否定して信じることがない。仏法僧を そし り般若を学ぶことも断つ者は八寒八熱、日の山、剣の林、種々の苦処に置かれて罰を治めるのだ。もしくは我慢 マーナ による十悪業をなしてしまえば、この因縁によって修羅に堕ちる。いつも本心を捻じ曲げてこびへつらい、あるいは傲り高ぶって己を過大に評価し、善き知識から離れて三宝を信じず、かの天中の如き福報を受けようとも、闘争によって常に手足の骨を残害して苦しみ続ける。私は今回、このような様々な道をたどってしまった衆生の受ける苦しみを簡単に説明したが、仮に具体的に説明すれば、 とき きわ めたとしても話は尽きぬ。まあ、私もお前たちも めしい にして慧眼はない。ますます愚癡 モーハ をひどくするばかりであるからこそ、この兎の身体に生を受けたのだ。いつまでも水や草に窮乏して餓えと渴きを受け続け、林野にいては永劫にうろたえながら恐怖と震驚に煩わされ、もしくは置き網や機陥 わな に困らされ、あの猟師どもに傷つけられ、斯様な現世で受ける苦しみの深さに心を患わされるしかない。お前たち各々、心からの勇気を解き放つがよい! 十の善行を修め、出離 さとり の道をたどり、生に勝処を求めるのだ!」

 この時、兎の王はいつも同類の為に上のような相応法要を宣説していた。


漢文

 菩薩往昔曾作兎王、以其宿世餘業因緣、雖受斯報而能人語、純誠質直未嘗虛謬、積集智慧熏修慈悲、不生一念殺害之心、於彼無量百千兎中、稟性調柔居其上首、為彼徒屬講宣經法、勸令諦聽善思念之、我及汝等無始劫來、不修正行隨惡流轉、由四種因在三惡道、所謂四者貪瞋癡慢、或由慳貪造十惡業、以是因緣墮餓鬼中、慳增上故其咽如針、長劫不聞漿水之名、設得少食變成火聚、皮骨連立受饑渴苦。或由瞋恚造十惡業、以是因緣墮傍生中、或為鷙獸虎兕毒蛇、無足多足更相食噉、受駝牛報負重致遠、項頷穿破償住宿債。或由愚癡造十惡業、以是因緣墮於地獄、無淨慧故撥無因果、毀佛法僧斷學般若、人於苦處八寒八熱、日山劎林種種治罰。或由我慢造十惡業、以是因緣墮修羅中、心常諂曲貢高自大、離善知識不信三寶、雖受福報如彼天中、常苦鬪戰殘害支節、我今略陳如是諸趣、所受眾苦、若具說者窮劫不盡。又我與汝盲無慧眼、癡增上故受彼兎身、常受饑渴乏於水草、處於林野周慞驚怖、或為罝網機陷所困、為彼獵者之所傷害、現受此苦深可厭患、汝等各各發勤勇心、修十善行趣出離道、求生勝處。是時兎王常為同類、宣說如上相應法要。

