夫餘は長城の北、玄菟から千里にある。南は高句麗、東は挹婁、西は鮮卑と接している。北には弱水があり、面積はおよそ二千里。戸数は八万、その土着民は、宮室、倉庫、牢獄を有している。山や丘、広い沢は多いが、東夷の地域では最も平らで開けている。土地は五穀の栽培に適しているが、五果は生えない。その人は大柄ではあるものの、性格は強勇にして謹厚、侵略や略奪はしない。
国には君王がいて、皆に六種の家畜に基づく官名が付けられている。馬加、牛加、豬加、狗加、大使、大使者、使者である。村落には勢力や財力のある民がおり、
食飲は皆が平皿とお椀を用い、会同して
国内では白い衣服を
刑の用い方は厳格かつ素早い。人を殺した者は死刑に処し、その家を没収して人を奴婢にする。窃盗は一につき十二倍の賠償を負う。男女の姦淫と婦人の
その国は生贄となる家畜を養うのに向いており、名馬、
国の
城柵はどれも円形に作り、牢獄と似ている。道を行くと、昼夜を通じて老いも幼いもなく皆が歌い、日を通して声は絶えない。軍事の際にも天を祭り、牛を殺して蹄を観て吉凶を占う。蹄が開いていれば凶とし、合っていれば吉とする。敵がいれば、諸加は自ら戦い、
魏略は次のようにある。
もともと夫餘は玄菟に属していた。漢の末期に公孫度が海東まで雄張し、外の蛮夷を威圧して服従させ、夫餘王の尉仇台も
牛加の兄子の名は位居、大使となると財を軽んじてよく施しをしたので、国の人は彼に附き、年ごとに使者を遣わせて
漢の時、夫餘王の葬儀には玉の
魏略には次のようにある。
魏略には次のようにある。
(※2)玄菟
(※3)鮮卑
(※4)弱水
(※5)五果
(※6)耆老
(※7)公孫度
(※8)海東
(※9)毌丘倹
(※10)王頎
(※11)かつての夫餘の習俗では、川が旱魃で調わず~ある時は「(王を)殺せ!」と言っていた。
(※12)魏略
(※13)濊王之印
(※14)濊
(※15)高離
(※16)東明
(※17)その王の侍女に身ごもった者がいて~追手の兵は渡ることができなかった。
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≪白文≫ 國有君王、皆以六畜名官、有馬加、牛加、豬加、狗加、大使、大使者、使者。邑落有豪民、名下戶皆爲奴僕。諸加別主四出道、大者主數千家、小者數百家。食飲皆用俎豆、會同、拜爵、洗爵、揖讓升降。以殷正月祭天、國中大會、連日飲食歌舞、名曰迎鼓、於是時斷刑獄、解囚徒。 在國衣尚白、白布大袂、袍、袴、履革鞜。出國則尚繒繡錦罽、大人加狐狸、狖白、黑貂之裘、以金銀飾帽。譯人傳辭、皆跪、手據地竊語。用刑嚴急、殺人者死、沒其家人爲奴婢。竊盜一責十二。男女淫、婦人妒、皆殺之。尤憎妒、已殺、屍之國南山上、至腐爛。女家欲得、輸牛馬乃與之。兄死妻嫂、與匈奴同俗。其國善養牲、出名馬、赤玉、貂狖、美珠。珠大者如酸棗。以弓矢刀矛爲兵、家家自有鎧仗。國之耆老自說古之亡人。作城柵皆員、有似牢獄。行道晝夜無老幼皆歌、通日聲不絕。有軍事亦祭天、殺牛觀蹄以占吉凶、蹄解者爲凶、合者爲吉。有敵、諸加自戰、下戶俱擔糧飲食之。其死、夏月皆用冰。殺人徇葬、多者百數。厚葬、有槨無棺。 魏略曰、其俗停喪五月、以久爲榮。其祭亡者、有生有熟。喪主不欲速而他人強之、常諍引以此爲節。其居喪、男女皆純白、婦人著布面衣、去環珮、大體與中國相仿佛也。 夫餘本屬玄菟。漢末、公孫度雄張海東、威服外夷、夫餘王尉仇台更屬遼東。時句麗、鮮卑強、度以夫餘在二虜之間、妻以宗女。尉仇台死、簡位居立。無適子、有孽子麻餘。位居死、諸加共立麻餘。牛加兄子名位居、爲大使、輕財善施、國人附之、歲歲遣使詣京都貢獻。正始中、幽州刺史毌丘儉討句麗、遣玄菟太守王頎詣夫餘、位居遣大加郊迎、供軍糧。季父牛加有二心、位居殺季父父子、籍沒財物、遣使簿斂送官。舊夫餘俗、水旱不調、五穀不熟、輒歸咎於王、或言當易、或言當殺。麻餘死、其子依慮年六歲、立以爲王。漢時、夫餘王葬用玉匣、常豫以付玄菟郡、王死則迎取以葬。公孫淵伏誅、玄菟庫猶有玉匣一具。今夫餘庫有玉璧、珪、瓚數代之物、傳世以爲寶、耆老言先代之所賜也。 魏略曰、其國殷富、自先世以來、未嘗破壞。其印文言、濊王之印、國有故城名濊城、蓋本濊貊之地、而夫餘王其中、自謂亡人、抑有似也。
魏略曰、舊志又言、昔北方有高離之國者、其王者侍婢有身、王欲殺之、婢云、有氣如雞子來下、我故有身。後生子、王捐之於溷中、豬以喙噓之、徙至馬閑、馬以氣噓之、不死。王疑以爲天子也、乃令其母收畜之、名曰東明、常令牧馬。東明善射、王恐奪其國也、欲殺之。東明走、南至施掩水、以弓擊水、魚鱉浮爲橋、東明得度、魚鱉乃解散、追兵不得渡。東明因都王夫餘之地。
國の
魏略に曰く、其の
夫餘は
魏略曰く、其の國は
魏略に曰く、
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