末喜伝
女子行、丈夫心
現代語訳
末喜とは、夏の桀王の
漢文
末喜者、夏桀之妃也。美於色、薄於德、亂坥無道、女子行丈夫心、佩劍帶冠。
書き下し文
末喜なる者は、夏桀の
余説
夏とは、中国の王朝の名である。黄河の治水工事を成功させた大司工(公共事業を担当する大臣)の禹が、その功績を認められて時の聖王舜に位を譲られて成立した王朝である。聖王舜は、先代の聖王堯に位を譲られたが、この二者は親子関係ではなく、舜と禹も親子ではない。儒者が聖なる時代として尊ぶ当時、王は血筋と関係なく有徳者に位を譲った。これを禅譲という。
禹が崩御した際、これまでと同様に後継者には息子の啓ではなく、有徳有能の大臣であった益が指名されていた。ところが彼は王位を辞退し、結局そのまま息子の啓の方に王位が譲られた。この後、王位は王の長男に譲られるものになった。これを世襲という。夏の時代は堯や舜の時代とは違い、人口は増大し、国土は拡大しており、社会は複雑化していたものだと考えられる。だからこそ世襲にも政権が安定するという利点があったわけであるが、禅譲と違い有徳者が選ばれるわけではない以上、王権は不可避的に腐敗する。桀はその結果であると考えることができるだろう。
さて、ここで今回の主人公である末喜の特徴について見ていこう。
末喜の特徴に「大夫心」とある。大夫とは高位の貴族の男性、あるいは時に比喩的に立派な男性を指す。そして「佩劍帶冠」とあったので、この節を読んだ私は最初、末喜はトランスジェンダーかと思った。しかし、「大夫心」と並置される「女子行」は、「女性の肉体」ではなく「女性の行状」であろうから、やはり立ち振る舞い自体は女性であり、トランスジェンダーではないだろう。
では、「大夫の心」とはどういうことであろうか。ここでは同時に女性が帯刀して冠をかぶることについて批難のニュアンスがあることから、これがキーポイントである。
一鼓牛飲
現代語訳
桀は既に礼節と正義を放棄し、婦人に耽淫していた。美女を求めてこれらを後宮に集め、奇偉な遊戯のできる芸人やこびと、チンドン屋などもかき集め、これらを傍らに集わせて爛漫の音楽を造り、日も夜もなく末喜や宮女と一緒に酒を飲み、休む時がなかった。末喜を膝の上に置き、彼女の言葉を聴き入れて用い、昏迷と混乱に陥り道を失い、驕り昂って自ら
漢文
桀既棄禮義、淫於婦人、求美女、積之於後宮、收倡優侏儒狎徒能為奇偉戲者、聚之於旁、造爛漫之樂、日夜與末喜及宮女飲酒、無有休時。置末喜於膝上、聽用其言、昏亂失道、驕奢自恣。為酒池可以運舟、一鼓而牛飲者三千人、昙其頭而飲之於酒池、醉而溺死者、末喜笑之、以為樂。
書き下し文
桀は既に
余説
さて、ここで夏の桀王と末喜の日常についての記述である。桀は民衆を顧みず、贅沢三昧をして酒と女に耽り、末喜と共に享楽に溺れていたと記される。
ただし、このあたりの記述にはやや疑問がある。というのも、少し先取りになるが、贅沢の内容が殷の悪女妲己の記事と酷似しているのである。
妲己伝では音楽に関して、「新たな淫声、北方の辺鄙の舞や卑猥な音楽を作り……」と記述され、酒については「酒を流して池を造設し、肉を林のように懸け、人を裸にして互いにその合間を追いかけさせながら、夜通し飲み続けた。」とある。末喜についての記述とよく似ており、しかも妲己の記事の方がより具体的ではないだろうか。末喜の記事では音楽の具体的な内容はなく、妲己は酒池肉林であるのに対し、末喜は酒池のみなのだ。
そして、史記には妲己の酒池肉林と淫聲、北鄙の舞、靡靡の樂の作成についての記事はあるが、そちらには末喜がこうした贅を好んだことが記されていないのである。想像するに、末喜のエピソードは妲己をもとにした後付けでないか? これは列女伝を訳しながら思ったことなんだけど、Wikipediaにも同じような見解が掲載されており、学術的なことはよくわからないけど、同意見の人もいたのだろう。
