伝
漢文
子張問、十世可知也。
書き下し文
子張、十世も知る可きなるを問へり。
集解
漢文
孔曰、文質禮變。
書き下し文
孔曰く、文 も質 も禮は變はれり。
現代語訳
孔氏はいう。文飾も実質も礼は変化する。
伝
漢文
子曰、殷因於夏禮、所損益、可知也。周因於殷禮、所損益、可知也。
書き下し文
子の曰 く、殷は夏の禮に因り、損はるると益さるる所は、知る可きなり。周は殷の禮に因り、損はるると益さるる所、知る可きなり。
集解
漢文
馬曰、所因、謂三綱五常。所損益、謂文質三統。
書き下し文
馬曰く、因る所は、三綱五常なると謂へり。損はるると益さるる所は文 と質 の三つの統 を謂ふ。
現代語訳
馬氏はいう。手掛かりになるのは、三綱五常であると謂う。除去されたものと増加されたところの文飾と実質の三つの統合を謂うのだ。
伝
漢文
其或繼周者、雖百世、可知也。
書き下し文
其れ周を繼ぐ者或らば、百世 と雖も、知る可きなり。
集解
漢文
物類相召、世數相生、其變有常、故可預知。
書き下し文
物の類 は相 に召 び、世の數は相 に生まるるも、其の變はるに常有り、故に預め知る可し。
現代語訳
物の同類は互いに引き付け合うものだ。親と子の連続する系統は相次いで生み合うもので、その変化には法則性がある。だから予知できる。
疏 子張至知也
漢文
疏、子張至知也。
○正義曰、此章明創制革命、因公損益之禮。子張問、十世可知也者、弟子子張問於孔子、夫國家文質禮變、設若相承至於十世、世數既遠、可得知其禮乎。子曰、殷因於夏禮、所損益、可知也。周因於殷禮、所損益、可知也者、此夫子荅以可知之事。言殷承夏后、因用夏禮、謂三綱五常不可變革、故因之也。所損益者、謂文質三統。夏尚文、殷則損文而益質。夏以十三月為正、為人統、色尚黑、殷則損益之、以十二月為正、為地統、色尚白也。其事易曉、故曰可知也。周因於殷禮、所損益可知也者、言周代殷立、而因用殷禮。及所損益、事事亦可知也。其或繼周者、雖百世、可知也者、言非但順知既往、兼亦預知將來。時周尚存、不敢斥言、故曰、其或。言設或有繼周而王者、雖多至百世、以其物類相召、世數相生、其變有常、故皆可預知也。
書き下し文
疏 、子張至 知也。
○正しき義 に曰く、此の章 は創り制 めて命 を革むるは、公 の損 なはるると益 さるるが禮に因るを明らむ。子張、十世も知る可きなるを問へり者 、弟子の子張は孔子に問ふ、夫れ國家 の文 と質 の禮は變はり、設 に若し相ひ承くること十世 に至らば、世の數は既に遠く、其の禮を知るを得る可きか、と。子の曰 く、殷は夏の禮に因り、損はるると益さるる所は、知る可きなり者 、此れ夫子 の荅ふるに知る可きが事を以ちてするなり。言へらくは、殷は夏の后 を承け、因りて夏の禮を用ひ、三綱五常の變革 む可からざるを謂ひ、故に之れに因るなり。損はるると益さるる所の者は、文 と質 の三つの統 を謂ふ。夏は文を尚び、殷なれば則ち文を損ひて質を益し。夏は十三月を以ちて正と為し、人の統と為し、色は黑を尚び、殷なれば則ち之れを損ひ益し、十二月を以ちて正と為し、地の統と為し、色は白を尚ぶなり。其の事は曉 り易し、故に知る可きと曰ふなり。周は殷の禮に因り、損はるると益さるる所、知る可きなり者 、言へらくは、周は殷に代はりて立ち、而るに因りて殷の禮を用ふ。損ひ益さるる所に及ぶは、事事 は亦た知る可きなり。其れ周を繼ぐ者或らば、百世 と雖も、知る可きなり者 、言へらくは、但だ既に往くを順ひ知るに非ず、兼ねて亦た預め將來 を知る。時に周は尚ほ存 り、敢へて斥 かに言ふことあらじ、故に其の或らばと曰ふ。言へらくは設 し周を繼ぐもの有りて王 たる者或らば、多く至ること百世 と雖も、其の物類を以ちて相ひ召し、世の數は相ひ生まれ、其の變はるに常有り、故に皆 れも預め知る可きなり、と。
