列子 湯問篇
上政下俗
現代語訳
南国の人は、髪を結わず裸である。北国の人は、なめし皮の頭巾と毛皮のコートを身につける。中国の人は、冕板をつけた冠を被って腰にスカートを巻きつける。中国内にある九つの州には、農業をする者も、商業を営む者も、狩猟をする者も、漁をする者もいるが、冬になれば毛皮のコートを身に着け、夏になれば葛で織った一重の着物を身に着け、水上では舟、陸上では車に乗る。これは誰が何かを言うことなくそうなっており、生まれながらの性質からそのようになっているのだ。
越の東にある輒沐国では、自らに長男が生まれると、彼を幼いうちに殺して食べてしまい、それを弟のためだという。自らの祖父が死ぬと、その祖母を背負ってそれを棄て、「鬼の妻とは同居できない」という。楚の南にある炎人国では、自らの親戚が死ぬと、その肉を朽ち果てさせてからそれを棄て、そうした後にその骨を埋めてから、そこで親孝行な子だと見なされるようになる。秦の西にある儀渠国では、自らの親戚が死ねば、乾いた柴を集めて積み上げ、それを焼く。燻すと煙が立ち上るわけであるが、それを「遥かなる天に昇る」といい、そうした後に親孝行な子だと見なされるようになる。これらについて、上は政治としているが、下は習俗としている。斯様に異とするほどのものではないのだ。
漢文
南國之人、被髮而裸。北國之人、鞨巾而裘。中國之人、冠冕而裳。九土所資、或農或商或田或漁、如冬裘夏葛、水舟陸車、默而得之、性而成之。越之東有輒沐之國、其長子生、則鮮而食之、謂之宜弟。其大父死、負其大母而棄之、曰、鬼妻不可與同居處。楚之南有炎人之國、其親戚死、㱙其肉而棄之、然後埋其骨、迺成為孝子。秦之西有儀渠之國者、其親戚死。聚祡積而焚之。燻則煙上、謂之登遐、然後成為孝子。此上以為政、下以為俗。而未足為異也。
書き下し文
南の國の人は、
余説
ここで論じられているのは、普遍的な倫理規範に基づく習俗の強制に対する批判、同時代的には儒家思想に対するものであろう。
儒家は一元的に同じ服装、同じ礼式、同じ倫理観、同じ産業構造を推し進める――と断じてしまえば語弊はあろうが、少なくともそういった側面が旧来の儒教に存在していたのは間違いない。それに対して本章は、国ごとに服装の差異から始め、これを気候との関係から説明し、人間の本章に基づく共通の土台の存在を説きながら、多様な習俗の存在を挙げることで、儒家批判の画一性に対する批判を加えたものだと考えられる。
さて、この章の内容は現代の文化多元主義として説明されることがある。たとえば先進国の移民に対して自由な信仰や習俗を広く受け入れ、宗教的儀礼や民族的服装の自由等の多様性を確保することは、文化多元主義のまさしく典型とされるが、こうしたものと同様の理念として、本章を解釈してしまうのだ。
しかし、本章の内容は一般に考えられる近現代的な文化多元主義とは違っている。
文化多元主義は、あくまで文化を属人的なものとして捉えている。だから個人あるいは集団が、ひとつの国やひとつの社会において、主集団と異なる文化を有することを承認・推奨するわけである。つまり、そこには自然が介在しない。むしろ自然環境は文化と対立する概念として捉えられる。
対して、本章における人間の文化的営為は、あくまで自然の一部として考えられている。中国の諸州の人たちが営む文化について、本章は「これは誰が何かを言うことなくそうなっており、生まれながらの性質からそのようになっているのだ。(默而得之、性而成之)」と論じる。
最初に例示されているのは、南方の薄着、中央の礼服、北方の厚着である。こういった文化は、南方の温暖湿潤な気候や北方の寒冷気候、中央の乾燥した気候などに応じて、人の営為も自然とそう規定されているものである。ここで語られる文化は自然に応じた存在なのだ。
後半の親族との関係や遺骸の扱い方などについては、明示的に自然と関係させて論じているわけではないが、こちらも「異なる存在を異なる存在として認め、共同の社会を構築すべし」という論旨ではない。むしろ本章では、これらの諸国の習俗について「異とするほどのものではない(未足為異也。)」と述べ、これらの習俗を自国と異なる存在だと認めていないのだ。人食いの風習も姥捨ても、遺骸を放置することも焼くことも、すべて夏に薄着をして冬に厚着をするのと同様に、人間がその地に適合した姿でしかないとして、それらはすべて同一の人間の本性に基づいた行為として同様の営為であると述べているわけである。
では、こうした考えに基づけば、他にどのような事象に応用して考えることができるだろうか。
たとえば、インドにおいては早くから極めて高度に動物倫理が発展した。動物と植物を有情・非情として感情の有無で弁別し、感情を有すると見なされた動物に対する不殺生の規範が定められ、僧侶には菜食が義務付けられた。これはあたかも、現代の倫理的ヴィーガニズムを想起させられる。動物を殺し、食らう行為は、古くからインドにおいて重い倫理的罪過とされ、バラモン教から派生した仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教において、その倫理は貫かれる。
また、これらの宗教では無所有の倫理も存在していた。ジャイナ教や仏教では時にホームレス生活が推奨されたし、この中の特に厳格なジャイナ教の聖者には、衣服をも所有せず、裸で生きる者が現在もいる。
しかしながら、それはインドという温暖にして多湿、野菜や果物が豊富な環境が育んだ倫理であろう。雪と氷の世界であるアメリカ大陸の北極アラスカ地域に原住するエスキモーは、ほどんど肉と魚しか食べない部族であった。なぜそうであったかといえば、そもそも果物や果物がほとんど国土に存在しなかったからである。彼らが「生肉を食べる人々(エスキモー)」と呼ばれる所以は、他の文化圏において野菜で摂取すべき栄養素を生肉食によって獲得していたからだ。もちろん麻や綿も育てることができないし、そんなもので極寒は凌げないのだから、動物を殺して毛皮を着ることになる。
もちろん、そんな彼らに対して古代の技術水準で動物への殺生と肉食を禁じ、菜食を勧めることは無理な相談というものだ。裸で生活せよ等と強要することは言うに及ばず。隣接する砂漠地域の西アジア地域に仏教は伝わらず、むしろインドから遠隔の東南アジア地域に仏教等のインド宗教が広まっていったのも、本章の語を借りれば、人間の「性」がそうさせたのである。こうしてみれば、仏教の主張する人間普遍の倫理も極めてローカルな規範性、少なくともそうした一側面を抱えていることが理解できるわけである。
このように、本章の内容は観念の世界に惑溺した人間本位の文化論ではない。自然から人間を包摂する身体的な考察である。また、ここに存在するのは、人間に共通の性が存在するという儒家と共通する視点であり、人間普遍の共通性・本質的平等性の思想を共有した上での批判となる。