子曰非其鬼而祭之章

漢文

 子曰、非其鬼而祭之、諂也。


書き下し文

 子の のりたまは く、其の みたま に非ずして之れを祭るは諂ひなり。

集解

漢文

 鄭曰、人神曰鬼。非其祖考而祭之者、是諂求福。


書き下し文

 鄭曰く、人の神は鬼と曰ふ。其の祖考 みおや に非ずして之れを祭る者、是れ諂ひて さいはひ を求む。

現代語訳

 鄭氏はいう。人の神霊は『鬼』という。自らの先祖でもないのにそれを祭ること、これは諂って福利を求めることである。

漢文

 見義不為、無勇也。


書き下し文

 義を見て為ざるは、勇無きなり。

集解

漢文

 孔曰、義所宜為而不能為、是無勇。


書き下し文

 孔曰く、義の宜しく をこな ふべき所にして をこな ふに能はざるは、是れ勇無し。

現代語訳

 孔氏はいう。為すべき義でありながら為すことができない、これは勇気がないのだ。

 子曰至勇也

漢文

 疏、子曰至勇也。
○正義曰、此章言祭必巳親、勇必為義也。非其鬼而祭之、諂也者、人神曰鬼。言若非已祖考而輙祭他鬼者、是諂媚求福也。見其義不為、無勇也者、義、宜也。言義所宜為而不能為者、是無勇之人也。


書き下し文

  おぎなひ 、子曰 ないし 勇也。
○正しき ことはり に曰く、此の ふみ は祭は必ず巳の親にして、勇しきは必ず義を為すを言ふなり。其の みたま に非ずして之れを祭るは、諂ひなり とは 、人の神は みたま と曰ふ。言へらくは、已の祖考 みおや に非ずして たびたび に他の みたま を祭る こと が若きは、是れ諂ひ媚びて さいはひ を求むることなり。其の義を見て為さざるは、勇無きなり とは 、義は よろしき なり。言へらくは、義の宜しく為すべき所にして為すに能はざる者は、是れ勇無きが人なり、と。


現代語訳

○正義(正統な釈義)は次の通りである。
 この章は祭る対象が必ず自己の親族であり、勇は必ず義を為すものだと言っているのだ。

「其の みたま に非ずして之れを祭るは、諂ひなり」について。人の神は『鬼』である。「自己の先祖でもないのに、気安く他家の『鬼』を祭るような行為は、まさに媚び諂って福利を求めてのことなのだと言っている。

「其の義を見て為さざるは、勇無きなり」について。『義』は『宜』である。「すべき義でありながら為すことができない者、これは勇気がないのだ」と言っている。

 鄭曰至求福

漢文

○注、鄭曰至求福。
○正義曰、云、人神曰鬼者、周禮、大宗伯之職、掌建邦之天神人鬼地示之禮。是人神曰鬼也。左傳曰、神不歆非類、民不祀非族。故非其祖考而祭之者、是諂求福也。


書き下し文

○注、鄭曰 ないし 求福。
○正しき ことはり に曰く、人の神は鬼と曰ふと云ふ者、周禮の大宗伯の つとめ 、邦を建つるが天神 あまつかみ と人の みたま 地示 くにつかみ の禮を つかさど る、と。是れ人の神は みたま と曰ふなり。左傳に曰く、神は類に非ざりて うらやま ず、民は うから に非ずして祀らず、と。故に其の祖考 みおや に非ずして之れを祭る こと 、是れ諂ひて さいはひ を求むることなり。


現代語訳

「人の神霊は『鬼』という」について、周礼に「大宗伯の職務は、建国における天の神、人の みたま 、地の かみ の礼を掌する。」とある。これが「人の神霊は『鬼』という」である。左伝に「神は同じ類別 カテゴリ でなければお供え物を受け取らない。民は同族でなければ祀らない」とある。だから自らの祖先でないのに祀ることは、まさしく「諂って福利を求めること」なのだ。

 孔子曰至無勇

漢文

○注、孔子曰至無勇。
○正義曰、若齊之田氏弒君、夫子請討之、是義所宜為也、而魯君不能為討、是無勇也。


書き下し文

○注、孔子曰 ないし 無勇。
○正しき ことはり に曰く、齊の田氏は君を ころ し、夫子は之れを討たむことを請ふが ごと きは、是れ宜しく為さるるべき所の義なり。而れども魯君は討つを為すこと能はず、是れ勇無きなり。


現代語訳

○正義(正統な釈義)は次の通りである。
 斉の田氏が主君を弑し、これを夫子が討つように要請したようなこと、これが「為すべき義」である。しかし魯の君主は討ちに行くことができなかった。これは「勇気がない」のである。

底本

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