現代語訳
○正義(正統な釈義)は次の通りである。
この章は制度の創造と革命は、公における礼の削られたものと増されたものに因ることを明らかにしている。
「子張、十世も知る可きなるを問へり」とは、「弟子の子張が孔子に問うた。では、国家の文飾と実質の礼は変化するのですね。仮にもし継承が続いて十世に至り、親と子の連続する系譜が遠くまで至ったとしても、その礼を知り得ることはあるのだろうか。」
「子の曰 く、殷は夏の禮に因り、損はるると益さるる所は、知る可きなり」について。これは夫子が知ることができるという事実をもって回答したのだ。「殷は夏の後の継承し、だから夏の礼を用いて三綱五常の変革はしなかったのだと謂う。故にこれに因んでいるのだ」と言っているのだ。「損はるると益さるる所」とは、文飾と実質の三統を意味する。夏は文飾を高く崇め、殷になれば文飾を削って実質を増した。夏は十三月をもって正月とし、人統となり、色は黒を高く崇めたが、殷になればこれらを削るか増すかして、十二月をもって正月とし、地統となり、色は白を高く崇めた。それらの事は理解しやすいだろう。だから「知る可き」と言ったのだ。
「周は殷の禮に因り、損はるると益さるる所、知る可きなり」とは「周が殷に代わって立ち、これに因んで殷の礼を用いた。削るか増すかされたことに及ぶと、これぞれの事実に基づき、これを知ることができる。」と言っているのだ。
「其れ周を繼ぐ者或らば、百世 と雖も、知る可きなり」とは、ただ過去に従って知るだけではなく、同時に将来についても予知することを言っているのだ。この時にはまだ周が存在していたので、敢えて明確に言おうとはせず、だから「其れ……或らば」と言ったのだ。もし周を継承する者がいて王者となったとしよう。百世までの長きに至ったとしても、その同類の物が互いに引き付け合い、親と子の連続する系統が相次いで生み合ったとしても、その変化には法則性がある。だからすべて予知することができるのだ。
注 馬曰至三統
漢文
○注、馬曰至三統。
○正義曰、云、三綱五常者、白虎通云、三綱者何謂。謂君臣、父子、夫婦也。君為臣綱、父為子綱、夫為妻綱。大者為綱、小者為紀、所以張理上下、整齊人道也。人皆懷五常之性、有親愛之心、是以綱紀為化、若羅網有紀綱之而百目張也。所以稱三綱何。一陰一陽之謂道、陽得陰而成、陰得陽而序、剛柔相配、故人為三綱、法天地人。君臣法天、取象日月屈信歸功也。父子法地、取法五行轉相生也。夫婦、取象人合陰陽有施。君、羣也、羣下之所歸心。臣、牽也。事君也、象屈服之形也。父者、矩也、以度教子。子者、孳也、孳孳無巳也。夫者、扶也。以道扶接。婦者、服也、以禮屈服也。云、五常者、仁、義、禮、智、信也。白虎通云、五常者、何謂。仁、義、禮、智、信也。仁者不忍、好生愛人。義者宜也、斷決得中也。禮者履也、履道成文。智者知也、或於事、見微知著。信者誠也、專一不移。故人生而應八卦之體、得五氣以為常、仁、義、禮、智、信是也。