曾子曰吾日三省吾身章

漢文

 曾子曰、


書き下し文

 曾子曰く、

集解

漢文

 馬曰、弟子曾參。


書き下し文

 馬曰く、弟子の曾參たり。


現代語訳

 馬氏はいう。弟子の曾参である。

漢文

 吾日三省吾身、為人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎。


書き下し文

 吾は ひび みたび 吾が身を省みる。人の為に謀り、而りて まごころ ならざりしか。朋友 とも と交はり、而りて まこと ならざりしか。習はざるを傳へしか。

集解

漢文

 言凡所傳之事、得無素不講習而傳之。


書き下し文

 凡そ傳はるる所の事、 つね 講習 つどひならひ せず、而れども之れを傳ふること無きを得むことを言へり。


現代語訳

 伝えられたあらゆることについて、平素から寄り集まって習うこともなく、それなのにそのことを伝えることがなかっただろうか、と言っているのだ。

 曾子曰至習乎

漢文

 疏。曾子曰至習乎。
○正義曰、此章論曾子省身慎行之事。弟子曾參嘗曰、吾每日三自省察已身。為人謀事而得無不盡忠心乎。與朋友結交而得無不誠信乎。凡所傳授之事、得無素不講習而妄傳乎。以謀貴盡忠、朋友主信、傳惡穿鑿、故曾子省慎之。


書き下し文

 疏。曾子曰 ないし 習乎。
○正しき ことはり に曰く、此の ふみ は曾子の身を省みて おこなひ を慎しみたるが事を ふ。弟子 をとご の曾參は嘗て曰く、吾は每日 ひごと みたび 自ら已の身を省察 かへりみ たり。人の為に事を謀り、而りて忠心 まごころ を盡くさざること無きを得むか。朋友 とも と結び交はり、而りて誠信 まこと ならざること無きを得むか。凡そ傳へ授かるる所の事は、 つね 講習 つどひなら ふことなく、而れども妄りに傳ふること無きを得むか。以ちて たふとき に謀りて まごころ を盡くし、朋友 とも まこと おも とし、 あしき 穿鑿 うが を傳ふ、故に曾子は之れを省みて慎む。


現代語訳

疏『曾子曰~習乎』。
○正義(正統な釈義)は以下の通りである。
 この章は曾子が身を省みて行いを慎しんできたことを論じている。弟子の曾参はかつて言った。

「私は毎日、三度ほど自ら己の身を省察している。人の為に事を謀り、それでも忠心を尽くさないことをなくすことができただろうか? 朋友と交わりながら、それでも誠信でないことをなくすことができただろうか? 伝授されたあらゆることについて、平素から寄り集まって習うこともなく、それでも妄りに伝えることがないようにできただろうか?」

 このようにして貴人に謀りては忠を尽くし、朋友には信を主とし、粗雑な話は細部までよく調べ尽くしてから伝えた。曾子がこれらを省みて慎んだのは、こういうわけである。

 馬曰、弟子曾參

漢文

○注、馬曰、弟子曾參。
○正義曰、史記弟子傳云、曾參、南武城人、字子輿。少孔子四十六歲。孔子以為能通孝道、故授之業、作孝經。死於魯。


書き下し文

○注、馬曰、弟子曾參。
○正しき ことはり に曰く、史記の弟子傳に いは く、曾參は南武城の人、 あざな は子輿たり。孔子より わか きこと四十六歲 よそあまりむつ 。孔子の以為 おもへ らく、能く おやおもひ の道に通りたらむとし、故に之れに わざ を授け、孝經を をこ す。魯に於いて死ぬ。


現代語訳

疏注『馬曰、弟子曾參』
○正義(正統な釈義)は以下の通りである。
 史記の弟子伝は次のようにある。曾参は南武城の人であり、 あざな は子輿である。孔子より四十六歲ほど年少。孔子は、よく孝道に通じていると思い、だから彼に授業し、孝経を作ったのだ。魯にて死んだ。

底本

論語注疏- 中國哲學書電子化計劃