書き下し文

 菩薩、往昔 むかし かつ うさぎ の王と るも、其の宿世 すくせ 餘業 よげふ 因緣 いんえん を以て、斯の むくひ を受けて人の ことば を能くすると雖も、純誠質直にして未だ嘗て うそ あやまり をせず、智慧を積み集めて慈悲を熏修 くりかへ し、一念 ひとおもひ の殺害の心も生ぜず、彼の無量百千の兎の うち に於いて、 うまれ 調柔 ととのひたる を稟け、其の上首 かしら いま し、彼の ともがら の為に講に きて經法を宣ぶるに、我及び汝等、 はじまり 無き むかし り、正行を修めず、惡に隨ふことを流轉 くりかへ さば、四種に由り、因りて三惡道 みつのあしきみち に在り、所謂 いはゆる 四者 よつ むさぼり いかり おろか おこたり 、或いは ものおしみ むさぼり に由りては とお の惡業を造らば、是の因緣を以て餓鬼 うえたるおに うち に墮ち、 ものおしみ ますます さかん となり、故に其の のど は針の如くなり、長らく むかし より漿水 おもゆ の名を聞かず、 そな へ得たる わづ かな じき 火聚 ほむら に變成し、皮骨は連なり立ち、饑渴 うえかわきたる の苦しみを受く。或いは瞋恚 いかり に由りて とお の惡業を造らば、是の因緣を以て傍生 けもの うち に墮ち、或いは鷙獸虎兕毒蛇の足無きか足多きかと為り、更に相ひ むさぼ り、駝牛を受かば重きを負ひて遠くに致すに報はれ、 かしら うつむ 穿 あし すりき れ宿債を償ひ住まへり。或は愚癡 おろかしき に由りて とお の惡業を造らば、是の因緣を以て地獄に墮つ。淨慧 くもりなきさとり 無く、故に因果を撥無 しりぞ け、佛法僧を そし り般若を學ぶを斷る人は苦しき處の八寒八熱、日の山、劎の林、種種に於いて罰を治む。或いは我慢 わがまま に由りて とお の惡業を造らば、是の因緣を以て修羅 いくさおに の中に墮つ。心は常に諂曲 へつらひまがり 貢高 おごりたかぶり 自ら とうと び、善き知識を離れて三寶 みつのたから まこと とせず、 さいはひ なる むくひ を受くること彼の天中 あめのまなか の如きと雖も、常に鬪戰 たたかひ てあし ほね 殘害 そこな ふに苦しむ。我は今、是の如き諸趣 もろみち ひと の苦しみを受くる所を略して ぶるも、若し つぶさ に說く こと あらば とき きは むれども盡きざり。又た我と汝は めしい にして慧眼無し、 おろか なること ますます さかん なるが故に彼の兎の からだ を受け、常に饑渴 うえかわき 水草に こま らされたるを受け、林野に處して周慞 うろたえあわて 驚怖 おどろきおそる 、或は罝網 おきあみ 機陷 わな に困らさるる所と為、彼の かり の者の傷害 きず つけられたる所と為り、 いま 受けたる此の苦しみの深き、厭患 いとひわずら ふ可し。汝等各各 おのおの 勇ましき心を發勤 ときはな ち、 とお の善き おこなひ を修め、出離道に おもむ き、生くるに勝處を求むるべし、と。是の時、兎の王は常に同類の為、上の如き相應法要を宣べ說けり。

外道の婆羅門

現代語訳

 ひとりの外道の婆羅門の家系の生まれの――世を厭うて出家し、仙道を修習した――者がいて、愛欲から遠く離れて瞋恚 ドーサ を起こさず、水を飲んで果物を食べ、閑寂の中に安居することを楽しみ、長らく爪も髮も切ることもなく、梵志の人相をなしていた。一時期から突然、兎の王が兎の群衆の為に経法を宣説していると遙聞すると、自ずと悲嘆に暮れてしまい、このような言葉が口から洩れた。

「ああ、現世で私は人としての生を受けたというのに、なんと愚癡 おろか で無知、あの兎にまったく及ばないではないかっ! 他の誰よりも善法 ダルマ に達して悟りを開いておられる。かの者は必ずや大権聖賢の化身 アバタール ……いやいや、それどころか世界の創造主たる梵王 ブラフマン 大自在天 マハーシュヴァラ のたぐいに違いなかろうぞ。私は因業によって彼に説かれる ダルマ を聞くことができてからというもの、身も心も泰然 ゆったり として諸々の悩みが頭に上って熱のようにうなされるなんてこともなくなった。今かの兎の王は生まれながらに仁賢、善く先聖の道を明らめて広めて、善悪応報の理を分別されておられる。我は昔から山谷に棲みつき、 くさ の着物と木の実を食べ、出離 さとり の道を求めてきたが、かの教えにあるような師友にまだ回り逢っていない。彼にめぐり合い、今こそ初めての無量の喜びに胸が躍っておるぞっ!」

 この時、仙人は即座に起きて合掌し、兎の王の寂静される場所に参上して申し上げた。

「なんと不思議なことか、偉大なる士よ。そのかりそめの体躯を現し、有情に尽くして広く法要を宣べておられる。今のあなたは真実の大いなる法を持たれる者、正法の戒を積み重ねられておられるに違いありませぬ。願わくば、今は我がために、最上究極の出離 さとり の道をご演説いただき、ご教示いただきたく……。私は先に婆羅門の法を修習し、久しく苦行の勤めを受けて参りましたが、殊更に益する所がありませんでした。譬えてみれば、愚鈍な者の信徒となって教訓を受け、氷を研磨して火を求めても手に入らないかのように――。どうかお願いします! 仁に身を投じて諸衆の帰依する場所をお作りください!」