云、損益謂文質三統者、白虎道云、王者必一質一文者何。所以承天地、順陰陽。陽道極則陰道受、陰道極則陽道受、明一陽二陰不能繼也。質法天、文法地而巳、故天為質。地受而化之、養而成之、故為文。尚書大傳曰、王者一質一文、據天地之道。禮三正記曰、質法天、文法地。帝王始起、先質後文者、順天地之道、本末之義、先後之序也。事莫不先其質性、乃後有其文章也。夏尚黑、殷尚白、周尚赤、此之謂三統、故書傳略說云、天有三統、物有三變、故正色有三。天有三生三死、故士有三王、王特一生死。又春秋緯元命包及樂緯稽耀嘉云、夏以十三月為正、息卦受泰。注云、物之始、其色尚黑、以寅為朔。殷以十二月為正、息卦受臨。注云、物之牙、其色尚白、以雞鳴為朔。周以十一月為正、息卦受復、其色尚赤、以夜半為用。又三正記云、正朔三而改、文質再而復。以此推之、自夏以上、皆正朔三而改也。鄭注尚書、三帛、、高陽氏之後用赤繒、高辛氏之後用黑繒、其餘諸侯用白繒。如鄭此意、卻而推之、舜以十一月為正、尚赤。堯以十二月為正、尚白、故曰其餘諸侯用白繒。高辛氏以十三月為正、尚黑、故云高辛氏之後用黑繒。高陽氏以十一月為正、尚赤、故云高陽氏之後用赤繒。有少皡以十二月為正、尚白。黃帝以十三月為正、尚黑。神農以十一月為正、尚赤。女媧以十二月為正、尚白。伏羲以上未有聞焉。易說卦云、帝出乎震、則伏羲也、建寅之月、又木之始。其三正當從伏羲以下文質再而復者、文質法天地、文法天、質法地。周文法地而為天正、殷質法而為地正者、正朔、文質不相須、正朔以三而改、文質以二而復、各自為義、不相須也。建子之月為正者、謂之天統、以天之陽氣始生、為百物得陽氣微、稍動變、故為天統。建丑之月為統者、以其物已吐牙、不為天氣始動、物又未出、不得為人所施功、唯在地中含養萌牙、故為地統。建寅之月為統者、以人物出於地、人功當須脩理、故謂之人統。統者、本也、謂天地人之本。然王者必以此三月為正者、以其此月物生細微、又是歲之始生、王者繼天理物、含養微細、又取其歲初為正朔之始。既天地人之三者所繼不同、故各改正朔、不相襲也。所尚既異、符命亦隨所尚而來、故禮緯稽命徵云、其天命以黑、故夏有玄圭。天命以赤、故周有赤雀銜書、天命以白、故殷有白狼銜鈎。是天之所命、亦各隨人所尚。符命雖逐所尚、不必皆然、故天命禹觀河、見白面長人。洛子命云、湯觀於洛、沈璧而黑龜與之書、黃魚雙躍。泰誓言、武王伐紂、而白魚入於王舟。是符命不皆逐正色也。鄭康成之義、自古以來皆改正朔。若孔安國、則改正朔殷、周二代、故注尚書、湯承堯、舜禪代之後、革命創制、改正易服。是從湯始改正朔也。
書き下し文
○注、馬曰至 三統。
○正しき義 に曰く、三綱五常と云ふ者、白虎通に云く、三綱なる者は何の謂ひぞ。君臣、父子、夫婦を謂ふなり。君は臣の綱為り、父は子の綱為り、夫は妻の綱為り。大なる者は綱と為し、小さき者は紀と為し、上下を張り理 め、人の道を整齊 ふる所以 なり。人は皆が五常の性 に懷き、親愛の心を有 ち、是に綱紀を以ちて化を為し、若し羅網 の之れに紀綱 する有らば、而 ち百目は張るなり。三綱と稱 ふ所以 は何ぞ。一陰一陽之れ道と謂ひ、陽は陰を得て成り、陰は陽を得て序 び、剛柔は相ひ配り、故に人の三綱を為さば、天地人に法 る。君臣は天に法 り、取りて日月 の屈 と信 を象り、功 に歸すなり。父子は地に法 り、法を五行の轉 びに取りて相ひ生まるるなり。夫婦は取りて人の陰陽を合はすに象り、施す有り。