こうして疑わしい部分を削ってみれば、末喜に際立っているのは桀王の膝の上で王に政策を進言している点である。このエピソードは妲己にはない。
これを冒頭の末喜の特徴である『大夫の心』と『佩劍帶冠』と併せて考えてみると、おそらくは末喜は男性の貴族と同様に政策について考え、それについて王に進言した人物ではないだろうか。そして、それゆえに格好も男性の貴族と同様の姿をしていたのではないだろうか。帯剣も冠も、どちらも貴族の男性の服装である。
列女伝における末喜は、女性でありながら男性のように地位と名誉を求め、権力を握ろうとした女性だったのではないかと私は想像する。
日有亡乎
現代語訳
龍逢が進言し、「君主が無道であれば、必ず滅亡するでしょう。」と諫めると、桀は「日輪に滅亡があろうか? 日輪が滅亡すれば、私も滅亡するだろう。」と言って聴き入れず、そして妖言を吐いて彼を殺した。玉飾りの宮室や御殿を造り、そして雲雨に臨んでは、財も幣も尽くし果てたが、それでも心意は飽き足らなかった。湯を召し、彼を夏の御殿に収容したが、やがて彼を釈放すると、諸侯は大いに叛逆した。そこで湯は天命を受けて彼を討伐し、鳴條での戦争では、桀の軍隊は戦おうとさえしなかった。湯は遂に桀を放伐し、末喜や嬖妾と同じ舟に載せて海へ流し、南巣の山にて死んだ。詩経に「ああ、その哲婦は梟となり鴟となる。」とあるのは、このことを謂うのだ。
漢文
龍逢進諫曰、君無道、必亡矣。桀曰、日有亡乎。日亡而我亡。不聽、以為妖言而殺之。造瓊室瑤臺、以臨雲雨、殫財盡幣、意尚不饜。召湯、囚之於夏臺、已而釋之、諸侯大叛。於是湯受命而伐之、戰於鳴條、桀師不戰、湯遂放桀、與末喜嬖妾同舟、流於海、死於南巢之山。詩曰、懿厥哲婦、為梟為鴟。此之謂也。
書き下し文
龍逢は進み諫めて曰く、君に道無くば、必ず亡びたらむ、と。桀曰く、日に亡ぶこと有りや。日の亡びたれば、
余説
桀の暴虐と滅亡。桀のセリフが邪気眼的にはとてもかっこいい。なぜ桀が太陽の話をしているかといえば、夏王朝は太陽信仰の王朝であり、王は太陽神の化身だからである。
ここでは触れられていないが、書経の一篇である湯誓では、桀を討伐する前の湯の演説で、「時日曷喪、予及汝皆亡」という狂歌が民間で流行していたと述べられている。これは「あの燦然と輝く太陽はいつ亡びるのだ! 私もお前も、皆すべてが亡んでしまえばいい!」という内容である。おそらく桀のセリフはこれと関連するものであろう。私は書経のこの歌を初めて読んだとき、生命と恵みの根源である太陽を民衆が呪い、苦しみのあまり世界の滅亡と人類の絶滅を願う歌が紀元前2000年に存在していたことに衝撃を受けた。もちろん、後世の付託の可能性が高いと思われるが……。
さて、主役の末喜であるが、ここでは目立ったことはしていない。しかし、最後に掲載された詩から、末喜がなぜ悪女とされているかが改めて理解できる。詩経の引用であるが、該当部分の文節はこのようなものである。
漢文
哲夫成城 哲婦傾城
懿厥哲婦 為梟為鴟
婦有長舌 維厲之階
亂匪降自天 生自婦人
匪教匪誨 時維婦寺
書き下し文
哲夫は城を成すも、哲婦は城を傾ける。
ああ厥の哲婦、梟と為り鴟と為る。
婦には長舌有り、維れ厲の階なり。
亂は天より降るに匪ず、婦人より生ず。
教うるに匪ず誨うるに匪ず、時に維れ婦と寺なり。
現代語訳
明哲なる夫は一国一城の主となれるが、明哲なる婦人は城を傾ける。
ああ、その明哲なる婦人、そいつは梟となり、鴟となるぞ。
婦人の舌が長いのは、それが災厄につづく"はしご"だからだ。
動乱は天から降ってくるのではない。婦人から生じるのだ。
教育しても無駄な奴。説教しても無駄な奴。それは婦人と宦官だ。