 この時、兎は答えた。

「偉大なる婆羅門よ、我が今生において説く解脱の法は、苦の終焉を尽くすことを可能にするもの。あなたの時機に適ったのだろう。ひたすら問いかけ、出し惜しみをせず、もはや私は慳貪 ローパ の垢を取り払って久しい。有情に利して生死に楽住するために、かの同類 ともがら と化し、かくのごとき兎の身体を受けたのだ。」

 この時、仙人はこの教説を聞くだけで、心には未曾有の大いなる歡喜が満ち溢れた。

「今こそ私は幸運にも慈悲の教化に親しむことができるのです! 願わくば、教誨を垂れることに つかれ うみ ためらい を起こさないでいただきたい。」


漢文

 有一外道婆羅門姓、厭世出家修習仙道、遠離愛欲不起瞋恚、飲水食果樂居閑寂、長護爪髮為梵志相、忽於一時遙聞兎王、為彼群兎宣說經法、而自咨嗟乃作是言、我今雖得生於人中、愚癡無智不及彼兎、了達善法開悟於他。此必大權聖賢所化、或是梵王大自在等。我因得聞彼所說法、身心泰然離諸熱惱、今此兎王自性仁賢、善能發明先聖之道、分別善惡報應之理、我從昔來棲止山谷、艸衣木食求出離道、未逢師友如是教誨、今始遇之喜躍無量。是時仙人即起合掌、詣兎王所安徐而言、奇哉大士現此權身、能為有情廣宣法要、汝今真是持大法者、必當所蘊正法之戒。願今為我開示演說、最上究竟出離之道。我先修習婆羅門法、久受勤苦殊無所益、譬如有人信順愚夫、鑽冰求火不可得也。願投仁諸作歸依處。時兎答言大婆羅門、我今所說解脫之法、能盡苦際稱汝機者、但當發問無所悋惜。我已久除慳貪之垢、為利有情樂住生死、化彼同類受是兎身。是時仙人聞是說已、心大歡喜得未曾有、我今幸得親附慈化、願垂教誨勿辭勞倦。

書き下し文

  ひとり の外道の婆羅門の かばね 有り、世を厭い家を出で仙道 やまびとのみち を修め習ふ、遠く愛欲を離れて瞋恚 いかり を起こさず、水を飲み くだもの を食らひて閑寂 しづけさ いま せるを樂しみ、長らく爪髮を護りて梵志の相を為す。忽ち一時に兎王の彼の群兎 もろうさ の為に經法を宣べ說けるを遙聞し、而して自ら咨嗟 なげ きて乃ち是の ことば おこ せり。我は今、人の うち に生を得ると雖も、愚癡 おろか にして無智、彼の兎に及ばず、他より善法に達して悟を開き しま へり。此れ必ず大權聖賢の化する所、 あるい は是れ梵王大自在等ならむ。我は因りて彼の說く所の法を聞くを得、身も心も泰然 ゆったり として もろもろ 熱惱 はげしきなやみ を離れ、今此 いまここ に兎の王の自性は仁賢、善く先聖 さきのひじり の道を發明するに能ひ、善惡報應の ことはり を分別すれば、我は昔來 さきごろ り山谷に棲み止まり、艸 くさ ころも と木の 出離 さとり の道を求むるも、未だ師友に逢ふこと是の教誨の如くあることなく、今始めて之れに遇ひて喜び躍ること無量 そこなし ならむ、と。是の時、仙人 やまびと は即ち起きて てのひら を合はせ、兎の王の安徐する所に まひ りて言へるに、奇しき かな 、大いなる ますらを 、此の かりそめ の身を現し、能く有情 こころある の為にして廣く法要を宣ぶ。汝は今 まこと に是れ大いなる法を持つ者、必ず正法の戒を む所に當たらむ。願はくば、今は我が為に、最上究竟の出離 さとり の道を演說を開き示さむことを。我は先に婆羅門の法に修め習ひ、久しく勤苦を受くるも殊に益する所無く、譬うるなら人有り愚夫に信順し、 こほり を鑽りて火を求むるも得る可からざるが如くなり。願はくば、仁に投じて諸れ歸依の處を作さむことを、と。時に兎は答へて まを さく、大いなる婆羅門よ、我に今說かるる所の解脫の法は、能く苦しみの おはり を盡くして汝の とき かな ふ者、但し當に問ひを發して悋惜 ものおしみ する所無きのみ。我は已に久しく慳貪 むさぼり の垢を除き、有情 こころある に利して生死に樂住せむが為、彼の同類 ともがら と化して是の兎の身を受くる、と。是の時、仙人 やまびと は是の はなし を聞くのみにして、心は大いに歡喜 よろこび たること未だ曾て有らざるを得、我は今 さいはひ にして慈化 いつくしみのおしへ 親附 なつく を得、願はくば教誨 おしへ を垂るること勞 いたつ き、 み、 ためら ふこと勿れ、と。