君は羣なり、羣下の心を歸す所たり。臣は牽なり。君に事ふるや、屈服の形を象るなり。父なる者は矩なり、度を以ちて子を教ゆ。子なる者は孳なり、孳孳として巳む無きなり。夫なる者は扶なり。道を以ちて扶接 ふ。婦なる者は服なり。禮を以ちて屈 き服 ふなり。五常と云ふ者は、仁義禮智信なり。白虎通に云く、五常なる者、何の謂ぞ。仁義禮智信なり。仁なる者は忍ばずして、生を好みて人を愛づ。義なる者は宜なり、斷ち決めて中 を得るなり。禮なる者は履なり、道を履みて文を成せり。智なる者は知なり、事に或らば、微 を見て著 を知る。信なる者は誠なり、一つに專 らして移らず。故に人は生きて八卦の體に應へ、五氣を得て以ちて常を為すは、仁義禮智信是れなり。損はるると益さるるは文 と質 の三つの統 を謂ふと云ふ者は、白虎道に云く、王なる者の必ずなる一の質と一の文なる者は何ぞや。天地 を承け、陰陽に順ふ所以 たり。陽の道の極まれば則ち陰の道は受け、陰の道の極まれば則ち陽の道は受く、一に陽にして二に陰なることの繼ぐに能はざるを明らむなり。質 は天に法 り、文 は地に法 る而巳 、故に天は質 を為し、地は受けて之れを化へ、養ひて之れを成す、故に文と為す。尚書の大傳に曰く、王なる者は一に質 にして一に文 、天地の道に據る。禮の三正記に曰く、質 は天に法 り、文 は地に法 る。帝王 の始めて起こるは、質 を先づして文 を後にする者 、天地 の道に順ひ、本と末の義は、先と後の序 なり。事に其の質性に先ぜざること莫く、乃ち後に其の文章有るなり。夏は黑を尚び、殷は白を尚び、周は赤を尚ぶ、此の之れ三統と謂ふ、故に書傳の略說に云く、天に三統有り、物に三變有り、故に正色に三有り。天に三生三死有り、故に士に三王有り、王は一の生死を特 く。又た春秋の緯元命包及び樂緯稽耀嘉に云く、夏は十三月を以ちて正と為し、息卦は泰を受く。注に云く、物の始まり、其の色は黑を尚び、寅を以ちて朔と為す。殷は十二月を以ちて正と為し、息卦は臨を受く。注に云く、物の牙 し、其の色は白を尚び、雞の鳴くを以ちて朔と為す。周は十一月を以ちて正と為し、息卦は復を受け、其の色は赤を尚び、夜を半ばとして用を為す。又た三正記に云く、正朔の三にして改め、文と質は再びにして復 る。此れを以ちて之れを推 らば、夏自 り以上 、皆が正朔の三にして改むるなり。鄭注尚書は、三帛、高陽氏の後は赤繒 を用ひ、高辛氏の後は黑繒 を用ひ、其の餘 の諸侯 は白繒 を用ふ。鄭の此の意 が如きは、卻 りて之れを推 らば、舜は十一月を以ちて正と為し、赤を尚ぶ。堯は十二月を以ちて正と為し、白を尚ぶ、故に其の餘の諸侯は白繒 を用ふと曰へり。高辛氏は十三月を以ちて正と為し、黑を尚ぶ、故に高辛氏の後は黑繒を用ふと云ふ。高陽氏は十一月を以ちて正と為し、赤を尚び、故に高陽氏の後は赤繒 を用ふると云ふ。有少皡は十二月を以ちて正と為し、白を尚ぶ。黃帝は十三月を以ちて正と為し、黑を尚ぶ。神農は十一月を以ちて正と為し、赤を尚ぶ。女媧は十二月を以ちて正と為し、白を尚ぶ。伏羲以 り上 は未だ聞くこと焉れ有らざらむ。易の說卦に云く、帝の震より出づるは、則ち伏羲なり、建寅の月、又た木の始め。其れ三正は伏羲從 り以下 に當たりて文 と質 は再びにして復 る者、文 と質 は天地 に法 り、文 は天に法 り、質 は地に法 る。