なんと甚だしい女性差別なのか。賢い男は国を築き城の主となり、賢い女は国も城も傾ける、と。だから女性は政治から遠ざけよ、と。これが列女伝末喜の故事から導き出される教訓らしい。後の総論ではこれを中心に論じる。
頌
現代語訳
頌に曰く、
末喜配桀 | 末喜は桀に | 末喜が桀と結婚すると、 | ||
維亂驕揚 | 維れ亂れ驕り揚り | さてはて乱心に至って驕り昂り、 | ||
桀既無道 | 桀は既に道を無くし、 | とっくに無道であった桀も、 | ||
又重其荒 | 又た其の荒みは重なり | 更にその荒廃は積み重ねられ、 | ||
姦軌是用 | 姦悪の軌はこのように、 | |||
不恤法常 | 不恤の法が常となり、 | |||
夏后之國 | 夏后の國 | 夏后の国、 | ||
遂反為商 | 遂に | 遂には商へ譲られた。 |
漢文
頌曰、末喜配桀、維亂驕揚、桀既無道、又重其荒、姦軌是用、不恤法常、夏后之國、遂反為商。
書き下し文
頌に曰く、末喜は桀に
余説
頌とは王朝の讃美歌である。本文の内容と一致しており、これが夏殷革命の
総論
さて、この列伝の主人公である末喜は、いかなる評価を与えられているか。もちろん、王とともに過度の贅沢をし、国を傾けたことも批難されている。しかし、先述のように、これは妲己も同様であり、さらに言えば、末喜の悪行は妲己を下敷きにした創作ではないかと推測される。
してみれば、やはり末喜に際立った特徴は、女性でありながら政治に口を出していたことである。冒頭の「大夫心」や「佩劍帶冠」も含め、すべて同一線上のこと、つまり末喜が政治的野心を持ち、男性の格好をして政治に口を出していたことを指すものなのだと推測できる。そして、最後に掲載された「明哲な女性は城を傾ける」という詩の内容からも、この列伝に貫かれたテーマが女性が政治に口を出すことを戒めることであると読み取れる。
さて、「哲夫成城、哲婦傾城」という詩の内容をそのまま末喜と重ねて受け取れば、末喜は明晰明哲な女性であったと考えられる。つまり本文では「明哲な女性」こそが悪であると主張されているのだ。「女は愚物だから政治に口を出すな」という単純な男性優越論ではない。明哲な女性"こそが"危ないという内容なのである。ここにあるのは単純な女性蔑視ではなく、むしろ女性ではないか。
古今東西における差別において、蔑視が恐怖の表裏として存在することは珍しくないが、ここまで恐怖が前面に押し出された上での無条件の否定は珍しい。これは「男性と同じであってもダメだ」という内容である。
私は思う。古の帝王舜は農夫から身を起こし、秦の宰相百里渓は羊の皮五枚で買われた奴隷であった。ゆえに、いかに布衣の身であろうと、中華王朝では有徳であればだれでも天子となることができたし、有能であれば官僚となることもできた。この伝統は儒教により理論化され、隋唐の時代には科挙制度により世襲貴族は一掃され、易姓革命の論理から出自に関係なく天命を受けた者が天子となれるとする思想体系が成立したのだ。
しかし、それは男性に限定されたことである。末喜は女性であるという理由で、いかに明哲であろうと政治に口を出すこと自体が禍であると評価され、他の悪女と悪事を重ねられて批難された。女性が政治に携われない時代は長く、近代においても女性が参政権を得て未だ100年しか経っておらず、それだって世界的には一部の国家のことに過ぎない。
末喜が政治を行おうとしたのは、自らの明哲をもって人民を済おうと試みたがゆえか、それとも自らの能力を政治の場で試したかったのか、あるいは野心的に権力欲にとりつかれたのか、それはわからない。
しかし、男は政治に向かう姿勢が人々の賛否を分かつが、当時の女は政治に向かうことそのものが否定された。ならば、女性の政治参加を肯定するならば、末喜は政治に向き合ったことそのもので、まず賞賛を受けねばならないのではないだろうか。