善神捨離

現代語訳

 どれほど多くの年月が過ぎただろうか。義が深まり友と親しみ、兎と何ひとつ変わらず、草を食べて泉の水を飲んできた。当時の世の人民は行いを げて法に背き、罪と悪とに慣れきって習わしとするようになっていた。福徳の力は衰弱するばかりで、善なる神からも見捨てられ、災難が競って起こった。共に招かれた カルマ は天に旱魃を引き起こさせ、数年間も甘き雨を降らせることはなく、草も木も焦枯し、泉源も枯渇した。この時、直面した事態について婆羅門はこう思った。

「今年も私は更に食べ物を欠くようになってきた。もしこれからも飢餓と荒廃がますます広がり続けるばかりで止まることがないのであれば、白兎の言葉が今しばらく(私から)離れ、どこか別のところに向かってしまったとしても、おかしく思わないでほしい。」

 そこで兎は告げた。

「偉大なる仙人よ、あなたは自らの現状を楽しまれておらぬ。どうやら(私は)過ちを犯したようだ。どうかお赦し願いたい。かつての約束の言葉が、今にもあっさりと別れの言葉になってしまいそうだ。」

 婆羅門は言った。

「ここにはひっそりとした静寂がございます。自らの過ちや憂患は絶たれ、兎たちは仲睦まじく穏やかに、それぞれが互いに危害を加え合うこともありません。私だけは天祐も薄く、自分の食べるものにも困っておりますが、これまで久しく偉大なる士に帰依して法の旨味を味わうことができたのです。これから終身、そのことを心腑に貯め続けることを約束しました。どうかその伝統を広め、群有を救済してください。飲物を絶たれ、食物を亡失して十日を経ましたが、命が アーカーシャ を保つことができずに、これまでの功が捨て去られてしまうことの方が恐ろしいのです。」

 それを兎は悲しみに咽喉を詰まらせながら聞き、そして言った。

「今生の別れはしばしのこと。いつか再びめぐり合おう。願わくば、一晩ほど宿をとって虔伸薄供をさせていただきたい。」

 この時、兎王は兎の群衆に語りかけた。

「今のあの偉大なる仙人の悟りに至る道方は堅固である。これこそが善き知性を涵養する最上の善き畑なのだ! お前たちよ、力を合わせて多くの乾いた薪を積み上げ、共に夜明けの飲食を炊爨し、供える用事を助けようではないか!」

 そこで仙人が戻ったところまで行き、次のように言った。

「さて、どうか明日の夜明け方、必ず私の頼みを受け入れていただきたい。」

 すぐさま仙人はそれを許可し、かの婆羅門は立ち止まってあれこれと考えていた。

「今のあの兎たちが何かを持っていることがあろうか? あるいは斃れた鹿でも手に入れたのか、それとも五残獣だろうか。」

 このように心の中に歓悦の情が浮かび上がり、勤請を捧げた。


漢文

 凡歷多年義深親友、食草飲泉與兎無異。時世人民枉行非法、慣習罪惡福力衰微、善神捨離災難競起、共業所招令天亢旱、經子數載不降甘雨、艸木焦枯泉源乾涸。時婆羅門即作是念、我今年邁復闕所食、若唯止此轉增饑羸、乃白兎言今且暫離、往至餘處幸勿見訝。兎即告曰、大仙今者不樂其所、誠恐悞犯兾乞容恕、久要之言俄成輕別。婆羅門曰、此處幽寂絕其過患、諸諸兎調順各不侵撓、但我薄祐乏其所食、久依大士獲聞法味、要當終身藏之心腑、願廣其傳以濟群有、絕漿亡食已經旬日、恐命不保虛捐前功。兎聞是已悲哽而言、今此睽違何時再遇。願留一宿虔伸薄供。是時兎王語群兎曰、今此大仙道方堅固、是善知最上福田、汝等戮力多積乾薪、共助晨飡供爨之用。乃詣仙所復作是言、誰願明旦必受我請。仙即許之、彼婆羅門佇思詳審、今此兎者為何所有。或得斃鹿或五殘獸、心生歡悅勤請如是。