周の文は地に法 りて天正と為し、殷の質 は法 りて地正を為す者、正朔、文質は相須 らず、正朔は三を以ちて改め、文質は二を以ちて復 り、各 も自ら義を為し、相須 らざるなり。建子の月の正と為す者、之れを天統と謂ふ、天の陽氣を以ちて始めて生まれ、百物を為 りて陽氣を得ること微か、稍 く動き變はり、故に天統と為す。建丑の月の統を為す者、其の物の已に牙 を吐 すを以ちて、天氣を為ざすして始めて動き、物も又た未だ出でず、人の功 を施 す所を為すを得ず、唯だ地の中に在りて萌牙 を含み養ふのみ、故に地統と為す。建寅の月の統を為す者、人物を以ちて地より出で、人の功 は當に須らく理 を脩 むるべし、故に之れを人統と謂ふ。統なる者は本なり、天地人の本を謂へり。然るに王者は必ず此の三月を以ちて正と為す者、其れ此の月を以ちて物は細微 を生み、又た是歲 の始めは生まれ、王者は天を繼ぎて物を理 め、微細 を含み養ふは、又た其の歲の初めを取りて正朔の始めと為す。既に天地人の三者 の繼ぐ所は同じからず、故に各 も正朔を改め、相ひ襲 ぬることあらざるなり。尚ばるる所は既に異なり、符命も亦た尚ばるる所に隨ひて來、故に禮緯稽命徵に云く、其の天命の黑を以ちてす、故に夏に玄の圭有り。天命の赤を以ちてす、故に周に赤雀の銜書有り、天命の白を以ちてす、故に殷に白狼の銜鈎有り。是れ天の命 する所、亦た各 も人に尚ばるる所に隨へり。符命は尚ばるる所を逐ふと雖も、皆の然りとするを必ずとせず、故に天は禹に命 して河を觀さしめ、白面の長人に見せしむ。洛子命に云く、湯は洛に觀 み、沈璧 らば而 ち黑龜與の書と黃の魚の雙 つは躍れり。泰誓の言へらくは、武王は紂を伐ち、而りて白き魚は王の舟に入る、と。是の符命 は皆 れも正しき色を逐 ふにあらざるなり。鄭康成の義 、古自 り以來 皆が正朔を改む。孔安國の若きは、則ち正朔の殷周二代を改め、故に尚書に注 けり、湯は堯舜の禪代 の後を承け、命 を革めて制 を創り、正を改めて服を易ふ、と。是れ湯從 り始めて正朔を改むるなり。
現代語訳
○正義(正統な釈義)は次の通りである。
「三綱五常」について、白虎通には「三綱とは何を意味するものか? 君臣、父子、夫婦を意味するものである。」とある。君主は臣下の綱となり、父は子の綱となり、夫は妻の綱となるのだ。大きなものは綱であり、小さいものは紀である。上下の関係を回復し、人道を整理した理由である。人は誰もが五常の性に懐き、親愛の心を有している。そこに綱紀によって教化するのだ。もし大きな網(羅網)に更に小さな(紀綱)があれば、すべての網の目ははっきりと開く。「三綱と称する理由は何か? 一陰一陽、これが道といい、陽は陰を得て成立し、陰は陽を得て序列する。剛柔は互いに呼応する。だから人が三綱を為せば、天地人の法に則ることになる。君臣は天の法に則り、日月の屈伸に姿をかたどり、功績に帰するのだ。父子は地の法に則り、法を五行の運行から取り、互いに生まれるのだ。夫婦は人が陰陽の合致する姿をかたどり、行われるものである。」『君』とは『羣』である。群下の心を帰するところだ。『臣』とは『牽』である。君に仕えれば、屈服の形をかたどるのだ。『父』とは矩 である。尺度によって子を教える。『子』とは『孳 』である。孳孳 と励んでやめることがない。『夫』とは『扶』である。道をもって扶養する。『婦』とは『服』である。礼をもって屈服する。
