伝
漢文
子禽問於子貢曰、夫子至於是邦也、必聞其政。求之與。抑與之與。
書き下し文
子禽、子貢に問ひて曰く、夫子 は是の邦に至るや、必ず其の政 を聞けり。之れを求めたるか。抑も之れに與 かるか、と。
集解
漢文
鄭曰、子禽、弟子陳亢也。子貢、弟子、姓端木、名賜。亢怪孔子所至之邦必與聞其國政、求而得之邪。抑人君自願與之為治。
書き下し文
鄭曰く、子禽は弟子 の陳亢なり。子貢は弟子 にして、姓は端木、名は賜たり。亢は孔子の至る所の邦の必ず其の國の政 に與 り聞かむとするは、求めて之れを得たるか、抑も人君自ら願ひて之れに與 り治 を為せるかを怪しむ。
現代語訳
鄭氏はいう。子禽は弟子の陳亢である。子貢は弟子であり、姓は端木、名は賜である。陳亢は孔子がいたるところの国家において必ずその国の政治に参与していたことについて、 求めてそれを得たのか、それとも人君が自ら彼に参与するように願って政治をしていたのか、と不思議に思ったわけである。
伝
漢文
子貢曰、夫子溫良恭儉讓以得之。夫子之求之也、其諸異乎人之求之與。
書き下し文
子貢曰く、夫子 は溫良恭儉讓にして以ちて之れを得たり。夫子 の之れを求むるや、其の諸 の人の之れを求むるに異ならむか、と。
集解
漢文
鄭曰、言夫子行此五德而得之、與人求之異、明人君自與之。
書き下し文
鄭曰く、夫子 は此の五德を行ひて之れを得、人の之れを求むると異なり、明らなる人君自ら之れに與 からせしむを言へり、と。
現代語訳
鄭氏はいう。夫子はこれらの五徳を行うことでそれを得たのだ。他人がそれを求めるのとは異なり、賢明な人君が自ら彼に参与させたのだと言ったのだ。
疏 疏子禽至求之
漢文
疏子禽至求之。
○正義曰此章明夫子由其有德與聞國政之事。子禽問於子貢曰、夫子至於是邦也、必聞其政、求之與。抑與之與者、子禽疑怪孔子所至之邦必與。聞其國之政事、故問子貢曰、此是孔子求於時君而得之與。抑人君自願與夫子為治與。抑、與皆語辭。子貢曰、夫子溫、良、恭、儉、讓以得之。夫子之求之也、其諸異乎人之求之與者、此子貢荅辭也。敦柔潤澤謂之溫、行不犯物謂之良、和從不逆謂之恭、去奢從約謂之儉、先人後已謂之讓。言夫子行此五德而得與聞國政。他人則就君求之、夫子則脩德、人君自願與之為治、故曰、夫子之求之也、其諸異乎人之求之與。諸、與皆語辭。
書き下し文
疏子禽至 求之。
○正しき義 に曰く、此の章 は夫子 の其の德を有ちたるに由りて國の政 の事に與り聞こしむことを明らかにす。子禽、子貢に問ひて曰く、夫子 は是の邦に至るや、必ず其の政 を聞けり。之れを求めたるか。抑も之れに與 かるかなる者、子禽は孔子の至る所の邦の必ず與 かり、其の國の政事 を聞くを疑ひ怪しむ。故に子貢に問ひて曰く、此の是れ孔子の時の君に求めて之れを得たるか。抑も人君自ら願ひて夫子の治 を為すに與かるか。抑は、與に皆 れも語辭 たり。子貢曰く、夫子 は溫良恭儉讓にして以ちて之れを得たり。夫子 の之れを求むるや、其の諸 の人の之れを求むるに異ならむかなる者、此れ子貢の荅辭 なり。敦く柔 にして潤澤 之れを溫と謂ひ、行ひて物を犯さざる之れを良と謂ひ、和して從ひ逆らはず之れを恭と謂ひ、奢りを去りて約 に從ふ之れを儉と謂ひ、人を先にして已を後にする之れを讓と謂ふ。夫子の行 は此の五德にして國の政 に與かり聞くを得たりと言へり。他の人なれば則ち君に就きて之れを求むるも、夫子 なれば則ち德を脩め、人君は自ら願ひて之れに治 を為すに與 からさせしむ。故に曰く、夫子 の之れを求むるや、其の諸 の人の之れを求むるに異ならむか、と。諸は、與に皆 れも語辭 たり。
現代語訳
○正義(正統な釈義)は次の通りである。
この章は夫子が自らの有徳によって国政に参与してきたことを明らかにするものだ。
「子禽、子貢に問ひて曰く、夫子 は是の邦に至るや、必ず其の政 を聞けり。之れを求めたるか。抑も之れに與 かるか」について。子禽は孔子がいたるところの国で必ず(国政に)参与し、その国で政治について聞いてきたことについて疑惑を持ち怪しんだ。だから子貢に質問した。「これらのことについて、孔子は当時の国君にそのことを求めてその役職を得たのか。そもそも人君自ら夫子が統治に参与することを願ったのか」と。『抑』は、どれもすべて語辞(文語において語調を整えるための字)である。
「子貢曰く、夫子 は溫良恭儉讓にして以ちて之れを得たり。夫子 の之れを求むるや、其の諸 の人の之れを求むるに異ならむか」について、これらは子貢の返答の語である。敦厚にして柔和かつ麗しきことを『温』という。行動しても物事を侵犯しないことを『良』という。調和して従順であり、逆らうことがないことを『恭』という。贅沢を取り去って節約に従うことを『倹』という。人を先にして己を後にすることを『譲』という。夫子の行いはこれらの五徳に適っているから国政に参与することができたのだと言っている。他の人であれば、これを君主に就いて求めるものであるが、夫子であれば徳を修め、人君自ら彼に統治に参与してほしいと願うのだ。だから「夫子 の之れを求むるや、其の諸 の人の之れを求むるに異ならむか」という。『諸』とは、どれもすべて語辞(文語において語調を整えるための字)である。
注 鄭曰至為治
漢文
○注鄭曰至為治。
○正義曰、云、子禽、弟子陳亢。子貢、弟子、姓端木、名賜者、家語七十二弟子篇云、陳亢、陳人、字子禽、少孔子四十歲。史記弟子傳云、端木賜字子貢、少孔子三十一歲。云求而得之邪者、邪、未定之辭。
書き下し文
○注鄭曰至 為治。
○正しき義 に曰く、子禽は弟子 の陳亢なり。子貢は弟子 にして、姓は端木、名は賜たりと云ふ者、家語の七十二 の弟子 篇に云く、陳亢は陳の人なり。字 は子禽、孔子より少 きこと四十歲 。史記の弟子傳に云く、端木賜の字 は子貢、孔子より少 きこと三十一歲 。求めて之れを得たるかと云ふ者、邪は、未だ定まらざるの辭 たり。
現代語訳
○正義(正統な釈義)は次の通りである。
「子禽は弟子の陳亢である。子貢は弟子であり、姓は端木、名は賜である」というのはどういうことか。孔子家語の七十二弟子篇には次のようにある。陳亢は陳の人である。字 は子禽、孔子より四十歲ほど年少である。史記の弟子伝には次のようにある。端木賜の字 は子貢、孔子より三十一歲ほど年少である。『求めて之れを得たるか』について、『邪』は、未定(断定をしない)の辞である。