書き下し文

 凡そ多くの年を 、義は深まり友に親しみ、草を食らひて泉を飲むこと兎と異なること無し。時に世の人民は行ひを げて法に そむ き、罪と惡しきに慣れ習ひ、福力 さいはひ 衰微 おとろへ 、善き神は捨て離れて災難 わざはひ は競ひ起り、共に招く所の業は あめ を令 亢旱 ひでり せしめ、子數載 いくとせ を經るも めぐみ の雨を降らしむることなく、艸木 くさき は焦げ枯れ、泉の源は乾涸 るる。時に婆羅門は即ち是の おもひ を作さむ。我は今年 ことし も復たの食らふ所を闕かしたるに つと む。若し唯だ此の ますます 饑羸 うゑ うつ るを止まむとするのみなれば、 すなは 白兎 しろうさぎ の言 ことば 今且暫 いましばら く離れ、往きて餘處 よそ に至らむとすれども、 ねが はくば訝るる勿れ、と。兎は即ち告げて曰く、大いなる やまびと よ、今なる者は其の所を樂しまず、誠に恐るるは悞犯 あやま ちにして、 ねがは くば容恕 ゆるし を乞はむ、 かつ ての ちかひ ことば は俄かに輕き別れと成らむ、と。婆羅門曰く、此處 ここ ひとなし にして寂し。其の過患 あやまち を絕ち、諸諸 もろもろ の兎は調順 おだやか にして おのおの 侵撓 みだす にあらじ、但だ我は たすけ に薄く其の食む所に こま りたるも、久しく おほ いなる ますらを に依りて法の うまし あじは ふを獲、當に身を終ゆるまで之れを心腑 うち らむと ちか ひたり、願はくば其の つたゑ を廣めて以ちて群有 いくるもの すく はむことを、漿 おもゆ を絕やして いひ うしな ひて已に旬日 とおか を經るも、 みこと の虛を保たずち さき いさを を捐つるを恐る、と。兎は是れを聞きて已に悲しみ むせ び、而して まを さく、今此れ睽違 わか るるも、何時 いつ しか再び遇はむ。願はくば一宿を留めて虔伸薄供せむことを、と。是の時に兎王 うさぎみ 群兎 もろうさ に語りて曰く、今の此の大いなる やまびと 道方 こころざし 堅固 かたし 、是れ善き知の最上の福田、汝等 なむぢら は力を はせて多く乾きたる薪を積み、共に よあけ いひ の供爨の用を助けたらむ、と。乃ち やまびと かへ りたる所に詣 いた りて是の ことば をこ す、 れ願はくば明くる旦 よあけ に必ず我が請ひを受けたらむことを、と。 やまびと は即ち之れを許し、彼の婆羅門は佇み思ふこと詳審 つまびらき 、今の此の兎の者は何の つ所を らむ。或いは斃れたる鹿を得るか或いは五殘の獸か、と。心に歡悅 よろこび を生みて勤請すること是くの如し。

俱投熾焰

現代語訳

 この時、兎の王は兎の群衆に言っていた。

「今ここにいる偉大なる仙人は欲も我も捨て去った。無常別離の世態とは、このようなものだ。衆生の寿命は幻化の如し。果報とは一たび来れば脱することはあり得ぬ代物。だからこそお前たちは、これからも精進に勤め、出離 さとり の道を求め、苦の終焉を尽くすまでに至らねばならぬ。」

 その間の兎の王は終夜、寝ることもなく自らの同類 ともがら の為に説法をこのように続け、その清らかな日の出に当たってから、積まれた薪の場所まで進んでいった。火をそれに灯し、その火焔が徐々に熾炎となって燃え盛り始めてから、言葉を口にした。

「偉大なる仙人よ、私からの頼みだ。まず僅かながらの供養をさせてもらいたい。もう既に言葉は具えたが、どうかなんとしてでもこれを食べてもらいたいのだ。なぜなら今の私は貧乏であり労力を施すこともできない。――仁者が疑いなき信心を定め、受け容れること。私からは他者に安穏と安楽とを与え、自ら己の身を捨て、貪惜をなくし、あらゆる生証無上なる さとり を共にすること。これだけが私の願いだ。」

 この言葉を口にしたのは自らの身体を火の中に投げた後であった。この時、かの仙人はこの事をただ見ることしかできなかった。燃え盛る業火に急いで這い入り、彼を救い出したが、――頑丈な身体ではないのだ――焼け爛れて死んでいた。彼を膝に抱えながらも悲しみ堪えることができなかった。