「五常」とは何か。仁義礼智信である。白虎通には「五常とは何を意味するのか。仁義礼智信である。」とある。仁とは、忍びないこと、生きることを好み、人を愛することだ。義とは宜である。決断して中正を得ることだ。礼とは履である。道を履んで文を成すことだ。智とは知である。事にあれば、微細なことを見てもはっきりと理解することだ。信とは誠である。ひとつのことに集中し、移らないことだ。だから人が生きていれば八卦の体に応じるもので、五つの気を得ることを常とする。仁義礼智信とは、これである。
「損はるると益さるるは文 と質 の三つの統 を謂ふ」について。白虎道に「王者に必要な『一質一文』とは何か。天地を承け、陰陽に従う理由である。」とある。陽の道が極まれば陰の道が受け、陰の道が極まれば陽の道が受ける。一が陽であり二が陰であることは継ぐことができないのだと明らかにしているのだ。質は天の法に則り、文は地の法に則るのみ。だから天は質を為し、地が受けてそれを化し、それを養って完成させる。だから『文』としているのだ。尚書の大伝には「王者は一質一文、天地の道に拠る。」とあり、礼三正記には「質は天の法に則り、文は地の法に則る。帝王の起こる始まりには、質が先にあって文を後にする。天地の道に順じ、本末の義とは、先後の序なのだ。事実には、その質性より先にあるものはない。つまりその文章は後に存在するのだ。夏は黒を重んじ、殷は白を重んじ、周は赤を重んじた。これらのことを三統という。だから書伝の略説には、「天に三統あり、物に三変あり、故に正色は三つある。天に三生三死あり、故に士に三王あり、王はひとつの生死を特別なものとする。」とある。また、春秋の緯元命包及び楽緯稽耀嘉には、「夏は十三月をもって正とし、息卦には泰を受ける」とあり、注には「物の始まりとは、その色は黒を重んじ、寅をもって朔とする」とある。「殷は十二月をもって正とし、息卦は臨を受けた」とあり、注には「物の牙 し、その色は白を重んじ、鶏鳴をもって朔とする」とある。「周は十一月をもって正とし、息卦は復を受け、その色は赤を重んじ、夜を半ばとして用を為した」とある。また、三正記には、「正朔は三度目に改まり、文質は二度にして元に戻る」これに基づいてこのことを推測するに、夏より上古の時代には、すべて正朔が三度目に改められたのだ。鄭注尚書には「三帛について、高陽氏の後は赤繒 を用い、高辛氏の後は黒繒 を用い、それ以外の諸侯は白繒 を用いた。鄭氏のここでの意図から顧みてこのことを推測するに、舜は十一月をもって正とし、赤を重んじた。堯は十二月をもって正とし、白を重んじた。だから「それ以外の諸侯は白繒 を用いた」とある。高辛氏は十三月をもって正とし、黒を重んじた。だから「高辛氏の後は黒繒を用いた」というのだ。高陽氏は十一月をもって正とし、赤を重んじ、だから「高陽氏の後は赤繒 を用いた」というのだ。有少皡は十二月をもって正とし、白を重んじた。黄帝は十三月をもって正とし、黒を重んじた。神農は十一月をもって正とし、赤を重んじた。女媧は十二月をもって正とし、白を重んじた。伏羲より上古の時代はこれまで聞いたことがない。易の説卦には、「帝が震から出たのは、伏羲であり、建寅の月、または木の始めである。」その三正は伏羲以下の時代に当たり、「文質二度で元に戻る」ことから、文質は天地の法に則り、文は天の法に則り、質は地の法に則るものだ。周の文が地の法に則り『天正』とし、殷の質は法から『地正』とするのは、正朔、文質は相互に影響することがないからだ。正朔は三度目に改められ、文質は二度目に元に戻り、各自が義を為し、相互に影響することがない。建子の月が正とするもの、これを天統という。天の陽気をもって初めて生まれ、百物を創造して陽気を得ることはわずか、徐々に動き、変化し始め、だから『天統』なのだ。建丑の月が統とするもの、その物が萌芽したこともって天気を為すことなく動き始め、物もまだ未だ出でおらず、人の功績を行うことができず、ただ地の中にあって萌牙を含養するばかり。だから『地統』なのだ。建寅の月が統とするのは、人類と万物をもって地より出だすことだ。人の功績はこれから理を修めなくてはならぬ。だからこれを『人統』というのだ。『統』とは『本』であり、天地人の根本をいう。このように、王者が必ずこの三月をもって正とすること、それはこの月をもって万物は細微を生じ、次いでこの年から生まれ始め、王者は天を継承して万物を理する。微細を含養し、またその歲の初めを取って正朔の始めとする。天地人の三者が継ぐものは同じではなかったので、それぞれが正朔を改め、互いに踏襲することがなかった。重んじられるものが異なっていたから、符命も同じく重んじられることに随って来る。故に礼緯稽命徵には、「その天命が黒を用いたから夏に玄圭があった。天命が赤を用いたから周には赤雀の銜書があり、天命が白を用いたから殷には白狼の銜鈎があった」とある。これらが天命とするものは、同じくそれぞれの人から重んじられているものに随っている。符命は重んじられるものの後を追うものだというが、すべてが必ずしもその通りというわけではなく、だから天は禹に命じて河を観させ、白面の長人に逢わせた。洛子命には、「湯王が洛を観ながら河の神に祈りを捧げていると、黒亀與の書と黄色の魚のふたつが躍り出た。」とあり、泰誓には「武王が紂王を討伐しに向かうと、白い魚が王の舟に入った」と言われている。この符命はどちらも正色を追いかけていない。鄭康成の義は、古以来の皆が正朔を改めてきたことだ。孔安國のごときは、つまり正朔は殷周二代にて改められ、だから尚書に「湯は堯舜の禅代の後継として、革命して制度を創設し、正を改めて服をかえた」と注をつけた。つまり湯王から初めて正朔が改められたのだ。
注 物類至預知
漢文
○注、物類至預知。
○正義曰、物類相召者、謂三綱五常各以類相召、因而不變也。云、世數相生者、謂文質、三統及五行相次、周而復始、而其世運有數、相生變革也。
書き下し文
○注、物類至 預知。
○正しき義 に曰く、物類は相ひ召す者、三綱五常の各 もは類ひを以ちて相ひ召し、因りて而 ち變はらざるを謂ふなり。世の數は相ひ生まるると云ふ者、文 と質 、三つの統 及び五行の相ひ次ぐを謂ひ、周にして復た始まり、而りて其の世の運ぶこと數有り、相ひ生まれて變革 るなり。
現代語訳
○正義(正統な釈義)は次の通りである。
「物の同類は互いに引き付け合うものだ」とは、三綱五常のそれぞれが同類をもって互いに引き付け合い、これによって変化しないことを意味する。「親と子の連続する系統は相次いで生み合う」とは、文飾と実質、三統および五行が相次ぐことを意味し、周になってまた始まり、こうしてその世の数世を運び、相次いで生まれて変革することを意味しているのだ。