「苦しかったであろう、偉大なる士よ。こんなにもあっさりと他者の身を救済するために自己の生命を捨て去ってしまうとは。私は今から敬礼し、あなたを主人として帰依します。願わくば我が来世、永遠に彼の弟子とならんことを。」

 この誓いを口にしたのは、兎を地に置いて頭を地面にこすりつけて礼をし、また兎の王を抱えて一緒に熾焔 ほむら の中に身を投げた後のことであった。

 この時、帝釋天の眼は遥か遠くを のぞ み、そのまま彼に大いなる供養を興し、数多くの宝をもって卒塔婆 そとば を建てた。





 仏陀は比丘たちに語った。

「過去の仙人とは、弥勒のことである。かの兎の王とは、つまり私のことである。」


漢文

 是時兎王謂群屬曰、今此大仙欲捨我去、無常別離世態若此、眾生壽命猶如幻化、果報一來無能脫者、是故汝等當勤精進、求出離道得盡苦際。爾時兎王終夜不寐、為彼同類說如是法、當其清旦詣積薪所、以火然之其焰漸熾、白言、大仙、我先所請欲陳微供、今已具辦願強食之、所以者何。我今貧乏施力為難、唯願仁者決定納受、我欲令他獲安隱樂、自捨己身無所貪惜、共諸眾生證無上覺。說是語已投身火中、時彼仙人覩是事已、急于火聚匍匐救之、不堅之身焂焉而殞、抱之于膝悲不自勝、苦哉大士、奄忽若此、為濟他身而殞己命、我今敬禮為歸依主、願我來世常為弟子。發此誓已置兎於地、頭面作禮而復抱持、即與兎王俱投熾焰。是時帝釋天眼遙觀、即至其所興大供養、以眾寶建窣覩波。佛語諸比丘、昔仙人者彌勒是也、彼兎王者即我身也。

書き下し文

 是の時、兎王 うさのきみ 群屬 もろうさ に謂ひて曰く、今此 いまここ に大いなる やまびと は欲捨て我去る。無常別離の世態は此の若し。 ひと の生くる壽命 いのち は猶ほ幻の くるが如し、果報 むくひ ひとたび 來らば いづ るに能ふこと無き者、是れ故に汝等 なむぢら は當に精進に勤め、出離 さとり の道を求めて苦しみの おはり を盡くすを得るべし、と。爾時 そのとき の兎の王は終夜 よもすがら ず、彼の同類 ともがら の為に說くこと是の法の如くし、其の清らなる ひので に當たらば、積みし薪の所に まひ り、火を以ちて之れを然りとし、其の ほむら の漸し さか りたりて、 まを して いは く、大いなる やまひと よ、我は請はるる所を先にして微かながらの とも なら べむことを欲 おも はむ、今已に ことば そな ゆ。願はくば強いて之れを食まむことを。所以 ゆえ なる者は いか に。我は今貧乏 まづしく 力を施すこと為し難し。唯だ願はくば、仁なる者の決定 さだ め、納受 うけい れ、我の他を て安きと隱きと樂しきを獲さしめ、自ら己の身を捨て むさぼ しむ所を無からしめ、諸眾 もろひと の生證無上なる さとり を共にせむことを、と。是の ことば を說くるは已に身を火中に投げ、時の彼の仙人 やまひと 、是の事を覩るのみ。火聚 くわしふ に急ぎて匍匐 はひつくばり たりて、之れを救ひたるも、堅からざるの身なれば、焉れを やして つ。之れを膝に抱うるも悲しみ自ら勝へず、苦しき かな 大いなる ますらを よ、奄忽 たちまち なること此の ごと くし、他の身を すく はむが為にして己の命を つ。我は今より敬禮して歸依の あるぢ と為さむ。願はくば我が來世、 とこしへ に弟子と為らむことを、と。此の ちかひ を發するは已に兎を地に置き、頭面に禮を して復た抱持 かかへ 、即ち兎の王と とも 熾焰 ほむら に投げたらむ。是の時、帝釋天の眼は遙かに のぞ み、即ち其の大いなる供養を興す所に至り、 かずおほき 寶を以て窣覩波 そとば を建つる。佛の諸比丘に語るには、昔の仙人、彌勒是れなり。彼の兎王の者、即ち我が身なり、と。